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来世にて

作者:桂まゆ
 夢を見た。
 夢の中で、かなり出来上がった香織がグラスを片手に誰かに話しかけている。
「まこっちゃん。男ならきっぱり諦めちゃえ。縁があれば来世でまた会えるよ」
「面白い事を言うよな。高村っちは」
 そう言って顔を上げた男は、昔、よく一緒に馬鹿なことをやっていた奴だった。
 そうだ、確かこいつはずっと片思いしていた女に振られたんだった。
 いや、違う。振られる以前に告白する事もなく、トンビに油揚げを取られた筈だ。
 この後、香織が何と言ったのかも、そしてその数年後に何が起こったのかも俺は知っている筈だ。
 だが、夢の中の俺は不思議な事に思い出せない。
「いーい、生まれ変わった来世ではね、ちゃんと言うんだよ。好きだって」
 幾分呂律が回らない口調で、香織がそう言った。
 そうだ、香織はあの時もそう言ったのだ。
 そして――。

 懐かしい夢を見た。
 俺が大学生だった頃の夢。
 悪友が一目惚れ以来ずっとつくしていた相手が卒業と同時に結婚すると聞き、「つくす君を慰める会」を急遽開いた時の夢だ。
 過去を忠実に再現する自分の記憶力に、少し脱帽する。
 こういう記憶力は仕事の時に欲しいものだ。そうすれば、ダブルブッキングなんてことは起こらないのに。
 今日は忙しい。午後一時と三時に約束を入れてしまった。
 それまでに見積書をチェックしなければならない。
 支度を整え、鏡に映ったのは風采の上がらない三十過ぎの男。
 つまらなさそうな顔をしている。
 駄目だだめだ。気合いを入れろ、川西孝一。お前は出来る営業マンだ。
 鏡に向かって、そう言い聞かせる。
 これは、癖だ。
 入社式の時に社長がおっしゃった。
 「私から、諸君にひとつだけお願いがあります。朝、出勤する前に必ず鏡を見て下さい。そこにいい顔を見つけたら、そのまま出勤して下さい。もしも良くない顔の人がいたら、その人が良い顔になるまで家を出ないでください。遅刻したってかまわない。遅刻届に「鏡を見ていた為」と書けば済むことです。私が諸君に望むのは、諸君が会社の顔になってくれる事です」と。
 一理あると思ったので次の日から鏡を見るのが癖になってしまった。
 三十過ぎの、俺の顔。あいつは今ごろどんな顔になっているんだろう。
 今朝見た夢をふと思い出す。
 さきざき? 違う。あれ? 何て名前だったっけ。
 ずっと忙しくて、あいつとは疎遠になっていた。夢を通して、あいつが「たまには顔を見せろ」と言ってるのかも知れない。
 今度の休みには花でも持って顔を見せるか。
 そんな事を思って家を出た。
 だが、いざ会社につくとそんな夢の事なんかすぐに忘れた。
「川西さん、朝からすみません。クレームです」
 そんな女子社員の言葉が、俺を現実に引き戻したのだ。
 しまった、気合いが足りなかったか。

 結局その日はクレーム処理で半日を費やしたので、約束の方は別の人間に任せる事になった。
 こんな時、心のどこかで「あいつ、失敗すればいいのに」と思う自分がどこかにいる。
 つまらん。
 建築士になりたくて、それなりの資格を取り俺は建設会社に就職が決まった。だが、配属されたのは俺の期待を裏切ってリフォーム部だった。
 つまり、補修工事だ。
 俺がやりたい事とは少し違っていたが、これはこれで勉強になった。
 五年ほどたった頃、今度は営業に回れという辞令が来た。
 ちょっと待てと、最初は思った。
 補修工事からいきなり営業って、畑違いもいい所だろうと。
 だが、後で聞いた話では営業マンには「営業手当」がつくという。
 リフォーム部の工事社員は給料が安い。移動は、結婚が決まった俺への上司からの配慮だったのだ。
 だが、向いてるか向いてないかは別問題だった。
 つまらんと、本当に思う。
 今、俺はものすごく嫌な顔をしている事だろう。「会社の顔になれそうもないので早退します」と言いたくなるほど嫌な顔をしているだろうな。
 そんな事を考える。
 だからといって、家に帰っても誰かが待っているわけではない。
 身重の女房は、一週間ほど前から彼女の実家に帰っている。めでたい事なので腹をたてるつもりはないが、電気のついていない家に帰ることに俺は慣れていなかった。
 そんな時だった。母親からの留守電を聞いたのは。
「もしもし、孝一。帰りにうちに寄って。出来るだけ早く来てね。変な子が来てるの」
 うわずった、母親の声。そこに普通なものじゃないことを俺は感じた。
 何事だろう?
