【後日談2】風邪引きと吟遊詩人の唄
「え、ユーリが熱を?」
その日冬の冷たい風に乗って耳に入って来た情報は、ユーリが熱を出したと言うものだった。
どうやら先日の雪掻きで薄着をしていたのが原因らしい。
アンジェリカも手伝ったのだけれど、彼女は全く何ともなくぴんぴんしているというのに。
ひょっとしたら長い間カエルに変身していた事で冬に弱くなってしまったのかも。アンジェリカはそんな事を考える。
ともかくそうと聞けばじっとしていられない。
──見舞いだわ。見舞いにいかないと。看病とか……しては駄目なのかしら?
アンジェリカはそう考えて急にそわそわとし始める。
この城に来てようやく一月が過ぎたところだ。彼女にはカストックの事はまだよく分からない。
ベッドで唸っているユーリを思い浮かべて、彼女はリュンベルクで看病を続けた事を思い出す。
──あのときは本当に心配したのよ。私。ユーリを失っちゃうんじゃないかって……気が気じゃなかった……
思い出して胸が苦しくなったアンジェリカは余計にユーリに会いたくなって、侍女のカミラに看病に行っていいかと尋ねる。すると険しい顔と冷たい回答が返って来た。
「そういうことは侍女に全てお任せいただいております」
ギロリと睨まれてアンジェリカは怯んだけれど、それでも震える声を抑えながら宣言してみた。
「でも……わたくし、ユーリの婚約者でしょう」
「正式ではありませんから」
すげなく言われる。取りつく島もなさそうだった。
ああ、こういう時は……彼女に相談するのが一番いいのかもしれない。
アンジェリカはユーリに良く似た美しい女性を思い浮かべる。──オリーヴィア。ユーリの姉だ。
彼女はアンジェリカより一つ年上で、アンジェリカの姉ベアトリクスと同じ年だった。
『本当の姉のように思って、何でも相談して下さいね』
初めて対面した時に花が開いたような笑顔でそう言われた事を思い出す。それ以来結局は挨拶を交わすくらいの仲が続いているだけだった。相談するといっても相談出来るような事が今まで無かったのだ。悩みが無かったわけではないけれど、さすがにアンジェリカでも、初対面に近い女性に漠然とした恋の悩みを聞いてもらうのは憚られた。
「いい機会だし……相談してしまおうかしら」
アンジェリカはひっそりと呟く。
なんにしろ、オリーヴィアの部屋はユーリの部屋に随分近いのだ。今のアンジェリカにはユーリを訪ねる理由は与えられない。オリーヴィアを訪ねれば、もしかしたらユーリの様子をもっと伺えるかもしれなかった。
珍しく頭が冴えている気がした。
──うん、とてもいい考えのような気がするわ!
そう思うと居ても立っても居られずにアンジェリカは立ち上がる。
「……オリーヴィア様にお会いしたいのですが、使いを出していただけるかしら」
* * *
「うう、ごほ、ごほっ」
乾いた咳が部屋に充満する。王宮の一室にしてはやや簡素な造りのその部屋には、王子の『側近』が赤い顔で寝込んでいた。
ユーリはベッドの脇に座り込むと、呆れたため息をつく。
「なあ、なんでお前が風邪引いてるんだよ」
「も、もうしわけありません、ユーリ様」
ハインリヒが真っ赤な顔で謝る。そのついでに枕元のハンカチを手にすると、主の前ではふさわしくないような音を立てて鼻をかんだ。
「その上、見舞いにまできていただくなんて」
「見舞いじゃないんだけどな。──ほら、この間の」
ユーリはそう言いながら分厚い書類を取り出す。
