【勇者】と【魔女】
鬱蒼と茂る木々が遥か先まで続き、足場はゴツゴツとした石で覆われている。
人間もあまり踏み入れる事がないこの場所は、『飛竜の住む山』として恐れられていた。
その山の麓にある国の王様が、切なる願いを託して御触れを出された。
『山に住む飛竜に大事な姫を拐われた。力ある勇者たちよ。飛竜を倒し、姫を奪還せよ。
褒美として金貨百枚。そして姫の婿として迎えるとしよう』
この御触れに従い、名立たる勇者達が山に住む飛竜に戦いを挑んだ。
だが、山に赴いた勇者達の内、誰一人として戻ってくる者は居ない。
王様は今もなお、姫の無事を祈り続けている。
そしてまた、勇敢な若者が飛竜との戦いに挑むべく、山へと足を踏み入れた。
まだ邪気ない面影を残したその勇者は、真っ直ぐに山の頂を見つめ、
岩場の多い道無き道を進んでいく。
こうしてまた、新たな物語が紡がれていく。
*****
「これはいったいどういう事なんだ」
途方に暮れ、茫然自失の面持ちで座り込む魔女が、ポツリと呟いた。
「私の所為だって言いたいわけ?」
肩を落として俯きながら座り込む魔女の傍らで、仁王立ちした勇者が、
頭ごなしに怒りを打付けている。
……おや? 何かがおかしい。
何が起きのか判らないという顔で座り込む魔女。
そして彼女を不満気な顔で睨み付ける勇者。
確かにそう見える。もう一度見てみよう。
「他に誰が居るんだ。俺はこんな事、頼んじゃいない!!」
自身を取り戻しつつある魔女が、理不尽な言い掛かりにムッとして言い返す。
俯いていた顔を上げ、その場で憮然と胡坐をかく姿は板に付いている。
「だから私の所為だって言うの? そもそも貴方の依頼が中途半端だったから悪いのよ。
私の魔法は完璧だったのに」
相変わらずの不満気な顔で、勇者が外方を向く。
啀み合っている二人を眺めているだけでは、到底お話にならない。
そもそもの事の発端が起こるまで、時刻を遡ってみるとしよう。
そう、今から三十分程前にでも……。
飛竜が住むと言われている頂目指し、山の中腹まで登ってきた処。
額に浮かぶ汗を拭いながら、暫し身体を休める場所はないかと、周囲を眺める勇者。
その時、道の傍らで怪しげな品々を並べている商人を見付けた。
フードを目深に被る女商人が、艶しい微笑を浮かべて手招きしている。
「貴方も飛竜退治に行くのでしょう。それなら一つ、お守りはいかが?」
「お守り? そんな物は必要ない。俺にはこの剣と鍛錬した肉体がある。
そんな物に頼らなくても、飛竜は俺が絶対に倒してみせる!!」
威勢よく言う勇者は、並べられている品々の怪しさに、『絶対に買わない!!』
と心に決めていた。
歪な形の石。干からびたトカゲや昆虫。虫が喰った木の実。色の付いた水が入った小瓶。
其処彼処で拾って来た様な眉唾物ばかり。とてもお守りになるとは思えない。
唯一異彩を放っていたのは朽ち果てた髑髏だが、とてもお守りにはしたくない代物だ。
「そう。では貴方も、この山を降りて自分の国へ帰る事は二度と出来ないでしょう。
ここへ来た者は皆、私の言葉に耳を貸してはくれなかった。貴方も彼等と同じ運命を
辿る事になる。ならせめて、ご武運だけは願いましょう」
勇者が頑なに購入を拒むと、女商人は不吉な言葉を投げ掛けてくる。
縁起でもない!! そう思った勇者は、つい女商人の話に乗ってしまったのだ。
「そ、そうなのか? 先達は貴女の言葉を聞き入れなくて生命を落としたと言うのか。
それなら俺は何か買っていくとしよう」
並べられた品々を睨め回す勇者の単純さ加減に、つい女商人も情に絆されてしまう。
手近な場所で広い集めたガラクタを、高額な料金でボッタくろうとしていたのだから、
それも無理は無い。魔女もまた、根は単純な性質だった。
「ムリにとは言ってないのよ。お守りと言っても、そんな効力はないかも知れないし。
ちょっと、ねぇ、悪い事言わないから止めときなさいよ」
「いやいや、先達の教えには耳を貸す事にしているんだ。彼等の生命を無駄にはしない」
単純なのか、頑固なのか。勇者は真剣に商品の値踏みを始めてしまった。
「それなら、私の魔法はどう? こんなガラクタよりよっぽど役に立つわよ。
貴方の望みを一つだけ叶えてあげる。それでどう?」
「魔法?」
正直、どう見てもガラクタにしか見えない品を買うのには抵抗があった。
どれを選んでも戦いに赴くには邪魔な物でしかない。けれど一度言い出した事を
撤回するなど、勇者の風上にも置けないのだ。そのジレンマに悩んでいた勇者は、
これ幸いにと女商人の言葉に飛び付いた。
「こう見えても私は、優秀な魔法使いなの。さぁ、貴方の願いは何? 良く切れる剣?
