第15話 経営のプロ
地中海病院の医療費がずば抜けて高いことについて、意外な理由が書かれていた。それは訴訟対策。病院2系統性法案が採用されてから、医療訴訟は圧倒的に民間病院相手のものが増えたのだそうだ。弁護士が公立病院相手の医療訴訟を敬遠しているという。
医療訴訟は専門の知識が要求される。手間がかかる上に公立病院に向かっていっても勝訴率が低い。それは、裁判では公立病院の多忙さがかなり考慮されること、やれる医療内容に極端な制限があることが原因だそうだ。そして、何と言っても、原告側の支払能力が低いことが弁護士が訴訟を引き受けたがらない大きな理由になっていた。
一方、民間病院相手の訴訟だと、多額の損害賠償額を請求することができ、その分、弁護士への報酬額も大きくなる。また、医療内容も高度な内容が多いため、思わぬ事故や合併症の発生も多くなる。患者側の期待も大きいため、一旦こじれると難しくなるケースが多いと言う。
訴訟対策は、予防策が大事と理事長は力説している。見舞いに来ない家族ほど訴訟を起こす傾向が強いため、すべてを記録として残すのが有効なのだそうだ。
「見舞いに来たこと」を証明するのは簡単だが、「来なかったこと」を証明するのは難しい。すべてを記録することで初めて可能になるのだ。家族が「見舞いに来たかどうか」は本来、判決とは関係ないと思うのだが、微妙な所で裁判官、裁判員の心象に影響を与えるのと患者からの提訴そのものを諦めさせる手段にもなると言う。病院側に有利な形で和解に持ち込む。
『本来は、患者様やご家族の方の安全をお守りするために取った万全のセキュリティ対策でしたが、副次的に訴訟対策になるというメリットもありました』と述べているが、どちらが主目的か、この理事長の言葉をそのまま信じる気にはなれない。
さらに、経営状況に言及していた。
『この数年で非常に高い利益率を上げられるようになりました。株主の皆様にも安心していただけると思います』
そのページには、地中海病院とKP保険会社の経済状態を示すグラフやら表やらがたくさん載っていた。
私は理事長の経歴が気になった。ページをめくって左上の青い枠内の紹介を見ると、KP保険会社で長年営業部長を務め、地中海病院理事長に就任する前は、半年ほどKP保険会社の代表取締役社長補佐だったことがわかる。
『最高の医療、最高のサービスを患者様とご家族の皆様へ提供するために』という副題からイメージしていた内容とはかけ離れたことばかりが書かれていた。全てお金の話ではないか。経営の本だから当たり前なのかもしれない。だけど、私としては、もう少し患者や患者家族のことを述べてほしかった。
こんな雑誌、読まなければよかった。
私が病院に支払うお金のうち、純粋に医療に使われるのはどれだけなのだろう。訴訟対策に莫大な費用がかかるという話と株主への配当金の話を読んで、私は気分が悪くなった。それは私の中に病院に『搾取されている』という気持ちが発生したからに他ならなかった。一体、この病院は誰の方を向いているのだろうか。
そして、私の気持ちを理解してくれていると思っていた高尾さんに対しても、何とも言えないイヤな感情が沸き起こってきた。
彼女は、徹底した教育を受けている。どこまでなら私からお金が取れるかを値踏みしていたのだろうか。
人工呼吸器をつけるかどうかの選択を迫られ、私が悩んでいた時、石黒さんが、直接高尾さんに相談するようにではなく、わざわざカウンセリングを勧めた本当の理由は何だったのだろう。私は、自分の洞察力が足りなかったのではないかと思い始めていた。あの時私は一体、誰のアドバイスを聞くべきだったのか……。
契約書を提出した時の石黒さんの困惑した表情、それを提出しているにも関わらず、実際に装着が必要になった時に、わざわざ”姫”と電話の両方で再確認の連絡を入れてくれたこと、そういう場面が次々に私の中に蘇ってきた。石黒さんは最後の最後まで私に何らかのメッセージを送っていた……。
言葉は悪いが、私は高尾さんに「はめられた」のだろうか。彼女に対して不信感が募ってきたが、しかし、どの場面を取っても、何一つ反論することができないことを思い知る。
例えば、高尾さんならどうするかという私の質問に対する答えも、曖昧なものだった。それは、決して誠実な答えなんかじゃなく、「私ならつけてもらう」と断定しないことが彼女の逃げ道を確保していたのだ。
これまでの高尾さんとのやり取りを色々思い出してみたが、文句の言い様がない。私は愕然とした。
私がもしも地中海病院の経営方針を前もって知っていたとしたら、果たして母の延命処置を拒否しただろうか。
しばらく考えてみたが、答えが出てこない。
公立病院の酷い噂はよく耳にする。あんなの医療ではない、という声も聞く。極端な医療制限が医療の幅を狭くしている上、診察まで延々と待たされるのでその間に結論が出てしまう。つまり、公立病院は、病院側が患者の命の糸にハサミを入れる。しかし、民間病院の場合、患者家族にハサミが渡される。ハサミを使うかどうかは、家族の懐次第というわけだ。
私はインターネットで検索をかけてみた。地中海病院と経営を掛け合わせてみると……
沢山の検索結果がひっかかってきた。私は、それらの内容を一つずつ開けてみて、私の知らない情報がないかを探した。”経営のプロ 10月号”に関するものも複数個混じっていた。
日本国内だけでなく、海外も含めて探してみた。
"The Mediterranean Hospital" "Japan" "Finance" "Business" "Management" 思いつく単語を掛け合わせて片っ端から検索をかける。
私は気になるサイトを広げては夢中になって読みまくった。
沢山の情報があった。ネットの中の情報であるからウソとマコトが入り乱れているに違いなかったが、それでも有用な物が沢山あった。
そうして得られた結論はこうだ。地中海病院は私や母には身分不相応だったということ。実に簡単な結論だ。
最低限の医療は公立病院が保障しているのだから(ホントか?)、国は責任を果たしている。地中海病院は、より充実したサービスを望んでいる人向けの医療であって、金のない者が来る所ではない。治療費が高いというハードルがあるからこそ、限られた人たちへ満足いくサービスを提供することが可能である。
時々、KP保険に加入していない人間が間違って受診することがあるが、何を考えているのか理解に苦しむ、という主旨の書き込みがあって、その言葉はひどく私を傷つけた。自己責任、という言葉も多く見られた。
地中海病院の報酬制度には成果主義が導入されている、ということも新たな情報だった。特に事務職には細かい規定が設けてあるという。事務職の成果主義? どういうことだ? たくさんのサービスを押し付けるほど給料が上る、というわけか? 冗談にもほどがある。
英語で検索した物の中に、保険会社が病院を経営する上で、地中海病院を参考にするといい、という主旨の物があった。日本の医療界はまだまだ魅力的なマーケットである。海外と比べて専門職の労働賃金が低いので、病院としては、より高い収益を上げることができる。また、医師や看護師は、労働力であると同時に、医療事故の損害賠償保険に加入してもらう大切な顧客でもある。仕事ぶりや評判を全て把握できるので、保険会社としては安心でもある。
二つの病院の収益率を比較するグラフがあった。同じ規模の病院で、地中海病院と海外の病院の比較だった。
もういい。充分だ。
医療を仁術だなどと考えていた私がバカだった。医療は契約であり、商品である。地中海病院の理事長は、平然とそう語っていた。私の認識が甘かった。雑誌から得られた情報も、インターネットで探した情報も、ことごとく私の甘さを知らしめる内容ばかりだった。
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