彼女が彼と付き合い始めてもう2週間が経った。
本当に本当に嬉しそうで幸せそうな顔をしている。
僕はその顔を見るのがつらい。
心臓のあたりがきりきり痛み、動悸が乱れ、何も考えられなくなる。
どうしても僕は彼女のそばにいたくて。
どうしても彼女と晴れたくなくて。
だから、自分の心を押し殺したというのに、今は彼女と居るのがつらい。
彼女の笑顔が見たくない。
彼女の声が聞きたくない。
だって、その彼女の笑顔は全部……
僕の親友からの贈り物だから。
だから、見たくない。
全然見たくなんかない。
僕は、彼女とはなれることにした。
すべてが遅かった。
そして、すべてが間違いだった。
こんな思いをするなら、最初から告白でも何でもしていれば良かった。
そうすればこんな思いを抱かずにすんだ。
こんな、壊れそうなところまで追い詰められなくても良かった。
僕は、今病院に居る。
理由はただひとつ。
両親が僕の様子がおかしいのに気がついたからだ。
最近はご飯もまともに食べてない。
おかげで、体重も一気に減った。
まぁ、夏場だから、夏ばてだと通したけど、そんな子供くさい言い訳が通用するわけもない。
今は何も言わないけど、きっとひどくなったらきっと聞く。
だけど、なんと答えればいい?
まさか、彼女に、春樹に恋人ができたからとでも言えというのか?
そんなことができるわけがない。
僕は自分の気持ちを押し殺して、彼女を応援したのだ。
だから、全部自分で背負わなくちゃいけない。
それが、間違いを犯した僕のけじめだ。
診察を終えた僕は、家に帰ると、部屋に戻り、ベッドの上に倒れこむ。
ここ最近はずっとそうだ。
家に帰ってくると部屋に閉じこもる。
じゃないと、家族に当り散らしそうでいやだった。
それに、もしかすると、眠れるかもしれない。
そうも思っていた。
いつの間にか、僕は変わってしまった。
大嫌いだったはずの夜が今はなぜか、たまらなく愛しい。
まるで僕の心を写しているかのように感じる。
今の僕の心は何もない。
ただ、ひっそりと黒い虚無感だけで満たされている。
そして、彼女の顔を見るたびにその虚無感に、悲しみという炎がともる。
僕はどうすればいいのだろう?
彼女と離れて、僕は何をすればいい?
何をしなければいけない?
いや、そんなことは分かっているはずなんだ。
彼女を忘れて、何もかもを忘れて、新しい一歩を踏み出さなくちゃいけないんだ。
そう、何もかもを忘れて。
だけど。
そう考えると涙が止まらなかった。
自分でも情けないと思うけど、この涙はどうしても止まらなかった。
そのとたんに胸が軋む。
まるで何もかもを抉り取られるかのようななんともいえない痛み。
これがここ最近毎日来る。
間隔は決まってない。
それこそ、短いときは、ものの数分で来るし、長いときは数時間の時だってある。
だけど、僕にとっては、その感覚なんてどうでもいい。
どちらにしろ、この生き地獄の拷問からは逃れられないことには変わりないのだから。
僕は胸をかきむしると、壁にもたれると、窓の外をむく。
そこからは、彼女の家と彼女の部屋が見える。
小さな頃は良く遊びにいった。
だけど、最近は全く行ったことがなかった。
たぶん、それは僕が距離を置いたから。
自分の感情を知られたくなかったから。
もし、彼女と二人きりにでもなれば、僕は自分が何をするのかが分からない。
それこそ、彼女に襲い掛かる事だってあるかもしれない。
だから、行けなかった。
行くわけにも行かなかった。
すべては自分のせいなんだ。
臆病な僕はすべていけない。
いっそのことこのまま朽ち果ててみるのも良いかもしれない。
この胸の痛みと一生付き合っていかなくてはいけないというなら。
僕はたちあがると、机の上においてあるカッターを手に取る。
これの刃を出して、首に突き刺せば、そこで僕の人生は終わりを迎える。
これ以上苦しむことはない。
だけど・・・
それでも、死ぬのは怖い。
死にたくなんてない。
でも、このまま苦しみたくはない。
結局僕はここでも悩むことしかできない。
行動に移せない。
やっぱり、僕は情けない。
こんな僕に彼女と一緒に居る資格なんてないんだ。
僕は、刃を出した。
そして、天井を見る。
これで見納めになるかもしれない。
いや、見納めになるんだろう。
頚動脈を切れば、そこからの蘇生はまず無理だろう。
手首を切るとは、わけが違うんだ。
