第21話 九州討伐!北条謀叛
「期は熟した。島津を討伐し、天下統一を果たすいざ出陣」
織田信長は、錦御旗をかかげ安土から島津討伐へと出陣したのである。
途中、御所より「朝敵、島津を撃つべし」の勅許を貰い島津は朝敵となった。
龍之介も天下統一への仕上げに帝代理の軍監として近江八幡から兵を集め出陣した。
下関港には鉄甲船が出向の準備がされていた。
織田信長の鉄甲船は、西洋式型の外海にも使える鉄甲船で、龍之介は自ら建造に
携わった胴が二つの鉄甲双胴船となっていた。
このころの船は帆船である。
もちろん、明智光秀・羽柴秀吉も参戦していた。
それぞれ島津が要塞化していた港を海上から砲撃しながら上陸していく作戦であった。
しかし、島津も鉄甲船を用意しており関門海峡で大規模海上戦となったのであった。
予定より時間を必要とするのが軍義で話し合われてる頃、東の抑えとして残っていた
柴田勝家から北条氏政挙兵謀叛の知らせが届いた。
「おのれーーーーやはり、挙兵したか。柴田勝家を大将に北条を討伐せよ」
「左大臣殿、島津を後にするか北条を後にするかどうされるがよろしいか?」
軍監である龍之介に織田信長は意見を求めた。
「島津を先にしましょう、義父様 島津が琉球や明国と手を結ぶと厄介です」
「成る程、一理ありますな、
島津攻めはこのまま続ける、関東は柴田勝家・徳川家康・上杉影勝に任せる
使い番ををすぐに走らせよ」
「奥州勢には動くなと命令を出したほうがよろしいかと、下手に動かれれば
奥州全土に戦乱が広がります。また、北条に通じていないか見極めるのに
良い機会かと思います。島津の要所を落とした段階で、私が小田原の海上を
押さえるいかがでしょうか?」
「大軍艦を作り上げた左大臣殿にお任せしよう。では、島津攻めを急ぐぞ」
全軍に命令が下り、数で勝る信長軍の砲撃で九州上陸に進んだのであった。
要所は龍之介の弾を炸裂式に改造された西洋式大砲で、破壊されつくされたのであった。
上陸されては島津に勝ち目はなかった。
この段階で勝敗は決まっていたが、島津の降伏は許されず全滅の道へと進むしかなかった。
二ヶ月後、快進撃は続き、
「義父様、山場は過ぎたようなので北条討伐へ向かいます」
「左大臣殿、お任せしました。着き次第、采配は柴田勝家から左大臣殿になるよう
手配をしてあります」
「長引かせないようにしないとなりませんね、では」
龍之介は九州から舵を切り北条攻めに向かったのである。
途中で消費した弾薬を堺で補給した。
その足で龍之介は京の都により参内、帝から「北条を朝敵とする」 の
勅命をもらい小田原参戦するのである。
龍之介の軍は九州上陸戦には参戦していなかったため無傷ではあるが、
2500の少数、500は守備隊として嵐山と近江八幡に残してあった。