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ハイスペック過ぎる妹を守るため、死霊の島で明日に向かってゴールをめざす 作者:春風小夏

第3章 スカルアイランド

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scene 34 スカルアイランド③

「こんなものでよろしいですか?」

 女性従業員のひとりが、僕の前にお湯の入った洗面器と、真新しいタオルの上に乗った剃刀を置いた。

「ありがとうございます」

 僕は彼女に頭を下げると、まず剃刀を手に取った。

 剃刀といってもコンビニに打っているようなチャチなものではなく、床屋が使うようなナイフみたいなタイプである。

 その刃先を熱湯に浸して消毒すると、左手を裏返し、そっと手首に当てた。

「お、おい、君、何をするつもりだ?」

 驚いて腰を浮かせた藤野を僕は目で制した。

「動かないで。大丈夫です。別にここで自殺するつもりはありませんから」

「し、しかし…」

 周囲が凍りついたように沈黙するのを見計らって、右手に力を入れる。

 僕にリストカットの趣味はない。

 だから、正直、どこを切ったらいいのかもわからない。

 第一僕は生まれつき血が苦手なのだ。

 その点、男というものはおしなべてそうなのだろうと思う。

 月に一度、必ずまみえる女性のほうが血には強い。

 そんなことを何かで読んだことがある。

 が、今はそれどころではないのだった。

 強く手首に押し当てた剃刀を、思い切って手前に引いた。

 恐ろしく切れ味のいい剃刀だった。

 ほとんど何の抵抗もなく、皮膚が裂けた。

 針で刺されたような痛みが走り、同時に手首に赤い染みが広がっていく。

 だが、量はそんなに多くない。

 毛細血管が切れた程度なのか、放っておけばじきに塞がってしまいそうなくらい傷が浅いのだ。

 僕は剃刀をスタート地点に戻した。

 さっきより力を込めて、ぐいと引く。

 ぷつんと何かが切れたような感触があった。

 とたんにしゅっと血流が吹き出してきた。

 成功だ。

 いや、上手くいきすぎて、切ってはいけない血管を切断してしまったような気がするほどだ。

 僕は手首を握ってあずみの顔に近づけた。

 手首の傷からあふれた鮮血がどぼどぼとあずみの唇を濡らした。

 予想より、血の吹き出し方がすごい。

 俺、どこを切ったんだ?

 急速に背筋が冷たくなった。

 光はあんなこと言ってたけど、もし僕が何の取り柄もないただのボンクラのままだったとしたら…?

 でも、ここまで来たらもうやり抜くしかなかった。

 右手を更に近づけ、左手であずみの口をこじ開ける。

 血を目の当たりにしたショックと実際の流血で、立ちくらみに似た症状が出始めていた。

 身体が変に冷たくなり、視界がぼやけてきたのだ。

「あずみ、飲むんだ」

 あずみの顔が、二重写しのようにぶれて見えた。

 その口から溜まった血液が溢れ出し、唇の端から糸を引く。

「誰か、救急車を」

 藤野が叫んで、

「あ、それはだめだったんだな」

 とすぐに自分で訂正した。

「平気です」

 僕は虚勢を張って大声を出した。

「お願いです。もう少し時間をください」

「しかし君、その血の出方は尋常じゃないぞ。間違いなく動脈を切っている。そのままじゃ君のほうが先に死ぬ」

「いいんです」

 僕は声を荒げた。

 はっきりいって、もう目が見えなくなっていた。

 頭がふらふらして、身体を支えているのがやっとの状態なのだ。

「それであずみが助かるなら、俺の命なんてもうどうだっていいんですよ。唯さんや一平を救えるのはこいつしかいないんです。俺が生き残ったって、ほんと、何の役にも立たないんだから」

 自分で言って、なんだか空しくなってきた。

 しかし、と思う。

 人生なんて、そんなものではないのか。

 人にはそれぞれ自分の身の丈に合った分というものがある。

 そしてその分の優劣によって、世界を動かす歯車としての役割が決められている。

 だったら、なくてもいいゴミのような歯車は、役目を終えたらただ虚無の中にぽいと捨てられるだけだ。

 朦朧とした頭でそんなことを考えていたら、どうにも体を支えきれなくなった。

 くそ。

 まだだ。

 僕はあずみの上に覆いかぶさると、直接傷口を口に押し当てた。

 流血の勢いが鈍ってきている。

 これ以上一滴でもこぼすわけにはいかなかった。

 どうせ死ぬなら、全部あずみに飲ませてやらなければ…。

「やめろ。顔が真っ青じゃないか!」

 藤野の声がずいぶん遠い所から聞こえた気がした。

「来るな!」

 残る力を振り絞って、僕は叫んだ。

「俺は死んでもいいんだ! でも、こいつだけは…」

 その時だった。

 ふいにやわらかく温かいものが下から迫ってきて、崩れかけていた僕の上体を抱きとめた。

「お兄ちゃん…」

 すぐ耳元で、あずみの声がした。

 熱く甘い吐息が耳朶をくすぐった。

「お兄ちゃんが死んでもいいなんて、誰が言ったの? そんなの、あずみが許さないよ」

「お、おまえ…」

 すさまじい安堵感が僕を襲った。

 突然世界の底が抜けてしまったような感じだった。

 生き返った。

 あずみが…。

 僕の最愛の妹が、息を吹き返したのだ!

「誰か包帯を! 大丈夫です。まだ間に合います。あずみのお兄ちゃんは強いから!」

 凛とした声で、あずみが叫んでいる。

 僕はあずみの声を間近に聞きながら、そのふくよかな裸の乳房の間で意識を失った…。






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