オリカゴセカイ
タグにもありますが、ぼかしてはありますが残酷な描写が一部あります。苦手な方は閲覧をお控えになる事をお勧めします。
「世界がどうして丸いかって? それは逃げ場を無くすためだよ」
ある日、彼女が告げた言葉が、耳に強く残っている。
「前、誰かが言っていたっけ? 端っこで誰かが泣かないように、世界を丸くしたって。けど、人は泣く時は泣くし、みんながみんな端っこでは泣かない。それに世界を丸くしたって、世界には『端っこ』が溢れ返っている。世界を丸くして『端っこ』を無くしても、それじゃあ意味はない。なら、どうして世界は丸という形になったか。
それは、簡単。神サマなんていう偶像的存在が、イキモノを『世界』という檻に閉じ込める為だよ」
誇らしげに、憎々しげに、けれどどこか寂しげに、彼女は嗤う。真夏の空を見上げ、人間が『いる』と信じている神という存在に向かって。
「……ねぇ、君は知っているかい?」
空から、視線は僕に移る。
「昔々の人間達は、世界は『平面』だって思っていたんだって。世界には『果て』があって、その先は滝になって。その滝に落ちたら最後、二度と戻ってこられないって。だから、今の人間達は『世界の端っこ』は『あの世』、場合によっちゃ『悪意と悲劇』、なんて考える人もいるみたい」
おかしいよね、と彼女がまた嗤う。何がおかしいのかわからず、呆然とする僕を尻目に。
きっと、その戸惑いが伝わったのだろう。彼女は理由を口にした。
「だってさ、『あの世』なんだよ? 『この世界』とは別の『世界』なんだよ?
つまり、世界の『端っこ』とやらから飛び降りれば、その滝に呑まれれば、こんな最低で醜い『世界』からは逃げ出せるんだよ?」
「…………」
確かに、彼女の言い分はもっともだ。しかし、
「けど……」
「ん?」
「けど、もし世界の『端っこ』が君の言うとおり『あの世』だったら。落っこちたら死ぬ事になるんだよ?」
怖く、ないのだろうか。命を手放す事に対して。死ぬ事に対して。
それを問えば、彼女はまた嗤った。
「あはは!! 何言っているの? このきったない世界から抜け出せるんだよ? だったら『死』なんて対価、安いものでしょ?
それに、『あの世』なんて言われているだけで、ひょっとしたら『楽園』が広がっているかもしれないじゃない。嗚呼、ボクにとって、『この世界』以外の場所はみぃんな『楽園』だけどね?」
くすくす、くすくす。彼女は嗤う。楽しげに、おかしそうに、狂ったように。
ぞくり。悪寒が背中を走り、思わず身体を抱き締めた。怖い、怖い。彼女は、狂っている、と。
嗤い、嗤い、嗤い続け。そしていつの間にか、彼女は嗤う事を止めた。まるで、狂気の焔が潰えたかのように、力なく口を開く。
「けど……神様は世界から『端っこ』を奪った。勝手に死なないように。勝手に、『あの世』に、『楽園』に踏み込まないようにって、世界の『端っこ』を繋げて丸にした。『端っこ』を無くして、ボク達が泣き叫びながら何処までも何処までも、何処までも逃げて。それで最後は逃げ場なんてないって、絶望を抱きながら狂って死んでいく無様な姿を、遠くでせせら笑う為に、ね……」
ふ、と刻むのは悲しげな笑み。彼女の憎悪は、深く、まるで仄暗い焔のよう。それはきっと、何事も何者も受け入れない盾であり矛。
けれど、それでもと。僕は彼女の言葉に対して抱いた思いを紡ぎ出していた。恐怖に――向けられるであろう怒り、狂気、否定の言葉に震えながら……。
「それは……違うと、僕は思う……」
「…………」
無表情。悲しさも、狂気も、怒りも全て吹き消されたかのような、無の顔。予想外の反応に面喰いながらも、それでも言葉を続けた。