それを思うと自然に力が入る。
やはり、心のどこかで恐怖しているのだろう。
これから訪れる死に対して。
僕はゆっくりと刃を首へと近づける。
だけど、近づくたびに手の震えが大きくなる。
「っ!!」
そのせいだろう、軽く刃が首筋をかすった。
ただ、それだけのことのはずなのに、ものすごく痛かった。
かすった部分に手を当てると、少し血が滲んでいた。
そして、その同じ血が今これからこの部屋いっぱいに飛び散る。
それを考えるとものすごく怖かった。
さっきまで握っていたカッターもいつの間にか、落としていた。
やっぱり、僕には度胸がなかった。
僕はうなだれるようにして、その場に崩れ落ちる。
そのとき不意に携帯がかかった。
いっそのこと無視しようかと思ったけど、僕は、素直に出た。
彼女からだった。
そして内容は…
また、友達との事だった。
苦しかった。
悲しかった。
だから、僕は…
何も言わず切ると、電源も切った。
もう、何も考えたくなかった。
もう、すべてを手放してしまいたかった。
だから、僕は…
彼女と離れよう。
そして、僕はその日から彼女を避けることに専念した。
だというのに、彼女はそれでも気がつけば僕のすぐそばに居て、彼とのことを話してくる。
どうして?
どうして、春樹は僕の居る場所が分かるの?
僕が必死になって彼女を避けているというのに、それを嘲うかのように、気がつけば居る。
それとも、心のどこかで、彼女と居たいと思うからそうなのだろうか?
いや、それはないはずだ。
だって、僕は彼女に何一つとして話さず、何一つとしてアクションを起こしていないのだから。
だから、大丈夫なはずなんだ。
なのに、どうして、彼女は僕のそばに居る?
そして、傍に来て、彼の話をする?
やめてくれ。
僕はそんな話は聞きたくない!!
聞きたくないんだ!!
「ねぇ、聞いてるの?人が大事な話をしているときにさ」
「え?」
気がつくと場面は変わっていた。
いや、戻ったの方が正しいのかもしれない。
「やっぱり、きいてなかったのね」
僕の態度があからさまだったのだろう彼女はそういうとため息をつく。
まぁ、彼女の気持ちも分からないでもない。
でも、いきなり変なことを言い出した人がいけないんだ。
いきなり、私と付き合って、とか。
僕も彼女のことは知っている。
彼女は、春樹の友達の姫野椿。
春樹とは対照的にどちらかというと落ち着いた感じのする女子。
でこぼこコンビとも呼ばれてたけど、僕はそう思わなかった。
春樹みたいな無鉄砲には、椿さんみたいな落ち着いた人のほうが合うと思った。
きっと、いい友達でいれると思った。
だけど、そんな彼女が僕に告白してくるなんて予想できなかった。
どうして、僕なんかを。
そういう考えしか浮かんでこない。
嬉しいなんて到底思えない。
それに、僕はまだ…
まだ、彼女のことが忘れられない。
だから、付き合うことなんて…
「とはいっても、あんたも素直に、うん、とはいえないでしょうね。なんせ振られたばかりだからさ」
「え?」
彼女が言ったことに僕は思わずびっくりした。
というよりも、どうして、彼女がそんなことを知っているのだろう。
誰にも言ったことないの。
それがあからさまだったんだろう、彼女は僕の事を見るとぞくりとするような笑みを浮かべると。
「分かるわよ。好きな人のことなら何でもね。それこそ、誰をいつも見てたか、なんてね」
僕は、彼女の言葉を聞いて、はっとした。
そうだ。
僕はいつも彼女のことを目で追いかけていた。
見てはいけないと思いつつも、僕は、ずっと彼女のことを目で追いかけ続けていた。
やっぱり好きだから。
この感情だけはどうしても、消せなかったから。
だから、気がつくといつも彼女の姿を追いかけていた。
彼女に見えないところで。
それを、知られた。
いや、もしかすると、皆知っているのかもしれない。
そう、春樹でさえも。
そう思うと僕は、怖かった。
体が震えてきた。
必死になって押し隠してきた感情を見破られているかもしれない。
そう思うと、もう自分では抑制できなかった。
自分の努力が無駄になりそうで。
「あんたって、やっぱりわかりやすいわね」
体を抱きしめるようにして、震えていると、姫野さんが唐突に口を開いた。
けれど、それは僕にとっては更なるショックでしかない。
だって、それはつまり、僕が考えていることを肯定していることなんだから。
