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小さくて大きな背中
作者:暁月

「──つ!」

「? どうしたの?」

「いや、何でもねーよ」

「そう。だったら、良いけど」


 わたしの問いに、あなたはいつもそう応えるけれど。
 何でもない訳ないでしょ。あなたは、いつもそんななのね。
 知ってるのよ。あなたが、いつもわたしを危険から護ってくれてたこと。
 あの頃からずっと変わらず、今でも、どんな些細なことからも。
 わたしが今のわたしでいられるのは、そこにあなたの背中があるからなの──


 ◯小さくて大きな背中◯


「じゃあな、灰原。後で迎えに来っから、家で温和おとなしく待ってろよ?」

「はいはい。早目にね?」

「わぁってるって! オメーこそ、くれぐれも先に行こうなんて……」

「う・る・さ・い・わねぇ。分かったから早くしてちょうだい」


 こんな言葉のやり取りが楽しいし、これが『幸せ』なのね、って今は素直に思えるようになったわたし。
 わたしがこうして江戸川君と付き合うようになってから、早いもので三年が過ぎた。組織を潰してからも同じだけの月日が流れていて。
 不幸にも、二人は元の身体を取り戻すことは出来なかったけれど、わたしは今がとても幸せよ。
 つまり、現時点ではこれっぽっちも不幸だなんて思ってないわ。


「ほらっ! ぐずぐずしないで。先に行っちゃうわよ?」

「だからダメだっつーの! 隣なんだからすぐじゃねーかよ」


 こんな言い合いが出来るのも、わたしが頬を紅く染め上げてしまうのも。
 そしてそれを素直に喜べるようになったのも、全て彼のお陰かしらね。
 今でも信じられない気持ちでいっぱい。彼と同じ時間を間近で味わうことが出来るなんて。
 そして、わたしだけに素顔を見せてくれるようになるなんて。
 でも一つだけ不満を言わせてもらえば、江戸川君の過保護さには少し嫌気も。本人に聞かれたら何て言葉が返ってくるのかしら。
 聞いてみたいけど喧嘩になりそうだから止めておくわね。


「わたしも着替えなきゃ、いけない?」


 江戸川君を見送って、つい零してしまった。
 最近、独り言が多くなったわたし。気がつくと彼の幻に話し掛けているのよ。実際、目の前になんか……いないのに。
 恥ずかしいから、江戸川君には知られたくないけれど。
 ……あら、噂をすれば影ね。もう戻って来たわ。
 佇むわたしを見た彼が、呆れ顔で不平を洩らしてきた。


「な──っ! オメーまだ着替えてねーのかよ? オレなんか三分で終わったってのに」

「随分な言い方ね。女ってのはね、男と違って色々と準備することがあるのよ」

「ていうか、何でまだ外にいんだよ?」

「それは、秘密」


 あなたのことを考えてたなんて口が裂けても言いたくないわ。
 どうせニヤけた顔でつっ込みを入れてくるに決まってるんだもの。はっきり言って面倒。
 ただ、そんな心の内が分かってたみたいに、江戸川君たら……。


「まぁ良いや。それより着替え手伝ってやろーか?」


 だなんてシレっと。にこやかにそんなこと言うかしら、普通。
 思わず手が出てしまったわ。乾いた音がわたしの耳に入ってきた。
 けど、無意識だったんだもの……許してちょうだい。


「あら、江戸川君……どうしたの? その頬の紅葉型」

「オメーにやられたんですけど?」

「そう、ご愁傷さま。邪まな考えを起こした罰よ」


 レディーの着替えを手伝おうなんて十年早いわ。ま、例え十年経ったところで、そんな日がくるか、なんて保証は出来ないけれど?
 と、わたしにしては大胆な発想をしてしまい。ふ、と熱くなってゆく頬に気づいた。
 きっと、今のわたしの頬は紅潮している。そう考えたら更に……。
 案の定、彼の目は誤魔化せなかったようね。


「なあ、早く着替えろって! ぁん? なに顔紅くしてんだ?」

「夕日のせいじゃないかしら」


 とっさに出た言葉。どこかで聞いたような科白せりふね。あぁ、どこかの探偵さんがその昔……蘭さんにそんなことを言ったらしいわね。
 悪いと思いつつ、つい拝借してしまったわたし。照れ隠しに、わざと冷たくあしらって。そそくさと彼の視界から逃げてしまった。
 そして、当然だと言いたげに、江戸川君が後を追って阿笠邸に上がりこんできた。そんな彼にわたしの一言。


