エルフ彼氏
「エルフもヨーグルトなんて食べるんだね」
言いながら隣に腰掛ける。彼の右手が私からコンビニのビニール袋を受け取り、中から私の分のソフトクリームを取り出してこちらにつきだした。
「エルフも、とは?」
室内でもニット帽は外さないのはその長い耳を隠すためだと思っていたけど、コートも着たままのところを見ると単に寒がりなだけかもしれない。
「うん、偏見なんだけどね。エルフって野菜しか食べないんだと思ってた」
ソフトクリームのキャップを外してさっそく口をつける私。
「そういうエルフもいますが、私は違います。人間にもそういう人はいるのでしょう?」
彼はヨーグルトをテーブルの上に置いて、二秒ほど目を閉じてから目を開いてまた二秒ほど正面を見据えた。それが何を意味する所作なのか、まだ聞けていない。食事の前には必ずそのようにするのだから、きっと意味は「いただきます」だ。
「ベジタリアンはいるけどさ。そういうのとは違うの。食べないんじゃなくて、食べられないんだと思ってた。森と共に生きてるっていうか……。草食動物のイメージ」
「森には肉食動物もいますよ」
ペリペリとカップの蓋を開けている指を見る。スピーディな動作なのに、開けた拍子にヨーグルトがはねてしまうようなことも無い。コツを今度聞いてみたい。
「エルフも人間も変わりませんよ。同じホモ・サピエンスです」
学名が出てくるのがまた面白くて、私はにやけてしまう。
「そうそう、同じ種なのよね……。子供も作れるって話だし」
言ってから照れてしまい、ちらりと彼を見る。だが彼に慌てた様子はなかった。驚いた様子もなかった。恥ずかしがる素振りも、照れも無かった。ただ、眉をひそめていた。
「常々思うのですが……、その作るという言い方、子供に対して使うのですか」
「何か変?」
少し慌てる。
「エルフの……いえ私の感覚から言えば変です。親が意図して子供を作るというのは腑に落ちません。子供というのは親の意志ではなく自らの意志によってこの世界に現れるのだと思うのですが」
「でもその……ほら、やることやんないと子供はできない訳でしょ」
自分一人どぎまぎしてしまうのが悔しくて、あえて明け透けな言い方を心がけてみたが、悲しいかな彼はどうとも思わないらしい。反応なし。つまらない。
「生殖行為が因、子が果だと言うのですか? 面白い考え方ですね。私はずっと、子が因、生殖行為や妊娠は果であると考えていました」
「イン? カ?」
余計なことを考えていた私は話を見失いかける。
「ああ、原因と結果、です」
言い直してくれた。私は右斜め上に視線を移動して考えつつ答える。
「つまり……、子供が生まれるということが先に決まっていて、妊娠するとか色々は後に決まることだってこと?」
彼は私の目線の方向を気にした。そっちに何かあると思ったのだろうか。別に何もない。私の思考回路があるだけだ。
「……そうです」
「時間軸で考えたら逆じゃない」
ヨーグルトはもう無くなっていた。食べるのが速いのもまた意外だ。
「はい、時間軸では逆ですが……」
彼は天井を見上げた。どうやら彼の思考回路はそちらにあるらしい。
「ええと……そう、人間にもそういう時間順序と因果関係が逆になっているような概念があった筈です。そう、たしか、シメイという概念です」
「氏名? ……あ、使命か」
頷く彼。
「生きている間になすべきことが決まっていて、そのために生まれてくる。ほら、時間軸でいえば因と果が逆でしょう。使命が因、誕生は果です」
私が頷くと、彼は嬉しそうな顔をした。言葉が通じた、と思ったのだろう。
「ふーん。わかる気は、する。だったらその、子供が生まれるのは「使命」よりも「運命」だね。その子が生まれてくるために、親になる男女が出会う。それがエルフの考え方なんだね」
私は頬杖をついた。ちびちびと食べているせいでソフトクリームはほとんど減っていない。
