ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
ワープした思い
作者:ごま
1.
 記憶の中の事象を語る時、人はそれを語りやすいように変形する。そのために、他の人と共に経験した事象である場合には、それを語り合う中で齟齬をきたすことがありうる。
 我々においてはそれが顕著だ。
 我々、というのは高校の同級であった中田とのことである。こいつは過去の出来事をその頭にそのまま写生しているために、ぼくのお粗末な記憶とは多々において食い違いが生じ、それが口論の口火となることが少なくはない。そういった時に調停役を担うのが我らの共通の先輩である山田まやさんであった。
 先日もそうだった。ある結婚式にぼくは招待され、それが高校時代の縁であった故に、妙に着飾った中田と先輩の両名に出会う事となったのだった。そして、その場で当然の如く我々は新郎新婦の交際のきっかけとなった出来事について思い出し合い、つらつらと語り合った。そうして、やはりいつものようにその対話でぼくと中田はたびたび衝突した。そうではないやら、嘘をつけやら、子どもじみた口論の末に、例に違わず先輩のおかげで我らはその日の事をまざまざと思い出せることが出来た。
 これから記すのはそのことについてである。幸いなことに、その式場で新郎新婦の馴れ初めに関わった大部分の人々から証言を得ることが出来たため、ここに記載されることの妥当性はかなり高くなるだろう。それを示すために客観的な形式で事の顛末を記していくことにする。つまり、ここで一先ず『ぼく』は舞台裏に退く。今度でてくるのは、演劇がすべて終え、照明が落とされた後のことであろう。
 それでは、ごゆっくりと鑑賞して頂きたい。ハッピーエンドであることはすでに示されている。気を揉まずに眺めていられるだろう。ぼくはここから立ち去り、幕を開けに行く。

2.
 木々の葉が色を鮮やかに変えていく頃、都内の端に位置する高校の一教室の片隅で異変は起こった。もっとも、その異変に気がつけるのは独りの人間、その高校の女子生徒である、積木みつのみであったが。その時、積木は己の左胸を撫で回していた。そこにあるべきはずの感触を受け取るために、弄っていたのだ。積木は己の血の気がさぁっと引くのを感じた。右手で、ブレザーの内ポケットを探った。そこには何もなかった。仕舞っておいたはずの物もないのだ。その事実は積木を大いに動揺させた。落としたのだ、そうに違いない。積木はそう思い彼女の机のあたりをとりあえず見回した。その行動に焦りを見て取ったのだろう。右隣の机に座る山田まやは積木に声をかけた。
「みっちゃん、どうしたん?」積木は山田を見た。彼女たちはある同盟を結んでいた。そのために二人はクラスの中では仲の良いほうであった。山田になら、伝えてもいいだろう。積木はそう判断した。
「あのね、なくしちゃったの」それを聞いた山田は、またかと思う。積木はたびたび家の鍵などをなくしたりすることがあった。山田はそのたびに捜索へと駆り出されていたのだった。その上、積木の遺失物を見出すのはだいたい山田であった。声をかけたときには、なんとなく、また落し物でもしたのではないかと勘付いていた山田である。山田はとにもかくにも、忘れっぽい友人に目的語を問うた。
「何をなくしたのさ」少し呆れたような声色であった。積木は、少し言い淀んだ。それを言ってしまえば、始めから話さなくてはいけなかった。しかし、山田の積木に対する功労を思い出し、言うことにした。山田を手招きして、自分の方に近づけた。山田は素直に寄ってきた。そして、内緒話をするように、山田の形の良い小さな左耳に自分のくちびるを近づけ、ささやいた。
「恋文」
 途端、クラス担任が入室して、放課後へと至るホームルームの幕が開いた。積木はひとつため息をつき、机に突っ伏した。山田は二の句が継げなく、積木の黒く長い髪が掛かった可愛らしい形の右耳を呆然と眺めるだけで、その時間を過ごしたのだった。

3.