「とにかくリビングで待ってて。くれぐれも覗かないでね」

「わぁったから早くしてくださ〜い」


 ──! 舌打ちが聞こえたけれど、もしかして江戸川君……あなた、今こっそり覗こうとしたのかしら?
 気が抜けないわね、全く。
 それにしても、男の子ってみんなそうなのかしら。
 放っておくと本当に覗きそうな顔をしてるわね、江戸川君?
 ……はぁ、仕方ないわねぇ。何とか気を逸らさなければ──


「これでも読んで待ってなさいよ」


 とっさに思いついたけれど、正解だったわね。
 江戸川君たら、


「ウぇ? ……って、これ今日発売の新作ミステリーじゃねーかよ!?」


 なんて、すごい喰いつきぶりだったわ。気を良くしつつ言葉を返し、わたしは心の中でそっと呟いた。


「そうよ。並ぶの、結構大変だったんだから」


 (──博士がね)


「感謝して読みなさいよ?」


 (──博士にね)


 タイミングが良いって、こんなことを指すのかしら。奥の研究室からくしゃみが聞こえてきて。
 笑いをかみ殺すのに苦労したわ。
 あくまでポーカーフェイスを保とうと、頭から博士の顔を追い出そうと頑張ってたさ中。
 思いも拠らない展開を迎えそうに……。


「ゆっくり着替えて良いぜ? 何なら今日はキャンセルでも……」


 単純なんだか、女の子の気持ちを解っていないんだか。満面の笑みを浮かべて言い切った江戸川君に。
 正直、ふざけないで、って思った。せっかく楽しみにしてるのに。この胸の高鳴りを、わたしにどうしろと言うのかしらね。
 だから、わたしは無茶な注文をさせてもらったわ。それぐらい良いわよね。


「五分でかたがつくわ。それまでに読破してね」

「はい?」

「オーバーしたら……そうね、口聞いてあげないわよ?」


 素っ頓狂な返事で目を点にし、信じられないと言いたげにして。表情を次第に暗くされて。
 拗ねたのかしら。口を尖らせた顔がおこちゃまみたいで、可愛いじゃない。
 これだから、江戸川君をからかうのは面白くて止められないのよね。
 癖になりそうで怖いわ。


 ◯。◯。◯。


 それからきっちり五分後。浴衣も着て、早速出掛けようかとリビングに戻ったわたし。
 飛び込んできた光景に足が止まってしまったわ。


 (江戸川君、あなた、何してるのかしら?)


 内心むっとして顔を覗き見たわたしのことに気づいてなかったみたいで。
 江戸川君たら、気持ちよさそうに寝息を起てていたの。
 そして、本当に不意打ちだった。


「……ん。はい、ばら」


 寝言で名前を呼ばれ、一瞬びく……って。別に怒られたりした訳じゃないけれど。
 いきなり過ぎて。何故わたしの名前が出たのか気になってしまって。
 そして、それよりも目の前の状況がわたし的には許せなかったわ。
 っていうか……寝てんじゃないわよ!
 ……ごめんなさい。今のはわたしの心の叫びよ。
 沸騰しそうなわたしの思考。とんでもない行動に走ってしまったわ。


「! いてててて──っ」

「あら、お目覚め? そんな所で寝てたらザリガニに顔を挟まれるわよ」

「もしもし?」

「何か?」

「……いえ……何でも、ないです……」


 少し不満そうに、消え入りそうな声でそう言って。
 目を細めて、江戸川君が仏頂面でわたしを睨んだ。
 もしかして、また拗ねたのかしら。しょうがないわね。
 けれど、わたしはそんなことお構い無しに話を進めたわ。


「ほら行きましょ? せっかく浴衣も着たんだから、早く」

「はいはい」

「“はい”は一回で結構よ」

「はぁい」


 とうとうブーたれて、深いため息と一緒に、江戸川君の


「……ったく」


 との悪態が聞こえたけれど。わたしは敢えて聞き流したわ。
 だって、まともに耳に入れてしまえば、気にしない訳にはいかないでしょう?
 せっかくのデートを楽しめなくなってしまうのは嫌だものね。


 ──でも、この選択が江戸川君を傷つける事になるなんて少しも思わなかった。


 浮かれ過ぎていたのかも知れないわね。久しぶりに二人キリの時間を過ごせることに我を忘れていた。
 ちょっとした気の緩みが、こんな大事になってしまうなんて……まったく予想していなかったのよ。