「全てのエルフに尋ねたことはありませんが、おそらくほとんどのエルフは「子を作る」という言い方はしません。もしも子が親の作品であると言うのなら、子の一切は親のものである筈です。一生親に従わねばならず、親が死ねば子も死ぬようにできている筈です。でも実際にはその逆で、子は親の死後も生きていきます。それが自然で……。だから親が子を作ったのではなく、子は自ら生まれてきたのだと考えるほうが自然です」
真面目な顔で言う彼。私も真面目な顔を崩さないように言い返してみる。
「でも……親が望んだから生まれてきたのでしょ」
私は舌を伸ばしてソフトクリームの山の側面を舐めた。はしたないかな、と心のどこかで思う。
「望んだのではなく、喜んだのだと思います」
「人間は人生を主体的に捉えているのよ」
彼は、なるほど、と言った。
「「作る」と訳されたエルフの言葉は、もともと自分が使うものを自分のために生み出すという意味が強いです。最後まで使うつもりのものを、です。もっと別の日本語に訳すべきだったのでしょうね」
私はふと、彼がさっきからずっと、黒いセーターに包まれた体の前で腕を組んでいたことに気づく。
「ねえ、寒いの?」
私が尋ねると、苦笑しながら私のソフトクリームを指さした。
「よく真冬にソフトクリームなんて食べられますね。杏子さんは」
*
彼とは大学で知り合った。告白してきたのは彼。私は告白されたのは人生で三回目だけど、エルフからは初めてだった。OKしたのも初めてだった。
そしてこれが最初のデートだった。まだ、どうしてOKしたのか自分でもわからない。彼がエルフだったからかもしれない。そうだとしたらとても失礼だ。
だけど礼儀の優先順位は恋のチャンスに比べれば高くない。自分の気持ちがいずれ恋心に変わっていくのか、それとも好奇心のままで終わるのか。これはギャンブル。
ただ……彼も私も同じ目に賭けている筈なのに、どこか私だけが一人負けしてしまうような不安がつきまとう。ささやかな乙女の秘密。
「杏子さん」
空になったヨーグルトのカップとソフトクリームのキャップをコンビニの袋に包んでゴミ箱に捨ててきた彼は、席に戻るなり真剣な口調で言った。いや、いつも彼は真剣だ。女の子と接する時にはもっと緩急をつけないといけないと思うな。
「この間、先輩に言われたことで一つわからないことがあります」
「ん? なぁに?」
先輩……サークルの先輩だろうか。それとも研究室の? 彼のことは理系の学生だということ以外はあまり知らない。
「私があなたに好きだと伝えたことを話したのですが……」
彼がそう続けたので、私は意識して目を丸く見開き、手を頬にあてた。驚いている、というジェスチャーだ。その実、そんなに驚いている訳ではない。彼が私とのことを黙っておくとは思っていなかった。ただ、それでも。それはできたばかりの彼女にはショックを与えるかもしれないことだと理解して貰いたかったのである。
「なんで言うの? 信じらんない」
いやいやまったく信じられる。むしろ信じていた。言うと信じていた程だよ杏子さんは。
彼は彼でまんまと私の反応に少しだけ慌てていた。
「いけなかったですか? しかし今日ここに来るためには先輩の手伝いの頼みを断る必要があったので、あなたと会うことを言うのが早いと思いまして」
あらま、合理的ですこと。
腕を組んで頬を膨らまして見せる。本気で怒った時にそんな表情をする人間はいない。
「私と付き合ってるって言っちゃった訳? 告白して三日よ? もう自分の女扱い?」
まあ、かくいう私も実は昨日、親友の桃子にカラオケに誘われた際にデートだと言ってしまっているが、そのことは棚にあげておく。私はそうやって棚にあげてばかりだ。二度と覗くことは無いであろう棚に。
「……誤解です。あなたが私の所有物だ等とは言っていませんし思ってもいません」
「知ってる」
知ってるとも。
「……ええと、では何を怒っているのですか?」
「怒ってない」
怒っていないとも。
「…………そうなのですか? それは早とちりしました。すいませんでした」