 放課後、黒瀬はバスケ部など運動部の部活動に向う級友たちと別れを告げ、己の部室へと独りで向かった。一年六組の教室から管理棟、特別教室棟を通り抜け、古ぼけた鉄筋構造の文化系部室棟へと入っていった。階段を上り最上階である二階に達した後、独房じみた扉をいくつか通り越し、正面から見てオカルト研究部の右隣、文芸部の左隣に位置するミステリー研究部の年季の入った木製扉の前に立つ。黒瀬はいつものように、気軽に扉を開けた。中には一人の女子生徒がすでにいた。同志である中田であった。彼女は俯き加減で机に座り、本を読んでいた。何かの全集であるようであった。その装丁の重々しさから窺えしえる。黒瀬はその様子を網膜に焼き付けながら、戸を静かに閉めた。様々なアングルから読書中の中田を鑑賞したいものだと思いながら、黒瀬は中田の隣にある机の側に荷を置いた。黒瀬は座らずに、茶を淹れる準備をするため、部屋の片隅に設置してある電気ポットへ向った。おそらくこの湯沸し機はあの奇矯な顧問の私物であろうと黒瀬は推測している。実際の所、どうなのかは不明であった。
「おい、茶いるか?」黒瀬は中田に向って問うた。中田は一つ頷き、
「いる」そうぼそっと言った。その返事に黒瀬は気を良くしつつ、茶の用意を開始した。入部当初からの営みであるために、黒瀬の行動には淀みがない。いかにして市販の煎茶を玉露なみの品質に高めるか、それが黒瀬にとってのこの部室における最大の課題であった。
 いくつもの工夫を越えて、茶が仕上がる。急須の茶を二つの湯飲みに分けて、一つを中田の机の上に置き、他方をもって黒瀬は己の机に座った。彼らは猫舌であるために、少しぬるくなっている。熱いというよりも温かい茶をちょびちょびと啜りつつ、黒瀬はまだ開かぬ扉を見ていた。
 一人、部員が少ないのだ。
 部長である山田の不在は黒瀬の心に暗雲をもたらせた。経験上、統計上、彼女が遅れてくるのは何か面倒な事を引き連れてくる可能性が大きかったからだ。不安を掻き消すように黒瀬は音を立てて茶を啜った。隣を見やれば、中田も茶を啜っていた。両手で湯飲みを抱いて、姿勢良く啜っていたのだった。黒瀬はその動作やら容やらに見惚れて、不躾なほどにまじまじと中田を見つめた。中田はそんな黒瀬を横目で睨む。黒瀬は取り繕うように、
「茶、おいしいか?」と聞く。中田はもう一度茶を口に含み、そうして湯飲みを机に置き、視線を本に向けてから、ようやく呟くように答えた。
「まぁ、おいしい」
「そうかぁ」黒瀬は茶を口に含めつつ、視界から中田を外した。以前の評価は普通、であったので一段階は上がったようであった。黒瀬は机に自分の湯飲みを置き、床に放ってある鞄から本を取り出し、読み始めた。こうして、彼らの穏やかな時間は三十分ほど作られた。安らかな空間は、やはり山田によって破られたのだった。

4.
 部室の扉は荒々しく開かれるためにあるのか。騒音を聞いて、黒瀬はそのように自問した。山田は戸を閉めず黒瀬の前まで直行し、彼のブレザーの右袖をくいくいと引っぱりつつ言った。
「ろっくん、ちょっと来てよ」黒瀬は左手で読んでいた文庫を机の上に置き、大儀そうに立ち上がった。
「中田は?」山田を見下ろすような体勢で黒瀬は聞いた。中田にも来て欲しい一心からであった。
「かなちゃんはお留守番」山田はそう答え黒瀬の右手を取り、すたすたと歩き出す。黒瀬が引力を受けつつ部屋の外へと足を踏み出し、戸の取っ手に左手をかけて山田からの張力を利用し、閉めつつあった時、中から割かし大きな声で、
「いってらっしゃい」と中田が言った。黒瀬はそれを聞いてなんとなく慰められもしたし、嘲られた気もしたのだった。
 山田は無言で部室棟を出て特別教室棟に入り、階段で二階まで上った。そうして、特別教室棟から管理棟への渡り廊下に至るまで黒瀬も無言を貫いたが、昇降口の前を過ぎた頃になって口を開いた。
「どこにいくんすか」
「マイクラス」教室棟の振り分けは一学年が一階、二学年が二階、三学年が三階というようになっているため、二学年である山田の教室は二階にあるのだ。山田のクラスは何組であったかなと黒瀬が思い出そうとしている間に、目的地へと着いた。三組であった。山田は臆面もなく左手で戸を横に滑らせて開けた。中には女子生徒が独りだけいた。積木みつであった。黒瀬はその見知らぬ上級生と思しき女性をまじまじと見た。佳人であった。大和撫子であった。眼は幽雅に細く、控えめな鼻、薄い唇はどことなく儚げで憂いに満ちているようであって、その肌は白磁のごとく、されど頬には淡く紅がともっており、その様はなんとも言えぬほど奥ゆかしく、黒瀬の琴線に触れた。肩の中ごろまで伸びる黒髪の艶やかさにも目が惹かれる。いかようにすれば、左様なほどまで黒々しくなり得るのか。黒瀬は驚嘆しつつそう思った。十分に鑑賞した後、黒瀬は山田を見て聞く。
「美人局ですか?」山田は無言で黒瀬の向う脛を思い切り蹴った。

5.
