彼 4
「ごめん。今、聞いてなかったんだけど、主任、何、言ってたの?」 と
申しわけなさそうに尋ねる。
「今夜、 飲みに行きましょうって。隣のカフェに7時みたいよ」 と
素っ気なく言って、彼女は俺の前から立ち去った。
―何か、気に触る事、言ったかな?―
もやもやとした気持ちを抱えながら、エスプレッソのボタンを押した。
エスプレッソの香りが、深く、胸の底に沁み込む。
高ぶった心を鎮めるてくれるのを感じながら、俺は静かな午後の一時を楽しんだ。
オフィスへ戻る途中に、課長と何やら会議をしている主任を見かけ、
―いつもと、全然、表情が違いすぎる。―
と、真剣な面持ちの主任の顔が、変に可笑しかった。
噴き出しそうになるのを必死で堪え、オフィスへ入った。
彼女の姿が見えるように、わざと遠回りをして 自分の席に向かう。
土曜のオフィスはしんと、静まりかえっていた。
出勤している社員も、いつもの半分ぐらいだろうか。
「こんな良い天気の日に、仕事なんて、つまんねえな」
と、独り言を言いながら、壁に寄りかかって、窓の下を眺めた。
車も人通りも、寂しくなるほど少なかった。
腕時計を見ると、4時17分。
―正味、2時間弱というところか。
早く、今日の報告書を書き上げないとな。―
デートの約束をしたような、そんなくすぐったい気持ちになりながら、俺は黙々と仕事を始めた。
仕事が思ったよりも長びき、気づいたら、オフィスには自分一人しか居なかった。
時計を見ると、6時45分だった。
「やっべぇ」
帰り支度もそこそこに、鞄に手当たり次第物を投げこんで、廊下を走る。
カツカツと靴の音だけが、暗い廊下に響いた。
遠くでエレベーターの明かりだけが、妙に明るく光っていた。
短距離のゴールのテープを切るように、エレベーターに飛び乗った。
小さな箱の中でかけ足をすると、ケーブルが切れてしまいそうなので、足の動きを止めた。
「危ない、危ない」
焦る気持ちを抑えながら、エレベーターの階を数える。
「6、 5、 4…」
エレベーターのベルと同時に表へ走り出した。
―何、 焦ってんだろう?…―
急いでいる自分が可笑しくなり、急に立ち止まった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。