 俺は母親の急用を理由に定時で上がり、実家に直行した。

 実家は、会社からは車で二十分ほどの距離だ。今から行くからと電話をしておいたので、母親は玄関先で俺を待ち受けていた。
「なんだよ? あの留守電」
「いいから、早く入って」
 母親に押されるように、俺は客間に向かう。そこにちょこんと座っていたのは、十歳ぐらいの少女だった。
 ピンク色のボーダー柄のニットパーカーにデニムのミニスカートをはいている。柔らかそうな髪の長さは肩を越すぐらい。普通に可愛い女の子だった。
 オレンジジュースを飲んでいた少女は、俺の姿を見ると笑顔を見せて立ち上がる。
 こういうの、いいよな。パパ、おかえりなさいみたいな感じで。
 生まれて来る子に思いをはせていると、女の子は告げた。
「川西! 俺だよ。崎本誠!」

「さきもと?」
 と、俺は女の子を見つめる。
「まこと?」
 「さきもとまこと」と聞かされて。
 俺の脳裏に浮かび上がったのは、好きだった女に振られて居酒屋で飲んだくれていたひとりの男。
「あんたに会いにきたって言うんだけど」
 と、少し不安そうに母親が言う。
 あんたまさか、実の息子にロリコン変態野郎の疑いをかけていたんじゃあないだろうな?
「どこの子?」
 知らない。
 もしかしたら、忘れているだけで知り合いの子だったりするのかも知れないが、少なくとも俺が知っている「さきもとまこと」は一人だけだ。
 この子は、知らない。
 俺が知っている崎本誠は、痩せて背の高い男だ。
 とりたて勉強が出来るわけでもスポーツが出来るわけでもない、普通の男。
 普通に就職して、普通に結婚して、普通に老けて行くのだろうなと普通の未来が想像できるような男だった。
 少なくとも、十歳ぐらいの可愛らしい顔立ちの女の子ではない。
「本当だって、お前と一緒に山代温泉で女湯に……」
 俺は、慌てて奇声をあげた。
 そのエピソードを知っているのは、当事者である俺と崎本だけだ。
「ああああ! そうか、まことちゃん。まことちゃんだ! ごめんごめん、お袋。同僚の崎本に子供を一日預かって欲しいって頼まれたんだ。でも今、香織がいないだろ? だからこっちに来てもらうことにしてたんだった。すっかり忘れてた」
 俺の幾分苦しい言い訳に、母親が「そう? だったらいいけど」と、安堵の息をつく。
「でもあんた、そんな大切なことは忘れる前に報告しなさい。で、いつ迎えに来るって? 晩ご飯は?」
「悪いけどよろしく。この子は、後で俺が送って行くから」
 母親を追い出し、おれは膝をついて女の子と目線を会わせる。女の子も、まるで挑むような目つきで俺を見返して来た。
「俺たち、なんで女湯に入ったのか覚えているか?」
 旅館の大浴場で、俺は普通に藍色の暖簾をくぐった筈だ。
「誰かがいたずらして、暖簾を掛け替えたんじゃなかったかなぁ」
 女の子が、ぐふっと喉の奥で変な音を漏らした。
 やはりそうか。うすうすそんな気はしていたんだ。
 暖簾を掛け替えて俺を騙したのは、お前だったんだな。崎本。
「やっぱりお前か」
「何処で気づくかと思ったら、お前、浴室に入っても気づかねぇんだもん」
