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姉のたくらみ
 その日、アンジェリカはめずらしく真剣に授業を受けていた。
 一緒に授業を受けていた姉たちが不気味に思うくらいの真剣さだった。
 もともと、アンジェリカは勉強が大嫌いだ。しかし、今日の彼女は知りたいことがあったのだった。
 ――例のカエルの名前である。

 カエルの名前自体は、そんなに興味のあることでもない。
 ――道ばたに咲いていた綺麗な花の名前……いや、そんな喩えはおかしいわよね。……そうそう、あれの名前は何かしら? くらいのものよ

 アンジェリカは足元を這っている、指の先ほどもない小さな虫をちらりと見ると頷いた。
 彼女にとっては、それより、黒髪の少年の正体の方が重要だったのだけれど、その鍵を握ると思われるハインリヒに直接そのことを問うわけにはいかない。第一どのように聞けば良いのかも分からない。

『あなたに似た少年を毎日夢で見るのです』

 ――これでは、まるで愛の告白だわ
 それをハインリヒに尋ねている自分を想像すると、顔から火が出そうだった。
 だから、突然そのようなことを聞くのではなく、ひとまずは共通の話題を持ちかけて、親しくなることが先決だと思ったのだ。
 共通の話題と言えば、彼が探しにきたというカエルの存在がちょうど良い。前にアンジェリカはその名を調べようと思っていた事を思い出していた。

 彼女はカビ臭い図書室に籠って少し調べてみたのだが、勉強嫌いが祟って、どこをどう調べればよいか、全く分からなかった。大量の本に囲まれ、慣れない環境に次第に気分も悪くなる。
 そうしてしばらく資料をあさるうちに、その場所にいることさえ嫌になってしまった。
 彼女はあっさり調査を打ち切って、教師に聞くことにした。幸い今日は、諸外国の文化についての授業だった。

「先生。……あの……聞きたいことが」
「はい、アンジェリカ様。どうなさったのです、質問なんて珍しい」
 教師は重そうな瞼を持ち上げ、目を見開いた。姉達も驚いてアンジェリカを見つめている。
 その視線を気まずく思いながら、アンジェリカは口を開いた。
「ええ……ええと、ユーリという名の、カストックの人物について知りたいのです」
「ユーリ、ユーリねえ……なんだか聞いたことがある気もするんですけどねえ……。わりとありふれてはいる気がしますけれどねえ」
 アンジェリカの教師は、父王をも教えていたという熟練の教師で、ずいぶんと高齢だ。
 彼は、白くなった長い髭を撫でながら、目を天井に向けて考え込んでいる。齢のせいか、すぐには記憶を辿れないようだった。
 先ほど視界に入った虫がのんびりと机の上を這っている。アンジェリカはいつの間にかそれをぼんやりと目で追っていた。
 虫がテーブルの端まで辿り着く頃、教師がようやく口を開いた。
「思い出せませんねぇ。ご自分で調べてみてはどうでしょうか? 図書室の諸外国の文化の棚に――」
 教師が言いかけるのをアンジェリカは遮る。
「もう調べました。でも全然分からないんですもの。本は黴臭いし……もうたくさんです」
 教師の顔に僅かな呆れが滲む。
「そうですか……じゃあ、次の授業までには調べて来ましょうかね。それでいいですか?」
「……」
 ――あ〜あ、役に立たないわね
 期待していた分、アンジェリカはがっかりして大きくため息をついた。彼女の顔に明らかな不満の色が現れるのを見て、教師はやれやれといった表情で、椅子から腰を上げる。
「よっこらしょ」
 足を押さえて辛そうに立ち上がる教師を、イザベラが手伝う。彼女は相変わらず膨れたままのアンジェリカを横目で冷たく睨みながら、教師と一緒に部屋から退出した。
 ――なあに? イザベラお姉様、何に怒っているの? もしかしたらあとでお説教? 逃げちゃおうかしら
 そんな風に憂鬱になるアンジェリカに、隣に座っていたベアトリクスが不審そうに声をかける。
「なあに? ユーリって」
 強引に覗き込む瞳はアンジェリカが逃げるのを許さない。アンジェリカは面倒に思いながら、渋々答える。
「私のペットのあのカエルがそう言う名なの……なんだか事情があるみたいで。それを知るためには、その名前が鍵になっているようなの」
「ふうん……今朝、朝食の時にいらしたあの彼と何か関係があるの? あの方カストックの人でしょう?」
「……探しにきたんですって。カエルのこと」
 アンジェリカは何気なくそう言った。
「へえ、ユーリというカエルをねえ……」
 ベアトリクスは今の話のどこに興味を持ったのか、急にウキウキし出した。
 その茶色の瞳がいつもよりきらきらと輝きを増している。過去の経験から思い返すと、こんな時の姉は、ろくなことを考えていない。ひどく嫌な予感がした。
「なあに? お姉様ったら」
「ふふふ、あんたは知らなくっていいのよ。いつもみたいに、のんびり、ぼーっとしてればいいの」
 ベアトリクスは意地悪そうに微笑むと、その長い金色の髪とドレスの裾を揺らしながら、いそいそと自室に帰っていった。
 広い部屋にはアンジェリカが一人ぽつんと取り残される。
 ――何かしら。なんだか不愉快だわ
 ベアトリクスは最初から最後までアンジェリカを馬鹿にしたままだった。
 アンジェリカは一生懸命姉の態度について考えた。けれど、材料が足りないのか、ベアトリクスが何を企んでいるのか見当もつかなかった。
 やがてアンジェリカはため息をついて、考える事止める。
 ――とりあえず、カエルの事は来週になれば先生に教えてもらえるんだし。深く考えることもないわよね?
 考え慣れていない彼女は、急に何もかも面倒になってしまったのだった。
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