日本全国巡察の旅・~日本海編~その1
龍之介は越後の寺泊港に寄港した
越後巡察の目的は「臭水」である
臭水は原油の事である
日本でも、少量ではあったが原油はでたのである
現世の日本でも、田んぼで湧き出たりしていた
龍之介は、越後で出る原油を集め茨城国の富益恵時尊・平賀源内の元に送るよう手配した
さらに、上総掘りで原油を掘るよう命じたのである
この原油を利用して、石炭蒸気機関に代わる動力の開発を
開発に成功すれば、中東で油田を掘る予定であった
龍之介は中東アジアの広大な砂漠地帯を農業支援と蒸気機関の提供との交換で買い取った
中東の人々は不毛な砂漠地域を日本国総代大将軍が買い取った事が意外であり不思議であった
新シルクロードはこの砂漠地帯を通るよう計画されていた
ちなみに、富益恵時尊・平賀源内に原油と一緒に龍之介から送られた新動力機関の設計図はロータリーエンジンであった
レシプロエンジンでなかったのは、龍之介の個人的な趣味
レシプロエンジンよりロータリーエンジンが好きなため、後の世で主流なってほしくてである
しかし、複雑なロータリーエンジンの開発は難航するのであった
レシプロエンジンの簡単な物なら、すぐに開発されたのかもしれないが、これまでの龍之介の実績から龍之介の命に背くものはいなかった
越後は、龍之介が介入しなくても米所として繁栄していた
その米を使った酒が、越後の民から献上されたのである
龍之介一行は、寺泊で水揚げされた魚をつまみに舌つづみをうったのである
側室は、笹団子を堪能した
寺泊から佐渡島に移った
佐渡島には勿論、金山巡察であったが金山は幕府に任せてあるため本当に巡察だけであり口出しはしなかった
佐渡島からは、龍之介は富山の海をゆっくり南下していた
富山の海から見る、山の景色が好きな龍之介
不動明王艦の天守の高覧から眺め、また酒を飲んでいた
能登半島を過ぎると舞鶴の港に寄港した
舞鶴は京都への日本海側の入り口の港として整備されている
次男、大納言正光によって海城が築かれた
正光もまた、龍之介の指示に従い、低地への住居禁止令を出し舞鶴もまた他の港のように低地には産業・高地に住居となっていた
龍之介は改めて考え、この防災・減災対策を幕府に命じ、幕府は評定議会で満場一致で可決
帝により発布されたのである
「港湾整備減災防災・低地産業高地住居設置法」でありこの法は後の世まで続くのである
帝が全国に発布した事により、この津波対策の一つは日本国の当たり前の住みかたとして、定着したのである