カエルの事情〜果てしない旅
ユーリは途方にくれた。泉の側の出入り口はいつの間にか堅く閉ざされ、人の気配も全くない。どうやら出た時は一時的に開いていただけだったようだ。
彼はひどい空腹を感じていた。
城門まで行こうかと一瞬考えたけれど、城は広い。今の姿だと城壁を回ってそこにたどり着くだけでも朝になりそうだった。そんな気力は、今の彼には残っていなかった。
しかたなく、他のカエルと同じように泉の淵で岩にへばりついて眠ろうとしてみる。
――それにしても、夏で良かったよな……冬だったら確実に死んでた。ただでさえカエルだし、秋でもヤバいかも。
その晩、ユーリはそんなささいなことを感謝しながら、冷たい岩を枕に眠りについた。
翌朝、ユーリが起きた頃には、かなり日が高くなっていて、彼の背中は乾涸び、熱くなりかけていた。火傷しそうになっていることに気がつき、慌てて泉に飛び込む。
――うかつに寝坊も出来ないのか
ユーリは憂鬱になりながら、それでも、水につかることで、気力を回復した。
ぷかぷかと泉に浮くと、焼け付くような日差しを避けて、木陰へと移動する。
泉から上がると日陰にしゃがみ込んで、昨日彼が飛び出した城への出入り口を眺める。改めて見上げると、城は空に届きそうなくらいに大きく、その石造りの壁はどんな攻撃にも屈しないほどに頑丈そうだった。
そして、城は沈黙を保ち続け、まったく開く気配がない。昨日味わった表の騒々しさは一体なんだったのだろう。
ユーリはため息をつくと、その入り口からの侵入をあきらめることにした。
――とりあえず、まだ体力が残っているうちに、移動しよう
彼はそう考えると、無謀にも、城門までの果てしない旅を始めた。
しかし、行けども行けども、城門らしき物は見つからず、それどころか、周りの森はどんどん深まるばかり。
――おかしい。城の中だろう? 俺、迷ったか?
先ほどから同じ場所を繰り返し通っているような感覚に、彼の疲れは頂点に達しようとしていた。
ふ、と水の匂いを感じてユーリは目を細める。
「あ!」
ユーリの目の前には日の光を受けてキラキラと輝く泉があった。
どぼんと泉に飛び込むと、乾いていた体が潤い、ずいぶんと気分が楽になる。蛙というのは人間の姿よりもずいぶんたくさんの水が必要なようだった。
泉に潜り、こんこんと湧き出る青い水の流れに身を任せる。水面には太陽が膨らんで輝く。青い、青い世界に心が洗われる――ユーリはその心地よさに目を瞑る。
彼がそうして気力と体力を回復していると、急に頭上でバタバタと鳥が騒ぎ出し、森の梢から一気に飛び去った。
――なんだ?
ユーリが不思議に思っていると、小さな足音が聴こえてきた。
――あ!
城の影から、一人の少女が飛び出してきた。
ユーリは思わず目を見張る。
――か、かわいい………
小動物の本能で、彼は体が逃げ出したくなっているのを感じたけれど、それ以上のその娘への強い興味で、彼はその場に縫い止められた。
彼は泉に潜ったまま、目だけを水面から出すと、少女を食い入るように見つめ続ける。華奢で繊細な線を持つ、すみれのような女の子。それは、ユーリの想い描くあこがれのお姫様そのものだった。
ふと、彼女が手に持っているバスケットを開き、中からパンを一つ取り出した。
――あ! 食いもの!!
一瞬で彼の関心は少女よりもパンに大きく傾いた。
ユーリが思わず泉から飛び出すと意外に大きな音がして、少女はそれにびっくりして、手に持ったパンを地面に落とす。
「ああ! 私のお昼ご飯……」
少女は一瞬悲しそうな顔をしたけれど、すぐにパンを諦め、バスケットから櫛形に綺麗に切られたオレンジを取り出して食べ始める。
――しめた。
ユーリは、人が食べる物であれば、もう地面に落ちた物でも何でも食べる気だった。
パンに群がろうとする蟻を横目で気にしながら、ユーリは固唾をのんで、少女が立ち去るのを待った。
少女はオレンジを食べ終わると、泉で軽く手を洗って、その服のポケットから小さな金色の鞠を出す。
そうして、それを空高く投げたり、地面について遊んだりし出した。その表情は輝き、まるで十歳くらいの少女に見える。
――ガキかよ……
ユーリは、その少女の動向に少々呆れたけれど、すぐにパンの方へ意識を傾けた。
少女の注意はパンからそれているようだ。ユーリは急いでそのパンを拾うと、草の陰でそれにかぶりつく。
――……なんておいしいんだ!
ユーリは心からそう思った。手元を見ても、それはただのパンにしか見えないというのに、甘く、身体の隅々に染み渡って、ユーリの力の源となる。
そもそも彼は生まれてから空腹などほとんど感じたことがない。お腹が空く頃にはちょうど良く食事が用意されていた。それが当たり前のことで、こんなに長い間、何も食べなかったことは今までに無かった。
それだけに、彼はその新鮮さに感動を覚えていた。
彼がそうして食べ物のありがたさに初めての感謝をしていると、いつの間にか少女は城の向こうへと消えていた。
「あぁ、付いて行けば城に入れたかもしれなかったな」
彼は、そう独り言をいいながら、少し休憩するつもりで、岩の上に横になる。満腹感が心地よく、睡魔はすぐに訪れた。
そして、次に彼が起きた時には、もう日がとっぷりと暮れていたのだった。
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