そんな僕にはうなだれることしかできなかった。
けれど、彼女はそんな僕を見ると、ため息をつくと。
「どうせ、皆に自分の気持ちを知られているんじゃないか、とか思ってるんじゃないでしょ」
あきれた感じでそう言う。
けれど、僕にとっては驚きだった。
「大丈夫よ。どうせ、誰も分かっちゃいないわよ。あんたは、本当にうまく自分の気持ちを隠してるわよ。それこそ、私だってわかんなかったわよ。あんた、恋愛なんてどうでもよさげな反応ばっかりしてるんだからさ」
それがまた感じ取られたんだろう、またそっとため息をつきながらそう言う。
けれど、情けないことに僕は彼女の言葉を聞いて安心していた。
誰にも知られてない。
その事実が僕に安心感を与えてくれる。
「と、話がずれてきたけど、あんたの答えを聞かせてくれないかしら?」
「え?」
「だから、私の告白の答え。まぁ、期待はしてないけどね」
また、ため息交じりでそう言う。
そういえば、今は、そっちが大事だったんだ。
だけど、彼女の言うとおり、僕は…
「ごめん」
断ることしかできない。
けれど、それなのに、彼女はまたぞくりとするような、笑みを浮かべると。
「まぁ、いいわよ。最初から答えは分かってたし。でもさ、いつまでも引きずるわけにもいかないでしょ?だから、遊びでもいいから付き合わない?私は、気にしないし、それにそうした方が忘れやすいかもしれないしね?私が忘れさせてあげるわよ?」
そう言い放った。
けれど、言ってることはむちゃくちゃだ。
そんなことができるはずがない。
たとえ、彼女のことを忘れるためとはいえ、他の人を、それこそ、自分のことを思ってくれてる人を利用するなんて。
僕にはできない。
できはしない。
「そんなの…」
「できない。そんな言葉はいらないからね。できないなら、それでいいし、したいと思うなら、いつでも来て。私は、別に拒否はしないから」
彼女は僕の言葉を途中で自分の言葉で覆いかぶせるようにそうとだけ言うと、さっさと戻っていってしまう。
それはまるで、僕のいうことなど聞く耳持たない。
そういっているようだった。
そして、その姿はどこか彼女から逃げる僕の姿にも似ていた。
「て、いつまでもこんなところに居ても仕方ないか」
と、それよりも、さっさと帰ろう。
彼女も居なくなったわけだしいつまでもこんなところにいてもどうしようもない。
僕は、彼女と同じようにここから立ち去った。
どうしてだ?
どうして、また春樹がここに居る?
しかも、どこか僕のことを非難するような目で見ながら。
僕が何かをしたのか?
僕は何もしていない。
していないのに…
「どうして、私のことを避けるの?」
そう思いかけて、彼女の一言で思い出す。
そうたった一つだけしていたこと。
彼女を避けること。
それが、彼女を傷つけることになったのだろう。
だけど、
「さけてはないよ?ただ、俺と二人で居たら、あいつも勘違いするかもしれないだろ?だから、ちょっと距離を置こうと思っただけ」
それを止めるわけにはいかない。
たとえうそをついたとしても。
「そうなの?でも、気にしないと思うけどな?それに、私たちの仲を取り持ってくれたの、由貴じゃない?」
それでも、春樹は食い下がる。
きっと、一人でも多く自分の幸せな時間のことを知ってもらいたいんだろう。
だけど、それは僕にとっては拷問でしかない。
だから、避けるしかないんだ。
彼女と距離を置くしかないんだ。
ならどうすればいい?
どうすればとげが立たないですむ?
そして、唯一思い浮かんだのは…
僕が一番嫌いな…
卑怯な方法だった…
そう、それは…
「それにさ、俺、今付き合ってる人が居るんだ。だから、やっぱり、ほかの女の子とふたりきりでいるのはまずいよ」
姫野さんを自分の彼女に仕立て上げることだった。
春樹がびっくりしたような顔をする。
「春樹の友達の姫野さんなんだ。この前告白されて、オーケーだした。二人とも友達だから、大丈夫かもしれないけど、僕としては、けじめはつけておきたいからさ」
そんな春樹をほうっておいては俺はどんどんうそをつく。
だけど、何も感じない。
麻痺しているのかもしれない。
痛みも悲しみも何もかもを失ってしまったから。
たった一度の恋に破れたというだけで。
「だから、ごめん」
最後にそう謝っておく。
上っ面だけなら、綺麗事なのかもしれない。
けれど、本当の意味は…
真意はどこにあるのだろう?