それとも鍛錬に必要な腕力かしら?」
艶かしい笑いを浮かべた女商人=魔女が怪しげに謳う。その言葉に惑わされる様に、
勇者が望みを口にする。
「もっと身軽になりたい。鍛錬を積んで剣の腕も上達した。体力にも自信はある。
だが、鍛錬して筋肉が付き、身体も成長した所為で、少しばかり重くなった気がするんだ。
昔はもっと素早く動けていた筈なのに。以前の様に身軽に動ければ、飛竜の動きにだって
打ち勝てる。さぁ、貴女の魔法で、俺の望みを叶えてくれ」
「身軽……これはまた、中途半端な願いね。……そんなのどうすれば良いのよ」
「何か言ったか?」
「そ、空耳よ、空耳。何も言ってなんかないからね、私は。さぁ、今から準備するから、
ちょっと待っててよね」
訝しげな顔で見返している勇者に、魔女は慌てて首を振る。
そして、傍にあった大鍋に商品として売られていた干からびたトカゲや昆虫、虫が喰った
木の実、更に色の付いた液体をぶち込み、歪な形の石の上に置いて火を付けた。
程無くして怪しげな湯気と香りが漂ってくる。
「最後に魔法の呪文を唱えれば完成よ。“アン コープス イースト ラ・ジャ……”
あれ、後何だっけ? 身軽、身軽。嫌だ。私とした事が、呪文、度忘れしちゃった!!」
「おい、これホントに大丈夫なのか。変な煙が出てるけど。うわっ、何だよ、これ!!
ゲホッゲホッ」
漂う強烈な臭いに咽返った。湯気なのか煙なのか判らない白い靄に覆われて、
周囲も見渡せなくなっている。手を振り回して靄を払っても、まるで効果がない。
目の前に居た筈の魔女の姿も見えなくなってしまった。
「やっと収まってきたか」
立ち込めていた靄が徐々に晴れていく。
心なしか身体が軽くなっている気がして、多少の息苦しさはあったけれど、
一先ず魔法は成功したようだ。勇者は、ホッと胸をなで下ろした。
靄の向こうに見える魔女の気配に、きちんと礼を言わなければと、近寄っていく。
その時、一迅の風が辺りの靄を吹き飛ばした。視界が開け、傍に立っていた人物が、
目に飛び込んでくる。
「え~っ!!」
勇者の前に立っていたのは、勇者の姿をした男。正しく自分そのもの。
魔女の前に立っていたのは、フードを被った魔女。正しく自分そのもの。
「俺……なのか?」
魔女の姿をした勇者が言う。
「貴方は私?」
勇者の姿をした魔女が言う。
「いったいどうなってるんだ~!!」
「いったいどうなってるのよ~!!」
二人の叫びが反響になって、長い間山の中に響きわたっていた。
こうして三十分が過ぎていく。
*****
途方に暮れていた二人も、どうにか現実を受け入れ始めていた。
「兎に角、貴女の魔法が原因なのは明らかだ。さぁ、もう一度魔法を使って
この恐ろしい呪いを解いてくれ!!」
魔女の姿をした勇者が、キッパリと宣言する。
「そんなの無理に決まってるでしょ。こんな魔法、使った覚えなんてないんだから」
勇者の姿をした魔女が、唇を尖らせて拗ねた様な顔で外方を向く。
「それなら、先刻と同じ魔法を使えば良いだろう」
「材料、先刻ので全部使っちゃったもの。呪文も空覚えを適当に言っただけだし」
「そんないい加減なものだったのか!!」
「だから、悪かったって言ってるじゃないのぉ」
魔女の姿をした勇者に詰め寄られ、勇者の姿をした魔女がシナを作って謝罪の
言葉を口にする。
そんな自分自身を目の当たりにする魔女の姿をした勇者……。
え~い、面倒臭い!!
