ストップ!! いまちくん!
龍天に昇る、陽だまりの匂いが心地良い今日この頃。表向きは平和そのものの賽ノ地の茶屋で、少年と青年が外にある腰掛けに座りお茶を飲んでいる。墨色の髪を三つ編みに束ねた少年はおそらく武士の子で、鳶色の髪を後ろでまとめた青年は武士のようだ。
少年が何か深刻そうな顔をしながら話を一通り終えると、青年は一瞬驚いてから眼鏡を上げ、笑いを堪えるような顔をしながら口を開いた。
「居待殿がお見合い? しかも景元様と!?」
「はい、何故かそのようなことに。景雲殿は景元殿と近しいのでご存知かと……」
景元はこの地の町奉行であり、与力である景雲の上司なのだ。
「いいえ、寝耳に水です。しかし、いいんですか? 景元様は一夫多妻制を奨励するようなお方ですよ?」
「そうなんですか!? やはりこの縁談は問題があるのでは……」
そう言って頷く少年、立待は腕を組んで首を傾げた。立待は将軍家剣術指南役を請け賜る浅葱家当主が嫡子であり、次期当主でもある。一見少年剣士風の立待だが、その実正真正銘の女子であった。
景雲の言葉を鵜呑みにし、考え込む立待の顔があまりにも真剣そのもので可愛かった為、彼は「いえいえ、冗談なのですが」と訂正する機会を失ってしまった。
眉間にしわを寄せながら、どうしたものかと考え込む立待。その横顔を眺め、満面の笑みで至福のひと時を過ごす景雲。このなんとも奇妙奇天烈理解不能な光景に、茶屋「風月庵」の看板娘であるな撫奈はいても経ってもいられなくなり、思わず突っ込みを入れる。
「ちょっとちょっと! お二人さん、話の論点ずれてるよ。居待ちゃんがホントは女の子じゃないってことが問題なんじゃないの?」
「あ……そうだ。そうでした!」
立待は一生の不覚とでも言いたげな顔をして手をポンと打った。そうなのだ。居待は見た目は愛らしい少女そのものだが、実際は紛れも無く男なのである。つまりこの姉弟は見た目と中身が逆転してしまっているのだ。
景雲や風月庵の人達は浅葱家が賽ノ地に来るたびに付き合いがある為、双子の「性別逆転」についての事情にも明るい。ただし……、
「ええ!! 居待ちゃんがお見合い!?」
店主の息子で、岡っ引きである雷を除いて、だが。
雷は捕物の帰りだったらしいが、手にしっかと握られていたはずの十手は地面に転がってしまっていた。どうやらそれほどショックだったらしい。
「だ……誰と!?」
わなわなと震えながら、ようやく口を開いた雷。そんな彼を見て、どうしようかという顔をした立待が景雲に目線をやる。景雲は彼女に視線を返してから、ゆっくりと頷いた。
「それが、どうやら景元様とのようで……」
「ええええええ!? かかかかか景元様!?」
景元は岡引の雷にとって雲の上の存在であり、憧れの中の憧れの人物である。そんな景元と張り合うことなど彼にとっては無意味に近い。
普段の雷は「頑張れ! 出来る! 熱くなれええ!!」などと叫んびながら物事に取り組む超ポジティブ人間である。しかし今回ばかりは戦わずして負けを悟ったらしく、雷は大声で吼えながらどこかへ去っていった。
立待はそんな彼の去り際を、呆気にとられながら眺める。
「……熱いですね」
「はは、暑苦しいですよね」
「いい子なんだけどねー」
撫奈は頬に手をあて、小さくため息をつく。何だかんだ、彼のことが気になって仕方ないようだ。
雷の想像以上の反応を見た後、景雲は腕を組んでなにやら思案し始める。この一見知的そうな姿に女性達はときめかずにはいられないらしい。もちろん立待もしかりである。
「雷は居待殿が男だと気付いても心変わりしないのでしょうかねぇ」
「あ、じゃあ私、心変わりするに一さしっ!」
「では私は仏門にくだるに二朱」
「景雲様、撫奈、うちの息子ぉ見くびってもらっちゃ困りますよ!心変わりしないに団子一年分!!」
いつの間にか店の中から出て来た、店主のおやっさんの豪快な賭けっぷりに、二人は「おー」と感嘆の声を上げる。しかし、心変わりしても、しなくても、ある意味おやっさんの負けであることには誰も気付いていないようだった。
立待だけは、「でも、居待は衆道の気はありませんよ?」と少しずれた発言をしながら困った顔をしていた。
