2018年 地中海病院(14/21)PDFで表示縦書き表示RDF


2018年 地中海病院
作:GFJ



第14話 分割払い


 私は病院へ引き返すことにした。お金の目処が立たなければ、何も手につかない。
 途中、コーヒーショップのチェーン店『ベックスター』に寄った。カフェラテと焼きサンドを片手に窓際のバーを陣取る。遅い昼食を取りながら地中海姫を取り出してもう一度確認。2日目の金額を見ておきたかった。
 9月11日のお会計……320,576円
32万円か。今度は昨日ほどのショックはなかった。それでも、やっぱりため息が出た。
 一気に焼きサンドを食べて、私はベックスターを後にした。お金のことばかりを考えながら病院へ向かう。

 地中海病院の中央玄関からまっすぐコンシェルジュを目指した。
 高尾さんを呼び出してもらう。5分ほど待って、彼女は笑顔で姿を現した。
「相談があって来ました」
 私が告げると、高尾さんは軽く頭を下げて、私を12番ブースへ促した。

 ここへ来たのがずっと昔のような気がする。あれから、短期間のうちに状況が大きく変わった。
「どう、なさいましたか?」
 高尾さんは、両眉を上げて、心配そうに私を見る。
「母の定期預金をひき下ろすのに、入院証明書と意識がないことを証明する書類が必要です。それから、次回の支払い、分割でお願いしたいんですけど」
 高尾さんは、ニコニコしている。
「わかりました。診断書があればいいと思いますよ。コーディネーターに連絡しておきます。担当は石黒でしたね? 一通5000円になります」
 高尾さんは、テーブルの上にあるコンピュータのキーボードを素早く打つ。石黒さんに連絡を入れているみたいだった。
(また、お金が要るのか……)心の中で思ったが、なるべく顔に出さないように気をつけた。
「それでは、分割払いについて説明させて頂きますね」
 高尾さんは、母さんが入院したあの日と何一つ変わらず、澱みなく説明を続ける。私が動揺していようと、全く関係なく冷静な対応だ。所詮、他人なんだな、と冷めた感覚で彼女の話を聞く。
 分割払いというのは、早い話がローン、借金である。あまり気は進まなかったが、仕方がない。これから最終的に入院費用がどうなるのかわからない。色んな手立てを立てておきたかった。話を聞いているとローンは上手い仕組みになっていた。最初に何回払いかを決め、さらに毎月に支払える限度額を申告しておく。万一、入院が1ヶ月以上になって申告限度額を超えた場合には、支払い回数が自動的に長くなるというタイプのローンを勧められた。
 1ヶ月以上になった場合……という説明を聞いた時、私は何とも言えない複雑な思いがした。高尾さんの表情はまるで変わらない。淡々と流暢に言葉が流れていく。

 母さんの入院がどこまで続くのか、そのことを考える度に、私は苦しい思いに苛まれる。一日でも長く生きていてほしいと願う気持ちとは別に、私のどこかに、あまりそれが長くなると、支払額がどんどん大きくなってしまうことを心配している自分がいる。
 お金のことが心配になればなるほど、二つの気持ちの対立がより鮮明になって、私は酸素不足に陥る。お金と自分の親の命、二つの事象に挟まれてもがき苦しんでいる私の姿を見て、真っ黒な悪魔がニタニタ笑っている。意地悪な眼差しでじっと私を見ている。両手を振って悪魔を追い払う。

 ローンを組んだことで、私は何となくほっとしていた。とりあえず・・・・・当面は悩まなくて済む。逃げでしかないかもしれないが、それしか方法がなかった。
 ICUにちょっとだけ寄って母さんの姿を確認して、私は帰宅した。
 正直言って、母さんの顔をまともに見るのがつらかった。何だか後ろめたい気がしていた。話しかける言葉も見つからず、黙ったまま背を向けた。

 自宅に戻って、私はコンピュータの電源を入れた。今日初めて仕事に取り掛かるのだが、すでに、夕方の4時。あっという間に一日が過ぎていく。やりかけの翻訳ページを開いたが、それを見ながら、翻訳という仕事が何だか馬鹿馬鹿しく思えてくる。入院初日は横に置いておくにしても、一ヶ月必死になって稼ぐ給料が一日分の入院費用にも満たないのだ。母さんの入院が一日伸びる毎に、一ヶ月以上タダで働く計算になる。ローンだから利子を考えるとそれ以上か。私はイライラしていた。何に対してだろうか。時間がないこと? 仕事が進まないこと? 母さんの意識が戻らないこと? それとも、お金のこと? たぶん、全部ひっくるめて。どうして、あんな金額になるのか? おかしくて思わず笑いが出る。”姫”を見れば、答えが書いてある。何ページにも渡って記されている明細書が答えだ。

 気分が乗らず、私はサンダルを履いて外に出た。向かう先は近所の本屋。結構大きな本屋さんで重宝している。仕事の資料を探すこともあるし、疲れた時の気分転換にもなる。
 普段は通り過ぎるだけのコーナーで『経営のプロ 10月号』を探す。あった。それは、ジャージ姿の中年男性の目の前にあった。草履履きのそのおじさんに怪訝な顔をされたが、構わずに横から手を伸ばして「すみません」と断ってから雑誌を手に取る。最後の一冊だった。私は男性用雑誌とビジネス雑誌がごちゃごちゃに並ぶこのコーナーから早く立ち去りたかった。大急ぎで支払いを済ませて自宅に向かう。

 経営者向けの雑誌。患者を読者対象にした物とは一味違う。私が地中海病院で感じた違和感を説明してくれる内容がそこにはあった。 
 『継続的に質の高い医療サービスを提供しようと思っても、経済的基盤がしっかりしていないと無理なんですよ。医療従事者には残念ながらそこを理解していない者が多い。これはね、理解させようと努力するよりも、完全に切り離した方がいい。お客様の経済状況によってどこまでならサービスが可能なのかを見極めることが大切で、事務職員に、厳しく教育・訓練します。そして、医療スタッフには、許される範囲内、つまりベテランの事務が判断した範囲内で最大限の努力をしてもらうわけです。それを徹底することが大切だと思っています』

 これだ。高尾さんと石黒さんの間にある溝のようなもの。事務と医療従事者が切り離されているのは、経営方針がそのまま反映されたものだったんだ。





次話は、6月2日(月)に更新予定です。











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