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カボチャ頭のランタン 作者:mm

01.Take Me By Storm

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001

001

 三日ぶりに見る空は、燃えるようなオレンジに染まっていた。夕と夜のちょうど中間ぐらいの時間帯なので、わずかに墨を混ぜたような暗さもある。後二時間もすると、空は藍色に変わるだろう。うんざりするような、安心するようないつもの空だ。
「ランタンさん、相変わらず時間ピッタリっすね」
 引き上げ屋(サルベージャー)が慣れた手つきでランタンの腰からフックを外し、鋼鉄のロープを丸めながら回収していく。ランタンは日光とも呼べない薄暮れの光に目を細めながら、老人のように呻いた。
 今回潜った迷宮は、地表から一層までそれほど深くはないのだが、それでも引き上げられるときに感じる内臓の圧迫感はいつまで経っても好きになれない。儲けがあるのはいいことだが、行きよりも随分と重たくなった背嚢(はいのう)の背負い紐が身体に食い込んで鈍く痛む。
「五分前行動が業界の常識なんでしょ?」
 パキパキと首を鳴らしながら言うと、引き上げ屋は声を上げて笑った。
「それはうちの業界の話であって、探索者業界で時間厳守の人間なんていないっすよ」
 もう何度も行ったやり取りだが、引き上げ屋の笑い声に作り物臭さはない。ランタンもつられて口角を上げた。
「現物払いでいい?」
「大丈夫っす」
 引き上げ料金は半額を前金として払っている。残りの支払い金は持ち合わせているが、それは帰る道すがらの夕飯代にしたくなった。本来なら探索者ギルドに寄って、背嚢に収められた魔精結晶を換金する予定だったのだが、迷宮探索で予想外に気力を消耗してしまった。
 ランタンは背嚢を下ろし、中から戦利品である迷宮兎から刈り取った無色の魔精結晶を取り出した。
 笹形の結晶を一枚、引き上げ屋に渡す。引き上げ屋は懐から小さな結晶製のハンマーを取り出すと、様々な角度から何度もそれを叩いた。結晶はか細く鳴くように、キンキンと音を立てた。
「三級品っすね。結晶八枚ってところっす」
 悪びれることもなく三級品と言ってのけた引き上げ屋に、ランタンは文句なく従った。やろうと思えば一枚程度は値切れただろうが、ランタンの鑑定予想と変わらなかったからだ。それに迷宮探索に欠かせない引き上げ屋と揉めて得をすることはない。
「はい、確かにいただいたっす。またご贔屓にお願いします」
 引き上げ屋は金属製の集金箱に結晶を収めると、商売用の満点の笑顔を作って頭を下げた。
「いやしかし、三級品とはいえ大量っすね。一財産じゃないですか」
 八枚失われても背嚢の中にはジャラリと音を立てるほどの魔精結晶が収められている。ランタンは面倒そうに頷いて、背嚢の口をきつく閉じた。
 背嚢の中に入っているのは全て迷宮兎から刈り取った魔精結晶である。
 斥候兎とも呼ばれるこの魔物は四、五匹で迷宮内を彷徨(うろつ)き、探索者を見つけると牙を剥いて襲い掛かってくる。そして同時に仲間を呼ぶのである。迷宮兎の耐久力はそれほどでもないので、さっさと全滅させてしまえればよいのだが、一匹でも逃がしてしまうと後に訪れるのは地獄の消耗戦である。
 その地獄たるやげっそりとしたランタンの姿に見て取れる。単独(ソロ)探索者にとってはこれが死に繋がることは珍しくない、らしい。
 ランタンが生きて再び地表を踏めたことは、実力と幾ばくかの幸運の賜である。