此処から先は、【勇者】の記述には魔女の姿を、【魔女】の記述には勇者の姿を、
それぞれ頭に思い浮かべて読み進めていって欲しい。わたしは中身を基準にして語るので、
映像面はあなたの想像で補っていただきたい。さぁ、語部のわたしと読み手のあなた。
二人三脚で物語を紡いでいこうではないですか(あくまで他力本願なわたしである)。
では、物語に戻ろう。想像の準備は出来ていますかな?
そんな自分自身を目の当たりにする【勇者】は、鳥肌を立てながら身震いする。
「やめてくれ~!! 俺はそんなんじゃな~い!!」
力説しながら地団駄を踏む。ドンっと足を踏み鳴らすと、地面が微かに揺れる。
もう一度踏み鳴らすと、また地面が揺れる。
「ちょっと止めてよ。そんなに勢い良く踏みならさなくても良いでしょ。地面が揺れる程
だなんて、まるで私の体重が重いみたいじゃない」
【魔女】が憤慨して言うと、また地面が微かに揺れた。今度は先程よりも揺れが大きい。
「シツコイわよ!!」
「俺は何もしていない!!」
「えっ?」
確かに【勇者】が言う通り、両足はきちんと地面に付けていた。
それなのに、ズンズンと一定間隔で揺れが続いている。その振動がどんどん大きくなって
いく。これはまるで……。
「ドラゴンよ!! ドラゴンが近付いてるんだわ!!」
慌てた様に【魔女】が口にする。
近付いてくる重い地響きに、ずっとこの山に居た【魔女】には覚えがあった。
「そうか、ここはドラゴンの住む山。危うく自分が何をしに来ていたのか、
忘れる処だった」
【勇者】は、【魔女】の腰に下がった自分の剣を抜くと、足音のする方へ向けて
身構える。時を同じくして、鬱蒼と茂る木々の間から、大きな竜の顔が覗いた。
「きゃっ、来た!!」
「ここは危険だから、貴女は岩陰にでも隠れていろ!!」
両手で剣を構えて竜に向かう【勇者】と、言われた通り岩陰に隠れる【魔女】。
想像で補う映像は、勇敢に竜へ戦いを挑む魔女の姿と、岩陰に縮こまって震えている
勇者の姿。笑うに笑えない。
激しく剣を振り回す【勇者】は、果敢に竜へと挑んでいく。
魔女の姿ではあるけれど、身のこなしだけは決して劣らない動きを見せている。
「確かに身体は軽くなった。胸の辺りが少し邪魔だが、動きに問題はない」
そう言って襲ってくる竜の腕をヒラリと避けては、剣を叩き付ける。
痛みに暴れる竜を更に躱す。そして……しゃがみ込んだ。
「動きに問題はない。問題はないが、何だ、この体力のなさは!!」
ゼイゼイと肩で息を吐きながら、それでも剣を杖にして立ち上がろうとする。
支える腕がプルプルと震えていて、剣を握る処の話ではない。
「仕方ないじゃな~い。私、戦闘向きじゃないもの。美容の為に週に一度、ストレッチを
するくらいはやってるわよ」
「週に一度に、何の意味がある!!」
怒鳴り散らす勢いで立ち上がると、岩陰に隠れている筈の【魔女】を探す。
すると、地面にへばり付いて、何やらカードを広げていた。
「何をやっているんだ?」
「占いよ。貴方の今日の運勢を占ってあげる。私、本当はこっちの方が得意なのよね」
「占い? 何で今、占いなんかしているんだ!!」
「だってほら、こういうピンチはお互いの得意分野で乗り切らなくちゃ。チームプレイよ。
あっ、出た出た。貴方の今日の運勢は……。あんまり良くないわね。女難の相が出てるわ。
