10話:傷ついた誇り
目を開けると水の中、全身に痛みが走り、体が空気を求めてさらなる悲鳴をあげている。
口から気泡が漏れ、自らの危機を悟る。
俺は俺はもがく様に手足をばたつかせ、水面にキラキラと輝く光を求めて浮かび上がった。
俺はシャロンに直上の断崖から蹴り落とされ、その下の滝壺へと落下したようだ。
俺はなんとか水面に顔を出すと、咳き込みながらも無我夢中で新鮮な空気を肺へと取り込む。
目の前には先ほどのリオレイアの焼け焦げた死体が沈んでおり、翼と顔、そして尻尾が水面から飛び出していた。
焦げた血肉の匂いが嗅覚からたまらない不快感を与えてくれる。
しかし、そんなことよりもだ。
「オーッホッホッホ!! これで貴方達がいかに愚かで、私の足元にも及ばないということが分かったでしょう!!」
直上から響いてくる声の方が問題だ。
勝敗は明らかだろう……。
俺達は負けたのだ。
不快感を通り越して、何とも言い難い嫌な感情が沸いてくる。
俺は滝壺からなんとか陸地によじ登るが、水を吸って重くなった鎧の重さ以上に、敗北の二文字がのしかかってきた。
「大丈夫か?」
すると突然、アレンの声がした。
そちらを見るとたしかにアレンの姿があり、アレンの着ているディアブロスの鎧は、拡散弾の直撃によりところどころが焼け落ち傷ついているが、まだその威厳を保っている。
元より頑丈で炎に強いディアブロスの素材で作られているだけはある。
そのおかげか、アレン本人の傷も大したことはないようだった。
ただ、その形相は俺と同じく怒りや悔しさが混ざりあい、何とも形容し難いものではあるが……。
その姿を見下ろすシャロンは怪しげな笑みを浮かべて、俺達に言い放った。
「貴方達にはこのレースをリタイアしていただきますわ……。」
俺は一瞬、シャロンが何を言ったのか理解できなかったが、すぐにそれが許容し難いことだと分かった。
「リタイア……って……、そんなことできるか!!」
俺は声を張り上げて反論する。
「あら、私に喧嘩を売っておいて、それだけで済むのなら安いものだというのに……。」
シャロンは俺達の反論を鼻で笑って言った。
「負けたからってリタイアしないといけない、なんてルールはねぇ!! 俺達の腕は、脚は、まだ動く!!」
そもそも向こうからふっかけてきたのだ。
それでリタイアしろとは、元よりそれが狙いだったのではないか、と疑いたくすらなる。
「分かりましたわ……。」
するとシャロンの視線が突然冷静な眼差しに変わり、俺は、空気すら冷えきっていく様な嫌な感覚にとらわれた。
シャロンは睨みつけるような、そんな眼差しのまま続けて言う。
「つまり、貴方達の腕や、脚を潰してさしあげれば……、リタイアしていただけるということですわね!!」
空気が震えた……と思った瞬間に世界が一変した……。
目に写る物全てが凍りついたかのような錯覚すら引き起こされる。
俺は驚きの声を発することをも忘れ、冷たい世界に凍りついてしまっていた。
これは……殺気だ……。
体感したこともないくらい強烈な……、研ぎ澄まされた殺気。
それがシャロンから、爆発したかのように唐突に膨れ上がったのだ……。
俺はやっと理解することができた……。
彼女、『ゴールドクイーン』はほんの少しも本気を出してはいなかったのだ。
絶望的な差を感じとってしまい、やがて抵抗する気すらなくなっていく……。
殺気だけで、今にもその場に崩れ落ちてしまいそうな精神状態に追い込まれた……、そんな時だ。
遥か直上、高く、澄んだ青の空より、凍りついたその世界すら揺るがす砲哮が幾重にも轟き、響き渡ったのは……。
「えっ……?」
俺は轟く砲哮を聞き、わけも分からぬままに天を仰ぎ見る。
しかし、その次の瞬間には、自身の曇った眼に写り込んだ映像を否定、拒絶せずにはいられなかった。
「何だよ……おいっ!?」
そして、同じく天を見上げたアレンが、俺の心中をそのまま代弁するかのように叫んだ。
「タイミングというものを考えて欲しいものですわ……。」
シャロンも予期せぬこの状況に俺達ほど驚きを露にはしていないが、直面した状況を悲観しているのがよく分かる。
先ほどの圧倒的な殺気はすでに霧散し、俺達を縛るものは何もない……、が、新たな問題に直面することとなった。
青い空、太陽を背にして三つの巨影が今も依然として、まるで意思を伝え合うかの様に砲哮を轟かせあっている。
その巨影のうちの二つは緑……、そして残る一つは桜色をしていた……。
それらは見間違えるはずもなく、リオレイアだった……。
今も滝壺に転がる一匹と、上空を旋回し続ける三匹を合わせれば四匹ものリオレイアがここにいることになる……。
