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〜ミスティ・ローズの部屋へようこそ〜
作:あんじぇ



第八話 美咲


 初めてのひとり暮しに、美咲のテンションは上がりっぱなしだ。
(完璧なものにしなきゃ)
 この数日、風水の本を片手に生活している。
 
 美咲は三十四歳。

 いわゆる、バツイチであり、二十八歳で出戻ってからずっと、実家で窮屈な思いをしていた。いまや両親とも、ほとんど会話らしい会話はない。

 結婚してわずか三ヶ月で、自分が結婚に向かないのを知った。

 ――毎日毎日面白くもない家事をやって、旦那のいいなりになるなんて、馬鹿みたい。私の人生なのに。

 それでも三年我慢し、義母から「美咲さん、子供作る気ないの? 照男が可哀相じゃない」と面と向かって言われたことをきっかけに、離婚に踏み切った。
 後悔はしていない。

 
 美咲はローズの店の常連であった。
 今日は何軒かの賃貸住宅物件のコピーを持参してきていた。

「この四軒のうち、いいのがありますか?」
「ふぅん、どれどれ」

 ローズはそれを受け取り、早速カードに聞いてみる。

 まず、一軒目。

「『塔』の逆、『太陽』の逆、『隠者』……か。何か日当たり悪そうだね」
「先生、ビンゴ! でも、新築だし、捨てがたいんです。どっちみち昼間は仕事でいないしね」
「洗濯物は?」
「そんなの! 乾燥機使いますから」
「あっそ。でも、太陽の射さない部屋は運気もよくないよ。よほどまめに掃除しなきゃ。美咲さん、できる?」
 美咲はぺろりと舌を出す。

「じゃあ、次行こうか。……『戦車』の逆、『女帝』の逆、『月』。これはどうみても、隣近所か大家さんの問題で悩みそうだわね。それか、あまり女性がひとりで住む環境じゃないのかも」
 美咲は「うーん」と唸って上を向いた。
「確かにS町だから……柄はよくないか。でも、安いんですよー」
「安全には代えられないよ、この時代」
 ローズがぱしりと言うと、「そーか」と言って今度はうつむいた。

「とりあえず次行くね。三軒目。えっと、『マジシャン』、『フール』、『節制』……うん、これはいいんじゃない?……あっと、『吊るし人』。ちょっと会社から遠い?」
「え。そうでもないですけど。実家もすぐ近くだし」
 それを聞いてローズは大きく頷く。
「それだ、美咲さん。きっと、お母様がしょっちゅう訪ねてくるわよ」
 美咲は大きく右手を振った。
「それはないですよー。だって母さんとはもうあまり会話もないんですよ。きっと私が出て行って、せいせいしますって」
「それは違うわよ。お母様、美咲さんのこと、大好きだと思うわよ」
「まあそう言えば」美咲の視線が宙を漂う。
「昔は、一緒に買い物に行こうってうるさくて。私が嫌がるものだから、最近は言わなくなったけど」
「親との思いでは、今のうちに作っておくべきよ」ローズがしみじみと言うのは、珍しいことだ。
「『親孝行、したいときには親はなし』って。あれ、本当よ……ま、いいか。次、最後のは」

 そのとき、「チリリン」とベルの音が響き、ドアがぎぎっと開いた。

 四十歳くらいの銀縁のメガネをかけた男性が顔だけのぞかせてローズを見ると、人差し指を一本立て、すぐにドアを閉めた。
 
 美咲はローズが頷いたのを見た。
(きっと先生の知り合いだ。上にいるっていう意味なんだ)
 このビルの一階には、スタバが入っている。

「先生、このあと、デート? いいなあ」
「いやね、そんなんじゃないわ」

 言いながら、目元が赤い。

「で、最後のはね……」

 無理に話を戻そうとするのも、怪しい。

「『力』、『正義』、『審判』の逆――吉凶混合ね。『星』も出てきたわよ、逆だけど」
「結構人気の物件みたいです。滅多に空かないって」
「あっ、じゃあ急いだ方がいいわ。もう誰かに借りられてるかも」
「えっ。ならすぐ電話します。――ここが一番いいですか?」
「そうね。ここと、三番目のが、おすすめ」
「わかりました。じゃ、電話、いいですか?」
「どうぞ」


