日本全国巡察の旅・樺太~ウラジオストク編
北上を続ける不動明王戦艦
北方領土と樺太を巡察した
北方領土と樺太は入植が始り開拓がも始まったばかりだが港は、砦として整備が順調に進んでいた
茨城国からも、アームストロング砲が優先的に送られていた
北方の守りを固めるために
樺太には特に軍港が作られ海城が整備されていた
ウラジオスト中継地としての役割を持たせて
北方領土・樺太では、漁が盛んで鮭や鱈を干したり薫製にする保存食加工が行われて日本各地に送られていた
蟹は保存技術がなかったので、北海道までしか輸送されていなかったのである
樺太島では特に良質な石炭が取れるため石炭産業に力をいれ始めていた
不動明王戦艦には最上家家老が同乗し案内を引き続きしてくれ、樺太の港に寄ると蟹が振る舞われたのであった
たらば蟹・毛蟹・花咲蟹
龍之介の好みは花咲蟹であった
蟹は家臣達の分も用意され、沈黙の夕食になった
ひたすら、蟹の実を掘り出さすのに
樺太の巡察から、ウラジオストクへ向かったのである
ロシア大陸での日本国領
ウラジオストクは最上義康が統治している
最上義光は1614年11月29日に亡くなり、嫡男義康が跡を継いでいた
正二位右大臣も義康が跡を継ぐことを認められ、北方守衛総督の役職も与えられた
「殿下、お久しぶりにございます」
「息災で何よりだ、義光殿の事 お悔やみ申す」
「ありがとうございます」
最上義光は、荼毘に服され山形城下の寺に葬られたとの事であった
ウラジオストク城は堅牢な巨大な城となっていた
海城兼平山城であり、七階建て層塔型天守が見張り兼灯台の役割を担ってもいたのだ
海からの敵だけでなく、陸の守りも固められていた
勿論、総構えで町は囲われロシア大陸日本国領中心地として繁栄していた
義康により、大陸内も案内され
アムール川を境にロシア帝国と日本国が別れているのを見届けた
アムール川の川沿い主要な箇所には砦が築かれていたのだった
ウラジオストクは清国にも面しており、重要な拠点
「義康、大陸での守りの要これからも統治頼むぞ」
「は!心得ております」
「平和独立維持連合同盟の大陸支部を建設を命じるが大丈夫か?」
「勿論にございます」
「よろしく頼むぞ」
ウラジオストクにはその後、平和独立維持連合同盟ロシア大陸支部が作られるのであった