 ◯。◯。◯。


「ごめんなさっ……」

「──ってーな! やべぇ……折れてるよ」


 二人で出かけた秋の祭り。そこで事件が起きたの。
 人ごみを避けようと、半ば強引に掻き分けた時のことだったわ。
 足元を見るのに夢中だったわたしは、何かにぶつかった衝撃で目線を上に向けたの。
 大げさに痛みを訴えられたわたし。表情だけは崩さずに、心の中では猛烈に反発の意思を告げたわ。でも──


 「はあ!? そんな所にぶつかってなんかいないわよ」


 なんて怖くて、実際に言葉にしては言えなかった。
 相手はどう見ても中学生。わたしの非力では勝てっこないんだし。
 そして頼みの綱の江戸川君は、丁度綿菓子を買いに並んでて……。
 どうしようも出来ずにいるわたしに、仲間……かしら、もう一人の男の子が凄んできたわ。


「オトシマエつけて貰おうじゃねーか!?」


 ってね。
 わたしは、初めそれを『カツアゲ』の類いかと思ったわ。
 けれど、要求されたのはそんな生易しいものではなかったの。


「兄ちゃん! オレ……アレが良いっ!」


 一瞬、わたしの目が点になった。なんのことを言ってるのか理解できなかったわ。
 でも、少し冷静になって前を見たら、何故だか指差されていて。


 (──って、わたし!?)


 そう思ったけど声は出なくて。でも当然遠慮したくて。
 だって、わたしは江戸川君だけの……。
 と、あの人のことを思い浮かべて、反論する勇気に代えたわ。


「わたしをどうするつもりなのかしら?」


 (──ヤだ……想像したくないわね)


「なぁに、ちょっと付きあってもらうだけだ! すぐに済むさ」


 面倒くさそうに、恐怖を悟られないように、無理やり投げつけたわたしの言葉に。
 兄ちゃんと呼ばれた男の子が、また意味不明なことを言い始めるし。
 ……何がすぐなのかしら? 献血……って雰囲気ではなさそうね。
 はぁ、本当に面倒だわ。


「せっかくだけど間に合ってるから。ちゃんと連れもいるわ」

「そこを何とかして貰おうか?」

「……何とかって言われても、困るわね」


 何とか受け流しつつ、視線を逸らして少し先を見遣った。
 江戸川君、遅いわね……なんて考えながらね。
 ま、期待が大きすぎたのね。その分わたしは一気に沸騰したわ。
 なに逆ナンされてんのよ!? ってね。


「江戸川君っ! 助けて!」

「──んなっ、灰原っ!」


 怒りを前面に押し出して呼びつけたら、やっとわたしの状況に気づいた江戸川君。
 せっかく買った綿菓子を放り捨てて、血相を変えて走ってきた。
 以下はわたしの、その時の心の叫びよ。
 早よ来いや! おまえの彼女が手籠めにされそうになっとんやぞ、ごるぁ!?
 ……って、こほん。ちょっとはしたなかったわね、ごめんなさい?


「何だテメーは?」

「彼氏。あなた達よりずっと強いわよ? そうよね、江戸川君」

「いや? それほどでもねーんじゃねーか?」


 せっかく立ててあげたわたしの言葉を濁して。苦笑いをわたしに向けてきた。
 あのね、江戸川君? 変なところで謙遜しなくていいのよ?
 そんな意味をこめて、わたしはふぅっ、と肩をすくめた。
 そんなわたし達のやり取りが気に食わなかったのね。
 『兄ちゃん』が痺れを切らして突っかかってきたわ。


「テメー! ふざけてんのかよっ!」


 言われた途端、江戸川君の表情が変わった。


「……んな訳ねーだろ? どっちからだ? それとも、まとめて相手してやろうか!?」


 (──ふ……、やっと本気モードね。こんなヤツら、ケチョンケチョンにノシてやってちょうだい)


 わたしがそう思ったのもつかの間、のされたのは。
 わたしの足元に吹っ飛んできた、彼だったわ。


「──江戸川君っ!」

「何だぁ? コイツ、弱ぇーじゃん!」

「だよね! 楽勝じゃん、兄ちゃん!」

「じゃ、約束通りこの女は連れて行くからな!」


 捨て科白ぜりふみたいに江戸川君に投げつけ。二人がわたしを軽く値踏みしたわ。
 このままではマジやばいわね。あぁ、何か良い手立てはないのかしら? なんて大真面目に考えちゃったじゃない。
 それに、どんだけな話なんだけど。一言だけ言わせてもらえるかしら。