 当たり前だ。幸か不幸か、その時は更衣室にも浴室にも人は居なかったのだから。
「露天風呂で、俺たちみたいな馬鹿な奴が覗きに来て。覗いた方も覗かれた方も野郎だった」
 ぎゃははと、少女が笑う。
 俺たちって言うな。馬鹿はお前だけだろう。それから、その姿でぎゃはぎゃは笑うな。色んな事が台無しだ。
 だが、おかげで俺はその事実を認めることが出来た。
「本当に、崎本なんだな」
 女の子は真顔になって俺を見つる。その表情はいまにも泣きそうだ。
「かわにしぃぃ!」
 そして、俺に抱きついてきた。
 やめろ。お袋に見られたらどうしてくれるんだ。
 慌てて女の子を引きはがす。
「お前、それはあまりに冷たいだろう? 俺、ほんっとうに訳わかんねぇ。なんで俺、こんな格好してんの? それに、なんでお前スーツなんか着てんだよ」
 おっさんくさく座り込んだ崎本に教育的指導をひとつ出して、座り直させる。
 ミニスカートであぐらをかくな。パンツが丸見えだ。
「さっき起きたら、学校の保健室みたいな所に居たわけよ。で、保険の先生みたいな人が入って来て『もうすぐお母さんが迎えに来るから』って言われてさ」
 返事をしない俺に、崎本は自分の身に起こった出来事を事細かに語る。
「それまでにとりあえず着替えるよう言われたんだ。見たら俺、体操服着てるんだ。で、その着替えがこれ」
 崎本が両手を広げて自分の服を俺に見せる。
 女の子らしい、ピンクのボーダーのニットパーカーだ。よく似合っている。
「この人、気は確かなのかと思った。それとも変態なのかって。そしたら普通に着れるんだ」
「体操服ってことは、体育の授業中だったって事か?」
 俺の質問に「解らないけど、そう言われてみたらそうなんだろうな」と、崎本が答える。
「じゃあ、頭とか打ったのかなぁ」
「え? お前信じてくれたんじゃねぇの? やっぱり頭がおかしい女の子が尋ねて来たって思ってるわけ?」
 女の子が泣きそうな顔をしたので、俺は「いや、そこは信じてるって」と答える。
 こんなにナチュラルにおっさんくさい女の子は、日本全国捜しても多分どこにもいないだろう。
 冷静にというよりも、思考のどこかが切断されたような、ある意味夢を見ている気分で俺は崎本と名乗る少女の言葉を聞いていた。
「で、どうなった? お母さんが迎えに来たのか?」
「いや、保健室を出る時に鏡が目に入って。つまり、この姿を見て」
 それは、ものすごくショックだろう。とてもじゃないが俺には想像できないが。
「わけわからなくなって、逃げた。無茶苦茶走って、どっかの駅について、電車に乗ろうと思ったんだけど金を持ってないんだ」
 鞄も持たずに飛び出しているみたいだからなぁ。
「で、通りかかりのおばちゃんに、絶対に返すからって約束して切符を恵んでもらってアパートに帰ったら、そのアパートごとないんだよ。で、お前の家は近くだった事を思い出して、ここに来たわけ」
 崎本が自分の実家に行かなくて良かったと、心からそう思う。
 崎本本人の為にも、この女の子の為にも、そして崎本の家族の為にも。
「あのさ、崎本」