 ランタンが背を向けようとすると、引き上げ屋が声を潜めてつぶやいた。
「ランタンさんなら大丈夫でしょうが、襲撃者(レイダー)崩れが下街に入ったらしいっす。気をつけてください」
「ありがとう。まぁ探索者なんか、みんな襲撃者崩れみたいなものだけど」
「ランタンさんはそんな風に見えないっすよ。ああ、そうだ。次回の探索予定は明々後日(しあさって)の一四〇〇時でよかったっすね?」
「――うん、そうだね。またお願い」
 引き上げ屋の確認に、記憶は朧気だったがランタンは頷いた。引き上げ屋がここで嘘を吐く理由はない。
「はい、畏まりました」
「じゃあね」
 顔だけ向けて、引き上げ屋に声をかけるとランタンは重い足取りでその場から立ち去った。
 迷宮特区と呼ばれる都市の中心は、治外法権の下街とはまた別の意味でトラブルの種が多く転がっている。気をつけていれば危険を避けられるが、それでもあまり長居したいとは思わない。
 背中が重たいこんな日は特に。
 大きなものから小さなものまで、そこら中に迷宮口の開いた特区には今から出発する気力満タンの探索者と、ランタンのような精根尽き果てた探索者、そして雇われの引き上げ屋が行き交っている。
 そしてその影に、疲労困憊、怪我満載で帰還した探索者相手に商売をする商人や攻略済み迷宮に入り御溢れを浚う死体漁り(スカベンジャー)が。そして更に深い闇の中に弱った探索者に襲いかかり、その生命ごと探索品を根こそぎ奪い去ろうと舌舐めずりする襲撃者がいるのだ。
 商人や死体漁りはやり過ぎない限り黙認されるが、襲撃者は相対した瞬間に殺しても罪に問われない。それどころか探索者仲間から一杯奢ってもらえるほどだ。
 ランタンは先ほど引き上げ屋から聞いた話を、半分どころか四分の一程度に聞いていた。下街には多くの探索者が住んでいる。襲撃者の噂がたったら、嬉々として襲撃者刈りに繰り出すような荒くれ者が大量にいるのだ。話が真実だったとしたら、今ごろ大通りに襲撃者の首が飾られていることだろう。
 襲撃者は探索者にとって唾棄すべき存在であるが、しかし探索者もまた油断はならない。
 気は優しくて力持ちを地で行く者もいるが、暴力を生業としているだけあって、多くのことを腕力で片付けようとする者は多い。襲撃者のように殺しこそしないが、同業者相手に小遣い稼ぎ(カツアゲ)をすることも珍しい話ではない。
 ランタンは特区と下街を隔てる南門が近くになると、背嚢を改めて背負いなおし、重い体に鞭打ってびしりと背筋を伸ばす。地面を蹴る足取りをしっかりしたものに変えると、それだけで多くの面倒事は遠ざかっていく。
 南門を抜けると、廃墟のような町並みが広がっている。全体的にくすんだ灰色をしていて、南門から続く下街で最大の大通りですら舗装がされていない。
 だがそこの住人たちは活き活きとしている。
 通りの左右には露天が立ち並んでいる。武器防具の類から生活用品。食料品から酒に始まる嗜好品。靴磨きに武器防具磨き、換金屋から娼婦まで。
 ちょうど夕飯時なので飯屋台が多く出ていて、人族も亜人族もごった煮になっている。なんだかよくわからない料理や違法密造酒を売っている屋台を避けて、肉の焼ける匂いに引き寄せられた。
 下街でよく見かける大鼠の肉ではない、牛の丸焼きだ。首を落として皮を剥ぎ、膝から下を切り落とし内臓を綺麗に洗ってある。尻から太い鉄串が貫通させてあり、炭火で回し焼かれている。牛の頭と足は膝から下が切り取られ、そちらは隣の屋台でスープにして売っている。
 この屋台は上街から出張してきているようだ。
 上街に比べて下街は貧民街といっても間違いはない。