「ここの数が間違ってるんじゃないかって。これ調べたのお前だろ。やり直せよ」
「……」
恨みがましい顔をされるけれど、ユーリは無視した。そしてベッドの向かいにある壁で、この間の雪掻きでハインリヒが被っていた赤い毛糸の帽子を見つけて、ため息をつく。ユーリには、あれだけ厚着をしていた男が、なんで率先して風邪を引くのかが分からない。
「お前が一番厚着してただろ。それで風邪引くのは、鍛え方が足りないんだ」
「……そ、そんなぁ。……だいたい、ユーリ様は、あのときアンジェリカ様とお会いになって心がほかほかだったから──」
二人の周りだけ春でしたものね──そんな風に羨ましそうに文句を言うハインリヒに、ユーリは目を見開き、それ以上の言葉を言わせないよう背に隠していたカップを突き出した。
「ほら、黙って飲め!」
先ほど厨房に寄って作ってもらった特製の飲み物。ユーリが風邪を引くとよく飲まされていた、蜂蜜とすり下ろしたショウガを湯で溶かしたものだった。味は子供のユーリには少しきつかったけれど、これを飲むと体が温まるのだ。
「わ、私のために!? ──あ、ありがとうございます!!!!」
ハインリヒは少し潤んだ瞳を輝かせる。ユーリはそっぽを向く。小さな子供に戻って褒められているような気分になり、居心地が悪い。確かにこんなこと、初めてやるような気がする。
「お前がいないと仕事が進まないだろ」
焦って付け加えたつれない言葉にも、ニヤニヤ嬉しそうなハインリヒ。彼には、ユーリの素っ気なさが照れ隠しだと分かっているようだった。
「ありがとうございます。これを飲めばあっという間に治ります」
「早く良くなれよ」
そう言うと書類の束を押し付けて、ユーリは立ち上がった。
そして閉まる扉の隙間からハインリヒの咳を聞きながら、ユーリは自分が重傷で寝込んでいた時のことを思い出す。
──本当は、俺じゃなくてあのひとに作ってもらうのが一番の薬なんだろうけど。あのひとにそういう事を求めたら駄目だからなあ
ユーリの回復が早かったのは、きっとアンジェリカが傍に居てくれたおかげだと彼は信じて疑わなかった。
しかし、ハインリヒのために『彼女』が傍に居ることは有り得ない。その形になることは無いほろ苦い関係に、ユーリはそっとため息をついた。
*
「『ユーリ』が風邪を?」
アンジェリカの相談に、オリーヴィアは少し不思議そうに首を傾げたけれど、直後、少し微笑んで頷いた。
「──それで、アンジェリカ様は、看病をしてあげたいと?」
「ええと……それは無理かもしれないですけれど、せめて何かしてあげたいと思いまして……」
出来れば顔も少し見たいかもしれない……と口に出せないアンジェリカは心の中だけで願う。
「何かって……ああ、そういえば、私、あの子が蛙からもとの姿に戻った経緯をお聞きしたのですけれど……そういうことかしら?」
──元の姿に戻った経緯?
アンジェリカの頭はその回りくどい質問に付いて行けなかった。徐々に理解して、頭に血が上る。
「え、あ、えっと! ──ち、違います!!!!」
──そ、その話って、誰がどこまで知っているの!? ひょっとして、王や王妃もなにもかもご存知で? キスのことも──そ、それから……壁にぶつけたことも?
焦るアンジェリカはどうやらそれを口に出していた。オリーヴィアはにっこり笑って答えた。
「カストックの国民でこのお話を知らない人間はおりませんわ」
「えええええ!? こ、国民!?」
──その規模なの!? うそ!
