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ハイスペック過ぎる妹を守るため、死霊の島で明日に向かってゴールをめざす 作者:春風小夏
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プロローグ

 人の記憶とは、あてにならないものである。

 あの信じ難い出来事から2ヶ月。

 その間、あまりにも何も起こらなかったため、僕はもうすっかり日常というぬるま湯の中に首まで漬かり、世界を救うヒーローどころか、ただのボンクラと化してしまっていた。

 そもそも、あの信じがたい出来事の中身、それ自体が思い出せなくなっていた。

 何か大変なことがあったことだけは、ぼんやりと覚えている。

 そこで自分が世界を救う決意をしたような、そんな気も、なんとなくしている。

 しかし、そこまでだった。

 緋が経つにつれ、記憶はどんどん曖昧になっていく。

 なによりいけないのが、大学の前期試験が迫っていることだった。

 うちのように父親が行方不明な家庭の場合、留年は絶対に許されない。

 ならば勉強するしかないのだが、それがなかなか難しい。

 なぜなら、一つ屋根の下に、強力過ぎる障害物が住んでいるからである。


 7月半ばの、うだるように暑い、日曜日の午後。

 僕はキッチンのテーブルに参考書を広げ、迫る試験に備え、古典の勉強を始めようとしたところだった。

「ねえ、お兄ちゃん」

 声がして、対面に大きな質量を持つ生き物が座る気配がした。

 相手に悟られぬよう、ちらと様子を窺うと、テーブルの上に、薄いピンクの布に包まれた巨大な肉塊が二つ、無造作に置かれているのが見えた。

 スケスケの生地を通して更に濃いピンクのポッチがふたつ、立派にその存在を主張しているのだが、そんなもの、持ち主はいっこうに気にかけていないようだった。

「ねえってば」

 甘ったるい声とともに、柔軟剤のいい香りが鼻腔をくすぐった。

 しぶしぶ顔を上げると、斜めに覗き込んでいるあずみと目が合った。

 出雲あずみ、15歳。

 僕の妹である。

 身長165センチ、体重不明。

 バスト90、ウェスト58、ヒップ88の、スーパーなボディの持ち主だ。

 これでまだ中学3年生だというだけでもう罰当たりなのだが…。

 もっと始末の悪いことに、あずみはかなり可愛かった。

 ショートボブの髪型が、くっきりした目とすっと通った鼻、小さめの唇によく似合っていた。

 こんなものが同じ家の中に居て、おちおち勉強など、できるわけがない。

 そう。

 わかってくれただろうか。

 僕にとっての障害物。

 それはこの、最愛の妹なのだ。



 そのときもそうだった。

「聞いてる?」

 あずみは僕の右の耳をいきなりひっぱると、熱い舌でべろりと舐めてきた。

「うわ」

 さすがに驚いて飛び上がると、

「あのね、きょう、友だちと会うことになってるんだ。ドーム前のイオンでさ」

 自慢の胸をぶるんと揺すって、言った。

「おまえさ」

 体勢を立て直すと、僕は兄としての威厳を見せるべく、その胸を指さした。

「なんでノーブラで出てくるわけ? ちゃんと乳隠しくらいしてこいよ」

「だってこのほうがお兄ちゃん喜ぶと思ったんだもん」

「ありえん!」

「じゃ、触ってみる?」

「おい!」

 というわけで、すでに雰囲気は勉強どころではなくなってしまい、僕はしぶしぶあずみにつき合わされることになったのだが…。

 今思えば、それがあの熾烈な戦いの始まりを告げる、最初のゴングだったのである。



★           ★            ★

「あずみちゃんのお兄さんだから、もっとかっこいい人かと思ったんだけど」

 青柳唯は、ずいぶんとモノをはっきり言う子だった。

 あれから1時間後。

 名古屋ドーム前のイオン2階。

 フードコートの窓際の席。

 僕とあずみは、ストレートヘアの和風美少女と向かい合っていた。

「俺って、いわゆる”どこにでもいるような大学生”ってやつなんでね」

 僕は謙遜のつもりで言ったのだが、唯には通じなかったようだった。

「どこにでもいるって、お兄さん、分身の術が使えるとか? 例えば水の中とか地底のマントルの中とかひょっとして木星のメタンの海の中とかにも、存在してるってことですか?」

 きゃはははと笑ったのは、あずみである。

 きょうのあずみは、黒いノースリーブのサマーセーターにデニムのショートパンツといった、ごく普通の格好をしているにすぎないのだが、なにぶんスタイルが群を抜いて目立つため、さっきからフードコート中の男どもの視線を一身に集めていた。

「それで唯、相談事って?」

 笑いの余韻でひくひく腹筋を波打たせながらあずみがたずねると、

「夏休みにね、一緒に島に来てほしいの」

 生真面目な表情で、唯が言った。

「島?」

「うん。荒神島。伊勢湾に浮いてる、ちっちゃな島なんだけど…」

「いいよ」

 用件も聞かず、いきなりあずみが応えた。

「へ?」

 ハトが豆鉄砲を食らったように、目をまん丸にする唯。

「あずみったら、内容、聞かなくていいの?」

「別に」

 あずみは相変わらず超マイペースである。

 なぜかというと、いずれわかるときがくると思うが、彼女のスペックは異様に高いからだ。

「でもね、ひとつだけ条件があるんだなぁ」

 言うなり、僕の右腕にしがみついてきた。

「じょ、条件って?」

 目を白黒させて、唯が訊いた。

 にっと笑うと、あずみが言った。

「それはね、お兄ちゃんも一緒に行くってこと」



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