でも安心して。あのドラゴンはオスよ。女難の相とは関係ないの。えっと、それから、
ラッキーアイテムは龍の髭、ラッキーナンバー三十六。幸運の方角は北北西ね」
「……女難の相。確かに貴女は占いが得意なようだ。当たっている。
どうせなら、先刻の魔法を使う前に占って欲しかった」
「な~んか言ったかしらぁ?」
「いや、何も。では、その占いに活路の道を見付けよう」
「どうするの?」
のんびりと占いをする二人の頭上では、今まさに口から火を吹こうと身構えていた竜が
パックリと口を開こうとしている。チラチラと見える炎を横目に、【勇者】は【魔女】の
腕を掴んで駈け出した。
「ラッキーナンバー三十六。それなら、三十六計逃げるに如かず、だ。
くそぉ~、北北西はどっちだぁ!!」
炎の熱気に後押しされながら、真っ直ぐ山の頂へと向かって走り出す。
普段は静かな山の中を、【勇者】の声が虚しく反響していた。
*****
命からがら逃げ出した後、先に足を止めたのは【勇者】の方だった。
「ホントに、何て体力のない身体なんだ」
ぐったりと木陰に座り込む【勇者】に、涼しい顔で【魔女】が見下ろしていた。
「軽い身体がお望みだったんじゃないの?」
「煩いな。敵に背中を向けるなんて、勇者にあるまじき行為なんだよ。不覚中の不覚も
いい処だ。これでは姫を助け出すなんて、到底無理な話じゃないか」
「良いんじゃない。山の頂上まで行ったって、どうせお姫様なんて居ないんだし」
ガックリと項垂れて、自分の不運を嘆いている【勇者】の隣に腰を降ろすと、
【魔女】はあっけらかんと言い放つ。腰に括り付けられた水筒を取って一口飲むと、
それを【勇者】に手渡そうとして固まった。
「ちょっと止めてよね。私の顔で遊ばないでよ。ほら、顎が外れそうになってるってば」
あんぐりと口を開けた【勇者】が、呆けた顔で【魔女】の顔を見つめている。
そのあまりにも間抜けな顔に、これが自分の顔なのかと情けなくなった。
無理矢理口を閉じさせられた【勇者】は、頼むから今のは冗談だと笑い飛ばしてくれと
言わんばかりの勢いで、【魔女】に詰め寄っていく。
「姫が居ないだって!! そんなバカな」
「嘘じゃないわよ。そもそもお姫様が拐われたって話からして、事実じゃないもの」
「なんだって!!」
「あの国のお姫様はお転婆で有名だって知らなかったの? たまたま飛竜の背中に乗って
遊んでいたのを、誘拐されたと国王が勘違いしただけ。この山の飛竜は人間にも懐いてて
村の子供達もよく背中に乗せて貰ってたのよ。誘拐なんて、ないない」
馬鹿馬鹿しいと、右手を振ってみせる。
【魔女】の話に疑心暗鬼になりながらも、【勇者】は真剣に耳を傾けていた。
「なら、何で姫は戻って来ないんだ? 飛竜が返さないからじゃないのか?」
「だからこの件に飛竜は無関係なんだって言ってるじゃない。城の生活に飽き飽きしてた
お姫様が、家出同然で飛竜の背中に乗っただけなのよ。まぁ、暫く飛竜の巣に厄介に
なってたのは本当だけどね。そうこうしてる内に、お姫様が竜の巣に居るらしいって噂が
王様の耳に入って……。後は知っての通り、誘拐騒ぎにまで話が発展して、各国から
腕自慢の勇者が召集された、ってわけ。で、最初に現れた勇者に一目惚れしたお姫様が、
これ幸いと勇者に言い寄った結果、二人は意気投合してそのまま何処かへ旅立ちました。
はい、おしまい。今頃は何処かの村でひっそりと幸せに暮らしてるんじゃない?
