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ユーレイ
作:ごり


 僕は幽霊だ。
 だってそうだろう?もう、しばらくの間ほとんどみんな僕のことを無視するし、無視しなかった人だって僕のことを避けるようになった。これが幽霊じゃなくてなんだって言うんだ。
 でも幽霊だってのに感情はあるらしく、僕は自分が幽霊なんだって分かっててもそれらが辛かった。どうしようもなく辛かった。心臓が、肺が、痛んで軋んでたまらなく辛かった。
 どうすることもできず、僕の中にある辛いと思う感情は、遂に今日その姿をいくら袖で拭っても止まらないしょっぱい水の流れに変え、今も僕の頬を伝い続けている。
 できないと分かっていながら俯いて袖で閉じた瞼を擦ると、ビニール質のもので覆われた厚紙とそれを服に固定するための安全ピンが左胸についている。
 名札だ。袖が重い左腕でその下端をそれが水平になるまで持ち上げると当然ながら名前が書いてある。
 岸田輝雄。僕はこれといった特徴の無いその四文字に目を通しはしたが、それを自分のものだと認識しようとはしない。幽霊に名前なんてあるわけがない。呼ばれないなら必要無い。要らない。
 僕は名札を取って捨てようと思い、震える手で安全ピンを外し、大きく振りかぶって投げようとした、が、振りかぶった腕を前に振り下ろすことができない。
 くそっ、投げろよ、要らないんだよ、必要無いんだよ、あったって意味を成さないんだよ。
 何度もそう思うが投げれない。腕は何かストッパーが効いたように体より前に行こうとしてくれない。代わりに出てくるのは、さらに量を増した、いつまで経っても枯れない涙。
 くそっ、なんでだよ…なんでだよ…。
 滲み、歪み、溶けたように瞳に映るのは大量のテトラポットと水平線。ここで僕は思い出した。あぁそうだ、死ぬためにここに来たんだったっけ、と。
 だがそんな僕の気持ちとは裏腹に、波は穏やかだし、夕日は真っ赤に輝いていて、そんな有名風景画家が一目惚れしそうな光景を見てしまうと、あと数歩足を踏み出すのを躊躇してしまう。
 言い訳だ。どうしようもなく陳腐な言い訳だ。
 波が穏やか?夕日が真っ赤?最高じゃないか。最後だけでも自分のことを美化してくれそうじゃないか。
 だけど僕は足を踏み出せない。
 なんでだろう。たった数歩歩くだけで、この心臓の痛みからも、この肺の軋みからも開放されるかもしれないのに。
 そう考えてすぐに、世界がさらに歪む。
 そんな光景を見て、ある重大なことに気付いた。
 そうだ、死ぬ必要なんか無かったんだ。なぜなら、
「僕は幽霊だもんね」
 一度海を見て、テトラポットの一角に視線を移し、再び前を見ると突然涙が止まった。
 やっと枯れてくれたようだ。気が付けば服もズボンもびしょ濡れだ。
 夕日が沈みかけている。もうすぐ夜が来る。
「…寒い」
 そういえばもう秋だ。夜が更ければ更けるほど、体は凍えるんだろうなぁ。
 と、そこで頬に何か冷たいものが落ちた。
「雨…」
 頬に落ちた一粒の雫のことを忘れる前にもう一粒、もう一粒、やがて段々と強くなり、気付けば土砂降り。
 その水の集合落下は、僕の体をどんどん冷やしていく。
 それに伴って、鳥肌は立ち、全身が震える。
 だけど僕にそれを防ぐことはできない。要らないから持ってきていない。
 歯もガチガチなり出してから少し経つと、急に体の中が暖かくなったような気がした。
