1616年正月・御下向の日取り決め
次男・正三位大納言禁裏御守衛総督京都守護藤原朝臣三上鷹之介正光(嵐山城主)は、三が日は茨城国・水戸城で過ごしたものの、京都守護職の役目を疎かにするわけにも行かず京都に戻るのである
その際、行きとちがかったのは、新型スクリュー式鉄甲船が正光用に1隻用意されていた
「正光、今日からこの船はお前のだ!堺に停泊させ使うが良い」
征夷大将軍の兄から贈られた鉄甲船
「ありがとうございます。役目に役立つよう使わせていただきます」
龍之介の不動明王艦隊で鍛えられた乗組員50名も正光配下とされ、京都に帰った
それを追うように、龍之介も不動明王で鹿島港を出港、堺を目指した
乗組員は必要最低限、さらに側室達も護衛としての春・エリリだけである
勿論、他の側室は身籠っていたからである
正光と龍之介は堺から小船に乗り換え京都・嵐山城に入った
次の日、帝のいる御所城に参内した
年賀の挨拶はさけ、正光は京都へ戻ったことの挨拶と、龍之介は御下向の日取り決めに来たのである
「兄上様、御下向の日取りはこちらで決めても宜しいでしょうか?」
「準備は整ったか?なら構わんぞ」
帝と龍之介の会話は普通に兄と弟の話し方である
また、正光も幼少から京都で亡くなった上皇と帝のもとで育ったため、さほどかたっくるしい話し方はしないのである
「では、水戸の梅の咲く良い季節、早咲きの桃も咲きますゆえ、桃節句に御下向頂きたく」
「あいわかった、皆の者そのように仕度するように」
謁見の間に積めていた帝の側近の公家に指示が与えられた
「水戸城、御成御殿にも温泉を引きましたゆえゆっくり湯治を楽しんではいかがですか?」
「お~水戸に温泉が!それは楽しみである、ゆるりと出来るよう留守に二条城の忠仁親王を御所城にいれるゆえ、その警護は正光に任せるぞ」
「は!心得ましてございます」
「龍之介、供廻りは少なくするゆえ、盛大にはしなくてよいからな 兄が弟の所に遊びに行く!それで良いではないか」
帝が民を思う現れでもあった
帝が供廻りを大勢連れていけばそれだけ金が必要となり、敷いては民に負担となるのをわかっていたのである
「はい、その通りにございます」
「あと、平和独立維持連合同盟・本部とやらも視察したい」
「手配いたします」
「世界の中心になるやも知れぬ城を見ておかなければな」
「必ずや平潟城を世界の中心にしてみせます」
龍之介は何故か、力を込めて言ったのである
こうして、下向の日取りは決まったのである
詳細は正光を通して、モールス信号で連絡を取り合い決めたのであった