 山田が部活に遅れたのはホームルームの後に積木から事情を根掘り葉掘り聞いていたためであった。結果、積木が恋文を渡そうとしていたのはバスケ部の二年生、紀伊田大樹にであって、下校前に直接会おうとしていたのだということが判明した。靴箱にでも入れておけよと山田は思ったが、積木の場合違う人の所に入れる可能性が高いことに気がつき、直接手渡すというのは積木の行動としては妥当な方だなと評価した。
「それにしても、恋文とはなぁ。古風なこった」とすべてを聞いた山田は呟く。
「だって…、面で言うには恥ずかしいんだもん」積木は小さく答える。
「それもそうだけれど。で、どうすんのさ?」
「……一応、探してみる」そうして、恋文捜索の運びとなった。失せ物探しは人手が多い方がいい。しかし、積木の要望としては出来るだけ内密に事を進めたかった。少数精鋭ということで、山田の部下である黒瀬が選ばれたということである。中田も連れて来てよかったが、山田にとって中田は何か探し物をさせるような人物ではなかった。山田は中田をどちらかというと積木タイプだと見ていたのだ。すなわち、うっかり者の一員であると。
うっかり者代表である積木は、山田から所々端折られた事情を説明された黒瀬に、
「ごめんね、わざわざ」と申し訳なさそうに言った。
「いいえ、とんでもない」白い封筒に入った手紙を落としたらしいということしか理解していない黒瀬は、清々しく言う。黒瀬は美人に弱いのだった。この人のためなら、何としても見つけなくてはならぬと決心していた。黒瀬の捜索場所は特別教室棟となった。そこは、教室棟と管理棟と同じく三階建てで、無駄に広い美術教室、音楽教室などが設置されている。理科系の教室もそこにあった。一方、山田たちは教室棟を捜索範囲とした。制限時間は下校時刻三十分前、集合場所は管理棟二階の昇降口前とした。
「よ~し、絶対にぃ見つけるぞっ!」と解散直前に山田は叫んだ。
「おうっ!」と黒瀬も意気込む。積木はそんな二人を少し離れたところで物珍しそうに眺めていた。
 しかし、彼女たちの努力虚しく、恋文は見つからなかった。
 彼らは集合予定地に集まった。山田、積木両名の後に、黒瀬が来た。
「あった?」山田は一応黒瀬に聞いた。
「なかったです」と黒瀬は清々しく答える。積木は山田の隣で軽く項垂れていた。探せる場所はすべて探したのだ。ゴミ箱の中だって大体見た。それでもないのだ。もしかしたら、他人に持っていかれたのかも。積木はそう考えるとなんだかイヤな気分になった。その横で、
「う~む」と山田は唸る。「どこいっちゃったんだろう。みっちゃんが落としそうな所は全部見たし。ろっくんもちゃんと探したよね?」
「えぇ、くまなく。眼を皿にして探しましたよ」
「じゃあ、誰かが持って行っちゃったのかなぁ」
「恋のキューピットだと助かりますね」
「そうだわねぇ」山田は黒瀬の戯言を軽く聞き流しつつ、積木を見た。積木も山田を見て、言った。
「しょうがないよ。私がしっかり管理しなかったのがいけないの。もう、遅いし帰ろうか?」
「うん、まぁ、しょうがないよね」そう、山田は言う。それから積木は軽く微笑みながら、黒瀬を見て、
「今日は、本当にありがとう」と言い、頭を下げた。黒瀬は軽く慌てながら、
「いやいやいや、こちらこそ、本当にありがとうございました」と意味不明な受け答えをした。そんな黒瀬の様子をキモいなと思いながら見ていた山田は、
「じゃあ、帰ろうか」と言って、積木の右手を取りすたすたと教室の方に向った。積木はつんのめりつつ、黒瀬に手を軽く振って、言った。
「ばいばい」
「ういっす」と黒瀬は答え、遠ざかる大小の背中を少しだけ見送り、部室へと戻るため彼女たちとは反対方向に歩き出した。
 教室に入る直前、積木は呟いた。
「彼に、悪いことしちゃったなぁ」耳聡く聞いた山田は、
「大丈夫。あいつにはみっちゃんと会えたことが一番の報酬だから」とにっこりと笑いかける。その無邪気な笑顔を見ると積木は無条件にいつでも何度でも癒されるのだった。

6.
 黒瀬が部室に戻ると、中田はやはりまだ本を読んでいた。黒瀬は机にある自分の湯飲みを取り、電気ポットの元へと向った。急須に熱湯をそそぎ、出涸らしの茶を楽しむことにしたのだった。工夫も何も施さずに、少ししてから急須の熱い茶を湯飲みに淹れた。湯飲みの底を持って運び、机の上に置いてから中田の隣に座る。そうして、黒瀬は世間話をするように、対面の壁を眺めつつ、中田へ話し掛けた。
「なぁ、今日の二年三組の時間割知ってるか?」
「知らない」
「一限が数学。二限が国語。三、四限と続いて芸術。そして五限が体育。締めの六限に英語だったらしいぞ」
「へぇ」
「中田は芸術選択なんだったっけ?」
「美術」
「へぇ、同じだったか。じゃあ知ってるか。二年は今油絵やっているらしいぞ」
「知ってるよ」
「来年もやるのかな」
「やるんじゃないの」
「いろいろとめんどくさいよな、きっと」
「その分、得られるものは大きいのかも」
「まぁ、いいんだけど。それでな、積木みつさんという麗しいお方がな、恋文をなくしたらしいんだな」
「それを、山田先輩と探していたの?」中田は話の飛躍を感じつつも聞いた。しかし、黒瀬にとっては自然な流れであった。黒瀬もまた美術選択であり、彼は美術教室の黒板横に設置してある、各学年クラスの座席表を念頭に置き、話していたのだった。そこには中田と積木の接点が有ったのだ。つまり、そこには中田と積木の名が記されていた。黒瀬は中田がそれを覚えているはずだと考えていた。しかし、それは独りよがりであったようだ。
「あぁ。山田先輩たちは教室棟を。ぼくは管理棟から特別教室棟にいたるまで。でも、彼女たちは見つけられなかったらしい」黒瀬は己の誤解に気がつかない。
「へぇ。じゃあ、黒瀬君は見つけられたの?」中田はなんとなく違和感を抱きつつ会話を続ける。
「いや、ぼくは実のところ、探してもいないんだな」にやついたような声色で黒瀬は言う。
「どうして?」
「彼女たち、つまり先輩方々はな、二年三組だったんだ。積木さんが恋文を入れていたのはブレザーの内ポケットらしい。よほどな事がない限り落とすことはないだろうな。でも、落ちたんだ。よほどな事があったんだな。どういうことだと思う?」
「ブレザーを脱いだ時とか」
「そういうこと。その時、ブレザーを逆さに置いたとしたら、確実に落とすね。で、そういうことがあったのは、体育の時間だろう。一年と同じだろうから、体育は二クラス合同で、女子は若いクラスつまり三組で着替えるはずだ。だからな、二年三組に無いのなら誰かに盗られたか捨てられたかしたんだろうと思ってね」
「それで、探さなかったと」
「そういうこと」黒瀬はそう言って、湯飲みに手を伸ばした。表面温度は丁度良かった。それを握り、口元に持っていき、中の茶を啜った。液温も丁度良い塩梅であった。

7.
