スケルトンさん、受肉する。ただし、筋肉のみ
ダンジョンの片隅、そこはただ白い空間だった。
見渡す限りの骨、骨、骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨骨。
この空間に一歩でも足を踏み入れた人間は、次々と起き上がる骨たちに襲われ、死に至り、肉が朽ちて骨だけとなったころに集団の仲間となる。
ここはスケルトンの巣窟。白い骨の楽園にして地獄。
――だった。
白ばかりの一角に、生々しい肉をまとったスケルトンが生まれるまでは。
ギシギシと骨がきしむ音がする。
赤い筋肉が脈動し、体を起こし、次の瞬間には地面すれすれまで落ちる。
白い楽園の中で、それは異様な存在だった。
人間の骨格に筋肉をまとわせただけの存在。元は骨格だけで構成される魔物スケルトンであったにもかかわらず、いまその存在は名状しがたき何かグロテスクな魔物になっていた。
その魔物はあろうことか――腕立て伏せをしていた。
「筋☆肉☆最☆高!」
その魔物は歓喜していた。
どういうわけだか受肉したために声帯も存在するその魔物は声を発することもできたのだが、せっかく得たその発声器官で先ほどから「筋☆肉☆最☆高!」としか言っていない。
腕立て、スクワット、腹筋、背筋、とにかく筋肉トレーニングを延々と繰り返している。
魔物はきっと、うれしかったのだ。
今までの骨格だけの体では味わうことのできない筋肉の脈動を感じることが、嬉しくてたまらなかったのだ。
もっとこの脈動を感じたいと思った魔物の行為を誰が咎められようか。
周りのスケルトンたちに眼球があれば、それはそれは憧れにきらきらと輝きを放っていたことだろう。
筋肉をまとった魔物はもはや崇拝の対象でさえあった。脈打つ血管、膨張する筋肉、発せられる蒸気にも似た汗。
たとえ、ひたすらに筋肉を誇示するためにトレーニングを行い続けるだけであっても、その魔物はスケルトンたちにとって神だった。
「筋☆肉☆最☆高!」
ひとしきりトレーニングを行った後は、ポージングの練習である。
神は休まない。筋肉を誇示することを決して休まない。
カタカタとスケルトンたちの顎が鳴り、コツコツと手骨が打ち合わされ、たまにポキッとなっちゃいけない音が鳴る。
魅惑的な上腕二頭筋も、蠱惑的な三角筋も、妖しげな大殿筋も、すべてに喝采が送られた。
「筋☆肉☆最☆高!」
魔物の一声に、スケルトンたちが平伏する。
その時、空間の端から破砕音が響き渡った。何者かにスケルトンが粉砕されたのだ。
ダンジョンでスケルトンを粉砕する輩など、冒険者に決まっている。
スケルトンたちはすぐに戦闘態勢に移行した。
「うっわ、なんだアレ、きめぇww」
「スケルトンに筋肉がついてるな。異常個体か?」
「グロすぎなんですけどー」
冒険者たちが口々に筋肉をまとうその魔物を評価する。
当の魔物は、ショックを受けていた。
冒険者たちの評価に、ではない。
冒険者たちの立派な筋肉に、計り知れないほどの衝撃を受けていたのだ。
自らのそれがいかに矮小な筋肉であったのか、事実をつきつけられた魔物は膝蓋大腿関節から力が抜けて行った。ようするに、膝から崩れ落ちた。
「なんか戦意をなくしてるっぽいし、あのきめぇのからやっちまおうぜ」
「さんせーい」
冒険者たちが向かってくる。
しかし、魔物は感動していた。
自らの矮小さを知らしめてくれたあの筋肉に打倒されるのならば、本望だと。
だが、冒険者たちが構えたモノを見て、愕然とする。
武骨なハンマーだ。なるほど、骨の魔物であるスケルトンを相手取るのならば打撃武器の中でも重量級のハンマーは最適だろう。
でも、ダメだ。ダメなのだ。
魔物の心を蹂躙する、理不尽。
魔物は声にならない悲鳴を上げる。
それほどに立派な筋肉を持ちながら、何故に武器に頼っているのだ、と!
ダンジョン内の魔物は一定の時間が過ぎると再構成され、復活を遂げる。
蘇った筋肉付きスケルトンは、まるで悪夢を見たような気分だった。
あれほどに立派な筋肉を持ちながら、武器に頼る惰弱な冒険者に絶望していた。
あまつさえ、そんな惰弱な冒険者に一時とはいえ感動し、あまつさえ自らの筋肉を動かすことなく敗北を喫した自分自身に、絶望さえも生ぬるい感情を抱いていた。
駄目だ、こんな事では。
「筋☆肉――」
自らを励ますために呟こうとしたその言葉を、途中で止める。
自らに、筋肉を最高だなどと称える資格がない事に気付いたのだ。
アイデンティティの崩壊である。
旅に出よう。筋肉を鍛える旅に。惰弱な人間どもを沸き踊る筋肉で改心させる旅に出るのだ。
偉大なる言葉「筋☆肉☆最☆高!」は、自らが納得できるほどの筋肉を身につけたときに改めて、歓喜を持って口にするのだ。
それが、筋肉に対する誠意だった。
魔物は立ち上がる。
筋肉を誇る旅が、いま始まる!
始まらないんだな、これが。