 崎本と話していると、自分の口調まで学生だった頃に戻っている。
 崎本たちと馬鹿なことをやっていた頃は、俺は二十歳台だった。今、少女の姿をした崎本の前にはスーツを着た三十五歳の男が居る筈だ。
「お前、いくつ?」
 俺のこの質問は、崎本も予想していたようだった。
 女の子の表情がくしゃりとゆがむ。苦笑したのだろう。
「二十二歳。時間で言えば、大失恋の直後。ちなみに今、何年?」
 時間が――いや、時代が変わっている事に崎本はやはり気がついていた。
 その疑問を口に出すより先に、自分の身に起こった更にとんでもない出来事を誰かに聞いて欲しかったのだろう。
「二〇××年。俺が大学を卒業して、十――二年ぐらいかな。あのさ、崎本」
 例えば、ここに現れたのが俺と同じように相応に歳をとった崎本本人だったら、俺は彼を病院に連れていった筈だ。
 記憶障害が起きているのだと言って。
 だが、俺の目の前にいる崎本は、小さな女の子の姿をしている。
 その理由がまったく解らない。
「あのさ、崎本」
 俺はどうしても彼に伝えなければならない言葉を、頭の中で反復した。
 この姿で泣かれたらどうしようとか、そんなことを考えながら。
「お前、死んでるんだよ。ずっと前に」

 俺が知っている崎本誠は、十年以上前に死んでいる。
 事故だった。
 彼は二十三歳で若すぎる生涯を閉じたのだ。
「その冗談、笑えねぇよ」
 震えた声に顔を上げると、女の子がものすごく引きつった顔で俺を見ている。
「笑えねぇよ、川西」
「冗談じゃないんだよ!」
 俺は真顔で叫んでいた。
 冗談で言ってはいけない事ぐらい、誰だって知っている。
「ちょっと、待ってろよ」
 と、俺は部屋を出た。
 この家にはまだ放置されているのではないかと予想したそれは、やはり戸棚の奥に眠っていた。
 俺が戸棚の奥にしまい込んだままの状態で――のしがついたまま放置されていた進物の箱。
 のしには「満中陰紙」の文字と「崎本」の名が薄墨で書かれていた。
 女の子の小さな手が、おそるおそる箱をあける。
 地味な色合いの蓋付きの茶碗が五客、そこに入っていた。
「趣味悪りぃな。お袋」
 ようやっと絞りだしたような女の子の声は、笑っているようにも泣いているようにも聞こえた。
「お前も、こんなもん捨てちまえよ。坊さんに出す時ぐらいしか使い道がねぇだろ」
 俺も、もらった時にそう思った。
 だからといって勿論捨てることなんか出来ず、そのまま戸棚の奥にしまい込んだのだ。
「って言うか、普通のし紙ぐらい剥がさねぇ?」
 剥がすと、その剥がしたのし紙をどうするか迷うような奴なのだ。俺は。
 そう言うと、女の子はようやっと笑顔を見せた。
「あのさ、川西」
 地味な茶碗を箱に片づけ、のし紙を元通り貼り直しながら――十年の間にセロテープが乾いていて貼ることは出来なかったが――女の子が告げる。
「俺、なんで死んだの?」
「地滑りがあってさ。お前が乗っていた長距離バスが巻き込まれた。二十人ぐらい、死傷者が出た筈だ」
「なんだ、事故か」
 と、女の子が大きく息をつく。
 そして、にっと笑った。
「あー、良かった」
 良かったのか?
