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9 モンド州エリアル
 一人の人間としてのイーヴァルアイの事なんてまったく頭に無かった。 忌むべき対象としてしか見ていなかった。
 だが、クロードにとっては大事な兄だったはず。 こんなにも愛されていたなんて。 そしておそらくクロードも愛していたのだ。
 三年前の自分は全てにおいて何もわかってはいなかった。 レイモンドール国を支配していた魔道師の祖である、イーヴァルアイ。
 だが、彼はクロードの前では偽りの身分であるモンド州州公の次男でいたかったのだろう。
 だからこそユリウスとしてクロードの兄としての手紙を書いていた――しかし、それも渡せず死んでしまった。
 渡されることの無かった手紙を、持って行こうかと逡巡していたアリスローザに上から声がかかる。
「おまえたち、いつまでそこにいる気なんだ。いい加減に上がって来い」
 ステファンの声に立ち上がったアリスローザは思いを残しながらも本を三冊ほど抱えた魔道師とともに階段を上った。
 もう少しで上に出るというところでダニアンの足がピタリと止まる。
「どうしたの? ダニアンったら早く上がってよ」
「足が動かないんですよ」
 脂汗を流すダニアンは、しばらく自分の足と格闘していたが、はっと気付いたように自分の抱えている本を見た。
「本に呪がかかっているんですよ」
 印を組んで『解』と言いながら本に軽く触れるとダニアンは足を恐る恐る踏み出した。 今度は何の抵抗も無く足が前に進んで、彼は大きく息を吐いた。
「まったく、何の音もしないし、生きたここちがしなかった。そのままそこで二人仲良く暮らすなんて言うんじゃないんだろうな」
 ステファンは頭を出した二人の顔を見ると嫌味たっぷりに言った。
「冗談じゃございませんよ」
「それはこっちの台詞だわ」
 二人が相次いで否定の言葉を口にするがステファンはあっさりとそれを受け流すとダニアンの持つ本に目をやる。
「それは? 役に立つんだろうな」
「そのときになってみないとわかりませんがね」
 そう言いながら穴に向かって先程唱えた範字の呪文を逆に唱えて印を組む。 穴は瞬時に塞がって壁に戻る。
 それを満足そうに見てからダニアンは持ってきた本の一冊を開いた。 次いで、暖炉から埃まみれの炭状になった薪を拾って来て床に円を描いて行く。
 本を見ながらその中に丁寧にレーン文字を書き入れる。 半時もかかってそれをやりとげると腰をとんとんと叩きながらこちらを向いた。
「二人ともこの中においでください。でも線を踏まないでくださいよ。それとそこの二冊の本も持って来てください、ステファン」
 物問いたげな二人が魔方陣の中に入ったのを確認して魔道師は印を組み始める。
「目を閉じていた方がよろしいですよ」
 慌てて二人が目を閉じると、同時にダニアンの呪を唱える声も止む。
 その途端、思わず体が倒れると思うほど外に引っ張られるような感覚にアリスローザは必死で耐えていた。 もの凄く長く感じたがやっとダニアンの声がする。
「終わりましたよ」
 目を開けた三人の前に、驚きの表情を浮かべた若い男が口を開けたまま、黒檀で出来た立派な机を前に座っていた。


 長い真っ直ぐな黒髪を後ろに流した実直そうな、それでいて威厳を漂わせている美丈夫。
「お久しぶりです、ダリウス様」
 アリスローザの挨拶に男は目を細めて記憶を辿る。 そしてその目は大きく見開かれた。
「ボルチモア州のアリスローザ姫ですか」
 男の成りをしているために思いだすのが遅れたようだ。 だが、何でここに? ダリウスは不思議に思いながらもアリスローザに手を差し出す。
「ダリウス様、警備の者を呼びましょう」
 側付いていた官吏がやっと驚きから自分を取り戻して扉に向かう。
 それをダリウスが落ち着いた声で止めた。
「エヴァンス、静かに。この者はわたしの知り合いだ。皆も少し席を外してくれ」
「何を仰います。こんなわけのわからない者どもとダリウス様を置いて出て行くなんてとても出来かねます」
「いいから、大丈夫だ。何かあったらすぐ呼ぶから」
 重ねてダリウスに言われたのとざっと見回した限り、彼のほうが剣も腕っぷしも強そうだと思った官吏がやっと立ち上がる。
「廊下に兵士を配しますからね。そこの者ども、ダリウス様に指一本でも触れることは許さんからな」
 官吏は見下すように三人に言った後、ダリウスに礼をとって部屋を出て行った。
「気を悪くしないでくれ。このモンド州の者は魔道師をあまり見たことがないのだ。ところでアリスローザ姫、君は他出できる立場ではなかったはずだが」
 ダリウスは言いながら部屋の椅子を指差して三人に座るように勧めると自分も椅子に座りなおす。
 この三年、父親に代わりモンド州、州公代理として仕切ってきた自信が彼を二十二歳という歳よりも大きく大人に見せていた。
「はい、仰る通りです。しかし、国の大事が起ころうとしているのです。ダリウス様」
「国の大事?」
 ダリウスは疑わしそうに目の前にいる女性を見つめる。


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