お茶のお代わりを頼み、一息入れた後、立待は何やら決意を固めた表情を見せ、声を上げる。
「いざとなったら自分が身代わりに!」
「それはちょっと……」
「そ……そうですよね、自分が女装なんて似合うわけありませんよね」
「そうではなくて。立待殿は今でも十分可愛らしいのに、正装をして着飾ったら男は皆あなたの虜となりそうで……。すみません子供じみた独占欲を……」
「景雲殿……」
「立待殿、私は……」
景雲がそう言いながら、そっと立待の手をとったその時、立待は何かを感じたのか勢い良く立ち上がる。
そして突然、立待は刀の柄に手をかけ、常人の目には見えぬ速さで鞘から刀を抜いた。抜刀の勢いを殺さないまま、刀を振り切り、景雲に向かって飛んできた何かを軽い金属音と共に叩き落とす。
その様子を店の中で見ていたなずなは息を呑んだ。
「すごい超反応。景雲様、浮気したら問答無用で切り捨てられるんじゃ……」
「女っていうのは、綺麗な花咲かせながら毒を持ち合わせてるもんなんだよ」
どこか遠くを見つめながらそう断言するおやっさんを見て、撫奈は彼に愛妻家と恐妻家のニ面を見た気がして目を細めた。
一方、立待は手馴れた手つきで刀を鞘へと滑り込ませてから、地面を弾き落としたものを拾い上げていた。
「簪?」
立待が手に持った銀細工の簪を眺めていると、向かいの建物の陰から微笑を浮かべた可憐な少女が姿を現した。少女は頭につけた大きなつつじ色のリボンを整えながら、ゆっくりと立待達のいる方へと歩みを進める。
「なんだ、居待か」
そう、この少女こそが立待の「弟」である話題の人物、居待なのだ。
「ごめんなさい、姉上。それ、私のですわ。手が滑ってしまいましたの」
嘘だ。簪は一部の狂いも無く、的確に景雲に狙いを定めていた。景雲は顔を引きつらせ居待と言う名の、菩薩の姿をした鬼を見た。
しかし、立待は弟の言葉を疑いもしないで、有り得ない言い訳を甘受する。
「そうか……でも気をつけなさい。もう少しで景雲様に当たるところだったんだぞ。……あと外では姉上は止めなさい」
「心得ましたわ。ところで、お二人で何を楽しそうにお話しされてたんですの?」
嘘だ。絶対一部始終聞いてたし、見てたに決まっている。立待と景雲が良い雰囲気になるとこの弟はいつも絶妙なタイミングで現れるのだ。命を狙われたのだって今日が初めてではないのである。
「居待、お前の見合いについて相談を聞いてもらっていたんだよ。本当に困った話だよな」
しかし、居待は立待の心配顔とは打って変わって涼しい顔をしていた。そして、にこりと微笑み一言。
「心配後無用ですわ。いざとなれば私には『秘密兵器』が御座いますもの」
居待のこの言葉に立待と景雲はお互いに顔を見合わせ、首を傾げた。
*
お見合い当日。鯛の塩岩焼きが絶品と噂の料亭で、柄の悪い青年と妖艶な女性が淡々と会話を紡いでいた。張り替えたばかりらしい畳から、緑の心地よい香りがふわりと漂う。
「景元様、何故今回の話をお受けになったのですか?」
「なんだぁ? 朋香、焼き餅か?」
「そうではなくて……。といいますか、昼日中からいやらしい目つきするのはお止め下さい」
朋香と呼ばれた見目麗しい女性は景元の腹心で、その本性は管狐と言う妖怪だ。景元より若そうに見えるが、彼よりも遥かに長い時を生きている。そろそろ今回の見合いの発案者である景元の父上が厠から戻って来るだろうと思い、頭にある耳をそっと撫で隠した。
「……あの浅葱の姫は殿方ですよ」
「んなこた、知ってるよ。厄介な奴だってこともな」
「では何故?」
「厄介なこと程楽しいこともないだろう。それに結婚結婚ってうるさい父上殿にも一泡吹かせる事が出来そうだしな」
そう言いながら愉快そうににたりと笑い、朋香が注いでくれた酒をあおる。そこに丁度、彼の父が家人を二人連れ戻って来た。
景元の父は部屋を一通り見回した後、自分の席へと
「おや、居待殿はまだいらしてないのか?」
「そうみたいですねぇ」
「何だ、景元その態度は。もっとしゃんとしろ」
景元の父が苦虫を噛み潰したような表情をして席についたその時、襖がゆっくりと開けられた。
「初お目にかかります。浅葱鷺之丞が娘、居待にございます」
襖の向こうから現れたのは、朱色の晴れ着姿の可憐な少女、もとい少年居待であった。
