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夏の日、妖狐と少年と。

「ババア! 今日こそは俺の勝ちで吠え面かかせてやらぁ!」

 ――うだるほどに日差しの明るい夏の日、その声は合唱するセミたちの鳴き声を掻き消す勢いで空に木霊していった。

「能書きばっかりでちっとも上達せん。その台詞も、儂はもう聞き飽きたもんじゃぞ?」

「るっせぇ。どう言われようと最終的に俺が勝つ。終わりよければすべてよしって昔の人は言っただろうが。ババアの知り合いあたりなんじゃねーの?」

「その格言に従うなら、儂がここで尻尾をまくってしまえば永遠に儂の勝ち確定なんじゃが?」

「き、汚ぇぞ……ババアのくせに若者の未来を奪いやがるのかよ……この、老害……!」

「どの口でそれを叩くんじゃ、お前は。まったく……先の短い老人を、いじめるものではないぞ?」

 小さく笑い、縁側に腰掛けるその人物は、すぐ脇に置いてあった茶の入った湯呑を口元に運ぶ。
 刺すように熱い日光が降り注ぐ中だというのに、湯呑からは湯気がうっすら立ち上っており、暑い中で熱い茶を呑むという常軌を逸した行いに、それを見る少年の方がクラクラしてしまう。

「マジでそういうとこだけ理解ができねえ。クソ暑い中でバカ熱い茶ぁ飲むとか脳が沸いてるんじゃね? 普通に考えて、クソ暑い日差しの下で呑むのはキンキンに冷やしたカルピスだろうが!」

「子どもか。いや、子どもじゃったな、お前は」

「るっせぇ、ガキ扱いすんな。言っとくけど、俺はもう大人だ。下の毛も揃ってるし、身長だって親父を越して伸び切った。――いつまでも、会ったばっかの頃とは違うんだよ」

 唇を尖らせて、少年は声に対して拗ねたような顔つきで反論する。
 が、自分のその態度こそ、相手の言葉を否定し切れていないような気がして、すぐに頭を振って表情を変える。真剣に、その眼差しは相手を睨みつけ、

「今度こそ、今日こそ、俺が勝って、約束を果たしてもらう。いつまでも、ガキと思うな」

「儂なんぞにそうやってかまけている間はずっと子どもじゃ、お前なんて」

 少年が決死の覚悟を固めて告げた言葉を、その人物は実に楽しげに笑って受け止める。
 傾けていたお茶がなくなり、「さて」と言葉を継ぐと、その人物は縁側から立ち上がって艶やかな赤い着物の裾を払う。下駄の鼻緒から丁寧に足を抜き、白い脚線をわずかにだけ覗かせ、踊るようにその小さな体が屋内へ。
 思わず、見とれるようにその仕草を目で追ってしまい、少年は慌てて首を振る。
 そして、そんなうぶな反応を示す少年に、

「どうした、入ってこんのか?」

 と、からかうように笑いかけてくる着物姿の少女――その頭には狐の耳と、尻からは白と橙色の混色の尻尾がゆらゆらと揺らされている。
 それが飾り物でないことも、その少女の正体が自分と異なる存在であることも、少年はずっと前から――本当に、ずっとずっと前から知っていた。

 人外の存在にたぶらかされて、巣の中に招き入れられる愚かな人間。
 ――客観的に見れば、今の自分はまさしくそれなのだろうと、少しばかりおかしくなった。

 否定はできない。だって、少女の笑みに魅入られて、靴を脱いでしまったのは事実なのだから。



「そもそも、お前の親父殿は人並み外れてちびじゃったろ。その身長を越したぐらいで、偉そうに振舞われてもどうなんじゃろーなー」

「おいおい、親を越えるという偉業を成し遂げた息子にそれはないんじゃねえの? そもそも、その内容を母ちゃんに聞かれたら即ぶっ飛ばされる。うちの母ちゃん、自分は親父の悪口言ってもいいけど周りが言ったら即報復、で主義一貫してるからな」

「愛されておるんじゃな、親父殿は。一途でお前のご母堂も可愛らしいではないか」

「一途さと愛されゆるふわ系なのは、俺も引き継いでると思うけどな」

「……そうかもしれんな」

 言いながら、通された和室の畳の上に少年は乱暴に胡坐を掻く。
 動きを止めると、じっとりとそれまで外の暑さにやられていた大量の汗が全身を伝っているのを実感する。屋敷の中に入ってからは不思議と、暑さを忘れたような感覚が全身を支配していて、汗の冷たさがかえって今の自分には不快に思えるほどだった。

