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お隣は貴公子 作者:みくも
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04 お母さん

 うちのマンションは割と広い。
 割と広いが、家賃はお手頃。なぜなら、すごく古いから。
 玄関を入ると短い廊下。その先にキッチンも一緒のリビングダイニング。風呂場には洗濯機も置ける脱衣所があり、寝室にしている個室の他に、もう一つ部屋がある。
 もう一つの部屋。それが今日の問題だった。
 うちの洗濯機は賢い。汚れ物と洗剤を放り込んでボタンを押すと、勝手に洗濯から乾燥までしてくれる。しかし、そこまでだ。
 きれいにはなったが、畳むのが面倒。あとでまとめて片付けようと、洗濯物をばっさばっさと積み上げ続けたのが問題の部屋だ。
 どうせまた着るんだから別にこのままでいいじゃねぇかと薄っすら思わなくもないが、つい先日、隣人である貴公子がうっかりこの禁断の部屋を覗き見てしまった。
 そして、
「……これもふみさんの一部なら……受け入れるよ」
 と、あのふわふわと甘い顔に悲壮な決意を秘めながら言った。
 さすがに、片付けようって思った。
 しかし長期に渡って積み上げ続けた洗濯物はなかなか手強く、覚悟を決めて取り掛かったのは決意から数日過ぎた休日の事だった。
 ちなみに、手を付け始めると余計に部屋が混沌に満ちて行く法則により、全然片付いてないけどもうすでに嫌になっている。
 混沌から目を背けてキッチンでコーヒーを入れていると、玄関の呼び鈴が鳴らされた。
 そしてドアを開いて飛び込んできたのは、ファビュラスに輝く美魔女の姿だ。
「きちゃった!」
 その人は鈴を振る様な愛らしい声で言い、嬉しげに私をぎゅっと抱き締める。
 ふわふわの髪とヘーゼルの瞳を持ち、内側から輝く様に美しい。中身も外見も息子とそっくりな淵野銀次郎の母である。めっちゃいい匂いした。
 お母さんは夢見る様に美しさを振り撒きながら、私の手をにぎってリビングに向かう。
「ふみちゃんお誕生日だったでしょう? お祝いしたかったんだけど、当日はお邪魔かと思って」
「銀次君がご飯とケーキ食べさせてくれた以外は暇でした」
 美魔女はお誕生日プレゼントにと、大きな箱をもたらした。
 実際には、お母さんの運転手兼お世話係である松下まつしたさんが運んできた。いつも落ち着いた雰囲気の、大人の男性である。
 箱を抱えて一番後ろを歩いていた松下さんは、目撃した。我が城に広がる混沌を。そしてその混沌を前に、可憐さを感じさせるお母さんの背中がよろめいたのを。
 室内の惨状に言葉を失ったお母さんは、しかし悲壮な覚悟を決めた様に言った。
「……いいの。いいのよ。お手伝いさんにきてもらえばいいの。銀ちゃんがお仕事がんばればいいだけよ」
 さすが、本社役員の妻は違う。多分本気で言っている。
「わたくし共も、よい人材がいないか心に留めておきますので」
 いつも落ち着いているはずの松下さんも、動揺を隠し切れない様子で言った。

「……なんか、酷くなってない?」
 きらきらしたお母さんのきらきらしたスマホによって呼び出されたきらきらした息子は、部屋の中を見るなり言った。
「よくぞ気が付いた。特別に、この掃除機を使わせてやろう」
「いやまだ掃除機使える段階じゃないよ。床見えてないもん。床が」
「いいの。いいのよ銀ちゃん。黙って片付ければいいの」
 混沌を逃れてキッチンに避難したお母さんが、コーヒーカップとソーサ―を手にしておごそかに首を振った。
 そうだぞ銀次。全部お母さんの言う通りだ。
 君臨すれども統治しないお母さんがコーヒー片手に眺める中で、我々の戦いが始まった。
 積み上がった洗濯物を私と銀次がせっせと畳んでいる間に、雑然と荒れたリビングを松下さんがきりきり整えてくれた。申し訳ないとは、一応思ってる。
 そんな中、銀次があるものを発掘した。
「ふみさん、これ」
 震える両手で肩の部分を摘み上げ、びらりと広げたのはどう見てもミニスカサンタの衣装だった。そうかそうか。ついにその階層まで辿り着いたか。
 ちなみに下着類は別に保管しており、この山の中にはないので安心して欲しい。
「ふみさん、どう言う事? 僕、着たとこ見せてもらってないんだけど」
「そこかー、銀次」
 忘年会で使う予定だった衣装だ。一昨年だかその前だか、もっと前だか忘れるレベルの遺物である。
「結局着なかったよ。何かやってらんねぇなって思って、ばっくれたから」
「ふみさんほんとそう言うの躊躇しないよね」
 いいんだよ。本社の部長に蹴り入れた時点で私に安寧なんてないんだよ。どうせ周りも左遷されてきたって知ってるし、同僚や上司の顔色窺っても無駄じゃない?
 そう開き直ってみたら、すごい気楽になった。あいつは許さんが、今の生活はちょっと自由で余裕あって悪くないと思うんだ。あいつは許さんが。