……そりゃ違う。早くもないし、とちってもいない。彼は鈍くて、根本から違っていただけだ。だが、私も腹を立てていないのは本当なので、仏頂面をするのはやめることにした。
「あの……杏子さん、聞いてもいいですか?」
私の機嫌が良いとも悪いとも判断つきかねているらしかった。笑顔を向けて、彼に心配しなくていいと理解させる。
「なぁに?」
「なぜ、告白というのでしょう」
こちらに来て日が浅くはない筈なのに、まだまだ日本語に興味津々な時期らしい。
「こくはく? 愛の告白?」
「そうです。さっき杏子さんも言いましたし、先輩もそう言っていました。私は違和感を持っていたのです。三日前、私があなたに好きだと言った時、あなたはそれって告白なのかと尋ねました」
「あ……うん。そんな受け答えしたかも」
よく覚えていない。戸惑いと舞い上がりで訳わかんなくなっていたのだ。
「私は告白という言葉の意味を、隠していたことを話すことだと理解していましたので、こう答えました。隠すつもりなどありませんと」
ああ。そうだったかもしれない。とにかくまっすぐに私のことを見てくるので、顔が火照ってどうしようもなくなったのは覚えている。
「考えているのですがわかりません。なぜ好きだと伝えることを告白というのですか? 人間は皆その気持を隠しているのですか? だとしたらなぜ隠すのですか?」
私は顎に指をあてて考える。いや、考える素振りをする。
「そりゃ……隠すよ」
「なぜ?」
「言うのに勇気がいる、から」
「勇気? なぜですか?」
それもわからないのかぁ。
「拒絶されたらどうしよう、みたいな」
「……好きだという気持ちを拒絶されるというのですか? そんなことはできない。好きになることは承認を必要としません。否定されたところで好きな気持ちは変わらないのですから。私があなたを好きだという気持ちは変えられません」
ぐっ。不意打ちか。私は顔が赤くなって一瞬何も言えなくなる。まったく、この直球エルフめ。私はなんとか口を動かして言葉を紡ぐ。
「違うの。拒絶っていうのは私のほうの、つまり告白されたほうの気持ちに関してのことなの。……私があなたを好きじゃないと言うということ」
言わないけど。彼は目線を天井に向けて少し考えたようだった。そしてまた私を見る。
「それとこれとは別なのでは?」
……へ?
「別? 別って?」
「ですから告白することと、告白される側の気持ちとは別のことではないのですか?」
「……何言ってるの? 告白するのは好きあいたいからでしょう? 好きじゃないと言われたら嫌じゃないの?」
「もちろん嫌です。一体なぜかと尋ねるでしょう。でもそれは独立事象です」
「独立……何て?」
言葉の意味がわからなかった。この差はエルフと人間の差ではない。もっと越え難い壁、根深い違い。つまり、彼は理系の真面目な学生で、私は理系だが真面目ではない学生だということだ。そんな数学用語使われても困る。
「えーと、つまり……。あなたが私を好きだろうと嫌いだろうと、私はあなたが好きで、それは変わらないということです。あなたが拒絶……嫌いだと言ったとしても私はやはりあなたが好きです。そして私があなたを好きだろうと嫌いだろうと、あなたの私への気持ちもまた変わらないでしょう。因果関係が無い。この二つは相互に影響を受けません」
多少ショックだったのは、話の内容よりも彼に感情の変化がまるで見られなかったからだ。私が黙ったままでいるとようやく彼は少し表情に不安をにじませてくれて、言葉を継いだ。
「このことはエルフ特有のものではないと思いますが」
「そうかな。エルフがどうかはわからないけど、人間は好きだって言われて初めて意識するってこともあるよ」
「……意識? 何を意識するのですか」
「だから、ただの友達じゃなくて、恋人になるかもしれない人だと考えるってこと」
変な沈黙が流れた。私はまずいことを言った錯覚に焦る。
「そこなのです」
