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裏返った虹

作者:南正太郎
戯れに友人と行った二題話です。
お題は「瞳」「夢オチ」。

 その日は朝から雨が降っていた。
 先生がチョークを置くと「今日はここまで」の合図。それまで静かだった講義室が一気に喧騒に包まれる。僕はいそいそと教科書をリュックサックに仕舞いこむと、それを背負って逃げるように建物を後にした。
 今日の講義はこれでおしまい。あとは家に帰ってのんびりするだけ。
 別段、サークルにも所属していなければ親しい友人もいない僕にとって、大学とはアルバイト先とさほど変わらない場所だ。決まった時間に登校し決まったコマ数の講義を受け、それが終わればそそくさと退散する。大学の人付き合いなんて面倒臭いだけ、友達なんて欲しくなったときにネットか何かで募ればいい。それが僕の持論だった。とはいえ、実際に友達が欲しいなんて思ったことなど今まで一度もなく、この数年間は家と大学を往復するだけの毎日をただひたすらに過ごしてきたのだけれど。
 2限目が終わって昼時になったせいか、構内のメインストリートには色とりどりの傘が行き交っている。僕は足早にサークル長屋の横を通りぬけ、石畳の階段を登って林道へ入った。大学の裏門へと続く抜け道だ。この道を使い始めてもう半年以上になる。正門と違って人通りがほとんどないのが長所なのだが、今日みたいな雨の日はぬかるみで靴が汚れてしまうのがネックだ。僕は足場を慎重に選びながら歩を進めた。
 朝に比べれば雨足は随分と弱まっており、あんなに暗かった空には早くも太陽が顔を覗かせはじめている。この調子なら鬱蒼と茂った木々の葉が天然の雨よけになってくれるだろう。僕は立ち止まって差していた傘を折りたたむと、再び林道を歩き始める。水を吸って柔らかくなった黄土色の地面には、差し込む木漏れ日が複雑なまだら模様を刻んでいた。
 そして歩くこと数分。
 むき出しの地面がアスファルトで舗装されはじめ、両脇にそびえ立っていた木々が一戸建て住宅と電柱へと変わる頃。ちょうど林道の出口あたりだったと思う。住宅街へと抜ける階段の頂上と、そこから見える雑然とした街並み。その街を覆うように広がる空に、一筋の虹が掛かっていた。
 まだ半分くらい雲に覆われた青空にぼんやりと、しかし凛と佇む七色のアーチ。突然の天からの贈り物に、僕は歩くのも忘れてしばらくその虹に見入ってしまう。
 虹の色は上から赤・黄・緑・青・紫。虹といえば七色だと聞いていたが、よくよく見てみるとその境界は限りなく曖昧で、赤から紫に至るまでのどこに線を入れてそのグラデーションを切り取れば良いのかまったく検討もつかない。虹が七色だと言ったのは確かニュートンだったか。彼はプリズムを使った光の研究をしていたらしいが、一体どうやって虹に線を引いたのだろう。そんな考えがとりとめもなく浮かんでは消えるものの、僕はどうしてもその光の帯から目を逸らすことができなかった。
 僕はゆっくりと、まるで分光器がプリズムによって分解された光を走査するかのように、赤から紫へと移りゆくグラデーションを目で追いかける。視線が虹の下端へ到達すると、今度はその逆。短波長側(むらさき)から長波長側( あ か )へと、舐めるように眼球を動かす。
 そして、そんなことを何度も繰り返していたあるとき。ちょうど赤から始めてオレンジと黄色を通り過ぎ、緑色に差し掛かったときのことだ。僕の身に異変が起こったのは。
 緑の次が、黄色だった。
 頭がぼーっとしていたせいもあって、当初は何一つ疑問に思うことはなかった。黄色の次はオレンジだ。さっきまでとまったく同じ。そしてオレンジの次は赤。ここまできて、ようやく僕の脳裏に雨雲のような違和感が立ち込める。

 赤から始めたのに、どうして赤に戻ったんだ?