 ──ふざけないで! そんな約束した覚えな……。


 『〜いわよ!』までが出てこない。それ以前に出すゆとりなんて無くなってしまったもの。
 強引に手首をつかまれ、引っ張られる手首の痛み。
 わたしは、空かさず自分の危機を彼に訴えたわ。


「ヤだっ! ──江戸川君っ、助けて!」

「灰原を離せっ!」


 口端から血を滲ませ、江戸川君が二人に突っかかって行った。
 『兄ちゃん』は眉間に皺をよせて、なんて言ったかしら? ……あぁ、そう。“メンチ”を切ってたわね。
 そしてお約束の科白せりふよ。……うざいったらないわ。


「なんだぁ? まだやるつもりか!?」

「分かったよ。望み通り殺してやんよっ!」


 兄弟、仲が良くて羨ましいわね。なんて、そんなこと思うわけがないけれど。
 こんな意見の合致、反って悲しくないのかしらね。
 すぐに暴力に走るってのも、野蛮極まりないし。
 ……って、一言良いかしら?


 望んでないし! 殺すって、なんでそんな方向に発展する訳? ってか、マジうぜぇし。


 ……重ね重ね、はしたなくて申し訳ないわね。
 最近のわたしはどうかしてるわね。あなたもそう感じてるのかしらね、江戸川く── 


「……おもしれー。殺れるもんなら殺ってみろよ?」


 って、あなたもなの!? 何故挑発に乗るのかしらね。
 あぁ、もうマジ信じらんない!


「殺っちまえ──っ!」


 …………始まってしまったわ。どうして男ってこんなに野蛮なのかしら?
 話し合って紳士的に解決できないのも、今の悪しき世襲なのかしらね。
 でも、これはこれで……。この状況での喧嘩? は、女の子としては少し嬉しいかもね。


「大丈夫か? 怪我とか、してねーか?」

「ええ、平気よ。でも……腰が抜けて歩けないわ」

「はい? オメーは見てただけだろ?」

「……そうだけど、何か?」


 仕方ないでしょ。あなたが傷つく過程を見て怖かったんだもの。
 なんて、恥ずかしいから言えないわ。
 言えたら少しは、可愛い女の子だな、って思ってくれるかしら。
 でも、言うのはやっぱり恥ずかしいのよ。
 だからわたしは、黙ってあなたに……素直に甘えてみせるのよ。


「しゃーねーなぁ。ほら、乗っかれよ?」

「……仕方ないわね。乗っかってあげるわ?」


 って、こんな風に、ね。


「あ? オメーなぁ……。もう少し素直に」

「う・る・さ・い」

「はいはい」

「“はい”は一回って言ったはずよ?」


 なんて、どこが素直なんだか。思わず小さく口元を綻ばせたわたし。


◯。◯。◯。


 その帰り道で、冒頭の会話に戻るって寸法よ。


「──つ!」

「? どうしたの?」

「いや、何でもねーよ」

「そう。だったら、良いけど」


 やせ我慢しちゃって。本当は泣きたいぐらい痛いくせに。
 あなたはいつでもそうやって、平気な顔でわたしに気を遣ってくれるのね。
 ……でも、その分わたしはあなたの愛を実感できるのよ?
 だからこの背中は、わたしだけの特等席にしてくれるかしら。


「なあ灰原」

「何?」

「その……当たってるんだけど……」

「え? 何が?」


 一人で密かに幸せに浸っていたわたしに、少し遠慮がちに掛けられた彼の声。
 その辺には疎いわたしには、初め何のことか解らなかったのだけれど。
 今の状況と、微妙に圧迫された自身の身体の一部分。
 それと何故だか、昨夜お風呂に入った時に鏡越しで見た裸身が思い出されたわ。
 そしたら、彼が言いたいことが解ってしまって。


「下ろして」

「それはそれで嫌だね」

「下ろしなさいってば」


 なんて、少し甘めな言い合いをしつつ。それでも本気で彼の背中から下りるつもりもなくて。
 いつまでも今のままの二人で居たいなんて、恥ずかしくて言えないけど。
 いつまでもこの背中で、わたしを護ってくれることを期待してるなんて言えないけれど。
 言わないけど期待してるわ。わたしだけの探偵さん?
 これからもよろしくね。
 

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