 俺の怪訝な表情に気がついたのだろう。崎本は笑って告げる。
「俺、よりによって世をはかなんだのかなって思ったんだよ」
 ああと、俺は納得した。
 そういえば大失恋の直後だとさっき言っていたか。
「梁瀬みつきだっけ。かわいいタイプで」
「そう、俺のストライクゾーン一直線。みつき命の四年間だったなぁ」
 梁瀬に一目惚れをした崎本は、ずっと「みつき命」を公言していた。
 本人にだって「俺、梁瀬が呼んでくれたらどこだって駆けつけるから」とか「今日からつくす君と呼んでください」とか平気で言っていたくせに。
 二人は楽しそうに見えたし、誰もが崎本は「みつき命」を知っていた。
 だから、梁瀬が卒業と同時に結婚すると聞いて俺たちは驚いた。崎本の気持ちを知っているなら、先に言ってやれば良いのにと憤った。そうしたら、「俺、一度も好きだとは言ってないんだわ」と崎本は苦笑まじりに答えた。
 好きな人と一緒に居ても冗談ばかり言っていた、冗談で誤魔化していた。そんな不器用な男が崎本誠だ。
「覚えてる? みつきが結婚する前に、お前等が俺を慰める会とか開いてくれて、その時に高村が言ったんだ。来世に期待しろって」
 それを聞いて、俺は少しぞっとした。だってそれは、俺が今朝見た夢だったから。
「だから俺、世を儚んで自殺したのかなって。もしもそうなら高村に悪かったなって思ったんだ。自分が言った言葉のせいでって気にしていたらどうしようかと」
 そう。香織は確かに言った。
 俺の背筋はぞくぞくしぱなっしだ。
「でも、事故なら仕方ないわな。でも、俺、なんでこんな姿なんだ?」
 そうだ。やっと思い至った。
 この子は、誰なのかと言うことに。
「おまえ、いくつ?」
 俺の声は震えていた。
「だから、二十二だって……」
「違う。その子、いくつ?」
 十歳ぐらいに見える。そしてこの子は普通にそこにいる。
 普通に、崎本誠として、俺と話をしている。
 俺の頭には、先ず考えるべきだった事がぐちゃぐちゃに絡まり合う。
「その子、誰だ?」
「川西?」
 香織は、言っていた。
 そんなに好きなら来世に期待しようと。
 生まれ変わったら、また梁瀬を捜せと。
「もしかしたら。お前、死んだ後にその子に生まれ変わったんじゃないのか?」
 もしも、転生とか前世の記憶とかが本当にあるのなら。
 この女の子に、前世の崎本の記憶が完全に蘇ってしまったのなら。
 この子は、どうなる? 俺はどうすればいい?
 いや、待て。
 解っている筈だ。先ず、一番最初に行かなければならない所は。
「すぐに家に帰ろう。送って行くから」
「川西、いきなりキャラ変わってるぞ」
 違う。これが本来の俺だ。
 この子、いや崎本は学校から逃げ出したとか言っていた。社会人である俺としては、彼女の親御さんの心配を先ず考えるべきだった。
「お袋がこんな姿を見たら何て言うか……」
 まだよく解っていない崎本に、俺は一喝する。
「誰が、坊さんにしか出せない茶碗をくれたお前のお母さんの話をしてるんだ。その子の母親の事に決まってるだろう!」
 俺に言われて、崎本もようやくその事に気がついたようだ。
「でも、この子誰なのか俺知らないから」
 え?
「保健室のおばちゃんが名前を言ったような気がするけど、覚えてないし」
「電車に乗ったって言っていたよな? どこから?」
 気を取り直す俺への返事は、最悪なものだった。
「パニック起こしていたから、どこだったかも覚えてない。切符はどっかのおばちゃんが買ってくれたし」
 警察だ。とりあえず警察に行こう。
 俺が誘拐犯になる前に。
 俺は崎本を車に押し込み、大慌てでアクセルを踏んだ。

「でもな」
 俺が焦っている現実について説明をすると、崎本が少し不安げに告げる。
「百歩譲って俺がこの子に生まれ変わりだとして。俺、この子の事は何も知らねぇんだ。親御さんが見つかった所で、そこんところはどうするんだよ」
 何とでもしてくれ。そこまでは責任を持てない。
「そもそも」
 と、崎本が苦笑する。
「俺、いきなりすごいショック受けてるんですけど。俺が死んで、この子に生まれ変わってって、それって最悪じゃん? こんな姿でどうやってみつきに告白するんだよ」
「そこは、おとなしくみつきが生まれ変わるのを待つとか」
 自分で言っていて、すごく嘘くさい。
 だって、梁瀬はまだまだ元気で生きているだろうから。
「そんなことしてると、俺、じじぃになっちまうよ」
 じじぃではなく、ばばぁだろう。
 そう言いかけて止める。嫌だ。
 こんなに可愛い女の子が崎本のままばばぁになるのは想像したくない。
「来世に期待しろ」
 仕方ないから、そう言ってやる。
「言ってろよ、世を儚んで自殺してやるから」
 崎本はそう言って笑った。
 中身は崎本でもこの子にはこの子の人生が――的な説教をしようとも考えたが、言うまでも亡いことなので、俺も笑った。
「出来るわけないだろ。お前に」

 お前、本当に俺に一生このまま女の子の振りしてろって言うわけ?