 しかし日銭を稼ぎどうにか今日を生きる貧者が多く住む一方で、ランタンと同じような探索者も多く住んでいる。そして探索者の多くは高給取りであり、浪費家だ。武器防具の点検整備(メンテナンス)に始まり、引き上げ屋や回復薬(ポーション)に代表される各種薬品。命を繋ぐための必要経費を惜しむ者はない。そして明日終わるかもしれない人生を謳歌するために、酒や飯もまた心の赴くままに(むさぼ)るのだ。
 ランタンは探索者にしては珍しく節約家の気があるが、それでもこの肉の焼ける匂いには抗い難かった。背中にある重みもまた、財布の紐を緩める要因となった。
 回し焼かれている牛は、もう随分と痩せてしまっていた。注文が入る度に店主の蜥蜴(トカゲ)人族が迷宮にでも活躍しそうな大振りの包丁で肉を削いでいるのだ。
 ゴクリと喉を鳴らしたランタンに、店主がギザギザの歯を剥いて笑いかけた。
「坊ちゃんどうだい? うまいぞー!」
「尻の肉、一人分おねがい、持って帰るから包んで」
「お、通だね。あいよっ!」
 店主はニヤリと笑ってランタンが望んだ通り、尻の肉を薄く削ぎ落した。油紙の上にこんもりと盛られている肉はほくほくと湯気が立っている。店主は器用にそれを包むと、冷めない内にな、とランタンにそれを寄越した。金を払い、隣のスープ屋で全く同じ蜥蜴顔の店主に持参の金属カップにスープを注いでもらった。
 歩き食いしてもよかったが、家までそれほど距離があるわけではない。懐にしまった肉の暖かさが今は逆に辛いが、どうせなら一人で静かに座って食事をしたい気分だった。
 路地に入り、奥へ奥へと進んでいくと次第に喧騒が消えていく。いくつかの迷路のような辻を曲がると、朽ちた集合住宅(アパートメント)が現れる。二階建ての建物で一階部分は完全に廃墟となっていて人の住むことが出来る状態ではない。今にも崩れ落ちそうな外階段を上り、四つ立ち並んだ部屋の最も奥の部屋がランタンの棲家だった。
 この集合住宅で唯一ランタンの眼鏡に適った部屋である。
 金属製の扉がついており、おもちゃ程度の性能しか無いが鍵も備わっている。窓ガラスは全て割れてしまっていたが窓自体が石壁で塞がれて、隙間風も雨漏りの心配もいらない。
 閉塞感こそあるが、奥まった場所に建っていることもあり静かで、寝起きするには十分な物件だった。
 ランタンは扉の前に立つと、腰にぶらさげた戦鎚(ウォーハンマー)に手を伸ばした。静寂で満たされているはずの室内から、声が聞こえるのだ。
 ここはランタンの部屋だ。だが物件を買い取ったわけでも借り上げているわけでもない。勝手に住み着いているだけだ。数日部屋を空けているだけで、他人が住み着いたというのは珍しいことではない。人が住んでいた部屋は、要は管理されていた部屋なので住むにあたって都合がいいのだ。
 こういった場合の対処法は三つある。
 諦めるか、話し合いをするか、暴力によって決着を付けるかだ。そして最も多くとられる方法は暴力であり、ランタンもそれを行使することに、好ましい手法であるとは思っていないが、躊躇いはない。特に疲れていて、さっさと食事を済ませて眠りにつきたいこんな日は、話し合いは面倒だった。
 ランタンは夕飯を扉から離れた場所に置いて、ひんやりと冷たい扉に耳をつけた。ぼわぼわと反響して会話を聞き取ることは出来ないが、複数の声を確認することができる。破裂するような怒声があることから何か揉め事をしているようだった。
 室内に居るのはおそらく多くても五人程度だろう。ランタンは擦過音が鳴らないようにドアノブを捻り、じりじりと扉を押し開けた。幸運にもチェーンロックはされていない。僅かな隙間から中を伺うことは出来ないが、声はよく聞こえる。侵入者は扉が開いたことにも気が付かないほど白熱している。