僕自身にさえ分からない。
ただ、言えるのは、どっちにしろ、彼女には何も知らせられないこと。
それが僕にとって唯一の救いだから。
そして、僕はすぐ傍にあるかばんを取ると、教室を出る。
これ以上彼女の顔を見たくはなかった。
もし彼女が僕に彼女ができたことを喜んでいたら…
それを考えると、どうしようもなく怖かった。
だから、僕には逃げるという選択肢しかなかった…
そして、僕と姫野さん――椿は付き合うことになった。
彼女は自分の逃げ道のためにこのことを使ったことについて何も言わなかった。
それどころか逆に喜んでいた。
どうして?
どうして、そんなに喜べるのだろう?
僕は、彼女のことをなんとも思っていない。
ただ、自分の逃げ道のためだけに利用しているというのに。
なのに、どうして、こんなに嬉しそうにできる。
僕には分からない。
全く分からない・・・。
「ほら、由貴、何考え込んでるのよ。せっかくのデートなんだから、楽しまなきゃ損でしょ」
彼女は本当にうれしそうにしている。
僕の心がこんなにも虚無感で満たされているのに。
なのに、彼女は、それでも楽しいといえるのだろうか?
それで満たされているのだろうか?
僕には全く分からない。
彼女の心が予測つかない。
「て、ほら、こっちにきなさい、てば」
彼女がぼんやりとしている僕の腕をつかむと、ベンチに座らせる。
今日は公園に来ている。
彼女が手料理を振舞ってくれるらしい。
普段は凛として、寄せ付けないような雰囲気を持っているのに、今日は違う。
いや、僕の前だけでは違う。
僕の前だけでは、甘えるようなしぐさをする。
これが本当の彼女なのだろうか?
それとも…
「ほら、口をあけて?あーん。」
そんな僕の思考を払拭するかのように、自分の手料理を僕に差し出す。
けれど、僕には見えた。
彼女の瞳の奥で悲しみで揺れているのを。
やっぱりつらいんだ。
だけど、それでも僕のそばに居ようとする。
どうして、そこまで僕のことを思うのだろう?
大してかっこよくない僕のことを。
「あーん」
だから、逆にそれがつらい。
ここまで思ってもらっているのがつらい。
だから、彼女がすることは素直に受け入れるしかない。
それが僕にできるせめてもの贖罪。
彼女が笑う。
幸せそうに。
だけど、その瞳には相変わらず、深い悲しみで彩られている。
どうして?
これは椿が望んだことじゃないのか?
僕は君の思うとおりに動く。
君を否定することはしない。
拒否だってしない。
なのに、どうして、そんな悲しい目をするの?
分からない。
どうして?
僕が悪いのか?
じゃあ、一体僕の何が悪いんだ?
教えてくれ。
だれか、教えてくれ。
僕はいったい何を間違っているのかということを。
春樹が別れた。
どうしてか分からない。
でも、予想はつく。
また、いつものこと。
自分が思っていたのとは少し違った。
自分が感じていたのとは少し違った。
だから別れた。
それなんだと思う。
いつものこと。
そう、いつものことなんだ。
隣には、椿が居る。
ここ最近、ずっと何かにおびえるように僕の腕をつかんでいる。
まるで、僕が逃げていくのを恐れるかのように。
僕は逃げやしないのに。
どこにも逃げることなんてできないのに。
それにようやく彼女になれてきた。
だから、もう、春樹のことも大丈夫だと思う。
もう、引きずってなんかいない。
だから、大丈夫だと思う。
これからは、椿の事を見ていける。
椿のことを好きでいられる。
そうだと思う。
「ねぇ?私は由貴の事好きだよ?」
そういえば、こういう言葉も多くなったような気がする。
「ねぇ、由貴も別に私のこと嫌いじゃないよね?大丈夫だよね?」
何が不安なのだろう。
必死になって僕の腕にしがみ付きならそう訊ねてくる。
「うん」
だから、僕は頷くことしかできない。
彼女のことを不安にさせたくなかった。
彼女により抱えられたから僕は今こうしているんだ。
つらい思いをしなくても良いんだ。
けれど、椿は僕がそう頷くたびにつらそうな顔をする。
その瞳に深い悲しみを漂わせる。
どうして??