アンジェリカの驚愕の表情を嬉しそうに眺めると、オリーヴィアはとどめを刺すように続ける。
「蛙の王子がお姫様の優しさに助けられたお話は、きっとこの国で代々まで伝えられていくことでしょうね。既に楽士にもバラッドを書かせておりますのよ。だって、とても素敵な恋のお話ですもの」
「…………」
──優しさ? 素敵? バラッド? 蛙を散々馬鹿にして、あげくの果てに壁にまでぶつけた話が、そんな──
放心するアンジェリカを見て、オリーヴィアはなぜかひどく満足そうだった。
ようやく我に返ったアンジェリカの前には、普段の優しげな表情を浮かべた彼女が居たので、アンジェリカはその表情は見間違えだったと自分の目の方を疑った。
「ところで、そういうことでないのであれば、アンジェリカ様は、どうされたいと言われるのです?」
「え、ええと……た、たとえば……食べ物を差し入れるとか……そういうことです」
「ああ、なるほど」
オリーヴィアはくすくすと笑いながら、窓の外に広がる雪景色を眺める。そして何か思いついた様で、ものすごく楽しそうにポンと手を打った。
「それでは、一緒に作って差し入れましょう」
アンジェリカは厨房でオリーヴィアに言われるがままショウガと蜂蜜の特製の飲み物を作った。
すり下ろした大量のショウガをカップの半分まで投入すると、その上から少量の蜂蜜をたらす。そしてお湯で割ると、辛い湯気が目と鼻を刺した。
当然料理なんて初めてだった。作り終えたものを、わくわくしながら味見をしようとしたところを、オリーヴィアに遮られた。
「とてもいい香りね。きっとユーリも喜ぶわ」
──いい香り? ちょっと辛そうな気がするのだけれど……
厨房の料理人をちらりと見ると、彼らは何かに怯えたように一斉に目をそらした。
アンジェリカは少し不審に思ったけれど、オリーヴィアの手にはもう一つ別のカップが握られていて、彼女がそれに口をつけるのを見て安心する。さっき彼女もアンジェリカの隣で同じものを作っていたのだ。
疑いを忘れたアンジェリカは、オリーヴィアの「温かいうちに早く持っていってあげましょう」という誘いの言葉に乗って、厨房を後にした。
*
「お届けものです」
侍従が扉を叩いた。
ユーリが返事をすると、侍従がワゴンを押しながら入室して来る。その上に二つのカップが並んでいるのをみて、ユーリは尋ねる。
「それ、何?」
「アンジェリカ様と、オリーヴィア様からの差し入れだそうです」
「アンジェリカ?」
その名にユーリは後に続いた姉の名を一瞬忘れた。
「ええと、こちらがユーリ様の分、こちらが──ハインリヒ様の分だそうです。決してお間違えのないよう、それから飲み残しの無いようにと言付かっております」
侍従はカチンコチンに固まったままそう言って退出した。
ユーリはワゴンの上のカップを上から見比べて、直後冷たい汗をかいた。
──な、なんか、こっちの俺の分、色が変なんだけど!
二つあるカップのユーリの分とハインリヒの分では、確実に色の濃さが違った。
片方はカップの底が見えるくらいの透明度を保っていて、うっすらとすり下ろされたショウガが浮いているくらいの「普通の」飲み物に見える。
しかし、もう一方は──まずカップの底が見えない。沈殿したショウガがその飲み物をもはや飲み物ではないと主張している。丁寧に添えられた銀色のスプーンが、ユーリに訴える。──食えと。
あきらかに姉のいたずらだろう。アンジェリカが騙されているのは明らかな気がする。大体、なぜ元気なユーリがこれを飲む必要があるのだ!
もしこれを残したり捨てたりしたら──姉はアンジェリカに言うのだろう。心の中で大喜びしながら悲しそうな顔をして「あなたのせっかくの好意なのに、ユーリは受け取ってくれなかったみたいよ」と。そしてアンジェリカが悲しむ様を見て喜ぶのだ。そして姉が一番望んでいるのは、その筋書きではない。
姉が喜ぶことは分かっていたけれど、ユーリに残された道はそれしか残っていない。
──くそー、あの悪趣味の魔女め!