 おそらく探索者集団(パーティ)私刑リンチのような会議をしているのだろう。暴力に酔う声が三つと傷めつけられている声が一つ。議題は探索で失敗を犯した者の吊るしあげだろうか。単独探索者のランタンには馴染みのないものだが、あるいはだからこそ感じたのかもしれないが、どうにも一方的すぎる。
 他集団の揉め事に首を突っ込むのは野暮だが、ランタンにはちょうどよく大義名分がある。腹は減ったし、眠たいし、自分の部屋で揉め事を起こされている。
 それに室内での振る舞いを聞くに、侵入者の脅威度はそれほど高くは無さそうだ。
 少し脅せば、追い出せるかもしれない。そう考えてランタンは戦鎚の振りを確かめて、扉を開け放った。
 部屋の中は天井に吊るされた光源に照らされて仄明るい。その明るさはいつものものだが、三日前とは明らかに別の他人の臭いが充満している。床にはいくつものゴミが散乱していて、見慣れた保存食の食い散らかしもある。
 そしてボロボロに使用されたベッドが目に入った瞬間、ランタンは急な乱入者に色めき立つ室内に歩を進めた。
 私刑を受けてボロ雑巾のようにうつ伏せに倒れて動かぬ者が一人。それを囲む暴力を執行していたものが二人。土足でベッドの上に胡座をかき指示を出す者が一人。これがリーダー格だろう。
 ボロ雑巾はボロボロ過ぎてよくわからないが、三人の男はその誰もが暴力的な容姿をしている。探索者のようでもあり襲撃者のようでもある。もしかしたら引き上げ屋が言っていた襲撃者崩れ本人たちかもしれない。
 なるほど、崩れ、と呼ばれるだけのことはある。なにもかもが落第点だ。
「なんだテメェ!」
 ランタンの姿を上から下まで眺めたリーダー格の目には侮りがあった。彼らに比べてランタンはあまりに小さく細い身体つきをしている。探索帰りの薄汚れた姿や疲れている青白い顔。手に持った戦鎚が重たそうで、戦士ごっこをする子供のように見えたのだろう。
「ここの家主さ。さっさと出て行くのなら、見逃してやる」
 さも面倒くさそうに言い放ったランタンに、男たちは顔を歪めた。苛立ちと怒りとニヤつきの混ざったなんとも言えない顔だ。
「どおりで綺麗な部屋だと思ったぜ。そいつは悪かったなぁ、汚しちまって」
 判っていたことだがこれはダメだな、とランタンは思った。どうにも言葉で威圧をするのは苦手だ。
 ランタンはぐるりと男たちを見渡した。二人の男は腰から剣を抜いてランタンに(きっさき)を向けて構えている。一目で鈍らと判る曇った輝きを恥ずかしげもなく晒しているのにも拘らず、リーダー格の男は未だベッドに腰を下ろしたままで余裕を見せていた。
「だがまぁ安心しな。これからは綺麗に使ってやるよ」
 下品な笑い声にランタンの視線は冷たくなった。軽蔑侮蔑と言うよりは呆れの視線だ。うんざりがそのまま溜息となって吐き出されると、男たちはいきり立った。
「こ――」
 のやろう馬鹿にしてんのか、などと続くであろう罵声は言葉にはならなかった。
 ランタンは一足飛びに剣の隙間をすり抜けると、反応できない二人を無視してリーダー格に向かって戦鎚を振るった。
 ランタンの使う戦鎚は片側が丸頭になり、もう片方が鶴嘴になっている。ランタンは鶴嘴で男の頬を貫くと、そのまま力任せにベッドから引きずり落とした。びきりと傷口が広がって男は呻いた。
「出て行けと言ったんだが、理解できないか?」
 ランタンは汚れたベッドを悲しそうに見つめて、床で転げる男の顔を踏みつけ動きを止めると、ぐりと捻って頬から鶴嘴を引き抜いた。男はさらに絶叫とも呼べる悲鳴を上げたが、頬から空気が抜けていまいち緊迫感に欠ける音色になった。