ここは『女王の巣』、リオレイア達の領域なのだから不思議ではない。
「仲間の敵討ちにでもしに来たっていうのかよ……。」
さすがに三体もの飛竜に襲われてはひとたまりもない。
たぶん、俺の声は震えていただろう……。
「リオウ、こいつは逃げるしかねぇぜ……。」
アレンも抗戦の意思すらないのか、アッサリと撤退を示唆する。
正直、事態が急変し過ぎて頭がついていっていないが、逃げなきゃヤバい状況であることだけは考えずとも明らかだ。
(だが……、ここで逃げることは、シャロンから逃げることと重なってしまう気がする……。)
鬱然と、傷ついた誇りが、未練がましくも俺の逃走の意思を抑圧している。
しかし、俺の葛藤の中で停滞する意思とは裏腹に、三匹の女王は華麗に舞いながらも力強く、仲間を失った怒りを秘めながら悠然と俺達の前に、地響きを起こしながら降り立った……。
正直、二匹くらいまでが限度だろう。
三匹を相手にするなんてことは考えたことすらない。
しかも、その内の一匹は、原種よりも凶暴化することが分かっている、色違いの亜種ときている。
「リオウ、マジで逃げなきゃヤバいって!!」
アレンからすれば逃げるそぶりを見せない俺が不思議でしょうがないだろう。
地上に降り立った三匹のリオレイアは、滝壺に朽ち果て浮かぶ仲間の姿を見て激昂する。
空を旋回していた時と同様、互いに砲哮を上げ、その口からは炎が溢れていた。
完全に怒りに身を支配されてしまっているようだ……。
しかし、俺は生命の危機にさらされても、未だに陳腐な誇りを捨てきれない。
だが、そんな俺に、そのバカな考えを捨てさせるキッカケを作ったのは、意外にも原因となる人物自身だった。
「興ざめしましたわ……。私は引き上げさせてもらいますわ。」
シャロンは軽くため息を吐きながら、踵を返した。
そして、横穴の奥、暗い闇の中へと消えようとし、その時に一度だけこちらを振り返り言った。
「今回は見逃してさしあげますわ。けれど、次に会った時には覚悟しておくことですわね……。」
一瞬だけ、またあの時と同じ、いやに冷たい殺気が言葉とともに俺達の体を貫いた……。
が、それに俺の体や心が縛られることはなく、むしろ解放されたと言ってもいい。
シャロンが立ち去ると同時に、俺の変なこだわりは消えてなくなったのだ。
「おい!! しっかりしろ、リオウ!!」
そして、アレンの言葉で俺は我を取り戻した。
「あぁ、すまない……。負けて、ちょっとおかしくなっていたみたいだ。」
「そんなこと言ってる場合じゃねぇって!! 俺達、囲まれちまったんだ、見ろよ!!」
アレンが俺の言葉を気にもとめずに叫んだ。
俺は慌てて周りを見渡す。
すると、いつの間にか、俺が呆けている間にだろうが、三匹のリオレイアがそれぞれに、俺達を包囲する位置へと動いていた……。
狩るものと狩られるものとが入れ替わった瞬間だった……。
「冗談じゃないぜ……。」
アレンはアンヴィルハンマーを構え、こちらを取り囲むリオレイアを睨みつけた。
リオレイア達は無計画に襲いかかってくるのではなく、何か思惑があるかの様に一定の距離を保ちながら俺達の周囲を回り続けている。
「逆鱗とか言ってる場合じゃなくなっちまったな……。」
俺もまたそのリオレイア達の動きを険しい目で見ながら言う。
「言ってくれるなよ……。俺達がやったことが無意味過ぎて悲しくなっちまう。」
アレンが深々とため息を吐いて肩を落とす。
しかし、そんなバカらしいやり取りをやっているわけにはいかない。
三匹が今、この瞬間にも大口を開けて飛びかかってくるかもしれないのだ……。
そうなる前にやるべきことは一つしかないだろう。
「アレン……。」
「あぁ……、ちゃんと分かってる。そこまでバカじゃねぇよ。」
俺はアレンに目配せし、お互いの考えが一致していることを確認した。
(もう、こうなったら強行突破しかない……!!)
天下無双刀を握る手にも力が入り、心臓の鼓動が高鳴り、呼吸も僅かながら荒くなってきた。
出口は向こう……、今は桜色の亜種が立ち塞がっている。
後はタイミングだ……。
俺はポーチの中に手を伸ばし、それを手にした。
(せめて桜色をした奴の動きだけでも止めないとダメだな……!!)
それは閃光玉……、音爆弾との交換で手に入れたそれを、今ここでいきなり使ってしまうのはもったない気がしなくもないが、そんな節約精神をむき出しにしている状況ではない。
その時……、俺達の背後に回り込んでいた一匹が、ついに緊迫した状態を破り、その鋭い爪で地を蹴り、その大地を踏み鳴らして動き出した……。
と同時に、俺も閃光玉を、三匹が囲う空間のど真ん中へと投じた……。
《続く》
|