お伽話なんてそんなもんでしょ」
“おしまい”の言葉に、【魔女】はポンっと軽く手を叩く。
これで話は終わりだとする【魔女】に対して、【勇者】は納得できないと尚も食い下がる。
「そんな……馬鹿な。だいたいその後も勇者達がこぞって姫を助けに山へ入っただろう」
「来たわよ、確かに。でも、山の頂上まで行けば事情は一目瞭然でしょ。人間なんて誰も
居ないんだもの。皆呆れて帰って行ったわ。中には王様に進言しようと考えた勇者も
居たんでしょうけどね。あの頑固爺の事だもの。我を謀るとは不届き千万、とか言って
首を跳ねてそうじゃない。怖くてそのまま国へ帰っていったに決まってるわ」
鼻息荒く捲し立てる【魔女】に、【勇者】も少し弱気になる。
言いくるめられてはダメだ!! この話にはまだ、何か見落としがあるに違いない。
「そうだ、あの髑髏は? 魔法の道具に使ったガラクタと一緒に並べていただろう。
あれは飛竜に殺された勇者の亡骸ではないのか?」
「あぁ、あれね。勇者の亡骸って言えばそうなんだけど。でも、戦った相手は飛竜じゃ
ないわよ。あれは先刻のドラゴンの仕業。半年前からここに流れてきたドラゴンなの。
何人かの勇者があれに挑んだけど、ちっとも刃が立たなくてね。殺されたり、
逃げ出したり。今では飛竜も頂上から降りて来なくなっちゃったわ」
「あれがこの山に住む飛竜じゃないのか!!」
「全然違うじゃない。何処見てたの。アイツの背中に羽は無かったでしょ。
飛竜ってのは、空を飛ぶ竜って事なのよ」
「そんな余裕が何処にあった!! こんな格好で剣を交えなきゃいけなかったんだぞ。
岩陰に隠れてただけの奴になんか言われたくない!!」
「自分が隠れろって言ったんじゃないの!!」
売り言葉に買い言葉。いつの間にか、お互い睨み合って対峙していた。
――――― ズンズンズン。
地響きと共に、何かが焼ける嫌な臭いが漂ってくる。
チラチラと揺らめく炎も、木々の間から確認できた。
山で暴れているドラゴンが、とうとう二人の傍まで追い付いてしまったようだ。
*****
口から大量の炎を吹き出すドラゴンを相手に、果敢に剣を振り回す【勇者】だが、
体力のない身体では到底太刀打ち出来なかった。
既に息が荒く、踏ん張る足は小刻みに震えている。
ドラゴンの腕の一振りで簡単に弾き飛ばされてしまっていた。
「うわっ!!」
地面に叩き付けられ、ゴロゴロと這う。それでも傷だらけの身体を起こし、何度も
ドラゴンに挑んでいく。
相手は飛竜ではないけれど、ここまで竜退治に来たのだ。これが勇者に与えられた使命。
他人の身体ではあるけれど、気持ちは勇者の時のまま。
「敵に背中を向けるなど、勇者の風上にも置けない。ドラゴンを仕留めて帰るんだ。
俺も父様のような立派な勇者になる!! うおぉぉぉ」
言葉で自分を奮起させ、剣を両手で構えてドラゴンに向かっていく。
それもまた、あっさりと振り飛ばされ、まるで歯が立たない。
地面に放り出された時、腰に結いていた巾着袋が外れて、岩陰に隠れていた【魔女】の
前まで転がっていく。
それを拾い上げると、中に入っていた物を勢い良くすべてぶちまけた。
何かを探すように、小物の山を掻き分ける。
「あった!!」
そう言って、山の中から一枚のカードを取り出した。
「何だ、また占いか。今はそんな事をしてる場合じゃないだろう!!」
カードを拾い上げている【魔女】を見て、憤りを隠せないように【勇者】が怒鳴る。
それを無視して、カードを【勇者】に押し付けた。
「煩いわね。私だってこれ以上、自分の身体に傷を付けられるのは嫌なのよ。
良いからこれを持って、構えて!! ドラゴンの方に向けるようにね」
「な、何だ」
言われるがままに【勇者】がカードを構える。