「うるさいよ」
 ランタンは男を二人の方に蹴り飛ばして、これ以上ベッドが汚されないように身体を入れ替えた。泥や食べ滓の汚れは洗えば落ちるが、血汚れを落とすのはなかなか難しい。
 ランタンは三人に戦鎚を向けると、威圧感を込めて睨む。
「これ以上やるなら、殺す」 
 彼我の差は明白だろう。だが彼らは愚かにも向かってきた。
「ひめぇえら、ひゃれっ!」
 床で呻いていたリーダー格が頬から空気の漏れる声で二人を(けしか)けたのだ。情けない姿を見せても手下二人を動かす力があるのは、予想外だった。
 剣を、一人は腰溜めに構えて、もう一人は上段に振りあげて突っ込んでくる。
「おおおぉぉぉ!」
 威勢だけは一人前だ。気合の声がビリビリと鼓膜を震わせた。
 ランタンは腹に向かって突き出される鋒を戦鎚で軽く払った。それだけで剣の先は飴細工のように欠け、そのまま突き出した鎚頭に、慣性に従って男が突っ込んでくる。
「ぐえぇ」
 ランタンは鳩尾にめり込んだ鎚頭を軽く捻り込み服を絡めとると、一度手前に引いて男の体勢を崩し、そして放り投げるように剣を振り下ろす男の方へと押し出した。
 室内で嘔吐でもされたらたまらない、と随分と手加減をしたがそれでも男は二人は仲良く入口の近くまで吹き飛んだ。からんと剣が床に転がる音だけが虚しく響いている。
「……なんなんだよ、てめぇは。くそ、くそったれが!」
 傷口を埋めるように、いつの間にか口元に布切れを巻きつけたリーダー格がまともな言葉で怨嗟の声を上げた。痛みと怒りと、出血によって顔を真っ赤に染め上げている。ランタンに指し向けるナイフが鋭い輝きを放つ。業物とまではいかないだろうが、悪くない品質である。奪えれば多少の補償にはなりそうだ。
 男は怒っているものの不用意に斬り掛かってはこなかった。
 腕自体のリーチは男のほうが断然に長いが、武器を含めればランタンと同じ程度だろう。それに男はただ情けなく地面に転がっていただけではなく、ランタンが先の戦闘であっさりと鋒を払ったのを見ていたのだ。ランタンの間合いのギリギリまで近づくと、それ以上は寄って来なかった。
 男の、さらに後ろでは吹き飛ばした男たちが起き上がろうとしている。鳩尾を潰した男はともかくもう一人のダメージはあまりない。戦意が失われていなければ、すぐに向かってくるだろう。
 ランタンが戦鎚の握りを確かめた。狙いはナイフを握る手だ。
 ――砕く。
 ランタンが一歩踏み出そうとほんの僅か前傾した瞬間、男が叫んだ。
「捕らえろ!」
 声とほとんど同時に今まで倒れていたボロ雑巾が恐るべき速度でランタンの身体に手を伸ばす。腕がランタンの片足に絡みついた。まるで蛇のように服の上から細い指先が噛み付いてくる。
 ランタンの意識がボロ雑巾に向けられる。その一瞬を見逃さずリーダー格がランタンの喉を目掛けてナイフを走らせた。必殺の一撃と言っていい速さと重さが備わっている。
 喉を裂くその瞬間、男の口元に牙を剥くような笑みが浮び、そして凍りついた。
 ごう、と鈍い音を立てて旋風が吹いた。ランタンが戦鎚を振るったのだ。鎚頭が足元から、僅かな腰の回転と腕の力だけで、男が知覚する間もなく振りあげられていた。
 風切り音が聞こえた時には、男はナイフを振るった腕の肘から先を失っていた。戦鎚が関節を砕き、勢いそのままに引きちぎったのだ。手首をぶらさげたナイフが冗談のように天井に突き刺さった。
「――足止めをしろォォォォ!」