 黒瀬と中田が会話をしていた頃、男子バスケット部の練習は終わっていた。部員は上気した体で部に宛がわれている体育館内のロッカーロームへと入室していく。そうして、彼らは汗ばんだ体をスポーツタオルで拭いたり、制汗剤をふりかけ合ったり、パンツ一枚で談笑したり、わいやわいやと騒いだ。その中、九月から主将となった二年の紀伊田は、自分のロッカーの中に妙なものが入っているのを見つけた。白い手紙であった。中身は透けて見えなく、あて名も何も書かれていない無地の封筒はさすがに不気味であった。いたずらに違いない。そう思い、紀伊田は周りの者々に大声で聞いた。
「おい、これ誰のだ?」部屋は静まり返り部員全員が紀伊田を見、そしてその手にある封筒を見た。二年の副主将である吉田が代表して言う。
「お前のロッカーにあるんだったら、お前のだろ。この部屋、鍵してたし」この部屋、つまり彼らの部室は練習開始後、男子バスケ部唯一のマネージャーである二年女子の四久井によって施錠される。ゆえに、ロッカーに触れられるのはその持ち主でしかないだろう。
「いや、入れた覚えないんだけど」
「はぁ?じゃあ、他の奴がいれったってか?」
「だから、聞いてんだよ」吉田は他の部員を見回す。みな、首を横に振った。
「知らねぇよ。とりあえず、開けてみたらいいじゃねぇか」
「それもそうだな」紀伊田は吉田に言われたからという言い訳を頭に思い浮かべつつ、丁寧に封を切った。便箋を取り出し、紀伊田は読み始める。数十秒後、紀伊田はその動きを完全に止めた。吉田はその異変に気がつく。
「おい、どうした?」紀伊田は返事もくれない。他の部員たちは少しざわめいた。ラリったか、やべぇんじゃねぇのなどとかを口にする。吉田は紀伊田に近づき、その手紙を見た。そこには流麗な字で積木から紀伊田への愛の告白が記されていたのだった。吉田は紀伊田を見る。紀伊田も吉田を見た。二人とも、無様に口をあんぐりと開けていた。
「よっしゃあっ!!」何故か吉田が歓喜した。その意味不明さに他の部員もぞろぞろと紀伊田の元へ集まり、その手紙を見た。そのために、各々、おおっだとか、うそぉだとか、ちくしょうっだとか叫ぶことになった。紀伊田は夢見心地で手元からいつの間にか奪われていた手紙が回し読みされていくのを眺めていた。その肩を吉田が優しく叩いた。
「胴上げ、だな」吉田はそう言った。他の部員たち全員も大いに賛同し、結局、紀伊田は胴上げされる事となった。
「わっしょい、わっしゃい」元気な掛け声が狭いロッカールームにこだまし、紀伊田は幾たびか中に舞ったのだった。

8.