どうして、君はそんなにつらい顔をするの?
これを求めているんじゃないの?
これじゃいけないの??
僕には分からない。
だから、彼女のことを抱きしめる。
僕にはそれしか手段を知らない。
彼女の不安を払拭する手段を。
だけど、それでも、彼女の不安は消えない。
体が震えている。
なぜそんなに怯える?
何をそんなに不安がっているんだろう?
僕には分からない。
僕には…
「…由貴」
不意に背中から聞き覚えのある声がした。
彼女のことを抱きしめながら振り返る。
そして、そこに居たのは…
「…春樹」
春樹だった。
彼女が僕の事を見ている。
どこかその目は非難するように見える。
どうして?
また僕が何かしたのか?
もしかして、僕のせいで別れたとでも言うのか?
だから、それに対して文句を言いにきたのか?
だけど、僕は何もしてない。
だから、何も…
「え?」
ふと気がつくと、僕の腕の中に居る彼女の、椿の体の震えが強くなっていた。
どうして?
更なる疑問が浮かんでくる。
だけど、分からない。
僕には何がどうなっているのかぜんぜん分からない。
椿が怯えているのも、春樹が怒るのも。
何も分からない。
僕は立ちすくむことしかできない。
どうすれば良いのか全く分からない。
何がどうなっているのか分からないから。
「て、え??」
何もできずに僕は立ち尽くす。
けれど、彼女は、椿は僕の腕をつかむと、走り出す。
まるで、春樹から逃げ出すように。
どうして?
二人は仲のいい友達じゃなかったのか??
それともそれは単なる僕の勘違いだったのだろうか?
分からない。
たぶん、きっと、僕のわからないところで、何かが進行しているんだ。
しかもそれはきっと、簡単に済むようなことじゃないんだと思う。
なぜだか分からないけど、そうなんだと、僕は思う。
かなりの距離を逃げるようにして走っていた彼女は、いつも別れる交差点で立ち止まった。
お互い、運動部に入っているわけでもないので、息切れをしている。
特に彼女の方がひどい。
普段の彼女には似合わず、落ち着きのないそぶりで、肩で息をしている。
こんな彼女を見るのは初めてだ。
いや、もしかすると、これが彼女の本当の姿なのかもしれない。
今まで僕が勝手に思い込んでいた姿のほうが、偽者なのかもしれない。
まぁ、どっちが正しいのかなんて分からないけど。
僕は、傍にある塀にもたれかかり、息を落ち着ける。
彼女と同様に僕だってかなりきつい。
抱き合っている姿を彼女に見られたのだ。
つらくないはずがない。
たぶん、まだ、彼女への気持ちが残っているせいだ。
早く忘れなければ。
そうしなければ、もっと辛くなる。
もっと、悲しくなる。
だから、早く忘れなくちゃいけない。
そして、早く椿のことを好きにならなくちゃいけない。
そうじゃないと報われなさ過ぎる。
彼女の気持ちが。
僕はある程度息が落ち着いてきたのを確認すると、空を見上げる。
茜色に染まったそこは、どこか悲しみに満たされているように見える。
まるで、これから、不吉なことが起こることを暗示しているかのようだ。
そこまで考えて頭を振る。
そんなことは考えてはいけない。
そんなことを考えていては、状況はさらに悪くなるだけ。
悪くしかならない。
だから、いいように考えなくてはいけない。
いけないんだ。
視線を椿へと戻す。
けれど、視線の先に、椿はいなかった。
ただ、その代わりに胸に重みを感じるだけ。
彼女の重みを。
「どうしたの?」
初めてのことだった。
彼女から抱きついてくるのは。
手をつなぐことはあった。
腕を組むときもあった。
ただ、彼女から抱きついてくることは一度もなかった。
それがあたかも最後の砦かのように、それだけは決してしなかった。
なのに、今、彼女は僕の腕の中に居る。
必死になって僕にしがみつく彼女が僕の腕の中に居る。
なぜ??
くるのは喜びではない。
純粋な疑問だけ。
彼女のしていることがどんどん分からなくなる。
最初は。
それこそ、告白をしていたときはあんなに自信に満ち溢れていたというの。
どうして、今はそんなに怯えてるの?
