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水色桔梗ノ末裔  作者:げきお

天下一統への道

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98話 光秀出陣

天正十年六月七日
惟任日向守光秀は軍勢を纏め上げ、大坂城への進軍を開始した。
六日に津田七兵衛信澄との会談により、信澄が与力する事を各方面に書状したのである。その結果、即座に河内の国衆が反応したのである。
若江三人衆と呼ばれる池田丹後守教正、多羅尾常陸介、野間長前といった面々である。また三箇頼照も即座に同心し、与力することを誓ったのだった。言わば、寄らば大樹の陰という事である。光秀は彼らに対して、本領安堵し、被官化したのだった。
此処に来て、大坂城内には軍勢が溢れた。
明智軍一万に加え、津田七兵衛の二千五百、河内国衆の三千五百、雑賀衆二千五百、根来衆千五百。都合、二万の大軍である。
光秀は大坂にて、筒井順慶の五千を待とうとしていた。そして、中川清秀、高山右近に対しても同心するよう圧力をかけようとしていたのだ。もし彼らが同心すれば、三万近い大軍勢となり、秀吉に対しても圧倒的に有利である。

大蔵長安は、大坂城内の鈴木孫三郎重朝の陣所を訪れていた。
「孫三郎殿……お久しぶりですな。少し会話がやりにくいが……」

「確かに……長安殿、傍目もあるんで我慢いたしましょう。
それより、十五郎殿の情報は聞こえておりまするか?」
孫三郎は問いかけた。

「何も……只、秀吉が未だ戻る気配を見せてないとすると、まったくの失敗ではないようですな?弥三郎殿が淡路を切り取ったという事ですし、心配ないでしょう。我らは更に与力が増えるのを待ち、摂津に出陣するを待つばかり。そこで展開を見極めるしかありますまい」
長安にも情報がない以上、そう答えるしかなかった。

「それより、手榴弾を少々作りました。合戦で試そうかと……
我等雑賀衆は戦慣れした者が多いので、何とか扱えまする。
親父が俺に使わせろと、頻りにに申しておりまして……」

「ハハハッ……さすがは孫一殿。わかる気がいたす」
現時点では転生者達にとっても順調な展開であり、少し空気が和んでいたのだ。だが、未来の歴史的知識をすでに変革がなされ、武器にはならない。今後は新たな歴史を作る立場に居るのである。二人はそう考え、身震いしたのであった。




六月七日夕刻、光秀にとっての朗報が次々と舞い込んだ。
まずは、筒井順慶が五千の軍勢を率い、来着したのである。
挨拶に来た順慶は悪びれずに語った。

「日向守殿……お待たせ致しました。一揆勢が蠢動したため、すぐに参じる事能わずでした。某が来たからには、筑前など返り討ちに致しましょうぞ」
順慶はそう大言壮語してみせた。

「順慶殿……忝い。この上は某にお力添え頂きたい」
光秀も当たり障りなく返答したが、光秀の宿老たちは厳しい視線を向けていた。順慶の宿老たちは居心地が悪かったが、順慶自身はまったく気に病んではいなかった。自身の軍勢の重みをこの時は理解していたからである。

また、十五郎からの使者が、海を渡り到着したのである。
使者はすぐに通され、書状を渡した。
その書状には以下の事が記されていた。
外交交渉では毛利を味方にすること能わず、逆に毛利と秀吉が同盟した事。これは形ばかりで、毛利家はあくまで、明智家と敵対する意思はない事。
秀吉は五日から六日にかけて備中を引き払い、姫路に帰還するはず。
長宗我部水軍が秀吉の動向を探り、明石辺りで、水軍により攻撃する予定であること。また、塩飽水軍が与力するので、朱印状を発給してほしいという要望。
十五郎は水軍での攻撃が終わり次第、尼崎辺りに上陸し、合流する事。

その書状に目を通し、光秀は安堵したのだった。
外交交渉などよりも、光秀にとっては十五郎さえ無事であれば……そうとしか考えていなかったのだ。そして、長安や孫三郎、転生の秘密を知る者たちに、その事実を告げたのである。

