カエルの名は。
朝食の席についたアンジェリカは、一緒に食事をとっているハインリヒをこっそり盗み見る。
彼は父と何か深刻な顔で話し込んでいた。所々会話が立ち消え、アンジェリカの耳には意味のある言葉として届かない。
ハインリヒの漆黒の髪が額に一房落ちて、その黒い瞳の色を濃く見せている。
歳はアンジェリカと同じ十六歳と聞いたけれど、大きな瞳のせいでそれよりも幼く感じた。
最初は違うような気がしていた。しかし、見れば見るほど、夢の中の少年と重なってくる。
夢の中の少年の瞳を見ることが出来れば、本人かどうか確認できるのにと、アンジェリカはもどかしくて堪らない。
――また夢を見ることがあれば、瞳を見ることが出来ないか確かめてみよう……
アンジェリカはそんな思いで頭と胸がいっぱいで、全く食事をする気にならなかった。
食事が終わり、姉や母が席を立ったのに引き続いて、少々名残惜しく思いながらアンジェリカが立ち上がろうとした時、父がアンジェリカに尋ねた。
「ところで、アンジェリカ。……ユーリ殿はどこに行かれたのだ?」
「え? ……ああ。昨日の夜から見かけていないの。突然飛び出していってしまって」
テーブルにはアンジェリカの食べ残しがそのまま置いてある。野菜くずやパンの欠片、魚の皮の残った皿をちらりと見て、アンジェリカは急に気になりだした。
このごろはこういう光景も見ることはなかったのに。
――さすがにお腹が空いてるんじゃないかしら……
カエルのへの字になった、のっぺり大きな口をふと思い浮かべた。
「あぁ、飛び出してしまったのですか……」
ひどくがっかりした声にアンジェリカははっとする。
顔を上げると、ハインリヒが渋い顔をして呟いていた。
「……この方はね、ユーリ殿を探しに来られたそうだ」
父がそう説明する。
「カエルを? なぜ?」
アンジェリカは、まさかあのカエルが隣国から探しに来られるようなモノだとは思いもしていなかったので、驚いた。
――もしかして、貴重な蛙なのかもしれないわ。なんたって話が出来るのですもの
アンジェリカがぼんやりそんなことを考えていると、父が厳しい顔でたしなめた。なぜか隣のハインリヒを少し気にしているようだった。
「お前はまだ『カエル』などと。名があるのだ、失礼だろう」
「だって、カエルはカエルじゃないの。それ以外のナニモノでもないわ」
アンジェリカはその頬を膨らませる。父の顔が怒りで赤らむ。
「ユーリ殿は……っ……うむむぐ」
父は変に口ごもると、困ったように頭を掻き、ハインリヒを見つめて申し訳なさそうな顔をする。
ハインリヒも何か言いたげな顔をしている。
「王もやはりだめなのですね……。ルーツィエ殿も、ここまで徹底した呪いをかけずとも良いものを……」
ハインリヒが悲しそうに呟く。
「とにかく、アンジェリカ。次からは『ユーリ殿』とお呼びしなさい」
「なぜです!? ……ユーリ殿、ですって?」
――冗談じゃないわ! カエルに向かって、「ユーリ殿」なんて
第一、あのカエルにそんな綺麗な名前が似合う分けがない。……呼ぶ度に笑いが出そう。
アンジェリカは憤慨する。いくら父の言いつけでも理不尽なものには素直に頷けなかった。
しかしアンジェリカの反抗的な目を受けても、王は態度を変えなかった。
「アンジェリカ。物事を見かけだけで判断してはいけない。第一もうお前たちは友達なのだろう? それならば、きちんと敬意を払いなさい。王である私だって出来ていることだ。お前が変なプライドを一方的に振りかざすのは見ていてみっともない」
そう言われると、アンジェリカは反論できなかった。
誰にでも分け隔てなく丁寧な父の態度は素晴らしい。アンジェリカはそれをとても尊敬していたのだ。
アンジェリカは、ふくれたまま、それでも最後には殊勝に頷いた。
「ところで」
アンジェリカは気を取り直す。そして先ほど中断していて気になっていた話題に戻した。
「ハインリヒ殿は、なぜ『ユーリ殿』をお探しになっていらっしゃるの?」
せっかくの機会だ。もっと彼と話をしてみたかった。
カエルのことはちょうど良い話題だった。
ハインリヒはその眉を少し下げて、困った顔をする。少し幼い顔が余計に幼く見え、夢の中の少年と被り、アンジェリカは再びどきりとする。
「王女様……その理由をお話ししたいのですが、なぜか出来ないのです。お話ししようとすると、口が自然に閉ざされてしまって……。我が国の魔女が『ある呪い』を『ある方』にかけたのですが、それにまつわることに関しては、どうも人の口からは事情を説明できないようになっているようで……」
アンジェリカの様子には全く気がつかないようで、まどろっこしくハインリヒが説明をする。
彼女の頭の中には疑問が蝶のように飛んでいた。
「ある方? 呪い?」
「私もね、教えてあげたいのだが……うむむ……やはりどうも口が動かない」
父も困った顔をしてアンジェリカを見つめる。話す度に苦痛からか顔が赤らんでいく様に見えた。
「お父様は、事情を知ってらっしゃるの? なぜ?」
「……私は、その名前を知っていただけだ。いろいろな材料から考えたら、それしか答えがなかったのだ」
アンジェリカは、もう少し突っ込んで聞きたい気もしていたけれど、話をする父があまりに苦しそうなので、それ以上聞くのを躊躇った。
――ユーリという名前について調べる必要がありそうね。
あとで自分で調べよう、アンジェリカはこっそりとそう思った。
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