「世界が丸いのは、きっと……きっと誰かと出会って、一人で泣かない為、だと僕は思うんだ。
逃げても、逃げても、どんなに逃げても果てがないなら。ならきっと、その涙とか悲しみとか、受け止めてくれる『誰か』と出会える為に、『端っこ』を無くしたんだよ……」
そう、僕と、彼女が出逢ったように。
狂気を纏って、排他を気取って。それらで懸命に着飾って隠した、寂しい心の声を聴いたから。
だから僕は彼女の側に来たのだ。その涙が消えるように、悲しみが枯れるように。
彼女が纏う狂気の衣が、喜びの色に変わるようにと……。
「ふ、ふふ……」
刹那、彼女が『笑』った。本当に、おかしそうに。けれど何処か、嬉しそうに……。
「くっさいセリフ。如何にも優等生って感じの考えだね。じゃあ何? 幸せは皆平等とか、良い子にしていたら神様が助けてくれる、なぁんて平気で言っちゃうんでしょ?」
けど、と彼女は続ける。少し晴れ晴れとした、そんな表情で。
「でもま……そんな愚かな考えも、意外と良いかもしれないね。人生なんて一度しかない、所詮死ぬまでの暇つぶしだし。
なら、その愚行にのってあげるよ」
紡ぐのは、相変わらず素直じゃない言葉の数々。けれど、紡いだ唇が、見つめる瞳が、とても楽しげな――純粋な『喜び』の色を宿していた。
「……お礼なんか、言わないからね」
にやりと笑い、彼女。
「別にかまわないよ。僕は、僕が思った事を言ったまでだから」
僕も、笑う。もう、彼女に対しての恐怖は、ない――。
◆◇◆
「世界の『端っこ』はない。それは、涙とか悲しみとか、受け止めてくれる『誰か』と出会える為に、『端っこ』を無くした、ね……」
自分も、あの時は青かったな。などと昔を振り返り、小さく苦笑。
あの時の幼い自分は、彼女に笑っていて欲しくて。世界は汚く、だがそれでも美しい物だと頑なに信じて、だからあのような綺麗事を口に出来たのだ。
「……けど、結局君の言うとおりだったみたいだ」
見上げれば、何処までも何処までも、青い空。あの夏の日と同じ、澄み切った色。空に果てが無いように、この世界にも果てはない。そう、この世界はやはり『檻』なのだ。醜く、人間同士が食い殺しあい、強者だけが残される果てなき『檻』。
「……今度は、君が僕になって、僕が君になった、のか……」
あべこべになってしまった立場に、小さく嗤った。しかし、今回は引き留めてくれる人も諭してくれる人も、悲しみを抱き留めてくれる人もいない……。
「……君は、別の人を選び、そして違う道を歩んだ。それをどうこう責めるつもりはない。
けれど、僕の悲しみを受け止められるのは君だけで、君以外に抱き留めてもらうつもりもない」
だから、と一歩を踏み出す。
「……ここから飛べば、『端っこ』から堕ちれるかな?」
空から視線を下ろせば、広がるのは日常風景。車が騒音と排気ガスをまき散らしながら走り、人々がくだらないやり取りをしながら行き来する。そんな、以前は醜くも美しいと、頑なに信じていた最低な世界が。
一度、瞳を閉じる。眼裏によぎるのは、あの時の――今の自分のように世界を蔑んでいた彼女の姿。
(今なら、君の言っていた事がわかるよ……)
ごめんねと、唇が紡いでいた。
それは、彼女の意図を理解出来なかった事に対してなのか。
それとも、幼い彼女と同じ、しかし彼女が辿り着けなかった『末路』へ向かう事に対してなのか。
どちらなのだろう。そう首を傾げて、小さく振った。
「……もう、意味のない事か」
そう、自嘲の笑みと共に呟いて、
「……バイバイ」
何もない空間に、身を投じた――。
僅か後、青い夏空に、赤い絵具が舞い散った……。