 同時に睡魔が僕を襲う。
 あぁ、なんだかすごく良い気持ちだ。このまま眠ってしまおうか。
 そう思ったとき、突然雨水が僕を避けた。
「……?」
 なんでだと思い見上げると、見えるのはアルミニウムの骨格と防水性の布地。
「ボーズ、こんなところで何してんだ?」
 左から聞こえるのは重みのあるアルトの声。
 反射的に首を捻ると、そこには細身のジーンズに、タートルネックの赤いセーターで、長めの茶味がかったストレートヘアーの女の人がいた。
 その女の人は手に傘を持っていて、その防雨範囲内に僕を入れている。
「何してんだ?」
 僕は黙って海に顔を向ける。すると女の人も海を一瞥し、テトラポットに視線を移し、同じテンポで再び僕を見た。
「……なるほどな。ボーズ、隣いいか?」
「え?」
「だめか?」
「いや、あの、いいです」
 すると女の人はにっこり笑い、僕の隣で海に体を向けた。疑問に思いながらも僕も海に体を向ける。
「なぁボーズ」
「……はい」
「暗くなるなよ!そんなことより、このままでいいのか?」
 頭で考えるより先に体が反応した。全身が瞬間的に震えたのが分かる。
「……何がですか」
「やり残したことがあるんじゃないのか?」
 今度は頭も反応した。走馬灯のように皆と仲良く話せていた頃の思い出が蘇る。楽しく遊んでいた頃の思い出が蘇る。
「…ひっ…ひくっ…」
 気付けばまた涙が出ていた。
 枯れたはずの涙が出てきた理由は簡単だ。無視され、避けられ、ひそひそ話で笑われたりもした。でも彼らとだって元は仲が良かったはずだ。全員というわけではない。昔から背も大きくないし、力だって強くない。ガキ大将軍団には格好のいじめの標的だったのだろう。
 それでも、助けてくれる人達だっていた。特に近所に住む幼馴染の女の子はいつも僕を助けてくれた。最近は僕を見るとすぐ逃げるようになっちゃったけど……。
 でも、それでも、やっぱり戻れるのなら戻りたい。いじめも受けたけど、それでも楽しいことがあった頃に戻りたい。
「ひっ…また…皆と…」
 それ以上は声にならなかった。
 無理だと悟ってしまったから。
 幽霊の言うことなんか誰も聞いてくれない。そう悟ってしまったから。
 今度はもう涙を袖で拭おうとはしない。袖は大量の水を含んでいる。
 俯くと、濡れた地面に向かって視界の中を雫が落下していった。
 雨ではない。その証拠に僕の上には傘が差されている。
 一粒、また一粒、傘の外に見える雨にはもちろん劣るものの、しかし一定のリズムを刻んで止まりそうにない。
 雫は、濡れた地面に落ちると、その存在した証拠も残さず消えていく。
 それを滲む視界で確かに確認すると、視界はさらに歪む。
「……僕……ひっ……み、皆……仲よ……ひぐっ……戻り……でも……ひっ……でも……!」
 すると頭の上に何か柔らかいものが乗ってきた。
 顔を上げて反射的に女の人を見れば、目を閉じて僕の頭の上目掛けて腕を伸ばしている。
「……辛かったな。突然皆態度が変わったんだもんな。でも耐えようと、きっとすぐに皆元に戻ると信じようとしたんだよな。でもそれに耐えられなくなってここに来たんだよな。怖かったな。苦しかったな」
 女の人は海とは反対方向に顔を向ける。
「だけど安心しろ。皆はお前をそんな思いにさせようとしてあんな態度を取っていたわけじゃない。見てみろ」
 女の人がなんでそんなことを知ってるのか分からないと思いつつ、僕は海と反対方向に顔を向けた。