 その翌日のことである。放課後、部室で中田と黒瀬は事の顛末を山田から聞いた。積木と紀伊田は交際することになったのだ。
「へぇ、そいつは良かったですねぇ」山田の話を聞いて、黒瀬は気のない返事をする。中田は無論、反応せず。黒瀬の対面に座る山田は腑に落ちないといった表情をしている。黒瀬は、どうしたのかと問うた。
「だって、色々おかしいんだよ。みっちゃんの恋文が紀伊田くんのロッカーの中に入ってるなんて。みっちゃんも紀伊田くんも不思議がってたさ。バスケ部の部室は常に施錠しているし、鍵だって事務室にあって山本さんが完全に管理してる。その山本さんが言うにはこの二年間、四久井以外に鍵の受け渡しに来た人はいないって。変な話でしょ」首を少し傾げつつ、山田は言った。
「そうですね。確かに妙だ。もし、仮に積木先輩が嘘をついていたとしても、それが正しいとなれば、手紙を置くことは大体不可能となりますね」黒瀬は合いの手を入れる。
「うん。しかもね、みっちゃんの記憶によると恋文にあて名を書いていないかもって。そうなると、みっちゃんが落として誰かが拾っても紀伊田くん宛ての手紙だって分かるはずが無いの」
「もちろん、封は切られていなかったと」中田は無言である。
「そうなの。紀伊田くんに拠れば未開封であったらしいのよ。ますます、妙なのさ。恋文を届けるにしても、宛て名は書かれていないし、部室は施錠されてるし、そうなると、サンタさんでもないと無理」黒瀬は軽くその言葉に笑った。
「あぁ、でも練習中に行けば部室も開いているんじゃないですかね」
「ううん。四久井は練習前と練習後にだけ鍵を開けるらしいんだって。盗難防止のためね。練習前の時間は私とみっちゃんはずっと一緒にいたし、その後もずっと一緒だった。だから本当にみっちゃんが自分で届けることは不可能ね」
「そうなると、誰も届けられないということになりますね」
「えぇ、だからイヤな感じなの」
「ワープした思いって感じですね」黒瀬がにやけつつ言ったのを山田は確認してから、
「ぜんぜん、うまくもなんともないっ」と否定し、拒絶した。
そうして、部室内に沈黙がおりる。山田と黒瀬の視線は自然と中田の方へ向いた。中田はそれに気がついたのか、顔を上げ二人を見る。
「どうしました?」中田は聞く。
「いや、かなちゃんなんか無い?その、仮説とかさ」山田は微笑みかけて言う。中田は軽く口端を上げてから、答えた。
「一つ、質問いいですか?」
「なに?」
「四久井先輩は、何組ですか?」
「えっ、あいつ?四久井はまさしく、四組よ」
「そうですか。じゃあ、一つ仮説が出来ました」
「えぇっ!?」山田は驚き、口を開けた。黒瀬は軽く目を細め、先を促した。
「どういう仮説だ?」中田は黒瀬に軽く微笑み、言う。
「簡単なこと。四久井先輩が全てやった。それだけ」
「しかしな、四久井先輩は出来たのか?どこで、手紙を……。あぁ、そうか」
「なにさ?」山田は二人を交互に見て聞く。
「四久井先輩は、二年三組の教室で恋文を拾ったんです」中田は山田に説明する。
「いつ、拾ったの?」
「体育の前後、着替えるときにですよ。そのときに積木先輩は手紙を机の周りに落としたんです。気がつかなかったんでしょう。四久井先輩はそれを拾って、積木先輩の恋文だと分かったんです」それを聞いた山田は目を見開いた。
「そっかぁ。けどけど、四久井はどうして、紀伊田くんに届けられたの?」
「結果からみれば、なんらかの理由で積木先輩の思いを知っていたからではないかと思います」
「けどな、仲のいい先輩ですら昨日、積木先輩に言われてようやく気がついたんだ。積木先輩の思いはかなり秘めたものだったと思うぜ。仮に四久井先輩が大親友だとしてもだ、ああいうタイプのお方はそういう思いを明け透けに相談したりしないだろうよ。そういう場合はどうなるんだ?」黒瀬は口を挟んだ。中田はそちらを見て言った。
「つまり、四久井先輩が積木先輩に関して何も知らなかった場合でいい?」
「あぁ、そういう感じだ」
「手紙を拾えば、光で透かしてみるでしょ。中になにが入ってるか、知るために。その時、文面も見えたんじゃない」
「おお、なるへそぉ~」それを聞いた山田は感嘆する。「でもでも、どうして、四久井は届けたんだろ?」
「さぁ、それはわかりませんね」中田は興味なさ気に答えた。黒瀬はにやにやして言った。
「きっと、恋のキューピッドになりたかったんですよ」そのにやけ加減がなんだかむかついたので、やはり山田は黒瀬の向う脛を思い切り蹴るのだった。

9.