彼は言った。
「ただの友達と、恋人になるかもしれない人。そんなに違うものなのですか?」
「友情と愛情。そこには一線あるでしょ」
彼は右手の人差し指で自分の鼻をちょんと触った。
「好きという言葉は友情にも愛情にも使うのですよね。であるのになぜ、愛情のほうだけを告白と言うのでしょう」
「だってそりゃあ……友情と愛情は全然違うじゃない」
彼は首を横に振ってみせた。
「私達エルフにはその二つの区別は無いのです」
「あらそぉ」
それを聞いて、私は昔中学の社会の教師が言っていたことを思い出す。
「ま……日本にももともと恋愛という概念は無かったらしいしね。西洋からその概念が輸入されるまでは区別はなかったのかもね」
「エルフにも好意を表す言葉はたくさんあります。ただ人間の言う愛のような、他の好意と一線を画すような分け方はしないのです」
「とすると、エルフにとっての愛情ってのは単に凄く強い友情なの?」
「いえ違います。区別されないのです。強い愛情と強い友情とはイコールです」
「ふーん」
だったらどうだというんだろう。友情と名前をつけようが愛情と呼ぼうが、彼が私を凄く好きだって言ってくれるならどっちでも良かった。
「だとして、何よ?」
少なくとも私にはそれで満足なのだ。だから早く終わらせて欲しい。
「告白に勇気が必要なら、友情を告げるにも勇気が必要です。……人間は友情さえ確認しあうことはしないのですか?」
「友情を確認? ……ああ。友達だと思っていると言うことは、あるかな」
「それには勇気が必要ですか?」
必要なのかもしれない。いや勇気というか……。
「照れくさい、ていうだけかな」
彼はちょっと笑った。
「……でしょう。いえ、エルフだって照れくささはあります。そう頻繁に好意の確認をする訳ではありません」
好意……。ああ、友情も愛情も区別はないんだったか。
私は急に不安になる。
「ねえ。それじゃああなたが私に告白したのはどっちの意味だったの?」
「……三日前のことですか? うーん……。どっちの……というのは……。エルフにとっての「好き」は一つなのですが」
「恋人になって欲しいという意味なのよね」
「恋人……。一つ確認ですが、恋人の意味は、男女が将来結婚することも視野に入れたとても親しい間柄になる、ということだと理解していますが正しいですか?」
「……えっとまあ……はい」
私は唇を噛む。結婚という言葉に私は少し揺らぐ。今の私の心は……この人は私をお嫁さん候補として見てくれているのだ、という嬉しさと、そこまで考えるなんて気の早い、という焦りと、ていうか照れもせず言うなよ、という悔しさと、その他三十種類くらいの感情で構成されている。
「なら恋人になって欲しいという意味であっています」
彼は笑顔を向けた。
「同時に二人以上と恋人になってはいけない、ということも理解してくれているのよね?」
私は一応確認する。彼は頷いた。
「ええ。法律で罰せられるそうですね」
誰だそんなことを言った奴は。まったく……グッジョブ。日本の法律では結婚するまでは何人とつきあおうが罰せられないが、彼には誤解しておいて貰ったほうがいい。
「エルフもそれは同じなの?」
「……いえ。まあ、エルフも種族により差がありますが、ほとんどのエルフは恋人という概念を持ちません。特定の相手との友好関係だけをそこまで特別視することが無い……ああつまり、結婚という概念が無いのです」
正確には無かった、と言うべきですが、と彼は続けた。
「人間との交流で多少、一部のエルフの文化にも変化がありましたから」
「ふむ……」
私は腕を組む。エルフの文化や家族のあり方にも興味は無くはないが、今はそれよりも気になることがある。
「なんで私だったの?」
「え? なんで私……とは?」
あ、通じてないか。
「どうして私と恋人になりたいと思ったのかってことよ」
「人間の、恋人や結婚といった概念のことを知りましたので、それに従おうと思ったのです。……それに杏子さんも嬉しいと思ったのですから」
