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19・ 州姫リディア
 ボルチモア州、州姫リデイアは疲れ果てて樹の影に座り込んだ。
 こんな所で休むなんて危険だと思ったが、もうどうにも足は一歩も動いてはくれなかった。
 余興の旅役者や、吟遊詩人。 正妃の催した宴に呼ばれた者たちに紛れて城を抜け出したのだ。
 案外、入るのには厳しいが出て行く者に緩いのはどこでも同じか。
 外門の門番など庶子であるリディアの顔など知ってはいない。 まあ、下官の立場では州候の顔だって知らないだろうが。
 自分の足でこんなに歩いた事さえ今までに無かったのだ。 しかも今は妊娠初期で毎日吐き気と戦っていたのだ。
 食事もまともにしていなかった体は悲鳴を上げている。
「ごめんね、赤ちゃん。少し、少し休んだらまた、動けるから。ちょっと休ませて」
 まだ、目立たないお腹をさすりながらリディアは目を閉じた。
 それからどれほど経ったのか。
「――お姉ちゃん、ねえ、」
 体を揺すられてやっと薄く開けた目に映るのは心配そうに見つめる小さな男の子の顔。
「え?」
「こんなところで寝ちゃったらだめだよ、風邪ひいちゃうよ」
 ――こんなところ? そこでやっとはっきりと起きたリディアは体を起こすと周りを慌てて見渡す。
 大きな街道を一本外れた脇道の脇に植えられた樹。 それにもたれるように腰を降ろしていたのだ。
 なんて、無防備な事をしていたのかと今更ながらどきりとする。
 その起き上がった彼女を軽く見下ろすくらいの年頃の少年が気遣うように手を差し伸べた。
「ねえ、立てないの? 寝たいんだったらおいらの家においでよ。すぐだから」
「触らないで。いいから放っておいて」
 リディアに手を振り払われて困惑したような顔の少年。
 そこで鳴るお腹の音。
「お姉ちゃん、お腹すいているの? だから怒ってるの?」
「うるさいわね、向こうへ行きなさい。放っておいてと言っているでしょう。あなたばかなの?」
 声をかけた相手のあまりな言い草に少年は口を真一文字に結ぶとくるりとリディアに背を向けて走り去って行った。
 少年の去って行く背中を見ながら、誰も信用できないとリディアは苦く思った。
 一番信用出来ないのは、見返りを期待しないで親切をするように見せてくる人間だ。
 ここへ来るまでの数日、リディアは散々な目に会っていたのだ。 まずは、優しい中年の夫婦者に荷馬車にのせてもらったこと。

 そう、一見優しい親切で働き者の夫婦。
「何か、大変そうだね。疲れた顔をして。いいよ、ここで会ったのも何かの縁だ。乗っておいきよ」
 そう、言ってくれた。
 が、半刻後には二人は追いはぎに変身していた。 逃げるときに着替えなかった自分がばかなのは今では分かっているが。
 豪奢なドレスも付けていた装身具もまるごと奪われて物のように道に投げられた。
「下着じゃ、可愛そうだね。これをやるよ」
 女は自分の着ていた継ぎのあたった服を投げてよこすとリディアのドレスを着こんで笑った。
「あら、あたしのほうが似合うじゃないか」
 あまりの屈辱に言葉も無かったが下着でいるわけもいかず、起き上がってそのぼろぼろの服を着たリディアはふらふらと歩き出した。
 後から考えると物を取られたくらいですんで本当に良かったのだが。
 その時は裸足に当たる小石に顔をしかめながら歩く彼女にそんな余裕は無かった。
「お腹すいてないかい?」
 そう、聞いてきた十四、五の少年に貰った腐りかけた乾し肉のために下着の下に用心のために持っていたお金を持っていかれた。
 そうしないと少年の仲間たちに棒切れで叩き殺されそうになったのだ。
 のこのこついていく自分がばかだった。 自分以外、気をゆるしてはいけない。
 わたしは死ぬわけにはいかないのに。 この子を守らないといけないのに。
 リディアの決意は固い思いとなって殻のように纏っていく。
 そしてただ、一つの教訓が身に染みていくのを感じていた。
 ――親切を押し売りにするような者はろくな者ではないと。

「お姉ちゃん、はい」
 その声に驚いて顔を上げるとさっきの少年が息をきらせながら手を差し出していた。
 手にのっているのは黒ずんだ丸いパン。
「おなかすいてるんだよね。だから怒りたくなっちゃうんだ。父さんが人は腹へってるとろくな事、考えないって言ってたよ」
 そう言って笑顔を向ける少年になんてしつこいのかとリディアはため息をつく。 そしてまわりを注意深く見回した。
 少年の連れがいないかどうか。
 誰もいないことを確認した後、素早く少年の手からパンを奪い取った。
 ――これくらい小さい子なら振り切って逃げることがわたしにもできるだろうと。


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