 不動産屋に携帯で電話を始めた美咲を前に、ローズは部屋の時計をちらりと見た。

 ――もう少し、待ってもらおう。

 
「あっ、もしもし。私、二週間前にうかがった近田です。あのN通りの物件ですが……えっ? ああ、やっぱり」

 そのトーンの落とし方から、すでに先約が入ってしまったことがわかる。

(二週間前? だめでしょ、そりゃ)

 美咲が大げさに残念がっているのに申し訳ないが、ローズは美咲らしいと思い、思わず苦笑した。

 美咲はちっとも学ばない。
 いつもそのときばったりの人だ。
 彼女の霊数の人はたいていそうだが、考えるということをしない。常に直感や感覚で動いているのだ。
 結婚も、本来は合わない。三年続いただけでもたいしたものだ、とローズは思っていた。

 だけど、彼女はまた結婚するだろう。何しろ、学ばないんだから――。

 その瞬間瞬間、真剣で、きっと恋をしたらまた結婚してしまうだろう。
 純粋で、寂しがり屋の霊数だから。


「あー、やっぱりだめだった。もう決まってました。先生、ビンゴ」
「ビンゴじゃないわよ。当たり前よ、二週間も前だもの。ちょうど、引越しのシーズンだし」
「あっ、そうか……うっかりしてました」

 ――やれやれ。

「三番目のに決めれば? 美咲さん、寂しがり屋さんなんだし、実家に近い方がいいって。そして親孝行のことも考えてみて。何も特別なことなんてしなくていいから。ただ、声をかけてあげるだけで嬉しいんじゃないかしら。お母様とは時々一緒にショッピングでもしてね」

「うーん……考えてみます」

 そのとき、ふわっと美咲の後ろに眼鏡をかけ、白髪混じりの髪にパーマをあてた女性の姿が見えた。

「お母様かな……? 美咲さんの後ろにいて、とても心配してますよ。美咲さんのお母様って、何もかも、すべて自分で背負おうとしていらっしゃるのね。――もしかして、お父様どこかお悪いんじゃないかしら」
「えっ?」

 美咲がぎくりと顔をこわばらせた。「父さんが……」

「ちょっと健康状態がすぐれないと思いますよ。お母様、美咲さんにも助けて欲しいんじゃないかな……それとなく、聞いてみて。それから、松の木が見えます。庭に松の木がある?」
「あります。父が世話している――松の木」
「お父様はその松の木をとても心配してるみたい。手入れを手伝ってあげたらどうかな」
「嫌がるんです、他の人にまかせるのを。頑固だから」
「そう……。でもお父様がその松の木をとても大切にしていらっしゃることだけは、忘れないであげてね」

 とたんにしょんぼりと肩を落とすと、美咲は消え入りそうな声でつぶやいた。

「私――家を出るなんて――親不孝ですね。やめたほうがいいのかな」

 しかしローズは明るく、力強く言った。

「ううん、やめなくていいのよ。あなたは自分が思うように生きていい人なの。家を出て、ひとり暮らしを始めればいい。でも、ご両親の思いも感じてあげる必要はあるわね。親孝行なんて、たとえ地球の裏側にいてもやろうと思えばできるんだから」

 美咲はパッと笑顔になり、「わかりました。じゃあ三番目の物件にします」、 そう言うと立ち上がった。

 ――そうそう、それでいい。切り替えが早い。さすが霊数8。

「頑張ってね」
 優しく言った。

 心はすでに自分のことに向いている。

 ――そう、頑張らなきゃ、千登勢。












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