 中田と黒瀬は二人きりとなった。山田が四久井に動機を聞きに行ったからであった。それから結構な時間がたったけれど、山田が帰ってくる気配は全く無かった。おそらく、四久井に遊ばれているのだろうと黒瀬は推測していた。中田は本を読んでいて、黒瀬は腕を組み、思案していた。なにか考えついたのだろう。黒瀬は中田のほうに身体をむき、言った。
「お前のさっきの仮説だが、おかしなところがある」
「どういうとこ?」中田は、本に視線を向けたまま聞く。
「自分の思いを他人に絶対知られたくないような人がな、文面が透けて見えるような薄い封筒を使うか?」
「使わないんじゃない?」
「そうだろ。そうなると、先の仮定では四久井先輩は宛て先を知りえないんだ。それにまだある」
「なあに?」
「積木先輩はな、自分の名前までも書いていなかったんだ。つまり、その手紙は送り主不明だったんだよ。これはもう一つの仮定、四久井先輩が積木先輩の思いを知っていた場合であるとき、紀伊田先輩に届ける行為を不可能にする。その拾った手紙が、確かに積木先輩のものだってことが分からんからね。ということは、四久井先輩はどちらの仮定においても、手紙を拾った後それを紀伊田先輩に届けるという行為を選択することは不可能なんだよ」中田は無言であった。黒瀬は続けた。
「しかし、なんでまた山田先輩に嘘なんてついたんだ?お前、これ全部自覚してただろ?」それを聞いて、中田はようやく行動を起こした。本に栞をはさみ、机の上に置いて、黒瀬と向き合ったのだった。膝を合わせるような至近距離であった。いつしかのように、中田は黒瀬をじっと見つめた。
「あたし、黒瀬くんとここに居たい」中田はそう言った。
「はぁ?」
「山田先輩が帰ってくるまで」中田はにっこりと笑った。黒瀬の頭に警報が鳴り響いた。
「なに、言ってんだ?」上ずった声で黒瀬は聞いた。
「あたしね、四久井先輩とお知り合いなの。四久井先輩っていい人だけど、口は軽い方なんだよ。黒瀬くん、ちゃんと口止めした?」黒瀬はじっくりと中田のいとおしい顔つきを見た。そこには晴れやかな笑顔があった。眩しかった。黒瀬は立ち上がろうとした。しかし、立ち上がれなかった。知らぬ間に両手を中田に握られていたからだった。その手は少し冷たかった。
「逃がさない。山田先輩が帰ってくるまで」悪戯っぽい笑みを浮かべて中田は言った。
「に、にげない。多分、トイレに行くだけ。もれる」黒瀬は嘘をつく。
「もらしちゃえ」半ばまじめな声で中田が言ったため、黒瀬は軽くぞっとした。
「………。分かった。にげない。手を離してくれ」
「いやだ」中田はさらに強く黒瀬の手を握る。いつもの黒瀬なら狂喜乱舞も辞さない状況であったが、死神たちが背後でワルツを踊っているようなダンスホールではさすがに不可能であった。黒瀬はそれゆえ、諦観じみた冷静さを手に入れた。何故、そこまで知れたのか聞きたくなった。
「分かった。もうにげないし、手も離さなくていい。というか、なんで知ってんだ?」中田はにこにこしながら、言った。
「女の勘」それは明るい声色であった。

10.
 昨日、すなわち積木が恋文をなくした日のことだ。
 四久井は、放課後、体育館前の水道場でやかん等に水を汲んでいた。そこに突然、背後から声をかけられた。
「すいません。バスケ部のマネージャーさんですよね」四久井は男子バスケ部のジャージを着ていた。
「そうだけど」と言いつつ、四久井は顔を声のほうに向ける。「なんか、ようあんの?」その呆けたような顔を睨みつつ、四久井は聞いた。
「いやですね」とその男は言いかけたが、口ごもる。四久井がじろじろと見てきたからだった。いく時かして、四久井は合点が行ったように肯き、言った。
「あんた、ちびっこのパシリじゃん」
「ちびっこ?」
「山田よ、やぁまぁだ。ちび可愛い貧乳の山田まやちゃん」と言って四久井はおかしそうに吹き出した。
「あぁ、山田先輩。いや、たしかにちびっこですが、そうでなくてですね、とりあえずぼくは彼女のパシリじゃないです」
「ふ~ん」四久井は水を止め、ズボンで手を拭い、男子生徒のほうへ体を向けた。「で、なんのよう?」
「いやですね、これを渡して貰いたくて」四久井はその手にあった白い手紙を見る。
「なにそれ?」
「恋文です。紀伊田先輩への」
「えっ」四久井は驚き、後ずさり、男の顔を見る。「あんた、ホモなの?」
「えっ?違いますよ。ぼくからじゃなくて二年三組の積木先輩からのです」
「あぁ、そう。でも、なんでアンタが持ってんの?」
「拾ったんです」
「持ち主分かってんなら、届けなさいよ」
「そうですけど。それじゃあ、面白味が無いんです。もっと、青春じみていないといけないんですよ、こういうのは。彼らが普通に会って、手渡しするだけじゃ人々が体験するような日常に埋もれてしまいます。ぼくは、こういう大切な出来事をさらに大切に、印象に残るようにしてあげたいんです」
「ふぅ~ん」四久井はにやつきながら顎を撫でる。「あんた、やっぱりちびっこに似てんね」
「いや、ちびっこがぼくに似てるんですよ」その言葉に四久井は大きく笑った。
「いいね、そういうの」四久井はその受け答えを賞賛した。「ところで、どうやって一生級の思い出に仕立て上げるの?」
「題名としては、ワープした思いって感じで考えています」
「へぇ、ださいな」と四久井は鼻で笑いつつ言った。
 そして、彼らは作戦を話し合った。四久井は全てに同意し、実行した。それがあの結果となったのだ。
 最後に手紙を受け取った時、四久井は宛て名が鉛筆書きで書かれているに気がついた。そのとき、四久井にひとつ閃きが走った。
「これ、消しちゃおうか」それを聞いた共犯者は彼特有のにやつき顔をして、
「いいっすね、それ」と同意した。こうして、積木の恋文は宛て名不明となったのだった。彼らが別れるとき、四久井はまたまじまじと男の顔を見た。
「あんた、目ぇ細いねぇ」
「鋭いっていうんですよ」四久井はその言葉にも笑った。
「ねぇ、パシリ君、名前は?」
「だから、パシリじゃないっすよ」そこで溜め息をついてから、その男子生徒は少し恥ずかしそうに自己紹介した。
「名前は、黒瀬。黒瀬ロクって言います」

11.