 お誕生日祝いにと、お母さんがもたらしてくれた素敵な箱は発泡スチロールでできていた。中には大きな蟹と、海鮮各種が豊かに詰め込まれた夢の箱だ。
 鍋である。異論は認めない。
「それでね、お誕生日に開けようと思ってたワイン、もうふみさんが飲んじゃっててさ」
「ごめんって」
「怒ってないよ。でも、すごい考えて見付からない様に隠してたんだよ。それでも見付かるってさ、僕もうほんと、ふみさんには秘密なんか持てないんだなーって」
「いいのよ銀ちゃん。それでいいの。夫婦に秘密はいらないのよ」
 鍋である。大きな蟹が猛々しい姿で煮えたぎる鍋をつつきながら、きらきらしい母と息子がしみじみと頷き合っている。
 その横で手際よく鍋の面倒を見ていた松下さんが、「勉強になります」と神妙な顔で呟いた。バツイチだそうだ。
 松下さんの手によってつるりと剥き出された蟹の足を手に、お母さんが思い出した様に話題を変えた。
「そうだわ。あのね、パパがね、一緒にお仕事してる方がお嬢さんを銀ちゃんに会わせたいって言ってるんだけど、どうしようかって」
 お母さんから伝えられた伝言に、息子は鍋をつつきながらのんびりと首を傾げる。
「うーん、そうだなぁ。どうしたらいいと思う? ふみさん」
 私の取り皿に鱈の切り身を載せながら、当然の様に尋ねてきた。それを見たお母さんも、同じく当然みたいにして尋ねる。
「あら、そうよね。どう思う? ふみちゃん」
 長いまつ毛に彩られた、ヘーゼルの瞳が二組。何かを期待するかの様に、きらきらした視線を真っ直ぐこちらに向けていた。
 二倍かぁ。眩しい。二倍はずるいなぁ。
「銀次君が会いたいなら、会えばいいんじゃないっすかね」
「えー、そんなのやぁだぁ。ふみちゃんは嫉妬とかしてくれないの?」
「そうだよふみさん。今のは、やだやだ一生私のそばにいて! って僕に抱き付きながら言うところだよ!」
「あー、はいはい。そっかそっか済まんな」
 狙っていた蟹の爪をかっさらいながら、雑な感じで生返事しといた。

 淵野家までは、ここから車で四時間は掛かる。あんまり遅くなるとパパが寂しがるからと、お母さん達は早めに帰る事になった。
 その少し前、あるお願いをされた。白い頬を紅潮させてちょっと恥ずかしそうなお母さんは、多分世界一かわいかった。
「母さんなんだって?」
「そりゃお前、秘密だよ」
 まだまだ食材的に勢いの衰えない鍋をつつきながら、残された銀次と私はそんな会話をした。
 混沌に支配されていた私の部屋は、主に松下さんの奮闘により驚く程に片付いた。お鍋もおいしい。誕生日っていいなって思った。
「僕もお祝いしたよね、ふみさん」
 うっかり口を滑らせた私に、淵野が悲しみを滲ませる。そして、悲壮な決意にぎゅっと唇を引き結んだ。
「僕、頑張るからね。おっきい蟹買って、お手伝いさんも雇えるように頑張るからね」
「そっかー、銀次。お母さんに何か言われたかー」

 後日、淵野の所へお父さんから電話があったそうだ。
「父ちゃんも鍋したいから一度帰ってきなさいって言ってた」
「鍋のためにか」
「ふみさんも連れてこいって」
「鍋のために?」
「あと、ミニスカサンタありがとうって伝えといてって」
「え……あぁ、うん。……うん」
 それはあの日お願いされてお譲りした、忘年会の遺物の話か。ごめん、お母さん。秘密にした意味が何もなかった。
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