「嬉しい? ずいぶん自惚れるじゃない」
私は嫌味を言う。
「あ、違います。僕の好意が、ではなくて。結婚が女性にとって人生で一番の喜びだと教えてもらいました」
「誰なのよその……あなたに色々教えた奴は」
恋愛観女性観、どうも偏っている。別に女だって結婚だけが喜びじゃないし、何より、結局は相手次第のこと。誰でもいい訳じゃない。
「今度紹介します」
「いや、いいけど」
……話がそれている。
「でさ、選んだのが私だったのはなぜよ」
そう聞くと、彼は、きょとんとした。
「……考えたこともありませんでした」
私はがくっと身体を前に倒し腕をテーブルに滑らせる。
「おい」
「いえ、ああ、すみません。まず、一つ誤解なのは、選んだ、という言い方はどうも感覚と合いません。複数の候補から一人を選んだ、というような作業ではなかったのです。これは純粋に私があなたに対して持った気持ちだけの問題です」
「それはいいわ。他にも素敵な女性が現れたらそっちにも告白しますと。はい了解」
「そ、それはしません。恋人が一人だけというこの国のルールはわかっていますから。守ります」
ルールだから守ってもらっても意味がないんだけど。
ま、いいや。私は今、そこが気になっている訳ではない。
「私が聞きたいのは私をどうして好きになったのかってことよ」
「どうして……」
懸命に考え始めたのがわかった。目線がニュートラルに戻り、姿勢保持以外の全神経が思考に注がれている。
「すみません、すぐには答えられません。時間がかかります」
私は口を尖らせる。
「何よー。何にも無い訳? 何かあんでしょ」
「無い訳じゃないんです。それどころかたくさんあるように思います。でも、うまく言葉にできないんです。エルフは好意に根拠を求めることはしませんし、根拠を言語化しようとすることもありません。恥ずかしながら、私にはうまくできないというのが本音です……」
彼が初めてしどろもどろになっているのが面白くてたまらない。おっといかん、よだれが。
「じゃあ、宿題ね。杏子さんのいいところ、いっぱい考えてきて」
私が言うと、彼はコクコクと頷いた。
「はい、必ず」
*
「でも杏子さん、どうして人間は愛情と友情を区別するのですか?」
私たちはキャンパスの噴水の前で二人、立っていた。手をつなぐ、ということはまだできない。
「線を引きたいのよ」
「なぜなんです」
「それが特別だって……信じたいから。大事だって……信じたいから」
「……わからない。信じたい、という言い方ではまるで……そうでないとわかっているように聞こえます。逆説です」
「厳しいなあ」
「愛を告げるのに勇気が必要だというのも、特別だからなのですか?」
「そうよ」
「こちらが好意を告白するまでは相手が持っている好意が友情か愛情かはわからない。告白したらそれが確定する。その確認に勇気がいる、そういうことなのですか?」
「……ま、そうかな」
「これはもしかしたら失礼なことを言っていることになるかもしれませんが」
「……?」
彼は少し言うのを躊躇っている。
「失礼ならちゃんとそう言ってあげるから言ってみなよ。それで怒って帰ったりしないって」
「いえ、あなたに……というより人間に対して失礼なのかもしれません」
「……いいから言ってみなって」
「互いの気持の確認に勇気がいる、という関係は……友達ですらないと思います」
「え……?」
彼の言葉の意味を懸命に追う。
「エルフはそういう関係を友達と言いません。友達とも恋人とも家族とも……ああそうだ、つまり「味方」ではないということです。エルフも個体差がありますし、性格も違う。読心術を皆が使える訳でもなし、互いにどう思っているかわからないことはよくあります。でもその確認に「勇気」がいるというのはまるで……そう、「敵」と相対する時ではないですか?」
「えっとつまり……。どういうこと?」
私は理解しきれていない。