 山田は、まだ帰って来ない。しかし、刻一刻とその時が近づいているのは分かった。黒瀬は中田の笑顔に晒され続けていたままであった。中田がここまでにこにこしているのを見るのは大体彼が窮地にいるときであった。
「女の勘だけじゃないだろ?」黒瀬は正面の女に問うた。
「そうだね、それだけじゃないかな」中田は肯定した。その両手はしっかりと黒瀬を拘束していた。
「どこが、おかしかった?」
「昨日、積木先輩の話をする時、美術がどうのこうのって話してたでしょ。あたし、今日美術だったから気がついたんだけど、積木先輩も美術選択だったんだね。あたしと彼女の接点はあの教室にあったから、黒瀬くんはあの話を枕にした。でも、それだけなら油絵のこと話さなくてよかった。わざわざ口に出ちゃったってことは、黒瀬くんきっとその事を意識してたんだろうって考えたの」
「……油絵って言ってたか?」
「言ってた。どうして、意識してたのか。関連したことを考えてたから。関連したこと、積木先輩のこと。ということは、話題になってた恋文のこと。恋文が落ちるタイミングは体育の着替えの時だけじゃなかった。そうだよね、黒瀬くん」
「……あぁ、そうだ」
「油絵のとき、どうやらブレザーは教室で脱いで、ジャージをシャツの上に着なくちゃいけないんだってね。油絵の具は落ちないから。ブレザーはその時にも脱いでた。教室で脱いだなら、教室で落ちてるはずと思うけど、実際脱いだだけじゃ内ポケットから落ちないんだよ。あたし、生徒手帳で試したんだ」
「へぇ」
「で、どうやったら一番落ちやすいのか、あたし調べでは、ブレザーを二つに折り畳んで腕に掛けて持って歩く時。ということはね、積木先輩は美術室の行く途中で落としたという事象の確率が一番高いの。ではでは、そんな場所を捜索したのは誰でしょう?
 黒瀬くん、君だったよね。君はおそらく、管理棟二階のフロアで白い手紙を発見した。それを見つけたとき、どうしてここにあるのかって、考えた。それで、今言ったようなことに気がついた。意識しちゃったんだね。それが、あたしとの会話に出てきちゃった。そうでしょ?」
「あぁ、まったくその通りだ」黒瀬は力なく答える。すべて、中田の推測通りであった。黒瀬は管理棟二階フロアの端っこに落ちていた白い手紙を見つけていた。中田は続ける。
「手紙を拾った黒瀬くんはどうしたのかな?あたしの知る黒瀬くんなら素直に落とし主へと渡さない。しかも、そこには宛て先が書いてるような手紙だ。黒瀬くんは面白おかしく届けてやろうって気になった。で、実際そうした。運良く、四久井さんにも手伝って貰えたしね。よかったね」
「まぁな」黒瀬は苦々しそうに受け答える。黒瀬は、宛ての名が誰を示すかを知っていた。黒瀬のクラスのバスケ部員たちがよく語っていたのだ。紀伊田と吉田のコントじみた掛け合いを。それゆえに、体育館へと黒瀬は直行できた。黒瀬の計画はこうだった。まず、部室の鍵を持つマネージャーを説得する。ここで説得に失敗していたら、第二案の靴箱にワープを実行していただろう。しかし、結果は成功。彼女に手紙を託し、紀伊田のロッカーへと入れて貰う。以上だ。こうすると、一見不可思議な状況が出来上がる。鍵を持つ四久井は積木との接点は全く無いために疑われることはない。となると、誰もロッカーに入れることは出来ないように見える。そうすれば、手紙が内ポケットからロッカーへとワープしたのだと思わせられるだろうと黒瀬は考えたのだった。
「けどね、今回は幸いにお二人はお付き合いを開始することになったけど、もしも積木先輩の片思いとかだったらどうしちゃうの?責任とれる?」中田少し非難じみた声で黒瀬に聞く。黒瀬は少し笑って、言う。
「あれはな、紀伊田先輩の告白に対する返事の手紙だったんだ。傷つくのが男ならどうでもいいんだよ、ぼくは」
「へぇ、なんで知ってるの。中身、見てないんでしょ」
「最近、紀伊田先輩が女子に告白したって、バスケ部の田中が言ってたんだ。部内ではそれが承諾されるかどうかが賭けの対象だったらしい。四久井さんも多分知ってたんだろうな。まぁ田中は、無理だと言ってたが」
「なるほど。手紙にその名前が書いてあってその送り主が女子であれば、それが返事の手紙だというのも無理の無い推測だね」中田は納得顔で呟く。
「うん?」黒瀬は突然に顔を傾ける。
「どうしたの?」
「いや、というかなんで、お前、宛て名が書いてあったこと知ってんだ?」中田はそれを聞いて、破顔一笑した。
「ようやく気づいたね。ねぇ、手紙どこに落ちてたか覚えてる?」
「あぁ、確か、かなり隅っこのほうに落ちてたな。人目につき難いような場所だった。……ん?まさか…」
「そう、あたしが初めに拾ったの。昨日、四時間目の化学実験室行くときの途中で見つけたの。落とした人が探したら必ず見つけられて、普通の人には見られないようなところに置いておいたんだ。優しいでしょ?」
「……優しいと言えば優しいな」