「魔法って言うのは、ただ呪文を唱えれば発動するって代物じゃないの。
その人に魔法を使うだけの資質が備わってなければ、それはただの言葉でしかない。
資質。それは、その身体に流れている血の事よ。私がここで呪文を唱えても意味がないの。
魔法の力は、貴方の中に流れているんだから」
「俺の……」
【魔女】の勢いに飲まれる格好になった【勇者】は、既にされるがまま。
頬に付いた血を指で掬ってカードに擦りつけている様を、ただ呆然と眺めていた。
「だから貸してあげる。私の力。良い。私の言葉を繰り返して言うのよ。
“ポウボア デラ フレイム”」
「ポ、ポウ……」
「もっと大きな声で!! そんなんじゃ蚊だって相手に出来ないわよ」
【勇者】の背後で肩に手を掛けて立つ。上手く魔法が発動されるかは、賭けでしかない。
資質はあっても身体の入れ替わった【勇者】は、一度も魔法を使った事がないのだ。
成功する確率は殆どないに等しい。けれどここで発動しなければ、もはや二人に勝ち目は
ない。ここはやるしかないのだ。
「判ってるよ。この魔法、また変な入れ替えとかないよな。今度はドラゴンになる
なんてゴメンだぞ!!」
「私はやる時はやる女よ。任せといて。さぁ、もう一度行くわよ。
“ポウボア デラ フレイム。パライズ アイシット アバレトゥ。ペイズ アン
レパス デラ・アラーム。アン ディアブル”」
「それ何語だよ!!」
「四の五の言わない!! ほら、ちゃんと紋章を構えて。それともここで、ドラゴンに
焼き殺されたいの!!」
何度も火を吹いているドラゴン。今も口から炎を見えている。
【魔女】の言葉に、【勇者】も真剣な表情を浮かべてカードを持ち直す。
目を瞑って大きく息を吐き出すと、力強い眼差しを開けた。
「“ポウボア デラ フレイム”」
「炎の力よ。ここに現れ、全てを飲み込め。大地より目覚めし、魔を払え!!」
【勇者】が口にする呪文と、【魔女】の言葉が重なる。
その時、【勇者】の持つカードが輝きだした。そして、ドラゴンの周囲に炎の壁が出来る。
口から火を吐くドラゴン。ドラゴンの周りを囲む炎の壁。
この二つの熱気で、人間の方がやられそうだった。
「おい!! 火を吐く奴を相手に、炎を打つけてどうするんだ!!」
「仕方ないでしょ。この紋章しか持ってなかったんだから。それに、この魔法は
火属性だけじゃないのよ。見てらっしゃい」
その言葉通り、地面がガタガタと揺れ始める。ドラゴンが歩く振動よりも、その揺れは
激しかった。
「さぁ、全てを飲み込むが良いわ!!」
【魔女】の宣言通り、ドラゴンが立つ地面が割れていく。先程の火柱の勢いも増し始めた。
地割れの間から炎が噴き出している。
「地属性でもあったのか。おい、こっちまで割れてきたぞ。俺達は大丈夫なのか?」
「すぐに収まるわ。そんなに効力は続かないもの。だから、その間にあのドラゴンを
地割れの底へ沈めないと。このままにしておいたら、いずれ麓の国へ降りて悪さを
始めちゃうわよ」
地面の裂け目が広がるのを心配する【勇者】に、落ちていた剣を拾って【魔女】が言う。
剣を【勇者】に手渡そうとしても、受け取ろうとはしなかった。
「それなら、今度は貴女の番だ。魔女が血の力で魔法を使うなら、勇者の力はその身体
そのもの。戦いの記憶は、全てその身体が覚えている。さぁ、ドラゴンを倒すんだ」
「え~っ!!」
背中を押されて、【魔女】はドラゴンの前へと押し出される。
ドラゴンの大きな目がギョロリと【魔女】を睨め回す。
「ど、どうなっても知らないんだからね~」
目を瞑ったまま、剣を闇雲に振り回すと、ドラゴンに突進して行った。
「おい、目を開けろ!! 死にたいのか」
「知らないわよ、そんなの。こんな怖い顔、まともに見られる訳ないでしょ!!