「相手の考え方がどうであれ、互いを信用しあう関係を「味方」と言うのだと思います。味方の意見を聞くのに勇気は要りません。自分と違う意見だとしても話し合える。話し合って、わかりあえる。信用しあっていれば、それができる。そうではない、話し合いの余地が無く、信用できない相手。そういう相手の意見を聞くのに勇気が要ります。意見が異なれば、それは「敵」になりうるからです」
「……その、何? 政治の話?」
「いえ、人間関係の話です。人間の使う友達という言葉は味方、ですよね。イコールではないにしても近い概念の筈です。そこには信用がある筈です。であれば、相手の好意が友情なのか愛情なのか、それを確認するのにどうして勇気が必要なのでしょう」
「友情だったら嫌だからでしょ」
単純な話だ。そんなややこしい言い方をされても困る。
「嫌なのはわかります。でも……信用関係があるのなら、その好意が友情か愛情か等、大した問題では無いのでは?」
……。
ああ違う。……私はざわざわした気持ちを抱える。
「大問題よ。友情じゃ結婚できないでしょ。友達のままじゃいたくない、愛が欲しい、恋人になりたい、でも相手がそう思ってなかったら恋人にはなれないのよ」
「ええと……」
「話しあえばどうにかなるの? 交渉の余地なんて無いのよ。だから勇気が要るんでしょ」
今わかった。私ははっきり言ってあげる。
「「味方」……ってのが違うのかもね。エルフの言葉で言うなら、告白したら、相手が「敵」になる可能性もあるということ」
……そういえば言うものね。恋は戦いって。……ちょっと違うか。
「……」
黙ってしまった彼を見る。心なしか顔を曇らせている。
「……ごめん。私あんまり優しくない女だ」
「それは知っています」
彼は笑った。ほっとする。
「ただ少しショックでした。いえ、私自身の浅はかさに、です。私は覚悟もなく……その」
「うん?」
「告白をしました」
……
お。
……。
ああ、そっか。
そういうことか。
わかった。
「私が敵になるかもなんて思ってなかったんだ。三日前の告白の時」
「……ええ」
「そりゃあ……覚悟が足りなかったね」
「そういうことになります。言い方が難しいのですが、私はただ「味方」への好意の確認にすぎないつもりで……あなたに好きだと伝えた、ことになるのでしょう。恋人になりたいという私の意志を伝えられればいい、というだけの……」
「フラれると思ってなかったの? 自信家だな」
「いえ、まさか。あなたが私とは別の人と恋人になりたいとか、あるいは誰とも恋人にはなりたくないと思っている、それも想定していなかった訳ではないです。だとしたら残念ですが、それはその、たぶんあなたが思っているよりも、大した問題ではないと考えていたんだと思います」
「……大した問題じゃない、か」
「ええ。つまりそれであなたとの関係が終わる訳じゃないと」
「友達に戻れると思ってた訳?」
「恋人になるならないに関係なく……友達であることはこれまでもこれからも変わらないものだと。友達としての関係が終わることは想定していませんでした」
「……。エルフの言う「友達」ってのはきっと、人間のそれよりももっと深い関係を指してるのね」
私は呟いた。この人は、私と恋人になるかならないか、そんなことはオマケだと思っていたのだ。
でもけして、それは私のことを軽視していたからじゃない。
この人にとっては、私と友達である、ということのほうが大きな意味を持っていたのだ。
だから。
「恋人になるかならないか、そんなことは大した問題じゃない……ってこと」
「……はい。そうです。でも人間にとっては……あなたにとっては違うのですね」
「違うよ。だから……」
ええ、と彼は頷いた。
「私の告白に何の勇気も無かったことを、許してください」
「ぜったい許さない」
私はニヤリと笑ってやった。
なあに、しょうがない。わかってなかったんだもの。エルフだったんだから、しょうがない。この人にとって恋人というのはそんなに重要な関係じゃない。それはこの人のせいじゃない。そういう概念がエルフにはなかっただけだもの。