 そして僕はようやくにして、自らを襲った変異の片鱗に気付くことになる。
 虹の色が、逆転していた。
 先ほどまでは赤が上で紫が下だったのに、いつの間にか上下が逆になっている。これではまるで副虹――、数十秒にも渡ってそんな呑気なことを考えていられたのは、恐らく虹ばかりに目が行って周りが見えていなかったからだろう。視界を横切るカラスを本能的に目で追いかけ、
 愕然とした。
 景色の色が変わっている。
 今まで青く透き通っていた空は泥水をかき混ぜたような土色をしており、周囲の草木はまるで黄昏時の闇に沈んでしまったかのように暗みがかった色だ。自らの手に目を落とせば死体のように青く黒ずんだ肌。空に浮かぶ雲の白と虹の七色だけが変わらずにそこにあるのが、ますます僕を不安にさせる。いっそのこと全てが変わってくれたら、どれだけ気が楽だっただろう。見慣れない光景の中に紛れ込んだ見慣れた色は、これが夢やまぼろしなどではないことを嫌というほど僕に教えてくれる。頭を振って壊れたテレビのような世界を揺すぶってみても、ゾンビのように青く変色した手で頬を強くつねってみても、一向に目が覚める気配はない。心拍数がどんどんと上がっていく。ベッドから飛び起き「ああ、夢オチだったのか」と安堵する瞬間を渇望するも、視界が暗転するどころかめまいひとつ起こらない。
 気が変になりそうだった。
 いや、すでに変になってしまったのだろう。現実離れした光景にあたふたしているというのに、ここが紛れもない現実の延長だという実感だけはあった。
 ――――!!
 ポケットの中で何かが震えた。
 ヴーヴーと体を伝う振動と、くぐもった響き。携帯端末の着信音だ。おそらくいつもの迷惑メールだろう。だが、この時の僕にはそれがまるで異界からの呼び声のように思えて、ポケットの中身に手を触れるのを一瞬ためらってしまう。
 そうだ。
 病院へ行こう。病院へ行って、医者に診てもらえばいい。そうすれば一体どういう病気で――そもそも目の病気なのか脳の病気なのかすら検討もつかないが、どんな治療をすればいいのかが分かる。そう思った僕は、ポケットから携帯端末を取り出す。赤い色をした愛用の端末は、やはり色がおかしくなって目も覚めるような青色に変わってしまっていた。
 僕は端末のキーを叩いて、かかりつけの病院の番号をひとつずつ慎重に入力していく。番号は全部で10桁。広域局番を押し、域内局を指定する最後の番号を入力しようとしたそのとき、僕は目の前に誰かが立っていることに気付いた。
 顔を真っ青に(僕の目からは赤らんで見えたことだろう)して必死に携帯端末をいじくる僕を不審に思ったのか、それとも道の真中で突っ立っているのが邪魔だったのか。僕の前に立ったその人物は、一向に動く気配を見せなかった。
「す……」
 すいません、という言葉が引っ込んだ。その人物の姿を真正面から捉えると、僕は端末のキーを叩くのも忘れしまう。
 目の前に、ひとりの少女が立っていた。
 年の頃は10代の半ばといったところ。無造作に肩まで伸ばした艶やかな髪の毛と、一枚の布切れを細い肢体に巻きつけたような民族衣装風の服装。衣服の間から覗く素肌はまるで白粉を塗ったような真っ白(• • •)で、その瞳はサファイアのように深い青色(• •)をしている。
 この配色の狂った世界にあって、彼女は普通の人間の色をしていた。
 いや、普通の人間というのもおかしな話だ。彼女の肌はそれこそ雪のように、もしくは漂白したシャツのように白く、瞳などまるでつくりもののように輝いている。だがその色は、僕の青黒くくすんだ死体のような肌なんかよりも、ずっとずっと人間のそれに近かった。
 声を失いその場に立ち尽くしていると、彼女はゆっくりと僕の方へ近づいてくる。ぬかるみに足をとられることをまったく厭わない彼女の足取り。よく見ると裸足だ。その足取りは大胆とも慎重ともつかない。まるで機械が決められたとおりに動いているように見えた。
 一歩、二歩。
 三歩目で止まった彼女は、その深い瞳で僕の方をじっと見つめ、胸の前ですっと両手を合わせる。神仏に祈るときのような合掌の姿勢。だが、全ての指を交差させ、肘をぴんと張ったその姿は、祈るというよりもまるで(まじな)いか何かを掛けているようだ。
 何もかもが現実離れした世界にあって、そこからさらに逸脱した存在。ぱっちりと目を見開いた彼女の瞳。奥にはかすかに渦が巻いているのが見える。ぐるぐると、ぐるぐると、外から内へと永久に落ち続ける文様。まるでノートに書かれた迷路を視線で追いかける気分だ。何度も何度も同じ所を巡るも、それでいて同じ場所にたどり着かない。渦とはそういうパラドキシカルな構造なのだと思う。彼女の瞳は、さながら呪術的な回路の刻まれた宝石だ。いや、魔石と言ったほうが正しいか。その瞳の迷路を抜けた先には、ここではない別の世界が広がっている。彼女の目を覗きこんでいると、そんな突拍子もない考えが次々と浮かんでは消えてゆき、ものを考えることができなくなる。
 頭がぼおっとしてきた。
 恐らく、既に彼女の術かなにかに掛けられていたのだろう。いや、それとも彼女の瞳そのものが魔術的な何かを秘めていたのか。彼女の目を見つめていたはずの僕は、気付けばその場に倒れこんで気を失っていてしまっていた。
 一体、どれくらいそうしていただろう。通りかかった女の子に声を掛けられ、ようやく自分が気を失っていたことに気付いた。めまいを振り切って立ち上がると、驚くほどに頭がすっきりする。
「だ、大丈夫ですか? 何なら救急車呼びますけど……」
 僕を起こした女の子は、困惑した表情を浮かべている。わずかに赤らんだ頬と、綺麗に染め上げられたくせっ毛。女子大生だろうか。恐らく、自分と同じ大学へ通っているのだろう。僕は彼女の申し出を丁重に断ると、服についた泥を払って辺りを見回した。
 鬱蒼とした緑の木々と、黄土色のぬかるみ。足元には赤い携帯端末が転がり、雑然とした住宅街の上には青い空が広がっている。
 虹はいつの間にか消えてしまっていた。
火の鳥的なアレ

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