飛竜の方がよっぽど可愛いんだら。きゃぁぁ」
飛竜と比べられた事に憤慨したのか、腕で【魔女】の身体を弾こうとする。
それを悲鳴を上げながら、ヒラリと交わした。【勇者】の言葉通り、戦う為の術は既に
体得している。敵から受ける攻撃に対して、意識しなくても身体が勝手に動いていく。
ちょこまかと動く【魔女】にイライラしだしたドラゴンは、一口で飲み込んでしまおうと
あんぐりと口を開けて【魔女】に迫った。
「もぉ、勘弁してよぉ」
近付いてくるドラゴンの顔目掛けて、剣を思い切り叩き付ける。
スパっという切れ味の良い音と共に、ポトンっとその場に髭が落ちた。
「あっ、ごめん」
足物に落ちている髭を眺めて、【魔女】は場違いな謝罪を口にする。
「…………」
慌ててドラゴンの方へと向き直ると、フラフラと頭を左右に振るドラゴンの姿が目に
留まった。龍の髭はバランスを整える大事な役目をしている。
その片方が切られた事で、目を回してしまったらしい。
「うわぁ、危ない!! 逃げろ!!」
大きな身体が前後左右に揺れだして、【魔女】が立っている場所に倒れてくる。
【勇者】の声がする方へと慌てて駈け出した。
「……落ちた」
【勇者】の処まで何とか辿り着くと、気の抜けた声が聞こえてくる。
その声に従って、自分の方へと倒れてきた筈のドラゴンを振り返ってみると、
バランスを崩して倒れていくドラゴンが、地面に開いた亀裂の中へと落ちて行く。
*****
亀裂の中を覗き込んでも、ドラゴンが這い上がって来る気配はない。
これでもう、この山でドラゴンが暴れる事はなくなった。
周囲に出来た地面の裂け目も、徐々に閉じ始めている。
炎の壁もなくなり、魔法の効力も消えていた。
「漸く終わったんだな」
【勇者】が深い溜め息を吐き出しながら言う。
「これで本当に終わったのよね」
【魔女】も初めての戦いに疲れ果てながらシミジミと言う。
「それなら俺の役目は終わりだ。山を降りて帰ろう」
身支度をすると、【勇者】は麓を目指して歩き始めた。
その背中に、【魔女】が冷たい声で語り掛ける。
「何処へ?」
「何処って王様の処だよ。お姫様はここには居ないんだし、飛竜に罪はないんだろ。
真相を説明して、こんな飛竜退治は終わりにしてもらうんだ」
【魔女】の方を振り返ると、当然だと言わんばかりに言い返す。
そんな【勇者】の反応にも、【魔女】は冷たい視線を向けたままでいる。
「それはムリね。どうせ山を降りても、貴方は麓の村にすら入れないわよ」
「どうして? 俺は麓の村を通ってこの山に入ったんだ。来られたのに、行けないなんて
ある訳ないだろう」
【魔女】の言い分が解せなくて、これ以上の口論は無駄だと、また歩き出した。
「だって今の貴方は、飛竜退治に赴いた勇者じゃないのよ。今の貴方は、国を追放された
危険な魔女。その魔女の姿をした貴方を、村人達がそのまま受け入れると思っているの」
「あっ!!」
【魔女】の言葉にパッと振り返る。冷たい視線と打つかった。
マジマジとその姿を眺め回す。それは正しく己の姿。
そして自分の身体を確認すると、しっかりと魔女の姿をしていた。
「おい、何をやらかした!!」
「いやぁねぇ、何もしないわよ」
「何もしなくて追放される訳ないだろう!!」
自分の置かれた立場を思い出し、【勇者】は【魔女】に詰め寄った。