そう思いながら、ユーリは姉の行く末を心配する。あの性格の悪さを含めて好きになってくれるような男など、ユーリにはやっぱり一人しか思い浮かばないのだ。──あ〜あ。ほんとにどうする気なんだろ。
喜々として姉の作った飲み物を飲むハインリヒを見つめ、ユーリはため息をつく。
「おい、水をくれ。出来るだけたくさん」
侍従に声をかけると、ユーリは深呼吸をする。
そして今日一番の大仕事に取りかかることにした。
*
翌日。城の大広間で催し物があると聞き、アンジェリカはオリーヴィアに誘われるままに出席していた。
広間の豪華なシャンデリアの下には、数人の楽士が集まって、竪琴の調律を行っている。
きれいな音だと聞き惚れるアンジェリカの隣に、オリーヴィアが腰掛け、アンジェリカに向かって微笑みかけた。
「オリーヴィア様、昨日はいろいろとありがとうございました」
「いいえ。こちらこそ、ユーリを気遣ってくれてありがとうございます。ほら、あの子達、すっかり元気になって」
彼女の視線を追うと、そこには黒髪の少年が二人。二人は一見談笑しているかにも見える。けれど、よく見るとハインリヒがうきうきと一方的に話しかけているようだ。確かにハインリヒはいつもより数倍元気に見えるけれど……ユーリは喉を痛めたままなのか、喉に手をやって相槌を打つだけだ。元気だとは思えない。
「……元気、でしょうか」
アンジェリカはその様子が気になって、首を傾げる。
「そんなに簡単に全快はしないでしょうけれど、熱は下がって、あとは喉の痛みだけみたいですのよ?」
オリーヴィアは心底楽しそうに笑う。アンジェリカは彼女が弟の回復を喜んでいるのだと、なんて優しい姉なのだろうと羨ましくなった。自分の姉とくらべると余計にだった。
「オリーヴィア様はお優しいのですね」
アンジェリカが感心して言うと、彼女は少し困った顔をして頬に手をついた。ふと視線を感じてそちらを見ると、ユーリが喉を押さえたままオリーヴィアを睨んでいる。
「本当に可愛がっているのよ。ユーリにはなかなか分かっては貰えないのだけれど。残念なことだわ。──ああ、でも治って本当に良かった。──元気が無いといじめがいが無いのですもの」
オリーヴィアがユーリとその後ろにいるハインリヒを見やって、蕾が綻ぶようにに笑う。アンジェリカは思わず見とれて、最後に付け加えられた微かな呟きを聞き逃す。
「え?」
「いいえ、何でもございませんわ。──ほら、アンジェリカ様、始まります」
オリーヴィアの声に誘われたかのように楽士が竪琴を奏で始め、広場に柔らかな旋律が広がった。一人の男が大きく息を吸い、歌いだす。
──昔々のお話です
──蛙になった王子様
──鞠を拾ったお礼にと
──優しい姫に助けられ
──愛の輝くそのくちづけ
──闇の呪いを解きました
唖然とするユーリとハインリヒを見て、アンジェリカは思わず俯いた。その頬は既に羞恥で真っ赤である。
「素敵でしょう。子供向けのお伽噺に良いのではないかしらって、作っていただいたのよ」
オリーヴィアがアンジェリカの様子を見てくすくす笑う。
──こ、これは……どう考えても端折りすぎているし、美化しすぎてる気がするわ。なんて……嘘くさくて、なんて恥ずかしいの!
あとで楽士に修正を求めよう。誰が何と言っても! 優しいとか、愛とか、く、くちづけとか……そんなのは消してもらって!
──そんな風に決心するアンジェリカだった。
*
*
*
「ねぇ、ハインリヒ」
「何でしょう、姫様」
「わたくしね、ずっと気になっているのよ。蛙の王子のお話があるでしょう? あれ何か変だと思うの」
「どこがです」
「だって、王子様、壁にぶつけられて蛙からもとの姿に戻ったのでしょう? きっと痛かったのよね? なのに、なんでお礼を言ってお姫様に結婚を申し込んだの? お姫様、すごくわがままだったって書いてあるのに……。お父様にもお母様にも聞いたけれど、『それはそういうお話なんだ』って」
「それはですね……────
風邪引きと吟遊詩人の唄 fin
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