居待は景元の父の前に座ると、畳に指をつき、頭を軽く下げる。
「まことに申し訳ないのですが、今回の話は我が父のあずかり知らぬ所で進んだもの。どうか白紙にもどしては頂けないでしょうか」
そうなのだ。今回の見合いは景元の父が半ば強引に取り纏めたもので、鷺之丞がそれを知った時には見合いの日程が既に決められていたのだ。
「いやいや、すまなかったとは思うが、折角ここまで来たのだから息子と話でも……」
「あらまあ、そう言われましても……困りましたわ」
あまり困ってなさそうな微笑みを口元に浮かべ、居待は音も立てずに立ち上がる。彼らの前でわざとらしくため息をつくと独り言のように呟きを放つ。
「仕方ありませんわね。こんなこと本当はしたくなかったのですが……」
居待はにこりと、天使のような微笑を見せながら着物の裾をそっと持ち上げた。
そして愛らしい笑顔のまま、立派な「男の娘の秘密」を披露したのだ。
ある意味絵にも描けない地獄絵図な光景を見せつけられた景元の父や家人達は無表情のまま、何度も目をぱちくりさせる。まるで、白昼夢でもみているかのように。
そしてそれが現実だということにようやく気付いた途端、料亭の外まで聞こえるほど大きな、言葉にならない悲鳴が響き渡る。そして、その中には景元の腹を抱えての大爆笑の声も含まれていた。
*
「そ……それは災難でしたね」
「父上殿がな」
翌日、茶屋には見合いでの話を嬉々として語る景元の姿があった。両隣にはお供の朋香と、仕事の休憩中である景雲が座っていた。
景雲は居待の言っていた「秘密兵器」の正体を知り、納得と同時に苦笑いをする。景元の立場で考えるとその場は楽しかったろうが、彼の父上の立場で考えると胃が引っくり返るような思いだろう。
「それにしても、随分強烈な断り方ですね」
「あら? まるで他人事のようにおっしゃるのですわね」
他にいくらでも断り方はあっただろうに。そう考えての一言だったが、いつの間にか目の前に立っていた噂の張本人、居待の言葉に景雲は目を白黒させる。
「気配を消して近寄らないで下さいよ……。して、他人事のようにとは……?」
「嫌ですわ、景雲様。私が誰の為にこのお見合いを断ったと思っていますの?」
居待は妖しい目付きで景雲に近づき、彼の鼻に指でそっと触れた。
その時、何か重たいものが落ちる音がして、景雲はハッとその方向へ目をやる。するとそこには明らかにショックを受けたような表情をした立待が立っていた。立待は落としてしまった道着入れを急いで拾い、素早くその場から離れようと踵を返す。
「た……立待殿! 誤解です」
「姉上、ごめんなさい……私、実は景雲殿のことを……」
「はい!? い、居待殿っ!!」
立待は振り返り、悲しそうに、それでも精一杯微笑んで見せる。
「いいんです、自分はまだ未熟者で……。そ、それに……居待の方が女の子らしくて可愛らしいですからー!」
そう言いながら、途中で猛スピードで走り去って行った立待には、「というか居待殿は男ですからー!!」と言う景雲の必死な叫びは聞こえていなかった。
居待は立ち上がった景雲の肩をトンと叩き、再び椅子に座らせた。そして彼に顔を近づけ、視線で人を殺せそうな表情をしながら耳元で呟く。
「姉上といちゃつこうなんて、たとえお上が許しても俺様が許さねえからな、覚えとけこのロリコン野郎」
その声色に景雲は背筋ゾッさせ、思わず刀に手をかけ身構える。すると、先程までの表情とは打って変わり、居待はきゃるんと愛らしく微笑んでいた。
「それじゃあ、これからも末永くよろしくお願いしますわね、景雲殿」
顎に軽く握った両手を添えたいかにもなぶりっ子ポーズをしながら、そう告げた後、居待は軽やかな足取りで賑わう人ごみの中へ消えていった。
後には、整った表情を崩さないまま、放心状態に陥った景雲。そして彼を「やーい、二股ロリコン与力」と楽しそうにからかう景元、それを嗜めながら哀れみの表情を見せる朋香が残されていた。
《幸福完結☆》
【用語解説】
一さし:大体百文。今でいうと千円くらい。
二朱:今でいう七千五百円くらい。
衆道:ホモのこと。
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