 皆が、いた。

 色とりどりの傘が全部こっちに向かって上下しながら近づいてくる。数はざっと20数本くらい。近づくにつれだんだんとはっきり浮かび上がる顔はどれもこれも知った顔だ。
 たくさんの傘と、それを持つ皆は、僕と5メートルくらい離れたところで全員止まった。
「……な……なんで」
 すると中央にいる黄色い傘を差した男の子が前に一歩歩み出る。
「それはこっちのセリフだよ、輝雄君!なんでこんなところにいるのさ!」
「な、なんでって…だって皆…」
 止まりかけていた涙がまた溢れ出す。
 気付けば隣にはもうすでに女の人はいなかった。
「ひっ…だって皆……僕のこと……無視したり…ひぐっ…避けたり……」
「バーカ」
 集団の中からもう一人、黒い傘を差した男の子が一歩前に出てくる。
「ありゃ作戦がバレないようにするためだ。輝雄はいっつも…なんだっけ?ほら…あ、ネガティブだ、ネガティブ!そんな感じに考えすぎなんだよ、ったく」
「作……戦?」
「そーだ!さ・く・せ・ん!で、ちなみにどんな作戦かと言うとだなぁ」
 黒い傘の男の子が後ろに振り向く。すると今度は青い傘を持った女の子が出てきた。
「クラスの皆で誕生日会をやろうとしてたんだよ!輝雄君の!」
「誕……生日……会?」
 黒い傘の男の子が、
「おーよ!ほら、なんだ?俺ら……お前のこといじめてたじゃんかよ。で、俺もだんだん大人になってきたもんだから、悪いことしたかなぁーって、ちょっとだけ、ちょっとだけだぞ?思ってさ、お前がいないときに、どうすればいいかあいつに聞いたんだよ。ほら、お前のフィアンセの……」
「誰がフィアンセよ!」
 赤い傘の女の子が、その傘の色同様に顔を真っ赤にして黒い傘の男の子に蹴りを入れた。
「いてて……どうせそうなんだからいいじゃねぇかよ。幼馴染のくせして照れてんじゃねぇ。で、なんだ?そしたらこいつが『じゃぁあんたらがメインの司会でクラス全員で輝雄の誕生日会やるってのはどう?輝雄もうすぐ誕生日だし』って言ったからお前に内緒で作業を進めてきたってわけだ。ったく、バレないようにいちいち皆に手配したこっちの身にもなれってんだ」
 男の子はニヤリと笑みを浮かべ、
「ところでこの誕生日会にはとんでもねぇメインイベントがあんだけど知ってっか?誕生日会はまだだけど、えっと……しちゅえーしょん?まぁとりあえずそんな感じのやつが良い感じだからここでやっちゃうってのはどうだ、皆!」
「「さんせー!!」」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
 赤い傘の女の子……もとい、幼馴染でしかも僕が好きな女の子が顔を真っ赤にしながら焦ってる。……焦ってる?なんで?
「つべこべ言わずやってこい!」
「きゃ!」
 黒い傘の男の子が彼女の背中をバシッっと叩いた。その拍子に前へとバランスを崩したあの子は、倒れないように前に足を出した。
 けんけんのような状態で進んできた彼女は、僕のすぐ目の前でようやくバランスを取り戻し、止まった。
「……あ」
 彼女は目の前で顔を赤らめもじもじしながら僕の方を上目遣いで見てくる。正直なところすごくかわいい。
「えっと……その、て、輝雄?い、言いたいことがあるんだけど……」
 そこまで言って彼女は助けを求めるように後ろを、皆の方に振り向いた。
 だがそこにはニヤニヤしてる者や真剣な顔をしてる者やわけが分からず隣の子に聞いてる者などがいるだけで、誰も彼女を助けてくれそうではなかった。
 そんな皆の顔を見たとき、ふと涙が止まってることに気付いた。僕自身、何が起きてるのかまだいまいち掴めていない。
 目の前の彼女がこちらに振り向く。一度俯いた後、顔を上げた彼女の顔は赤らんではいるものの、真剣そのものだ。
「て、輝雄!」
 彼女は傘を持っていない方の手を腰の横あたりで強く握っている。
「あ、あたし、その、ずっと、ずっと前から……」
 彼女は目線を一瞬逸らすがすぐに戻す。
「ずっと前から、輝雄のことが好きだったの!」
 言い終わると、彼女は目を瞑って全身に力を入れているような感じになった。
 僕は、目の奥の方がまた熱くなるのを感じた。でもそれは、
「……僕も、好きだよ」
 今までとは違う理由の涙。安心や嬉しさを示す感情と、
「……でも、もう遅いや」
 後悔の念。
 彼女は最初の言葉で表情を明るくしたが、次の言葉でえっ?と言った感じの表情になった。
「……て、輝雄?それってどういう……」
 僕は黙って海を指差す。近くのテトラポット際を。
 彼女は目を見開き、そのまま無言でコンクリートの地面を海岸すれすれまで駆けていく。
 足を止めた彼女はその場で膝を落とした。
 異常を察したのだろう。クラスの皆も海岸際まで駆ける。そして見た。

 3メートルほど下にあるテトラポットと海の間に広がる赤い液体と、その中央に仰向けで浮かんでいる僕を。

 「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
 彼女の悲痛の叫びは、激しく降る雨の音にかき消され、僕の耳に届くことは無かった。


ほとんど思いつきで書いた短編です。輝雄が本当に幽霊だったと皆さんは気付いたでしょうか?輝雄がテトラポットを見たり、傘を差してくれた女の人がテトラポットを見て「なるほどな」と言ったりなど、伏線は引いておいたつもりです。もし最後の結末が皆さんの想像の裏を掻けたのなら、僕にとっては幸いです。もしこの小説で何かを感じ、評価・感想・メッセージなどを頂けたりすると非常に嬉しいです。僕の書いてる長編小説「俺の非常識女神様」も、もしよければ読んでみてください。それでは。













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