 そうなる前に返してやれよ。体をその子に。
 出来るなら、今すぐに返してるって。
 そんな会話が何度も繰り返されるうちに警察に到着し、迷子届けを提出する。
 記憶が混乱していて名前が解らないと嘘をつき、待つことしばし。
 ○○市で捜索願が出ているということが解った。女の子の母親がすぐに駆けつけてくるらしい。
「俺、どうしよう。どうしたらいい?」
 崎本は、何故か半分泣きかけている。
 まぁ、見も知らないその子の母親の前で二十二歳の男が子供の振りをしろと言っているんだ。
 言い切れる。俺には絶対に出来ない。
「がんばれ。そして、お願いだから俺を変質者にしてくれるな」
 今だって、十分警察の人間に不審な目で見られているんだ。
「生まれ変わってこんな姿になったのなら、俺は神様を恨むな」
 俺が告げた生まれ変わり説から数えて三度目に崎本がその台詞を吐いた時に。
 女の子の母親とおぼしき人物が走り寄って来た。
愛美いつみ!」
 そう叫んで女の子を抱きしめた。
 その母親を俺は知っていた。
「梁瀬?」
 違う。結婚して、性が変わった筈だ。
 でも、相変わらず可愛い顔立ちをしていた。よく見ると女の子によく似ている。
「川西くん?」
 やがて顔を上げた梁瀬あらため奥本みつきは俺を見てそう言った。
 そして女の子は――母親の腕に抱かれて一瞬戸惑い。
 その後、至福の笑みを浮かべて。
 そして、眠りについた。

 最近、愛美の様子が変だったの。
 と、みつきが話してくれた。
 昔の――特に二十歳前後の頃のアルバムを見せていたら、「これ、知ってる」とか言い出したらしい。
 崎本の記憶だなと俺は思う。
「どうしてあんな所まで行ったのか、愛美もよく覚えていないらしいけど、電車に乗った事とかは覚えているらしいわ」
 あまり気にしない方がいいよ。と、俺は告げる。
 あれ以来、崎本は表面には出ていないようだから。
 それより、幸せ?
 俺の言葉に、みつきが笑う。
 愛美の事が心配だけど、それ以外は普通に幸せよ。川西くんは?
 言われたので、仕事が大変だけどそれなりに幸せだと答えておいた。
 みつきがそう笑った所へ、チャイムが鳴った。
「おかえり、愛美」
 そう言って抱きしめる母親に、戸惑う少女。
 そこにはおっさんくささは全くない。
「あ、おじさんいらっしゃい」
 その子の為に、もう出てくるなよ。崎本。
 そう思いながら、女の子の頭を撫でる。
「おかえり、いつみちゃん。おじさんにも子供が出来たんだ。今度連れて来るから、遊んでやってね」
 うん、と。
 九歳になる少女が笑う。
「あ、いつみちゃん」
 女の子の後ろ姿に、俺は問いかけた。
「お母さんのこと、好き?」
「うん」
 はにかんだ笑顔と共に返された言葉。
「大好き」
 その言葉を持って、俺はあいつに会いに行こう。
 そう。そこにあいつが眠っていない事は知っているが。
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