ガイヤ・エレノア
———何の茶番だ、これは。
大木に背を預けて、目の前で繰り広げられる馬鹿馬鹿しい場面を眇め見る。
学園でその名を知らぬ者はいないだろう、公爵令嬢エミリア・ストーン。
だが、その姿は殆ど拝めない。何故なら、彼女は学園より王家へ出向くことの方が多いからだ。
学園での学びは彼女にとって既に身についたもの。
最低限の授業は受けているようだが、それ以外の時間は、外交手腕や敵国情勢など、既に政治経済の学びで費やされている。
———そんな多忙極まりない彼女が稚拙ないじめだと?
まさに笑止千万。
しかも、彼女を追い込む面々は冤罪だと知りながらの策略。
———しかも、誓約違反だと?
断罪するに十分な材料を揃えることが出来なかったのだろう。
よりによって魔法誓約違反を持ち出すとは想像だにしなかった。
この学園に入学した際、魔法量の上限度を超えている者にのみ課せられる誓約。
魔法による殺傷行為を制御する意味合いで誓約を交わすのだが———それは実際のところ、飾りの誓約に過ぎない。
エミリアほどの魔力があれば、誓約など意味を成さないからだ。
そして、結論から言えば、エミリア・ストーンは誓約に違反している。
エイドリアン王子に悟られぬよう水面下で振るわれている———血の制裁。全ては彼を護るために。
奴等が掴んだ証拠とやらは、そのうちの、たった一度。
誓約書には王家の刻印があり、だからこそ、苦肉の策でそれを持ち出したのだろうが———それにしても、解せない。
何故、彼女は抗わない?
何故、彼女は反論しない?
王妃の品格と資質を兼ね備えた彼女であれば、このような茶番、易々と捻り潰せるだろうに。
そこまで考えて、ククク、と笑みが浮かぶ。
ああ、掌上に運らす———ということか。
美しい蜜色の髪と、澄んだ碧色の双眸のマリアという男爵令嬢を眺める。
彼女の愚かさは一目瞭然だ。
男爵家の娘が公爵家の娘の慈悲を王族に乞う。しかも、王族が下した命を覆せと。
その意味さえ気づかずに。
男爵令嬢の発言に、不快感を露わにしている周囲の貴族も少なくはない。
だが、至福に酔い痴れる初々しい恋人同士には届かないようだ。
「要らぬのなら貰い受けようぞ。」
クツクツと喉を鳴らして笑う。
命じられ気が載らぬまま海を渡ったのは無駄ではなかった。
このような大物を手中にすることが叶うなど、想像だにしていなかった。
「———ガイヤ様、ご指示を。」
陰に控えている黒服が気配もなく声を届けてくる。
「今宵だ。すぐに動け。」
「承知。」
初めて見た時から手に入れたいと願っていた。
背に流れる銀色の髪、吸い込まれそうな紫の瞳、肌理細やかな白い肌———瞬きをしなければ、人形のようだと噂されている公爵令嬢エミリア・ストーン。
あの召喚の儀で、気高く気難しい黒竜と白虎が少女に寄り添う様は、全身に震えが走るほど美しかった。
騒然とした空気を物ともせず、膨大な魔力を惜しげもなく与える少女は瞬く間に契約を交わす。
背に黒竜、足元に白虎を従えた少女は、その時点で王家を凌ぐ力を得たのだ。
あの高位魔族が一国を滅ぼすに要する時間は、ひと時もかからないだろうから。
———欲しい。
ぞくり、と芽生え巣食う、それは独占欲。
———あれは俺のものだ。
だが、現実はそう甘くない。
彼女の加護は強すぎて、魔力量では引けを取らないと自負している身でも容易く手が出せる相手ではなかった。
いっそのこと戦を起こして、この国を乗っ取ってしまおうか。
限られた時間に焦りを覚え始めた矢先の、この茶番。
笑いが堪えきれないのも仕方あるまい。
あの稀有なる娘は、警備が手薄な地下牢に捕えられているのだから。
愚かな王子の先走った断罪により、ティムバ王国は『守護』を失うのだ。
王子の背後に控えていた護衛が慌てて走り去った様を見ながら、蔑んだ笑みを刻む。
———今頃、慌てふためき報せを放とうと時既に遅し。
どれだけ急いでも明朝になるであろう救助の目先を掠めて宝玉を手にするのは、この私———ガイヤ・エレノアだ。
私は海を渡った大陸にあるエレノア大国の第三王子という身分を偽り、この学園に入学した。
学園ではガイ・スコッチと名乗っている。スコッチは母方の性で、辺境貴族のため足がつかない。
父王に命じられたのは、この国を見極めること。
エレノア大国からしてみれば、ティムバ王国など歯牙にもかけぬ小国に過ぎないが、利用価値が高いのならば活かす道もあった。
小馬鹿にしながら足を踏み入れてみれば、魔導国とさえ揶揄されているエレノア大国の、その最も濃い血を受け継いでいる自分を凌駕するほどの存在に出逢った。
空を見上げれば、激高の叫びを放つ黒竜が旋回していた。
結界が綻び始めているのを見取り、そして呟く。
「手を下さずとも滅びる。虚けどもよ———どれほどの加護を授かっていたのか思い知るが良い。」
ようやくこの馬鹿げた学園から去ることが叶う。
両腕には国より重い存在を抱いて。
真綿に包むよう、大切に大切に連れ去ってやろう。