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ハイスペック過ぎる妹を守るため、死霊の島で明日に向かってゴールをめざす 作者:春風小夏
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scene 56 荒神アンダーグラウンド⑬

「まずいべ、流れが早くて、舵が利かなくなってきたベ」

 焦りのにじんだ声で、背後からサトが言った。

 それは僕も感じていた。

 ボートの揺れが激しくなっている。

 もとより折り畳み式の簡易ゴムボートなのだ。

 横波でもきたらひとたまりもないだろう。

「サトさん、ボートをできるだけ壁に寄せて」

 あずみが振り向いた。

 髪をなびかせ、唇を一文字に引き結んだその顏には、恐怖のかけらもない。

 興奮しているのか、頬が桜色に上気していた。

 すっくと仁王立ちになった腰の辺りでスカートがひらひらと舞い、白い布地に包まれた形の良いヒップがその下から1秒おきに顔を出す。

「あずみちゃんがそう言うなら」

 サトが歯ぎしりするような調子で答えた。

「おら、もう少し頑張ってみるべ」

「ありがと」

 あずみは励ますようにサトに向かって微笑んでみせると、今度は僕のほうに顔を向けた。

「お兄ちゃんのリュックに、確か山登り用のロープ、入ってたよね? あれ、出してくれるかな」

「あ、ああ」

 僕はリュックを下ろすと、中からかさばるロープの束を引っ張り出した。

 長さ30メートルの、クライミングロープである。

 鍾乳洞が縦穴になっているというので、藤野が持たせてくれたものだ。

 重さ2キロの拳銃とこのロープの束で、僕のリュックはすでにはちきれそうだった。

「それをサトさんの腰に巻いてあげて。それが済んだら、お兄ちゃん、自分の腰にもロープを巻いて。そして最後に光さんに渡して」

 なるほど、救命ロープの代わりにするというわけか。

 サトはオールで両手がふさがっているから、僕が巻いてやるしかないというわけだ。

 その通りにすると、光は何も言われないうちに自分の腰にロープを巻きつけ、残りをあずみに渡した。

 あずみがその端で、きゅっとしまったウェストをぐるぐる巻きにする。

「よし、準備完了。じゃ、みんな、荷物を抱えて。あ、サトさんは、もう少し、舵取りお願い」

 サトの奮闘の甲斐あってか、ボートはかなり壁に近づきつつあった。

 あちこちが光る苔に覆われた、ぼうっとまだらに輝く岸壁が目の前に迫ってくる。

 が、残念ながら壁に横穴の類は見当たらない。

 水流の音はすでに耳を聾せんばかりに高まっている。

 時折舟が木の葉のように揺れる。

 その頃になると僕の眼にも見えてきた。

 100メートルほど先で、水面が途切れている。

 そのあたりからすごい勢いで、水が奈落の底に落ち込んでいるのだろう。

 水面が途切れた先には、何もない空間をはさんで、真正面に壁がそそり立っている。

 滝からそこまで、どれくらいの距離があるのだろうか。

 その中央に、もうひとつ、洞窟の入り口が開いているのが見えた。

 こちらの水面より、少し高いあたりである。

 干潮であれば、おそらく左右の壁に刻まれた天然のキャットウォークを使って、徒歩であそこまで登って行けるようになっているのに違いない。

 それが今は満潮のせいで、道がはるか下に沈んでしまっているのだ。

 まったく、間が悪い時に降りてきてしまったものだった。

 ガクンとボートが揺れ、急速に速さを増した。

「あ!」

 サトが叫ぶのが聞こえた。

 奔流にオールを取られたのだ。

 サトの手を離れた2本のオールが、ミサイルのようにボートの脇をかすめすぎていった。

「もういいよ、サトさん」

 あずみが言った。

「ここまで来れば、もう充分」

 なにが充分なのか、全然わからない。

 僕はリュックを背負い直し、何が起こってもいいように身構えた。

 あずみのやつ、いったいどうするつもりなのだろう。

 なんだか妙に自信ありげに見えるけど、もう、滝はすぐ目の前に迫ってるじゃないか。

 正直、怖かった。

 いくら噛みしめても、奥歯がガタガタ震え出すのがわかった。

 恐怖で小便を漏らしそうだった。

 こんなロープが何かの役に立つのだろうか。

 4人一緒に滝壺に引きずり込まれて死ぬのがオチではなかろうか。

 白い波が砕け、逆巻き、ボートの中に水が入ってきた。

 地獄の顎まで、あと10メートル。

 その時、あずみが声を張り上げて、言った。

「ボートは捨てて。荷物とロープだけは、絶対離さないで」

 そして腰をかがめ、スタートラインに立った短距離選手みたいな体勢を取ると、

「やっ!」

 だしぬけに、何もない壁に向かってジャンプした。

「あずみ!」

 叫んだ僕は、そこであんぐりと口を開けた。

 足が崖についたかと思うと、あずみが垂直に切り立ったその表面を、いきなり走り始めたのである。

 100メートル6秒台の俊足で、真横になったまま。重力に逆らってまっしぐらに崖を走るあずみは、まさに忍者かアメコミのヒーローさながらだった。

 が、それ以上、あずみを目で追っている余裕は、僕にはなかった。

 ドン! と下から衝撃が来て、ボートがふわりと宙に浮いたのだ。

 ワイヤーが切れて落下するエレベーターに乗っているような、無気味な無重力状態がやってきた。

 ボートが足元を離れ、下が見えた。

 轟々と大質量の水を飲み込む、底なしの暗渠が足と足の間に広がっていた。

「うわああああ!」

 僕は絶叫した。

 人間、死ぬ間際には、これまでの出来事を走馬燈を見るように思い出すという。

 しかし、そんな暇はとてもなさそうだった。

 身体が回転し、頭が真下を向いた。

 そのままの姿勢で、僕は制御不能に陥ったロケットのように落ち始めた。










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