 リーダー格は悲鳴混じりの叫び声を上げて、腕から溢れる赤い痛みも無いように反転して一目散に走りだした。先に吹き飛ばしていた男たちもどうにか身を起こしていて、すでに玄関の扉を開け放って逃走を開始している。なんとも潔いよい逃げ足だ。最初からこの潔さを見せていれば腕を失うこともなかっただろう。
 見逃しても良かった。ボロ雑巾さえ居なければ。
 命令に忠実に従い、ランタンの前に立ちはだかったボロ雑巾はさながら亡者のようだ。ゆらりとしたその雰囲気だけがそう思わせたのではない。ボロ雑巾の容姿は異形じみている。
 身長はランタンとほとんど変わらないが、酷い猫背なので背筋を伸ばせば頭一つ分は高くなりそうだ。浮浪児よりもよっぽど汚れた貫頭衣(チュニック)とまるで蓑虫のようにボサボサと伸びたほとんど白い髪に身体が覆われているが、それでも酷く痩せているのが判る。白髪の隙間から覗く、落ち窪んだ瞳がぎょろりと大きい。恐怖に震えている。
 その瞳さえなければ動く死体(リビングデッド)と区別がつかない容貌だ。
 恐怖がある。今にも失神しそうなほどの悲壮な恐怖がボロ雑巾の顔には充満していた。だというのにも関わらすボロ雑巾は槍のように細い手足を広げて、ランタンの行く手を遮っている。
 行動と意志が釣り合っていない。足止めをする、というのはリーダー格の意志でボロ雑巾の意志ではない。だがリーダー格の命令に従っているのはボロ雑巾の意思の筈だ。筈なのだが、どうも変だ。恐怖によって縛り付けられているのかもしれないが、今ランタンに立ち向かう恐怖も並大抵のものではない。
 殺すのは簡単だが、ランタンは殺したくなかった。
 経緯は知らないが探索者仲間から私刑を受け、更に捨て駒にされ、真意はどうであれそれを実行し、あっけなく殺される。それはあんまりにも切なすぎる。ボロ雑巾がランタンを殺そうと向かってくるならともかく、ボロ雑巾はランタンの行く手をただ遮っているだけだ。殺意は一欠片も感じない。
 適当に打ち倒すにも、少し小突いただけで砕けて死んでしまいそうな痩躯がランタンに戦鎚を振るのを躊躇わせた。
 だが躊躇は一瞬。ランタンはボロ雑巾の足元に狙いを定めて、身体を沈めた。砂像のように、打てば全てが砕ける訳ではない。関節から狙いを外せば、慈悲にもなる。そう自分を納得させた。
 放った戦鎚は気合の乗った一撃ではないが、それでも手を抜いたわけではない。ランタンの意識はすでに玄関の外へ逃げた男たちに向かっている。
 戦鎚は空を砕いた。
「は」
 不測の事態と鎚頭の重みに身体が泳ぎそうになる。しかしランタンは即座に意識を切り替えた。
 戦闘靴(ブーツ)の底が摩擦で焦げる。ランタンは足を踏ん張ると、切り裂くような鋭さで戦鎚を切り返した。風切り音が後からついてくるほどの速度で、鶴嘴がボロ雑巾の顔を狙った。
 しかし鶴嘴が刈り取ったのは、白髪の一筋だけだった。顎を砕くように繰り出した追撃は皮膚に掠りもしなかった。一筋の銀線でしかない戦鎚の軌跡が、驚くべきことにこのボロ雑巾には見えているのだ。
 これほどの実力があるのに、何故あの男たちに従っているのか。
 戦鎚の軌跡に遅れて巻き起こった衝撃がボロ雑巾の髪を翻らせた。頭蓋骨に皮を貼り付けただけの痩せた顔だ。肉のない顔だが、どこかしら柔らかさがある。
 ランタンは憂鬱そうに眉根に皺を寄せて、追撃の手を緩めた。ランタンの顔から表情が消えた。
 ボロ雑巾は、女だ。
 その事実だけがランタンを冷静にさせたのではない。
 骸骨顔(スカルフェイス)を乗せた細首を装う首輪に見覚えがあった。銀に脈動するその首輪は奴隷(スレイブ)首輪(チョーカー)と呼ばれる魔道式の装備品だ。命令(オーダー)指輪(リング)と対になる装備品で、指輪の持ち主の命令を首輪を着けた者に強制服従させる効果を持っている。
