最終話 死に要した費用
母さんは、2ヶ月ちょっとという長期間に渡って、地中海病院のICUのベッドを一つ占領し続けた。流石に、本当に心臓が止まった時には涙が出たが、やっと終わった、という気持ちの方が大きく私を支配していた。
2ヶ月と4日間で、入院治療費は総額3200万円余りになった。初回に支払ったのが596万円で、残りが約2620万円。これを35年間の420回払いで支払うことになっている。一回の支払額は約37万2千円。つまり、私はこれから35年間、毎月37万円をエース金融に支払わなくてはならない。とんでもない数字だ。35年が最長であるため、最初に私が申し出ていた20万円の限度額を大幅に超えた金額になった。私がこれからエース金融に支払うことになる総額を単純に計算すると、1億5624万円になる。つまり利息が1億3千万円以上である。これがローンの恐ろしさだ。叔父は丁寧に金利の仕組みを説明してくれた。
病院へは、叔父が交渉に当たってくれた。母さんは掛け捨ての死亡保険に二つ加入していた。そのお金が、500万円と1000万円おりる。そのお金と母さんの普通預金240万円を足して、1740万円。残りの800万円余りを叔父が何とか工面するというのだ。
高尾さんは、最初、一旦組んだローンを解約することはできない、の一点張りだった。しかし、叔父は粘り強く交渉を続けた。弁護士を立てることまで考えていたようで、最終的に手数料の5万円を支払うことで、一括払いに変更できた。叔父と話をしている時の高尾さんのきつい目、きつい口調は当分忘れることができないだろう。
叔父がいなかったら、どうなったことか、考えるだけどぞっとする。自宅が母さん名義の持ち家であったことから、高尾さんから、自宅の権利書を持ってきてくれ、とまで言われていたのだ。ローンが支払えなくなった時点で、住み慣れた自宅まで取り上げられるところだった。
母さんは、脳出血で旅立った。
私がその事実を受け入れるのに要した費用は3200万円。下手したら1億5千万円以上になったかもしれない。
母さんの四十九日、叔父がお参りに来てくれた。
あまりにも高すぎた母さんの死に要した費用。叔父に話すと叔父の意見はこうだった。
「もしも公立病院に運んでもらっていたら、沙希ちゃんのことだから、後悔したんじゃないかな。これで良かったんだよ。かなり高くついたけどね。ボクが倒れたら間違っても民間病院に運ばないように家族には念を押したよ」と、笑いながら言った。
母さんが逝ってから、私は翻訳の仕事を辞めた。信頼を失い仕事量が減ったことが大きな理由だったが、母さんがいなくなってしまった今、無理して在宅で仕事を続けていく必要もなくなったことも理由の一つだった。
運良く、英語の塾講師として採用された。叔父が工面してくれた800万円を少しずつ返すつもりでいる。300万円は叔父の預金から支払われた。残りの500万円は年利2.7%で銀行から借りたそうだ。叔父は、「500万円分をゆっくり払ってくれたらそれでいいよ」と言ってくれたが、時間をかけてでも800万円を返すつもりだ。
地中海病院は、私にとって忘れたくても忘れられない病院になった。二度とお世話になることはないだろう。最後の交渉に叔父と足を運んでから一度も行っていない。思い出したくもなかった。
半年ほど経って、ようやく心の傷が癒え始めた頃、私は、地中海病院のホームページを開いてみた。懐かしい名前がそこには沢山あった。ICUの看護師さんや新島臨床心理士、それに、あの憎たらしい高尾さんも。けれども、どんなに探してみても石黒さんの名前を見つけることができなかった。それは、私の中に一筋の黒い影を落とした。
病院に電話をかけてみた。コーディネーターの石黒さんをお願いします、としれっと喋ると、4ヶ月前に退職しました、とだけ返事が返ってきた。どこへ行かれたのですか、と尋ねても、それ以上はお答えできません、と冷たい返事だった。
私は、静かに受話器を置いた。
---完---
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