何にそんなに怯えてるの?
分からない。
分からないから僕には何もできない。
抱きしめることすらできない。
ただ、呆然と立ち尽くすことしかできない。
彼女のことを拒絶もできずに。
ただ、漠然とした不安を抱えながら。
ただ、時間が過ぎて、彼女が僕から離れるまで。
「見つけた」
それはきっと、半永久的なもので、かなり長いもの。
そう思っていた。
そうなるものだと思っていた。
だけど、僕らの時間を壊す人が居た。
いや、壊してくれた方が良かったのかもしれない。
このどうしようもない雰囲気を払拭するには。
「春樹、どうしたの?」
僕は、この時間を壊した人、春樹に尋ねる。
けれど、春樹は何も答えない。
ただ、僕と、そして椿を見るだけ。
そして、椿も何も言わない。
ただ、春樹の視線から逃げるように、僕にしがみつく。
この二人の間には何かある。
先ほど感じた予感が確信に変わる。
僕の知らない何かが、あるんだ。
僕はそっと、抱きついている椿をかばうような形で前に立つと、
「そんな目で、どうして、椿を見ているんだ?」
確信をつく問いかけをする。
二人がはっと息を呑むのが分かった。
けれど、僕はそれをあえて無視をすると、春樹のこと見つめる。
どうしてこんなことになっているのかははっきり言って予想がつかない。
ただ、唯一いえるのは、僕がすべきことは…
今の僕のすべきことは、椿を守ること。
ただ、それだけなんだ。
それが伝わったのかもしれない。
椿が安堵の息を吐き、春樹は唇をかみ締める。
その目は、その瞳が僕のことを非難がましく見える。
でも、これは当然のことだろう?
僕は椿の恋人。
ならば、椿を守らなくちゃいけない。
たとえ相手が初恋の人だったとしても。
「ねぇ、確か二人とも仲のいい友達だったはずだよね?なのに、これはどういうことなの?」
これはきっと彼女にしてみれば、自分が責められているとでも感じるだろう。
たとえ、僕にとっては単なる問いかけのつもりでなかったとしても。
「……」
彼女は何も答えない。
答えられないのかもしれない。
もしかすると、自分にとって不都合なことなのかもしれないから。
また攻められるかもしれないと思うから。
春樹は何も言わない。
そして、椿は何も言わない。
ただ、沈黙で満たされるだけ。
何もない。
何もかもが消えてしまったかのように。
あたかもこの世界には、この三人しかいないかのように。
ただ、静かだった。
誰も答えない。
誰も答えられない。
僕も、春樹も、椿も
誰も答えられない。
ただ、沈黙しかない。
誰もが答えるすべを知らないかのように。
誰も答えない。
ならば。
誰も答えられないなら。
「俺たちは、帰るよ」
この無駄な時間をなくせばいい。
こうすることで、時間は動き始める。
それがいいとも悪いともつかない方向へと。
動き始める。
僕は椿の手をとると、彼女の家の方向へと向かう。
今の状態で彼女を独りにするのは危険だと思ったから。
彼女もそれに安心したんだろう、僕が握っている手を振り解くと腕を組み、体を密着させる。
そして、さらに寄りかかってくる。
それはまるで、春樹に見せ付けているかのようだ。
どうして、そんなことを…
そう思いかけたとき背後から声がした。
僕の名前を呼ぶ春樹の声が。
振り返る。
そこにいる春樹は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
そんな春樹の顔は一度しか見たことがない。
二人で飼っていた。
内緒で飼っていた小鳥が死んでしまったとき。
そのときだけしか見た事がなかった。
どうして、そんな顔をする?
何がそんなに悲しいんだ?