そして夜、待ちに待った連絡が届いたのだった。
中川清秀、高山右近の両名が与力する旨、伝えてきたのである。
彼らは畿内の情勢に明るく、常に動向を探らせてはいた。
そして、秀吉の動きを注視していたのだった。しかし、津田七兵衛信澄が光秀に与力し、雑賀根来衆も光秀に味方した。そして、三七信孝と丹羽長秀は大坂から退去している。更に後背定かでなかった筒井順慶が光秀に合流したという情報まで舞い込み、去就を明らかにせざるを得なくなったのだ。勿論現状を鑑みるに、光秀に与力するしか選択肢は無かったのだ。心の内はどうあれ、自己保身が優先された結果である。
そして、この時になり、光秀は初めて大々的に諸将を集め軍議を開いたのである。
大坂城内に水色桔梗の陣幕が張られ、その中に与力武将たち、光秀の宿老たちが集ったのであった。まずは総大将である光秀が諸将を前に口火を切った

「皆の者……わしが前右府殿を生害せしめたのは、内裏の後ろ盾による義挙である。決して私欲から発したものではない。だが、前右府殿亡き今、その後継を巡り、織田家中の者共が仇討ちの名のもとに私欲をむき出しにし、日ノ本の安寧を壊そうと挑んでくるであろう……
だが、わしは誓おう。決して負けることはないと……
すでに長宗我部家は淡路を切り取り、我らと同盟しておる。羽柴筑前が戻ろうとも、淡路からの牽制があれば全力で立ち向かう事は能わぬはずじゃ。
そこで、まずは伊丹に進軍し有岡城を囲むこととする。羽柴勢が戻れば池田勢を後詰せざるを得ぬ。出てきたところを野戦にて迎え撃つつもりじゃ。
意見があれば忌憚なく申されよ……」
光秀は信長生害の理由と今後の方針を簡潔に述べた。

「義父殿……羽柴筑前の動きが心配です。今はどの辺りでしょうか?
相手の兵力如何によっては池田殿が城を出て強襲してくる可能性も捨てきれませぬ。有岡城を囲むことに異存はありませぬが、筑前の動きを見るためにもゆっくり進軍するのも一手にござる」
信澄が案を述べた。

「確かに……城攻めは出来れば避ける方がよろしいかと……
有岡城は堅城にござれば、出てきてもらった方が戦いやすいやもしれませぬ」
斎藤内蔵助利三が追従した。

「されば……進軍速度を落とし、城を囲む動きを見せ、筑前が戻る頃合いで急進して決戦をするのも良いかもしれませぬな」
光秀の傍らに控える大蔵長安も同意した。

「目的が羽柴勢の撃破であれば、戦場を有岡城から離れた場所に設定する方がよろしいかと思いまする。尼崎城の事もありますれば、有岡城と尼崎の中間地点辺りが大軍を展開するのに良しでしょうな。百姓、商人達の迷惑を考えれば、有岡城の近辺は避けられた方がよろしいかと……」
明智治右衛門光忠も同調した。

光秀は当初、有岡城を囲む方針でいたが、意外に与力たちの意見は違った。
そこで光秀は方針を変更し、布陣を伝えたのだ。

「では、羽柴勢の動きを見ながら、ゆっくり進軍するとしよう。
そこで、池田勢に対する右軍の指揮は七兵衛殿にお願いしたい。
与力する予定の中川、高山勢を合わて五千で対応して頂く。わしの譜代衆、河内衆、山城衆、筒井殿の大和衆は羽柴勢と相対するという布陣にしたいと思う。
雑賀根来衆は、その中間に布陣し、遊軍として臨機応変に対応するという事で如何でござろうか?孫市殿は異論ござらぬか?」

「遊軍という事は、某の判断で自由な裁量を頂けるのですな?
望むところです……お任せあれ」
孫市はそう快諾した。

一同は一様に賛意を表明し、六月八日を以って出陣する事となったのである。

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