初めは白を切っていた【魔女】も、【勇者】の勢いに飲まれて真実を口にするしか
ないと諦めた。
「だから、ちょっと魔法で失敗しちゃったのよ。国王の生誕祭で盛大に花火を打ち上げる
事になってね。ほら、見たでしょ、先刻の魔法。あんな感じで、派手にバーっと披露する
筈だったんだけど。何故か城が爆発しちゃて……。式典の目玉だった国王の銅像まで、
空に上がっちゃったのよね。あはは」
乾いた笑いも、【勇者】の白けた眼差しの前では、何の効果もなかった。
「それで追放された後、ずっとこの山に身を隠していたって訳か。ご苦労な事だな。
ん? もしかして態となのか? この入れ替えの魔法は。身体ごと別人になりすまして、
山を降りる算段だったんじゃないだろうな!!」
「そんな事する訳ないじゃない。これは偶然よ。どうせやるんだったら、
もっとイケメンを相手にするわ」
「放っとけ!! 先達は誰も貴女の言葉には、耳を貸さなかっただけだろう。
たまたま引っ掛かった俺を、良いカモだと思って……。くそぉっ!!」
魔女の口車に乗って簡単に引っ掛かってしまった自分が情けなくなり、【勇者】は
肩を怒らせて歩き出した。
「ちょ、ちょっと、何処へ行くのよ」
「王様の処だ!! この龍の髭を持って行って説明すれば、ちゃんと判って貰える。
何て言ったって、龍の髭は俺のラッキーアイテムだからな」
手にした髭を掲げてみせると、二度と魔女の言葉になど耳を貸すものかと、
心の中で誓う。けれど、その誓いはあっさりと破られてしまった。
「判ったわよ。なら私も、この姿で貴方の家へ帰ってやるわ。お父様もお母様も、
さぞ嘆く事でしょうね。大事な息子が、こんなオカマみたいになっちゃったなんて」
態とシナを作って、女性らしい言い回しを強調する。
「うわっ、よせ!! 母さまは心臓が弱いんだ。そんな姿を見せられたら、寝込んで
しまう。(ドドドドド)父様にも、立派な勇者になって帰ると(ドドド)約束してるんだ。
それだけは止めてくれ(ドドドドド)」
嘆く【勇者】の言葉に、何やら異音が混じっている。
「じゃあ、貴方も(ドドドドド)……これ、何の音?」
「さぁ?」
何処か遠くから、ドドドドドという音が聞こえてくる。心なしか地面も揺れている気が
する。心当たりがない二人は、顔を見合わせて首を傾げた。
その時、ドッカーン!! っと空高く火柱が上がった。一面の空を赤が覆う。
「うわぁ、山が噴火したぁ!!」
「この山、いつから活火山になったのぉ?」
火柱がそのまま溶岩になって、山を下ってくる。二人が立つ場所からも、その赤々と
燃える塊が流れてくるのがはっきりと判った。
「溶岩に飲み込まれる前に、ここから逃げるぞ」
「ちょっと待ってよぉ」
二人はまた勢い良く駈け出していく。今度は頂上とは反対方向へ。
「先刻の魔法、やっぱり失敗だったんじゃないか!!」
「だから、私の所為じゃないって言ってるでしょ。あれは貴方が掛けた魔法なんだから」
走りながら言い合いをする声が、何処までも何処までも反響の様に続いていた。
二人にかけられた魔法は、果たして解けたのでしょうか。それは誰も知りません。
物語の続きが紡がれたかどうかは、わたしの語りとあなたの想像次第なのですから。
完(2012.03.21)