「でも、まぁ黒瀬くんに利用されちゃったけど」利用したのはお前の方じゃないのかと黒瀬は思う。たびたび、我が部には失せ物探しが依頼されることがあったのだ。中田はすべてを見通していた訳ではなかろうが、種を蒔いとこうという気持ちでわざわざ隠すように置いたに違いないと黒瀬は確信する。しかし、そんなことはどうだって良かった。山田が真実を知ったとき、黒瀬に振りかかる怒りは計り知れないだろう。黒瀬は脱走を一度は諦めたが、中田と話しているときに一つの名案を思いつけた。成功すれば逃げられるし、失敗してもいい思いが出来るというものであった。試算では、十中八九成功すると見ている。しかし、いかなる名案にも穴がある。黒瀬はそれに気がつかないで、実行する。
「なぁ、突然だが、話があるんだ」
「なに?」中田は、黒瀬の声色が常日頃にない真剣味を帯びていて、その目つきも鋭いことに気がついた。
「あのお二人はこれから交際を開始するんだよな。そうなると、恋人同士で色々やるんだろうな。想像できるか?」
「ううん。…あたし、そういうのよくわかんないの」純情ぶっているが、ミステリー研究部などに入部している時点で嘘だとわかる。ミステリ-には色事はつきものである。
「まぁ、ぼくもわかんないけどさ。恋人なんて今までずっと居なかったし、これからも居なさそうだし。寂しい人生になりそうだ。そこで、今生のお願いがあるんだけど、キスの味を知りたんだ。だから、キスしない?」ずいっと、黒瀬は中田に近づく。
「えぅ?意味わかんないよ?」中田は黒瀬と距離をとる。中田もこれまで恋人とかは居なく、ロマンスを恋焦がれる乙女の一人であった。
「マジだ。本当のお願いだ。キスしよう」黒瀬は、中田の両手を握りつつ言った。
「えぇ……」中田は困惑した。なぜだか、拒めなかった。黒瀬はまた近づく。中田が後ろに行かないように、手を握り締めて。中田と黒瀬は超至近距離となった。黒瀬の左膝は中田の左内腿に触れ、中田の左膝も黒瀬の左内腿に触れるほどだった。中田は心拍数が上がるのを感じた。
「ごめん、もらうよ」黒瀬は中田の顔に自分の顔を近づけた。息も触れ合う頃になって、
「まだ、だめっ!」と中田は黒瀬を突き放した。黒瀬は成功した。突き飛ばされた反動を利用して、黒瀬は中田との距離を大きくあけた。そして、床に放ってあった自分の荷物を素早く回収し、扉へと向った。中田は一瞬、思考が止まったが、すぐに気がついた。嵌められた、と。中田は黒瀬の後を追う体勢に入った時、黒瀬はすでに戸を開けていた。そして、固まっていた。山田が丁度、扉の前にいたのだった。黒瀬の荷物が落ちる音がした。
「ねぇ、ろっくん。なぁんで嘘ついたのかなぁ?」山田はにやにやしながら黒瀬に聞いた。黒瀬はこの類いの表情する山田を何百回と見てきた。そのたびの黒瀬はひどく痛い目にあっていたのだった。黒瀬は、小さく答えた。
「…ついてないっすよ」
「嘘つき」山田はいい感じににっこりと笑うのだった。中田のそれとは違い、不気味な笑い方であった。中田の援護を期待して後ろを見る。中田は、つーんとしていた。彼があのような事をしなければまだ希望があったかも知れない。終わったな、黒瀬は全てを断念した。
 その後のことは、わざわざ特記することもないだろう。簡単に言えば、山田、中田両名に黒瀬は心身合わせてぼこぼこにされた。

13.
 以上のような大団円で、劇は終演いたす。悪者は成敗されたといったところか。よくよく考えてみたら、ぼくにとってはバットエンドである。しかし、本筋の二人はしっかり結ばれたのだから、まぁ、よしとしよう。
 だが、まだ説明しきれていない点もある。その一つは、積木、いいや紀伊田みつ先輩は山田先輩と高校時代どのような同盟を結んでいたのかという点だ。この同盟内容は、紀伊田みつ先輩が体育の後、最後のホームルームまで恋文を落とした事を気がつかなかったという点を補足する。それは身体的特徴だ。ここまで記せば、もう分かるだろう。ゆえに明記はしない。また、他に言及されていない点、明晰なる読者は気が付いていると思うが、それについては些細なことだと思えるために省くとする。例としては、四久井先輩がみつ先輩の恋文をブレザーから盗んだ可能性、またはなぜ昼休み中にみつ先輩は恋文の紛失に気がつかなかったのか等々。しかし、それらの答えは常識と感性で手に入れられる。厳密な論理では割り切れないだろう。ぼくは読者が自然に考えてくれることを望む。
 これで、付言じみた記載は終了する。願わくは、紀伊田夫妻が末永く共にすごせるようにと祈りつつ。
小説家になろう 勝手にランキング
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
※感想を書く場合はログインしてください。
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。