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振り返って笑った君が、繋いだ手を離すまで。 作者:汐利
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一章

「恋ってどんな感じよ」
 にやにやと笑いながら俺の顔を覗き込む君を、軽くいなして俺は昼飯を食べ続けた。
「別にどうも何もねぇよ」
綾乃あやのちゃんのどこが好きなの」
 教室の一番後ろの窓際に座る俺。その前の席で椅子に横座りし、壁に凭れた君は、ちょっと振り返るようにして俺の机に肘をついた。
「そういうこと訊くあたりが、まだまだだな」
 俺は君の頭を軽く小突いた。君はフルーツ牛乳を飲みながら「いたっ」と大袈裟に頭をさすった。
「好きに理由は要らねぇんだよ!」
「うわあ……なんか、ありふれた言葉……」
「うっせぇ!」
 いつもの光景だった。
 それはいつもの光景であり、俺に初めての恋人ができてからも、いつもの光景としてそこに留まり続けた。小学校入学から八年間見せつけられてきた光景の改変を、俺の初めての恋人は特段望みはしなかった。俺は恋人である綾乃をこの世でいちばん愛していた。しかし学校生活の大半を優陽と過ごした。優陽と共に登校し、休み時間になれば喋り、昼飯を一緒に食って、夕方になれば一緒に下校した。綾乃と付き合いだす前にそうだったことを、綾乃と付き合いだしたからとてやめることはなかった。綾乃は嫉妬しなかったし、優陽も遠慮しなかった。俺もそれでよかった。そうであってくれることがとても有難かった。
「お前も好きなひとのひとりやふたり作れよ」
 そう言う俺に、
「対象がいない」
とふてぶてしくも言い放つ君に、思わず笑った。ごもっともだ、と思ったから。
 笑った俺を見て、君も笑った。

