10
愛希の決意から、さらに二週間がすぎた。
二週間前の決意のままに愛希は毎日公園のベンチに通った。例え時間が限られていても、たった数分だけでも、ベンチに座っていた。
もしここで、愛希がソラの携帯番号やメールアドレスを知っていれば話はすんなりと終わっていただろう。だが愛希にその情報はない。そもそも、ソラが携帯を持っていないことさえ知らないのだ。でも、愛希はこれでいいと思っていた。こういうほうがあたしたちらしいじゃないか、と。それに、これはメールや電話越しで言っても意味がない気がした。直接ソラに伝えたかった。この口で、この声で、この瞳で。ほんとうに気持ちを伝えられるのは電気信号で作られた声でも文字でもなくて、生身の人間だけ。
そう思っていたから、愛希は待ち続けた。
ソラのいない二週間は色あせていて、ちっとも面白くなかった。もし来たら、まず謝って、それからいっぱい愚痴ってやる……愛希は口元に微笑を浮かべた。ソラはなんて言うかな。きっと、ごめんねって謝るんだろうな。弁解はしないと思う。ソラは、そういう人だから。
今日もベンチに来ていた。部活がなかったので学校帰りにそのまま、もう何時間もいる。夕空がゆっくりと夜の衣に着替えてゆく。愛希はネックレスのプレートを両手で包みこんだ。
その時。
突然、後ろから抱きすくめられた。一瞬体をこわばらせるが、すぐに安心する。太陽のにおい。
「――ソラ、待ってたよ」
ソラは愛希の肩に顔をうずめていた。
「ごめん……ずっと来なくて、ごめん」
二週間ぶりのぬくもりに、思わず涙がでそうになる。
「あたしのほうこそ……あのとき、逃げだしてごめんなさい。ソラ、怒った?」
「ううん……怒ってなんかない」
「よかった……」
愛希がソラのほうをむこうと体をよじらせると、ソラの腕にぐっと力がこもった。
「……ソラ?」
左肩に乗った黒髪を見つめ、愛希は呼びかけた。ソラはかすかに頭を振ると、くぐもった声で言う。
「愛希、ごめん、このまま聞いてほしいんだ。大事な話がある」
「うん……?」
「僕……ほんとうは、もう、このまま愛希に会わないつもりだった」
「――え?」
「嵐の日のことが直接の原因じゃないよ。前からずっと思っていたことがあって、嵐の日、愛希の様子を見て……この考えは正しいんだって、気づいたんだ。実行に移す覚悟を決めた」
愛希は声が出なかった。
「愛希……僕ね、愛希がどうして男のひとを怖がるか知ってるんだ。愛希を悲しませた、男のことを」
愛希の心臓がドクンとなる。ヤツのことを考えただけで気分が悪くなる。
「あのとき、二人のやりとりを見てた。なんてひどい男だろうって思った。……僕はね、愛希があの男と付き合う前からずっと愛希のことが好きだったんだ。だから、愛希が悲しんでいるとき、すぐにとんでいきたかった。でも理由があって僕にはそれができなかった。だから僕はずっと、ここに座って本を読んでる愛希を見守ってた。あの春の日、僕がいつもみたいに見てたら愛希が突然泣き出したんだ。僕は必死で祈ったよ。僕に、愛希を笑顔にさせる力をくださいって。そしたら、その願いが叶ったんだ! 神様が、僕に許しをくれた。僕は愛希のそばにいられるようになった」
「……それで?」
愛希が聞くと、ソラは微笑んで続ける。
「それからは毎日楽しかった。愛希の笑顔を取り戻すことが僕の使命だったから、僕はちゃんと役目を果たした。だから僕は愛希のそばを離れなくちゃいけなかった。神様は、そうしなきゃいけないって言ったんだ。そうしないと愛希が悲しむだけだって。愛希は、あの男とのことがあってから、好きな人に裏切られるのを怖がってたんだよね。だから、愛希が僕のことを好きになってしまう前に、僕は元の生活に戻るべきだった。僕は愛希のそばにいられない理由があって……いずれ、愛希から離れなきゃいけなかったから。神様も、そういうことを言いたかったんだ。だけど、僕にはできなかった……僕が、愛希と一緒にいたかった。そのときはまだ、知らなかったんだ……僕のしようとしていることが、愛希にとってどんなにひどいことか……知らなかった」
ソラの腕が、愛希を強く抱く。
「全部、僕の弱さがいけないんだ。あの嵐の日やっと気付いた。僕は愛希のそばにいられないから、いつか裏切らなきゃいけないのに……愛希が悲しむだけなのに……僕は、僕の幸せだけしか考えずに、動いてた。愛希のことを一番に考えていれば、こんなことにはならなかったのに……。ごめんね、愛希……ごめん……ごめん……!」
ソラが謝っている。――それってつまり、お別れってことなの?
「愛希を悲しませたくない……だから、これ以上一緒にはいられない。今日で、最後だ」
「――やだ……」
「もう、僕らは会っちゃいけないんだ……」
「いやだ、そんなのいやだ!」
「愛希……」
ソラの腕が、愛希を放さない。それは、ソラも愛希と離れたくないということ。
「あたしのこと悲しませたくないっていうなら、最後なんて言わないで! あたしは、ソラがいないことのがよっぽど悲しいよ……ソラのいなかったこの二週間が、この先もずっと続くなんて、考えられない」
「愛希、僕のことを知ったらきっとショックをうける。これ以上知らないまま、今、関係を絶ったほうが愛希のためだ」
「あたしのため……? ソラと離れることが、あたしのためなの!? そんなのウソだ、だってあたしは……あたしは、ソラのことが好――っ」
ソラの唇が、愛希の口をふさいだ。
「愛希、僕は愛希が好きだ。……でも、君のその言葉は、僕に言うべきじゃない」
「っ……そんなのずるいよ! あたしだって、ちゃんと気持ちを伝えたい……!」
最後に、ソラは愛希の頬に軽く口付けた。
「さよなら、愛希。……ありがとう」
「――ソラ!」
彼を求め伸ばした腕は空をつかんだ。
慌てて振り返っても、そこには、ただ冷たい闇が広がっていた。
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