第5話 カウンセリング
「家族の心をケアするサービスがあります。一番最初は、30分で10,000円ですが、次回からは、30分5,000円でプロが相談に乗ります。受けてみられませんか。地中海姫を開けてみて下さい。<ご家族の心のケア>の項をタッチしていただけますか? そう、それです。臨床心理士が3名いると思いますが、それぞれのスケジュール表を見てみてください」
私は、涙を拭きながら、地中海姫を操作した。
田中、竹、新島。それぞれの顔写真をタッチすると、自己紹介と簡単なプロフィールが出てきた。さらに、スケジュールの欄をタッチする。
石黒コーディネーターが初めて笑った。
「ちょっとソレ貸してください」
ピッピッピッと画面をタッチして、私に向かって言った。
「新島心理士に予約を入れましょうか。空いてるみたいですから。彼女に相談した後で、心が落ち着いてからお返事を下さい。くれぐれも無理をなさらないように」
そういうわけで、私は、臨床心理士のカウンセリングを受けることになった。
親しい身内に突然のことが起きると、パニックに陥る方は少なくないそうだ。そう聞くと、ちょっとほっとする。
カウンセリングを受けるに当たって、簡単な心理テストが施された。それをもとに、色々な話をした。新島心理士には、人をふわりと包み込むような優しい雰囲気があった。時間はあっという間にすぎて、結局、1時間近くが経過した。
カウンセリングを受けてはっきりわかったことが一つだけある。それは、私の今一番の問題が、母が倒れたことでショックを受けている、というレベルなんかじゃないということだ。新島心理士は丁寧に私の心のケアに当たってくれたが、私は、途中から時計ばかりが気になっていた。30分を超えれば料金が15,000円に跳ね上がるからだ。
私の今一番の問題は「金銭面の問題」に他ならなかった。そんな簡単なことを理解するために、私はわざわざ15,000円もの余計なお金を使ったのだ。自分で自分がおかしかった。
石黒コーディネーターが言った通り、金銭面の相談はクラークにすべきなのだ。彼は、私が取り乱して普通じゃなかったからカウンセリングを勧めた。それは感謝すべきことなのだろうが、結果的には何も役に立たなかった。私は、そのままコンシェルジュへ行くことにした。答えを見つけるために。
エレベーターホールから目的の場所へ向かう途中、私は、どこかで見たことのある女性とすれ違った。大きなサングラスと帽子で顔半分が隠れており始めはよくわからなかった。通り過ぎたとき、ほのかにいい香りがした。長い脚、普通ならとてもじゃないが着こなすのが難しい斬新なデザインの服がしっとり身体に合っている。
ああ、そうだ。女優の橘 美理だ。今注目を集めている……。やっとその名前が出た時、あわてて振り返ったが、彼女の姿はもう小さくなって沢山の人影に隠れてしまっていた。
そうだ。地中海病院は、そういう病院なのだ。
コンシェルジュで私は高尾さんを呼び出してもらった。
彼女は、相変わらず、お人形さんの美しさで完璧なスマイルを作って私を迎えてくれた。
そして、また12番ブースで二人きりで話をした。
「実は、延命処置をお願いするかどうかで、私、とても迷っています。保険に入っていないので、支払いが可能なのかどうかが心配で」
なるべく事務的に直裁に切り出した。こんなことは、はっきり喋った方がいいのだ。余計なことをぐちゃぐちゃ考えるから、おかしな事になるのである。そういう点ではカウンセリングが役に立ったのかもしれなかった。カウンセリングそのものがではなくて、ワンクッション置いた、という意味で。
高尾さんは、何の戸惑いもなく、流れるように答える。
「ええ。ご相談の内容はよくわかりました。まず、日野房子様のご病状を考えた上で、考えられるコース一つ一つについて一緒に見ていきましょうか」
なるほど。大雑把に、どうしよう、と思うからいけないのだ。一つ一つ分析していけばいいのか。それにしても、どんな質問、どんな相談にも澱みなく答えられるように徹底して教育されているのだろうなあ。感心するばかりだ。
高尾さんは、下を向いたかと思うと、パンフレットとバインダーを取り出して、テーブルの上に置いた。
「その前に、お支払いにつきまして、もう一度詳しくご説明をさせて頂きますね。まず、最初にも述べましたように、お支払いは10日締めで月末に請求書が行きます。」
そう言って、綺麗な指先を、パンフレットの支払い説明図の上に置いた。その爪は桜貝色のマニキュアが完璧な美しさで光っていて、その上に目立たない程度の小さな花びらがネイルアートとして施されていた。私の目を見て、私が理解したことを確認すると、噛み砕くように再び口を開いた。
「先ほどはお時間の関係で説明いたしませんでしたが、実は、毎日の会計を地中海姫で確認することができます。会計事務の処理に、ある程度お時間がかかりますので、実際にご確認頂けるのは2日後になりますが、ご心配であれば、毎日でも地中海姫で2日前までのお支払い金額を確かめることができるわけです。そして、実際のお支払い、すなわちカードからのお引き落としは、2ヵ月後になりますので、請求書が届いてからお支払いまでに時間的猶予がございます。それはよろしいでしょうか?」
高尾さんのその説明を聞いて、私は両肩に乗っていた重荷がすーっと消えていく感じがした。
私は、自宅で確認した母さんの通帳を思い出していた。すぐにだったら払えなくても、いざ、という時には、母さんの通帳からお金を引き出して私の通帳に移す時間的余裕があるわけだ。普通預金は240万円だったから、それは問題なくすぐに移せるだろう。そして、定期預金には650万円が入っている。もしも240万円で足りない場合は、一部そちらから持ち出すことも可能だ。解約手続きがどうだかよくわからないが、まあ、時間があれば、解約だってそんなに難しいことはないだろう。
私は、今まで随分取り越し苦労をしてきたのではないか、と、自分のこれまでのうろたえぶりがおかしくさえ感じてきた。
私の表情を確認して、再び高尾さんは続けた。
「さきほど、日野様は、一括払いでのお支払いで契約をなさいました。あの時にも説明いたしましたが、分割払いにする、という方法もございますし、当月は本日一日分だけのご請求ということになりますから、来月分から分割払いに変更することも可能です」
私は、母が倒れたことで動転していて、それに、契約書があまりにも多かったので、それに圧倒されて、頭も充分に回っていなかった。そうだ。そういう説明を確かに聞いた。何も結論を急がなくてもいいわけだ。
「分割は、2回払いから、かなり沢山のコースを準備しています。そうですね、よく利用されるのは、3年ぐらい、すなわち36回払いのコースでしょうか。皆様、一度に支払うことが充分にできる方でも、やはり、ある程度の余裕を持っておられたいという方が多くていらっしゃいまして、分割払いになさる方は多いですね」
さらに、ニッコリ笑いながらこう付け加えた。
「芸能人の方々も分割払いが当たり前なんですよ。一回払いができる方々ですのに、考えるのが面倒なんでしょうかね」
いかにもおかしそうに高尾さんがふふっと笑った。
そうだよね。芸能人はどうでもいいとして、費用についての問題を抱えているのは、何も私一人に限ったことではないはずだ。そうして、みんな、こうやってクラークに相談に来るのだろう。分割払いにすれば、受けたい治療を諦めなくても済む。
私は、地中海病院が一流であるわけが何となくわかった気がした。患者や患者家族のことをきめ細かく考えてくれているのだ。選択肢がそれだけ沢山、私たちのために用意されている。
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