――――――――――――――――――――

 それからだいたい一か月が経った、天気のいい日だった。君は俺を映画に誘った。
 俺も見ようと思ってた映画だったから、ふたつ返事で了承した。いつもの映画館で映画を見たあと、いつものフードコートに何気なく立ち寄った。
 お八つ時であれば、俺はいつもたこ焼きを、君はいつもドーナツを買った。それが日常だった。
 君が持ってきたシュークリームを見て、俺は少なからず驚いた。
「それ、結構お高めなやつじゃんね」
「そうなの~、奮発しちゃった、映画がすごく良かったから」
 そう笑う君の笑顔は、何だかベールの向こうにあって、俺は思わず君の顔の前でそれを払う仕草をした。
 君は当然ながら首を傾げて、一歩下がった。
「何?」
「いや……」
 俺はたこ焼きと一緒に持ってきた水をすすって、椅子に座りなおした。
 フードコートは賑わっていたが、空席が見つからない程ではなかった。君はトレイをテーブルの上に置くと、鞄を膝に置いて椅子に座った。そして、小さく溜息をついた。
 ふぅん、という俺の声は、下界に漏れていたらしい。
 君は上目で俺を睨み、何、と口を尖らせた。
「いや、別に? 映画とちょっとお高いスイーツで、自分を慰めたい気分だったのかなと思ってさ」
 そう言うと、君は少し目を伏せた。
「聞きますよぉ」
 俺は、テーブルの上に投げ出されていた君の左手を、自分の右手で覆った。君は手を掴まれると安心するたちだった。俺はそれをよく知っていた。君が動揺しているときや悩んでいるときには、よく君の手をさぐり当てて握った。流石に学校内ではしなかったが、この年齢になっても学校からの帰り道で君の手を引いて歩くのは日常茶飯事だった。そうすると君はだんだんと元気になっていって、家に着くころには君が俺の手を引くようになるのだ。
 大股で。胸を張って。
 君は、ちょっと待って、と一旦手を離し、シュークリームの包みを開けた。右手だけで食べられるように半分顔を覗かせて、また俺の手の下に自分の手を滑り込ませた。
 そして、シュークリームに目を落としたまま言った。何でもないような顔を装っていた。でもそれが俺の前では無駄だということは、君にもたぶん分かっていた。
「恋って、どんな感じ?」
 恋。
 俺は少し考えたが、すぐには答えを出せそうになかった。
「何、好きなひとできたの?」
「それが、わかんなくて、だから訊いてんの」
 なるほどね。
「誰なの、相手」
「……まだ好きかどうかもわかんないのにさぁー……言えないよ」
「言えないんだ?」
 ふぅん、と俺が意地悪く笑うと、それだけで君は観念して口を割った。あまりにもあっさりと。
「隣のクラスのね、やなぎくん、柳修一しゅういち、くん、ってわかる?」
「あぁ、あの」
 恋愛沙汰と無縁な生真面目くんか。……って、
「本気?」
「それがわかんないから訊いてんだってさっきから言ってんじゃんっ」
 君は、ぎゅっと俺の手を握り返していた。
「痛い痛い痛い」
「あっごめん」
 故意ではなかったらしい。君は慌てて握った手を緩めるが、離そうとはしない。
 故意ではないのが、恋だ。
 なんて――あっほくさ。
「ねえ、ちゃんと私の質問答えてよ」
 そう君は言い募る。
「そう言われてもなあ……」
「お母さんに綾乃ちゃんのこと言うよ」
「……っそれは勘弁……!!」
 今度は俺が君の手を握りしめる番だった。
 お母さん、というのはこの場合俺の母親のことである。俺と優陽はふたりとも、俺の母親のことをお母さんとよび、優陽の母親のことをママと呼んだ。傍から見たら奇妙だったかもしれない。『お母さん、ママから電話!』なんてフレーズが当たり前のように飛び交っていたから。
「だったら真面目に相談乗ってよ」
 真面目を望むなら生真面目くんに相談しろよ、とは言わない。言ったら今度こそ俺の右手が吹っ飛ぶ。今度は故意に。
 恋に。
「人に言えるってことはさ、それなり本気なんじゃないの。言った分だけ責任が生まれるわけでしょ」
 自分なりにそう答えると、君は少し考えて、また言った。
「でも、まだ拓海たくみにしか言ってないよ」
「俺は人のうちに入らないのか」
他人ひとのうちには入らない、少なくとも」
 まあ、兄妹みたいなもんだよな、と言うと君は、
「姉弟の間違いでしょ。そうじゃなくて。半分自分みたいなものだってこと」
 そう言った。
「俺の半分はお前のものかよ」
「私の半分は拓海のものだよ」
 そう言われるとそんなような気がした。
 そして、そこで会話は途切れた。
 俺がたこ焼きを食べ終わり、君がシュークリームを食べ終わるころ、君がぽつりと言った。
「シュークリームがね、好きなんだって。あのひと」
 ……リサーチ済みじゃん。
 なるほどね。
「じゃあ、作って持ってってみれば」
「でも私、お菓子なんて作ったことない」
 そうだった。
 去年のバレンタイン、クラスの女子が見栄張ってチョコを溶かしなおしてる中、君は市販品堂々と振舞ってたっけ。
 ええ、ちゃんと市販品のうちに数えさせていただきますよ。うちの洋菓子屋で作った菓子類はね。
 だいたい、うちのわけアリが卸される神崎家では、わざわざ小麦粉を篩って菓子を作る必要はないのである。
「手伝うよ、俺が」
 そう言うと、君の顔に花が咲いた。
 それを見て微笑ましく感じる俺は、やはり姉弟より兄妹が正しいと確信する。
 君は手を繋いだまま勢いよく立ち上がり、何も言わずに俺の手を引いた。片手で慌ててふたり分のトレイを片付けるのはいつだって俺だった。
 いいんです、慣れてるから。
 この世話の焼ける妹に。
 早く、と急かす君に手を離す気配はない。
 それがとても心地よく、君の笑顔が続くことを、君の初めての恋が甘い実を実らせることを、切に願った。
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