だけど、僕には何もいえない。
言う資格なんてない。
もう、僕は、彼女とは、春樹とはなんでもないんだ。
単なる幼馴染だった。
それだけ…
「私は、由貴のことが好き!!いまさらだけど、気づいた。由貴が離れて行ってようやく気がついた。由貴が居ないと、どうしても不安になってしまうってことが。だから、私は由貴のことがすきなんだと思う。ううん、好きなの!!」
それだけのはずだった。
なのに、また変わり始める。
この局面にきて…
ようやく落ち着き始めたと思った局面に入ってきたというのに。
また、荒れ始める。
こんな僕たちを嘲笑うかのように。
壊れ始めたんだと思う。
すべてが。
当たり前のようにあったものすべてが音を立てて崩れ始めた。
椿が全部話した。
自分がしたことを全部。
それを始めて聞いたとき僕には何がなんだか分からなかった。
むしろ、なぜそこまで僕に執着するのかが全く分からなかった。
でも、どうしてこんなふうになってしまったのかは分かった。
すべては、やっぱり彼女の言うとおり彼女のせいだった。
そう、椿はいろんな人の感情を利用したのだ。
椿は全部知っていた。
僕が春樹のことを好きで、だけど、今の関係を壊したくなくて告白できないでいることを。
僕の友達が春樹のことを好きだということを。
春樹が、惚れっぽい性格であることも。
そして、本当は春樹が誰を好きなのかということも。
だから、利用した。
皆の感情を。
春樹と僕の友達をくっつけさせる。
その際に僕の手を借りること。
そうすれば、僕は苦しむことになる。
自分の手で、好きな人を他の人とくっ付けるのだ、そうならないはずがない。
そして、春樹の事もある程度マインドコントロールした。
春樹は惚れっぽい。
だから、ちょっとその僕の友達のことをほめて、関心を持たせる。
そして、ある程度関心を持たせたところで、一気に引き合わせる。
僕が知らないところで、椿経由で二人を合わせる。
そして、春樹はその人の新たな一面を見つけて、さらに惹かれていく。
さらにつめとして、僕にその友達について聞く。
僕には、その友達のことをよくしかいえないから。
幼馴染という関係で居るならば。
そして、めでたく付き合うことになれば、今度は、僕に矛先を変える。
春樹にのろけ話を僕にするようにというのだ。
まぁ、二人をくっ付けたのは、僕のおかげなんだから、とでも言って言いくるめたのだろう。
そして、それにまんまとのせられた、春樹は僕に話し始める。
もちろん、それは僕にとっては、それは酷でしかない。
よって、避けることを選ぶ。
けれど、そこでまた、椿が手を加えた。
彼女には豊富な情報網があった。
彼女の交友関係はずっと広い。
だから、僕の居場所を見つけることなんて簡単なことだった。
そして、見つけたら、春樹に教える。
後は、僕が精神的にぼろぼろになるのを待ち、ある程度ぼろぼろになったら、後は最後の一押し。
今度は逆に春樹に教えない。
そうすることで、自分が避けられていることを知り、少なからず、気持ちが揺らぐ。
もちろん、そのときに自分の気持ちに気づく可能性があるかもしれないが、その可能性は低い。
彼氏という存在が居るからだ。
そして、気持ちが揺らぎ不安定なった春樹は僕を非難する。
心当たりのある僕はそれによってかなりの精神的ダメージを受けることになる。
結果として、僕はぼろぼろとなり、一人では立っていられなくなる。
後は、そのぼろぼろになった僕にあたかも救いの手を差し伸べるかのように、告白をする。
ぼろぼろになってしまった僕には正常な思考はなくなってしまっている。
だから、後はどうにでもできる。
現に、僕はあの時彼女を受けいれた。
少々変則的な形かもしれない、というよりも、順序がかわってしまっているけれど、これが彼女が描いたシナリオ。
僕を手に入れるために行った三文芝居の真実だった。
そして、僕はそれを聞いたとき、何よりも彼女のことを憐れに思った。
そうすることでしか自分の思いを告げられなかったから。
そして、それと同時にうらやましかった。
そこまでして、自分のものにしようとしていたから。
でも…
それを聞いてしまった以上、もう一緒にはいられない。
きっとこれ以上一緒に居れば、余計に彼女のことを苦しめるだけだと思う。
きっと彼女は僕と一緒にいる限りずっと自分の罪にさいなまれ続けなくちゃいけない。
だから、一緒に居るわけにも行かない。
けれど、だからと言って、簡単に春樹の元にも戻れない。
そうすれば、きっと椿はまた苦しむ。
僕にはどっちを選べばいいのか分からない。
ただ、漠然とこのままではいけないと思うだけ。
どちらかを選ばないといけないといけないだけ。
そして、それは自分の気持ちが向かっている人じゃないといけない。
今、僕が好きなのは、どっちなのか。
それを明らかにしなくちゃいえない。
初恋の人か、それとも利用してでも僕のことを手に入れようとした人か。
どっちなのか、ということを。
みんなならどうする?
どっちを選ぶ?
どっちを選べばいいと思う?
ねえ?
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