「相変わらず、ここは不思議な感じだよな。何回きても慣れやしない」

「くーらーが効いておるからな。寒く感じるなら設定温度を上げるか?」

「不思議な妖力じゃなくて現代科学だったの!? 28度ぐらいに設定しないと電力消費で問題視されるぜ!?」

「気にせずともよい。くーらーというのは比喩表現じゃ。実際は暑さ対策で雪女が定期的に見回って、あちこちの妖の住処の温度を調節しとるんじゃ。そうやって誰かが見回っておかんと、孤独死してしまって見つかるのが後手に回るものもおるからの」

 しみじみと語る少女の言葉に、少年は腕を組んで「なんか普通に人間の高齢者問題と変わらないな」と世の無常さは人間と妖どちらにとっても厳しいものなのだなと実感。
 それはそれとして、

「さて、今年の成果とやらを見せてもらうとしようかの。来年まで、お前をからかう新しい口実を提供してもらわんといかんし」

「せいぜい、今は取らぬ狸の皮算用してるがいいさ、狐のくせに。見える、見えるぜ、俺には……ほんの数時間後、そこには俺に負けて敗北感で無残に泣き崩れるババアの姿が!」

「始めたばかりの頃、『まげだくないどぉぉぉぉ!』と泣き叫んでうんこ漏らして引きずられて帰っていったガキの戯言にしか聞こえんな」

「ひ、人の黒歴史を軽々しく暴露ってんじゃねえ。鬼……いや、狐……! あんまりいじめると泣き喚いて捨て台詞吐いて二度とこなくなっちまうぞ」

 羞恥心に顔を赤くし、少年はぶーたれた顔つきで文句を垂れる。しかし、それを聞いた少女はかすかにその唇をゆるめると、「それがいいじゃろ」と呟き、

「お前ももう十六……儂と出会って、十年にもなる。儂にとっては瞬きのような日々じゃったが、人間にとっては浪費するには長すぎる時間じゃよ。そろそろ、儂からも離れるべきじゃ」

「急に、何を言い出してんだよ、らしくねえ」

「ずっと考えていたことじゃ。お前がここにくるようになって、儂も年甲斐もなくはしゃぎ過ぎてしまったんじゃろうな。……お前にひどく、甘え過ぎてしまった」

 ひどく神妙な顔つきで言われてしまえば、少年の方から何を言い出していいのかわからない。
 そうして押し黙ってしまう少年の前で、少女は着物の裾を揺らしながら、和室の奥にある棚の戸を開ける。ほこり臭い空気が室内に漏れ出し、そこから引っ張り出される――ひとつの将棋盤。

「一年ぶりじゃが……るーるは忘れておらんな?」

「ハンデなし。待ったなし。ちゃぶ台返しと変顔で相手の手をミスらせるのと、金的もなしだ」

「これまでは儂の……練習で百勝。本番で十勝……戦績は一度も、お前の勝ちなしじゃ」

「その伝説も今日で終わりだよ。手番は……どう決める?」

「それもいつもの決め方でいいじゃろう」

 言って、少女が置いた将棋盤から駒をひとつ取り上げる。摘ままれた『歩』を掌に乗せて、軽く腕を振りながら少女がこちらを振り向き、ゾッとするほど艶やかな微笑。

「歩」
「成金」

 同時に言って、少女の腕が振られると、宙をくるくると『歩』の駒が回る。放物線を描き、畳に落ちたそれは一度だけ高く弾み、小さな音を立てて――『と』の面を上に寝転んだ。

「俺のあたり。んじゃ、先手もらいで」

「ん。それにしても、その成金という呼び方はどうにかならんのか?」

「これで覚えちまったんだから仕方ねえよ。ババアがもっと若ババアだったときに、ピュアな俺にちゃんと説明しなかったのが悪い」

 幸先のいい出だしに優越感を覚えて、少年は落ちた『歩』を拾うと、それを音高く盤上に置いた。それから悪戯小僧のような、憎めない明るい笑顔を少女に向けて、

「さ、並べろ並べろ。今から屈辱に赤くなるババアの顔が楽しみだよ」

「狸の皮で算盤を弾いておるのは、儂ではなくお前さんじゃろうに」

 仕方なさそうに笑って、少女は座布団を将棋盤を挟んで両側に置く。少年は胡坐のまま座布団に行儀悪く座り、しかし意外なほど丁寧に駒を木製の盤の上へ並べる。
 その体を小さく縮めてちょこちょこと動く姿に、自然と少女は口の端に笑みを上らせた。

