ここにいる
鏡の中に居るのは綺麗に着飾った、何処から見ても女性の姿。
色素の薄い素肌を誤魔化す様に、明るめの色が映えたチークと口紅。
ピンで簡単に留められるウイッグを付ければ、巻き髪の長髪も思いのまま。
軽く髪を整えて馴染ませると、手にした櫛を鏡台の上に置く。
「姉さん。ボクはちゃんと、ここに居るよね?」
鏡の中の姉さんに語り掛けると、いつもの優しい微笑みが返って来る。
『旧家とは為来たりと世間体を守る事で出来ている』
ボクは物心付く頃からそれを知っていた。
だってボクは、世間体という名の殻の中に、長い間閉じ込められていたのだから。
殻が厚くて誰もボクという存在に気付かない。初めからボクなど存在していないかの様に。
ただ“そこにある”というだけで生かされ続けていたボク。
その殻を最初に破ってくれたのが姉さんだった。
頭脳明晰。品行方正。容姿端麗。完全無欠。
最後のは少し違う気がするけれど、旧家の令嬢に相応しい四字熟語を、己の為にある
言葉だと言わしめた程の女性。それがボクの姉さん。
誰もボクに見向きもしない家の中で、最初に手を差し延べてくれたのが姉さんだ。
出来損ないのこのボクを、両親にすら見えていなかったボクの姿を、姉さんの瞳にだけは
ちゃんと映っていたんだ。
そしてボクは、彼女の傍に居る事で、漸く存在を認められた。
『ねぇ、貴方は誰?』
鏡の中の姉さんが、ボクに問い掛ける。
「ボクは貴女だよ。姉さん」
答える声が少し震える。
ボクはまた、存在を失った。
姉さんがこの世界から消えてしまったから。ボクもまたいなくなってしまった。
……それは少し違うね。
姉さんが消えても、今でもボクの器は残されたままなのだから。
誰もがみんな、ボクの中にある姉さんの面影を見ている。
あの人達に必要なのは、ボク自身じゃない。ボクの器だけ。
綺麗に着飾って彼女の振りをする。ただそれだけで良い。
中身なんてなくても同じ。
こうしてボクは、器だけのボクを手に入れた。
『ならアタシは誰? 鏡に映る貴方は誰?』
「貴女は姉さんだ!! 鏡に映ってるのは姉さんなんだよ!!」
震える声が大きくなる。
『嘘よ。だってこの姿をしたアタシは、存在しないもの』
「煩い!! 黙れ!!」
鏡の中で薄く嗤う女の顔を、傍にあった口紅で塗り潰す。
姉さんがこの世を去った年齡を、ボクは超えてしまった。
ずっと姉さんの面影を追いかけていたのは、彼女の死を嘆き悲しんでいた
両親なんかじゃない。ボク自身だ。
ボクはまだここに存在していたい。
ここで消えてなくなるのは嫌なんだ。
あと少しだけで良いから、それを許していて。
お願いだよ、姉さん。
完(2012.01.29)
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バトンの罰ゲームとしていただいた『手持ちキャラが異性だったら』という
テーマで書きました。
またもや違う結果になってしまいましたが、どうかお許しを。m(__)m