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君へ「ありがとう」 作者:要徹
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一 語り始め

 この作品の制作時期は2009年9月頃で、過去作品となります。当時の私のオリジナリティを尊重する為、誤字や脱字などの修正を除いて手を加えません。気になる部分は多いと思いますが、前作と比較して作者の成長を感じ取ってもらえればと思います。

     一 

 黄金に輝くイチョウ並木を清涼な風が吹き抜ける。風が吹く度に金木犀(きんもくせい)の香りが周囲に漂う。その香りを胸一杯に吸い込みながら、ある男が歩いて行く。
 男は長い髪を左右に分け、スーツを着用し、凛々(りり)しい顔つきである場所を目指す。ある場所とは、取引相手の会社だ。失敗の出来ない重要な商談がこれから待ち構えているのだ。
 会社が近づいてくるにつれ、自然と体が強張りはじめる。男は気を落ち着けるため、ポケットから飴玉を一つ取り出し、封を開いて口に放り込んだ。甘い葡萄(ぶどう)の味が口の中いっぱいに広がる。
 飴玉を舐めながら歩いていると、取引先の会社が見えてきた。それは荘厳な雰囲気をまとい、近づき難い。しかし、それでも彼は行かなくてはならない。男の勤める会社の存続がかかっているのだ。

 男の勤める会社はどこにでもある中小企業の一つだ。だが中小企業といっても、かなりの売り上げ実績を誇っており、その勢いは大企業をも凌駕(りょうが)するほどだった。だが、昨今の金融危機の余波を受け、今や倒産の危機に瀕している。会社はリストラなどの措置を行ったが、経営状況が改善されることはなかった。そんな路頭に迷っていた企業に天から蜘蛛の糸が垂らされたのだ。
『一度弊社に来て、商品の説明を行っていただけませんか』と。
 男の勤める会社の社長は、この機会を逃すまいと、会社一番の古株であり、数々の交渉を成功させた彼に、この仕事を一任したのだ。どうせこの商談が成立しなければ自分も終わりだ、と考えた彼は社長の任命を快く受けた。

 普段よりも念入りに髪型を整え、髭を丁寧に剃り、スーツはクリーニングに出して見栄え良くした。
 準備は万端であるのにも関わらず、いざ会社を目にすると、体は言うことを聞かなかった。男が左腕に付けた時計を見てみると、九時三十分を指していた。まだ商談まで時間が少しあった。
 男はもう一つポケットから飴玉を取り出し、口に頬張った。ころころと飴玉を口の中で転がし、気を落ち着けた。それでもまだ落ち着かない彼は、近くに備え付けられていた自動販売機で、ソーダ水を購入した。ひやりとした缶がとても心地好い。男は煙草も酒もしない。その代わりに炭酸飲料を愛飲しているのだ。ぱちぱちと弾ける炭酸が彼の心を落ち着けた。
 男はソーダ水を一気に飲み干すと、それをゴミかごへと放り投げた。金属の触れ合う音が周囲に響く。そして、大きく深呼吸をすると会社の中へと入って行った。

 中は外見の荘厳さとはうってかわって、質素なものだった。特に派手に飾りつけられているわけでもなく、どこにでもある、ありきたりな内部構造をしていた。
 受付へと真っ直ぐに向かっていき、挨拶をし、名刺を差し出した。受付嬢も元気よくそれに応えた。
「お待ちしておりました。鹿島様ですね。ご案内致しますので、ご一緒についてきてくださいませ」
 鹿島は一礼してから受付嬢について行った。エレベーターに乗り、七階にある会議室へと向かった。七階です、という機械音がエレベーター内部に響くと、緩やかな速度で扉が左右に開いた。
「どうぞ。そちらの部屋で担当がお待ちしております」
 受付嬢は一礼すると、エレベーターでまた下へと戻っていった。
 鹿島は緊張のあまり、礼を言うことを忘れていた。

 鹿島は一抹(いちまつ)の不安を抱えながら、会議室の扉をノックした。すると、中から男の声が返ってきた。そして、鹿島はノブをゆっくりと回し、扉を開いた。
 中には短髪で、目尻が垂れている男が椅子に座っていた。その椅子は真っ黒で、程よく(つや)がかかっており、とても高級そうに見える。
 鹿島は緊張で声が出せずにいた。会議室が重々しい沈黙に包まれている。その沈黙が破られるまで、一分となかったが、鹿島にはその時間が一時間のように感じられた。
「おはようございます」
 短髪の男が沈黙を破った。鹿島も慌てて頭を下げ、おはようございます、と挨拶をした。
「どうぞ、こちらへ来て座ってください」
「あ、はい。遠慮なく」
 鹿島は椅子に座ると、重大なことを思い出した。名刺を渡すこと忘れていたのだ。鹿島は狼狽(ろうばい)して椅子から立ち上がり、申し訳ない、と謝った。鹿島のその慌てようとは裏腹に、短髪の男は笑っていた。

 鹿島は名刺ケースから自分の名刺を取り出そうとした。が、あまりに慌てていたためにバラバラと名刺を床へ落としてしまった。鹿島は急いでそれらを拾う。鹿島が慌てていると、短髪の男が屈み込み、一枚の写真を拾い上げた。その写真には、万国旗を背景に、笑顔の子供二人が写っていた。

「娘さんと、息子さんですか?」
 鹿島はすべての名刺を拾い終わると、短髪の男の質問に答えた。
「ええ。今年で十二歳と八歳です」
「それはそれは。可愛い年頃でしょう?」
「ええ、本当に。ですけど、手がかかりましてね」
 鹿島は苦笑いを一つした。手がかかるとは言ったが、それも鹿島にとっては気にならないことだった。それほどまでに娘と息子が可愛いのだ。
「この写真は、運動会のものですか?」
「今年の運動会で撮影したものですね。息子がリレーで一等賞を取りまして。その記念です」
「そういえば、もうそういう時期なんですね」

 短髪の男が窓から外を眺める。短髪の男が鹿島の方を振り返ると、鹿島が声を押し殺して泣いていた。
「どうかなさいましたか?」
 鹿島は涙をハンカチで拭きとり、鼻をすすった。
「いえ、運動会に少し思い出がありましてね。その時のことと、親友のことを思い出しましてね」
「ほう、それは興味深い。よろしければ話していただけませんか? 商談なんて、その後でも良いでしょう」
 短髪の男は椅子へと座り、机に置かれている茶を啜った。
「よろしいのですか? 少し長くなるかもしれませんが」
「ええ、構いませんとも」
「それでは、リクエストにお答えして」
 鹿島も高級そうな椅子に腰掛け、一口茶をすすった。
 そして、彼の運動会での出来事を話し始めた。

「どこからお話しましょうか。ああそうだ。私は小学生でした。あの時も今と同じようにイチョウや金木犀が綺麗な時期でしたね。私はいつもこの時期が憂鬱(ゆううつ)で仕方がなくて――」

 鹿島は淡々と思い出を語っていく。
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