chapter1/リリーナ・フォーミュラ・エル・シーブル姫
城塞都市シーブルは人口30万人ほどの、国と言うよりは我々現代人の感覚で言うところの「市」に近い。貴族制度は無いが、王家とその縁戚者と代議士、官僚が統治する国だった。
シーブルに美貌の王女あり。リリーナ姫。正しくはリリーナ・フォーミュラ・エル・シーブル芳紀16歳の愛称は、リィナ姫。
その夜、平凡な(?)高校生である秋年 明の前で、高貴な美姫はその柔肌を無防備にさらした。薄衣の夜着が月明かりに照らされ、下着もつけていないためにその肢体が、ほぼ全裸同然に目に焼きつく。
思わず、つばを飲んだ。
この時点で彼は女性経験が無かったので、初体験が異国の姫君相手とあっては気圧されずにいられない。
リリーナ姫と出会ってこのとき三ヶ月。幾度か彼女の窮地を救い、信頼を勝ちえていた明が彼女と親しくあることを周囲の者も、咎めはしなくなった頃だった。
「ひ、姫、ほ、本当にいいのですか」
リリーナ姫がうなずく。恥ずかしいのだろう。顔を伏せて彼の顔を見ようとしない。
その日、〜不死者たちの終わりなき遊技場〜と呼ばれる死霊貴族領スラヴィアの、死神モルテの力によって生み出された死なずの者達、またの名をアンデッド軍団の侵攻を食い止め、あまつさえ不死の軍隊に完全な死を与えた明は、シーブルのみならず隣国領の住人たちからも英雄として崇められるようになった。
騎士団とともに凱旋した明は道中、村人たちから熱烈な歓迎を受けつつ、シーブル王宮まで帰還した。沿道からは騎士団の先頭を進む馬上の明に向かって、花束と歓声が浴びせられた。
宮城の前では王自らが妃と皇女を従えて、明を出迎えてくれた。小国の善君で気さくなお方であるシーブル王であっても、これは格別の労いだ。
明は民衆の前で王に肩を抱かれ、王と並び立つとまるで公国の王子でもあるかのような賞賛を浴びた。
侍従が盛大な宴を催すと明に伝えたが、固辞した。戦はこれで終わったわけではない。すぐに軍議を開くためと言って、日頃より豪勢な食事を兵たちに与えるよう頼んだ。
本当は、敵軍を完膚なきまでに叩きのめし、国境にも警備の騎士団を置いてきたのでしばらくのんびりできるとわかっていたのだったが、明はこういうときどう振る舞えば自分の評価が高くなるかわかっていた。
明の根城は、宮城から少し離れた区画の離宮をあてがわれていた。軍議など開かず、部下たちは町へ繰り出していった。酒場へ行ったか、女を漁りに行ったか。
給仕たちに口止めし、明は食事をした後、果実酒をさらに果汁で割ったグラスを手にバルコニーで夜風に当たっていた。
コンコン。樫の木の戸を拳でノックする音に振り返る。
「入れ」
顔を出したのは見慣れた女官。この人がいるということは……
明は膝を床につき、胸に手を当てた。
部屋に入ってきたのは、ローブで顔を隠したリリーナ・フォーミュラ・エル・シーブル王女。
「階下で待て」
人払いをすると、彼女は顔を見せた。
「面を上げよ」
年若くとも威厳のある声に恐縮して顔を上げると、そこにいたのは一人の少女にすぎなかった。
「秋年卿、よく無事でもどってくれました」
「リリーナ姫、誰もいませんから、明でいいですよ」」
「アキラ」
サファイヤブルーの宝石をはめたような瞳に涙がたまる。明はすかさず彼女の脇に経ち肩に手を置く。
「わたしは王女失格です」
「なにを馬鹿なことを。道中、騎士はみな姫様のことで話に花を咲かせておりましたよ」
騎士だけでなく、転戦先の村人とも親しく会話をするようになると、必ずリリーナ姫のことを聞かれる。評判のような美姫なのかと、なにか言葉を賜ることはないのかと。
「領民を守るために戦地へ赴いた騎士団が勝利したことを喜ばなければいけないのに、わたしはあなたが無事に生きて帰ってきてくれたことだけに心を震わせているただの女です。これでは王家の一員として失格です」
「リリーナ姫、おれはあなたにそう想われていることを心の糧に戦っております」
「明!」
明の胸にリリーナ姫が飛び込んでくる。姫はこれまでも人目を忍んでは、たびたび明を訪ねてきてくれていた。そろそろ頃合いだろうか。
「武功を立てても、報賞も断り続けるなど、明の振る舞いにわたしも父王も心苦しく想っております」
現代社会で生きてきた明は、こういうときどのように振る舞えば民衆と上官の歓心を買えるか知っている。歴史と政治から学んだ。
そして、こういうときは夜景を見ながら話をするに限る。
「姫、テラスへ」
窓を開けると町の喧噪が伝わってくる。いつもより騒がしいのは、戦勝ムードに湧いているからか。11大国家よりも小国の連合国の方が国民の暮らしは豊かなようだ。
リリーナ姫の肩を抱きながら、耳元で囁くような話し方が許される程度の親密さにはすでになれている。
「姫、寒くはありませんか」
まだ秋になったばかりで肌寒いなどということはないが、一応尋ねてみた。
リリーナ姫の身長は160センチもないだろう。彼女の前髪が明の鎖骨をくすぐる。
一度、彼女の体が離れてベランダに手を置く。
「明、宴席も辞退し報賞も受け取らぬばかりでは、我ら王族の面子も立ちませぬ」
「よいのです。よいのですよ、リリーナ姫。おれは民が無事に笑って暮らしていれば、それが明にとっての勲章なのです。そしてひいては、リリーナ姫をお守りすることにつながるのです」
少し強い風が吹いた。他の国の姫様はたいてい髪を腰まで長く伸ばしていることが多いが、リリーナ姫の髪型は光沢のある銀髪を肩で切りそろえている。先程述べたようにサファイヤブルーの瞳から風に乗って、しずくが宙に舞った。