 あまり複雑な命令や、強烈な忌避のある命令は上手く服従させることが出来ないこともあるが、ボロ雑巾に下されたような単純な命令はその品質によっては死ぬまで失われないだろう。
 首輪を壊す事が出来れば、命令は止まる。だがボロ雑巾の反応速度をかい潜って、首輪だけは破壊するのはなかなか難しい。ならば方法は一つだ。
 ランタンの足元が、爆ぜる。
 文字通りの爆発にランタンの身体が瞬間的に加速して押し出された。床から壁へ、壁から玄関へ弾け飛んだランタンの超加速に、魔道的な命令が追いつかない。それでも素晴らしい反応速度でボロ雑巾がランタンを追って反転した時には、ランタンの身体はすでに二階から飛び降りていた。
 血の道標のその先に逃げる男達の小さな背中が見えて、ランタンはニヤリと唇を歪めた。ひとっ飛びの距離だ。ランタンは着地と同時に、地面を抉る爆発加速を駆使して、男たちの背を抜き去りその眼前に立ちふさがった。
「ひぃっ」
 ランタンは抜き去る瞬間に、手下の一人の後頭部を砕いた。顔の穴のすべてから血液を溢れさせ人形のように崩れ落ちた男と、命令を遂行しようと激走してくる女の姿を見比べてランタンは呟いた。
「はずれか」
 女の呪縛を解くには、首輪か指輪のどちらかをどうにかすればいい。指輪の使用者が命令の中止を告げるか、指輪を外すか、装着者が死ねばそれで終いだ。
 装着者は命令を下したリーダー格だろう。そう判っていて手下を殺したのは、ランタンの意識に怒りが混ざったからだ。とても残酷な気分だった。
「ぁ、わ、悪かった。あいつは止める、だから見逃してくれ!!」
 失血と恐怖で顔を青くした男たちが、地に頭を擦り付け這いつくばって必死な姿で命乞いを始めた。だが見下ろすランタンはそれを間髪入れず一蹴した。
「いやだ」
「金も出すっ! だから!!」
「殺したあと、全てを貰う。宿泊費だ、安いものさ」
 男たちは項垂れた顔を上げて、淡々と言葉を返すランタンを睨みつけた。行き場のない絶望や怒りや恐怖、様々なものが綯い交ぜとなった視線。それがランタンの瞳と絡まった瞬間に、驚愕に変わった。
 焦茶色だったランタンの瞳に、炎が灯っている。口元も裂けるような三日月が浮かび、瞳がケラケラと笑った。
「は、は、はは」
 男たちの表情が今度は驚愕から、諦めに変わった。口元から漏れる笑い声は乾いている。
 茶から橙に、橙から赤に揺らめく光芒の瞳には、静かに燃える石炭のような幽明さがある。その揺らめきに見つめられた者は、誰も生きてはいない。
 燃える瞳のランタンを見て誰かが呼んだ。
カボチャ頭(パンプキンヘッド)……」
 呟くような、祈るような。それが男の最後の言葉となった。
 肺腑を揺らす破裂音が炸裂すると、死体が二つ増えた。爆炎を纏う戦鎚が男たちの頭を砕いて消し炭に変えたのだ。雪のような灰が辺りを漂って、黒く炭化した首からじくじくと血が染み出す死体が礼拝するような姿勢で突っ伏した。地面に染みた血が失われた顔の影のように広がっている。
 この世界の人生の終着点としては、痛みがないだけましな部類だ。
 ランタンは熱を持った戦鎚を一度素振りして冷ますと腰に戻した。
 幕引きの奥に唯一の生き残りがいる。一瞬で沸騰した大気に立ち上る陽炎の向こう側で、膝から崩れるように女の転ぶ姿が目に入った。呪縛から逃れたというのにもかかわらず、その姿は糸が切れた人形そのものだ。
「あーあ、痛そう」
 すっかりと焦茶色に戻った瞳でランタンは他人ごとのように呟いた。
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