しょうがない。
……。
……。
しょうがないのに。
「すみません」
彼の声。心配する声。
私は。
泣いていた。悔しかった。軽い気持ちの告白だった。それなのに、私は戸惑い、悩み、でも勇気を振り絞って……今こうしているのに。
あれは、何だったの。
声が出なかったので、何も言わずただ睨んだ。
彼はもう一度、すみませんと言った。
*
その後彼は、ケーキバイキングへ私を連れて行き、奢ってくれた。これも、またその誰かに教わった「女の機嫌の直し方」なのかもしれないな、と思う。だがまんまと機嫌が直ってしまう私。
「でも杏子さん、おあいこになることがあるかもしれません」
口の横についたクリームを舌で舐めとる私に彼は言う。彼は何も食べないらしい。コーヒーを飲んでいる。
「何よ」
「出会った時のことです。私達が。一ヶ月前に」
「一ヶ月前? ……ごめん、私覚えてない」
「……ほら」
彼は笑った。
「私がこの大学に来た時、サークルのチラシを渡して大学のことを少し教えてくれました」
「あ、そっか。サークルの勧誘やってたからね。正直何人に声かけたかわかんないよ。そっかぁ……。あの時が最初か」
「その日、新人歓迎コンパ……というものに呼んで頂きました」
私は少し青ざめる。あの時は少し……飲み過ぎた気がする。少し? とんでもないな。桃子が翌日怒ってたから怖くて何があったか聞けなかった。
「そこで話をしたのですが……覚えていませんか」
「んー。なんとなくは。はっきりとは……」
なんとなくは覚えていない。はっきりとは覚えていない。
「大学生活もこちらでの一人暮らしも初めてだと言った私に、悩んだこと困ったことがあればいつでも頼りなさい、そう言ってくれました。全部お姉さんが面倒見てあげるから、とも言われました」
そんなこと言ったのか私は。あの時は……最初の乾杯の直後あたりまでははっきりしているが、後はぼんやりしか覚えてない。エルフが来てくれたぞと珍しがって、彼は結構チヤホヤされていた気がする。ウブで礼儀正しい感じが可愛らしくて、恥知らずの先輩女子たちで大挙して彼の綺麗な髪を触りまくった。そういえば彼は意外にもお酒が強い。幹事長が潰されたとか後で聞いた気がする。
「ごめんあんまり覚えてない」
「それは悲しいです」
「……ごめんなさい」
私は小さくなる。
「いえ、冗談ですよ。何度か話すうちにあなたがあの時のことをあまり覚えていないのはわかりました。でも、それでも。あの時の私にはとても心強いことでした。正直、人間の皆さんに受け入れてもらえるものか、不安に思っていたのです。それが払拭されました。いえ、もちろん研究室の皆さんも暖かく迎えてくれましたし、その後出会った人間の皆さんも良い人は大勢いました。でも、私にとって心が本当に楽になったのは、あの時の杏子さんの言葉のおかげなんです」
「……」
もぐもぐとモンブランを口に運ぶ。
「その時私は言ったのですよ。あなたに」
……もぐもぐ。
「私を友達だと思ってくれますか、と」
……もぐもぐ。
「杏子さんが何て言ったか、覚えてます?」
……もぐもぐ。
「一生の友達よ! ……って、叫んでくれました」
……ごっくん。
「う、うん……。そう思ったのは嘘じゃないもん」
たぶん。覚えてないけど。
「叫んだまま後ろに倒れていびきをかきはじめましたけどね」
………………。
「仕返しという訳ではありませんが」
彼はコーヒーをずっとすすった。
「エルフにとって、友達と思ってもらえるかどうかという問いは、非常に勇気を必要とするものなんです。人間にとっての愛の告白と、同じように」
「ごめんなさい」
彼はカップを置いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
……彼は笑って言った。
「次は杏子さんが僕の機嫌を直す番です」