「なんだよ、にやにやして」

「ん。なんでもない。――始めるとするか」

 互いの駒が並び合い、向かい合った二人が同時に頭を下げる。

「「よろしくお願いします」」

 戦いの前の挨拶が重なり合い、そして一年越しの戦いが幕を開けた。



 小さな和室で小さな将棋盤を挟み、小さな女の子と勝負を交わしている。
 おまけに勝敗には賭けたものがあり、その勝負の戦利品が『彼女自身』であるのだから笑い話だ。
 少年と少女の体格の差は、この十年の間にずっとずっと大きく開いてしまった。今の自分ならばきっと、簡単に彼女を組み敷いてしまえる。もっとも、

「それやったら、即座に腕が後ろに回るけどな。世知辛い世の中だよ」

「お前の番……何を打ちひしがれた顔しとるんじゃ?」

「さっきのババアの言葉の真意が、ちょいと心に引っかかってさ」

 少年の言葉に、それまで楽しげだった少女の表情がかすかに固くなる。
 それを見て、少年は片目をつむった。指では駒を動かし、しかし唇は彼女に向けて、

「後悔とか、してるのかよ。俺をこうして、屋敷に招き入れたこと」

「……どう、じゃろう。後悔とは違う気がする。自分勝手な話で、お前には申し訳ないんじゃが」

「違うって、どう違うんだよ」

 憮然とした言い方になってしまったのを少し後悔。が、指は迷わずに最善手を求めて盤上をさまよう。
 打った手筋に軽く眉を上げ、少女は会話に切なげに、勝負に楽しげにと器用な表情を作り、

「十年前、お前が初めてここを訪れたとき、儂はずっとひとりじゃった。そんな儂を見つけたお前は、儂を寂しがらせまいとここに通ってくれるようになった。そのことが、儂は本当に嬉しかった。嬉しかったから……嬉しすぎたから、こうして甘え続けてしまった」

「いいじゃねえか。俺だって、寂しがってるババアを残していけるほど薄情じゃない。お互いに利害は一致してた、そうだろ?」

「でも、そのせいでお前は友達の数を減らしたろう? 儂の姿はお前にしか見えない。こんな廃屋に毎日のように通って……そのせいで」

「それ以上言うと、禁じ手の将棋盤返し使うぞ、俺」

 手を止めず、少年は少女をじろりと睨みつける。その視線の鋭さに、少女の表情が曇った。
 これまでの余裕めいた表情ではなく、まるで見た目の歳相応の少女のように弱々しく。
 だから少年はため息をついて、

「ちゃんと、俺にだって目的があるの知ってるだろ? ババア喜ばせる目的できてるわけじゃねーよ」

「え?」

「ずっと言ってるじゃんか。『年に一回、将棋で真剣勝負をする』。それで俺がこの勝負に勝ったら、ババアを好きにさせてもらうって。小さい頃にした約束だからって舐めんな。第二次性徴期を過ぎた男児の、異性の体にかけるリビドーはぼっちの恐怖を上回る――!」

 力強く言い切って、少年は持ち上げた『歩』の駒でもって盤上を進める。叩きつける渇いた音が鳴り、少女は驚いたように目を見開いた。そして、

「二歩じゃぞ、それ」

「ぁ。ちょ、待った! 今のなし! や、やり直し! やり直しで頼む!」

 あたふたと頼み込む少年から、さっきまでの勢いと男らしさが消えていて――それが少女の良く知る、十年前からの変わらない少年の姿で。

「別にかまわんが、どっちにしろ、儂の勝ちじゃぞ」

「うえ?」

 わかっていない少年に笑いかけ、少女の手が駒を進める。そして、

「ちぇっくめいと、じゃ」

 進めた『歩』が『と金』へ姿を変えて、少年の玉将を見事に追い詰めた。
 声を凍らせて、少年は盤面を何度も見るが、もはやどうにもならない。

「ちぇっくめいと――思えば、最初はこれもくだらない嘘を言ってくれたもんじゃったな。覚えておるか? 盤の網目が『チェック』で、それを挟んだ友達を『メイト』。将棋盤を挟んで決着がついても、二人は友達だなんてほざいたのを」

「人の黒歴史を……」

 言いかけた言葉が遮られて、少年は目を見開いた。
 眼前、息がかかる距離に少女の顔――否、それは息がかからないほどに近い距離で。

 唇と唇が甘く絡み合い、柔らかな感触に目が回る。

「どうしようもない、手も足も出ない詰み。――なら儂はとっくに、お前にちぇっくめいとされておる」

「ぁぅ」

 将棋に負けて、十年越しの約束にも再び負けて、それで無残な敗北感に顔を赤くする少年に、ずっとひとりぼっちで寂しくて、けれど優しいひとりのバカな男の子に救われた妖狐が妖しく笑い、

「続きはまた、来年の勝負次第――じゃな?」

 と、それはそれは残酷に、愛らしく笑ったのだった。


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