「貴君は現代社会において極めて不適切な行為におよび、世界にもたらした損失は計り知れない」
小さな法廷で裁判長が判決を読み上げている。そう僕は、犯罪摘発率がほぼ100パーセントであるにも関わらず、ある事件を起こした。
「自殺未遂により、殺人と同様に多くの人々への影響が」
犯罪は遺伝子による個人識別や防犯体制によって、深い怨恨等による殺人と自殺未遂の二種類だけ。殺人の場合は確定すると即刻死刑が執行される。そして、自殺未遂の刑罰は……。
「よって、火星への流刑と処す」
分かりきっている判決がやっと言い渡された。すぐに、僕はスペースシャトルで運ばれる。
火星は西暦2800年頃から、移民のために地球と同様な環境へと作り変えられた。けれど『神』の概念を追放した後の世界の歩みは速かった。人種も宗教も国家さえも意味を無くし、その全てが混ぜ合わせられ一つの調和された世界へと人類は至った。垣根を越えて協力し合い、発展してゆく科学。火星は移住の意味を失い地下資源を取り尽くされた後は放置され、数百年が経過した現在は植物と獣そして僕の様な流刑者が住む星になっていた。
「簡単な地図と、数日分の食料だ。これ以降は自分でなんとかしろ」
小さなリュックを渡されシャトルに乗せられた。
――なぜそんな事をしたのか、理由は簡単だ。あの息の詰まるような閉塞感、僕は自由になりたかった。完全に調和され無駄の無い世界、何処へ行っても同じ景色が続く平等と言う名の牢獄。そこから一歩だけ外へ踏み出した。
そんな人間を放置するのは問題って事なんだろ。火星への流刑が二十年程前から始まった。最初は人権などを問題視する声も在ったが、彼等は彼等自身の世界を汚される事を酷く恐れる。数年でこの制度は定着してしまった。
――着くまでに、少し眠ろう。
火星がどんな所なのかは解らない、体力を温存するに越したことは無い。夢の中で僕は新天地を夢見る。期待と不安、溢れてくる感情はどれも初めてで上手く整理仕切れなかった。
緑……それがこの世界の第一印象だった。草原に川そして森、記録でしか見たことの無いモノだった。
――だけど少し匂うな。
草の微かに酸っぱ苦い匂い、花の香り、獣なのかな?鼻に付く嫌な匂い、雑多な匂いに溢れていた。
「良い所ばかりじゃないのは仕方がないか」
とりあえず川が近くにあるのは助かる、水は重要だ。近くによって見ると澄んだ水の中、小魚が泳ぎ回っている。
手ですくい、その水を口に含んでみる。
「冷たい」
問題無く飲める様だ。
――って、ヤバいんだったら魚は住めないか。
その魚たちは銀色の鱗を鈍く煌かせて、泳いでいる。
――昼食に良いかもしれない。川幅は広いけど、浅いし。
何より、狩猟本能が疼くと言うか何と言うか、捕まえてみたいと思わずにはいられない。
バシャバシャシャ
靴を脱いで川に入っていく。
「く〜、早いな!」
魚は延ばす手をかすめもせずに、悠々と馬鹿にするように泳いでゆく。
「何か、腹立つ」
無謀な格闘は一時間ほど続いた。
結局、数時間後に水を吸って重くなった衣類に悩まされる僕が居たのだけれど。とてもじゃないが捕まえるなんて無理。
「そもそも火が無いんだし、捕まえても困るだけだし、良い水浴びになったよ」
虚しい言い訳でもしなければ、とてもやっていけない。川の少し先にある草原に、身を投げ出す。
「眩しい」
寝転がった大地の真上に太陽が輝く。ここに四季が在るのかは分からないが、とりあえず少しだけ熱を持った大気は心地よかった。
瞼を閉じても、光は瞳へ届く。
「腹減ったなあ」
渡された食料は、食べる気が起きなかった。
――余計なものを使うのは良くない。
幸い、川の近くの茂みや低木には実を付けているのが多い。
「ま、わざわざ毒草を持ち込む奴はいないでしょ」
声に出して、自分を勇気付けてから口の中に放り込む。
「す、酸っぱ!」
オレンジの小さい果実は微かに甘かったのだが、赤い小さな実は酸っぱかった。
「ははははは」
――どうでも良いと思っていても、腹もすくし、疲れるし、報われないな。
「あー!」
地球の空気を全て吐き出すように、叫んだ。
風を感じながら、流れる雲に時間を見ていた。時計なんて無い。
幾分うとうとしていると日は傾き、空の色は青に赤を混ぜ始めて変化していた。
「綺麗だ」
そして朱に染まる世界、沈んでゆく夕日の端が揺らめき刻一刻と変化する空の色。もう太陽がほとんど沈んでしまっている空は、紫から紺に変わっていく。
「夜か」
初めこそ沢山の星に瞳を奪われていたが、月の無い空は強い違和感を感じる。そして、地球では気が付かなかった真の闇。町の灯りがどれほど強かったのか、ここにきてやっと理解出来た。濃さを変え、複雑なシルエットを残す闇。背筋を冷たいモノが這い上がり、肌が泡立つ。時々聞こえる声は、獣なのかそれとも人か。
――火を熾せば。
荷物のライターを取り出す、この際四の五の言っていられない。
「クソッ!」
小枝も草も、全然火が点かずに煙しか出ない。
――水分が多いのか?
試行錯誤の後、やっと落ちている小枝に火を点け灯りを確保した。
辺りを照らし、少しは安全を確保しても眠気は襲ってこない。無理に眠ろうとしても、何度も目が覚める。慣れないためか闇に対する恐怖心は、身体と脳に余計な緊張を生み出す。
いつしか自分さえも溶かし込んでしまいそうな闇、その何を恐れているのか。
――見えないのが怖い?……笑わせるな、果てまでも見渡せる地球での人生に嫌気が差したって言うのに。
「ん?」
漆黒だった空の端が、紺色に変化している。
薄れる黒の世界、徐々に白んでくる空、眩い輝きが地平線から溢れ出す。
「夜が明ける」
僕は無意識に光に向かって頭を下げていた。
不要なモノを投げ出して、回り続ける地球。
変わらない太陽。
昔、授業で聞いた事がある。千年近く前、世界には多くの神と呼ばれる存在が信仰されていたのだと。
ここでなら生きて行ける。
古より人と歩み、同じく人によって星を追われた神々が光の祝福をくれたのだ。照らし出された草原は果てなく広がり、その先は霞んでいる。けれどいつかたどり着けると信じている。
その先にある、私が私である意味へ。
|