元勇者のたのしい授業 「ころす。たべる。どっちも。だめ?」
「では一時間目の授業をはじめる」
俺は〝教壇〟に立つと、二人の〝生徒〟を前にそう言った。
無駄に部屋数の多い屋敷の一室を〝教室〟にした。
〝生徒〟は、スケさんとカクさん。――じゃなくて、スケルティアとアレイダの二人。
そして〝教師〟は、俺とモーリンだ。
元勇者と、元勇者の〝師匠〟だった女だから、たぶん、この世でこれ以上の教師はいない。
「なんでオリ……ご主人様が教えるんですか? モーリンさんなら分かりますけど」
だがうちの娘たちの生意気なほう――カクさん、じゃなくて、アレイダは不満そうだ。
「おりおんが。おしえる? スケ。おそわる?」
うちの娘たちの素直なほう――スケルティアは、目をまんまるに見開いて、俺をじっと見つめてくる。
人間社会で暮らしたことがないせいか、彼女は、正面から目線を完全に重ねてくる。
じっと覗きこまれるような視線を向けられると、ちょっと面映いが、べつにわるいことではないので、俺はなにも言っていない。
「すけ。おそわるの。はじめて」
スケルティアは無表情にそう言った。ちょっと嬉しそう。
学習意欲は、たいへん旺盛だ。
「わ……。わたしも〝がっこう〟とか行くの……、ちょっと憧れていたから……」
アレイダもそう言った。こっちも、ほのかに嬉しそう。
「ではまず。一般的な道徳からいくぞ」
俺はそう言った。
授業を開始する。
「人は、殺してもいいのか? ――どう思う?」
「え? ちょ――? そこからぁ?」
アレイダが声をあげる。
だが相方のスケルティアにしてみれば、そこから必要だろう。
「どっちの? ひと?」
「どっちとは?」
質問に質問で返される。
人っていったら人だろう? 種類とかあったっけ?
「マスター。人間とモンスターのことを聞いているんだと思いますよ」
モーリンがそう教えてくれた。
ああ。なるほど。両者の中間にいるスケルティアからみれば、どちらも等距離か。
「スケ。それは片方はニンゲンと呼ぼう。もう片方はモンスターだな」
「ん。わかた。」
スケルティアは言った。
そして俺の目をまたじっと見てくる。
素直だなー。
やべー。ちょっと可愛くなってきたー。
「なんだか、とってもあたりまえなところから、勉強させられている気がするわ……」
もう片方は、なにやら文句がおありらしい。
そっちの可愛くないほうを、俺は指差した。
「じゃあ。カク。おまえ。さっきの問いを答えてみろ。――人間は殺していいのか?」
「え? わたし? ……え? そ、そりゃあ、いけない……でしょう?」
「相手がおまえに襲いかかってきたときには?」
「え? そ、そりゃあ、応戦しますけど……。まあ殺さないで済むなら、手加減くらいはしますけど」
「そういやこの前、冒険者ギルドで絡まれていたときに、おまえ、相手のことを、ぶっ殺しは、していなかったな」
「あたりまえでしょ」
「――では? 山で山賊。海で海賊。ダンジョンの奥で盗賊に出会ったときには? 金や品物めあてのときもあるが、相手はだいたい殺すつもりできているな。金や品物を渡したからといって、無事で帰れるとも限らん。――特に女は」
「殺すわ」
アレイダは即答だった。
据わった目になって答えた。
うむ。よい返事だ。
そして、よい目だ。
俺が買ったのはあの目だな。最近の駄犬のほうの目じゃないな。
「では。殺していい場合と、殺してはいけない場合とがあるわけだ。……その違いは?」
「うまくない。まずい。とき。」
スケルティアが即答。
だがその答えは、エキセントリックすぎる。
「いや。食わん。……仮に、やむを得ず殺した場合でも、食っちゃいかんぞ?」
「もんすたー。は?」
「それは食ってよし」
「ニンゲンは。たべない。どうぶつと。もんすたー。は。たべる。」
スケルティアは理解したっぽい。
「ちなみに、念のため聞いておくが。……これまでに、人間を食っちまったことは?」
「まだ……。ない。」
「そうか。すこしだけ安心したぞ」
「あれ? ねえスケさん……? でも貴方、オリオンのときには、勝ったら、食べる、とか言ってなかったっけ?」
「それは。ちがう。いみ。」
「そ、そうなんだ……。ち、ちがうって、どんな?」
「しみつ。」
「……で、おまえの答えは? カク」
「だからそのカクってなんなの? ……ええと。襲われたときとか。身を守るときとか」
「こちらが襲いに行くこともあるんじゃないか?」
「じゃあ、ええと……。戦い、になったときとか?」
すこし考えて、アレイダは正解を出してきた。
「そうだ」
俺はうなずいてやった。
生徒が自力で正解に辿り着いたときには、そう教えてやるのが、教師の役目だ。
「敵と命のやりとりをしているときには、殺してもよい。――具体的にいうなら、向こうが武器を持っていて、それの行使をチラつかせた時などだな。つまり武装しているかどうかだ」
「交渉や取引などの平和的方法以外の、脅しや暴力による解決をはかろうとした相手にも、まあ時や場合や程度にもよるが――殺してかまわない」
非武装だからといって平和的とはかぎらない。すぐに刃物を取り出すチンピラよりたちの悪い悪党だってる。
「それはちょっと乱暴すぎないかしら?」
「乱暴されるのが嫌なら、暴力的な手段に出なければいいんだ。暴力をふるう時点で、自分が暴力にさらされることも、覚悟すべきだ」
こちらの世界に比べれば、いくぶん平和な向こうの世界にも、そういう不文律はあった。
銃を持っていい者は、撃たれる覚悟のあるやつだけだ。――みたいな感じ。
こちらの世界に比べると、あちらの世界は、ひどく平和だったなー、と思う。
特に日本とか。
「なお、この原則は自分たちにも適用される。……俺たちも、武器を持っている以上、やられて泣くのは、それはなしなわけだ」
「ふぁいと。あんど。いーと。まけたら。くわれる。これ。だいしぜんの。おきて。」
スケルティアが深々とうなずいている。
「いや。だから食わんって」
そこは訂正しておきたい。
「そっか。……そうよね。動物の狩りをするときなんかも、もし狩りに失敗したら、こちらが食べられちゃうものね……」
アレイダが納得している。
そういえばこいつは、辺境の滅びた部族の出身だったか。
「ちなみにですね」
――と、そこでモーリンが口を挟む。
「冒険者ギルド的には、自衛のための戦闘は容認されています。ギルド外の人員を殺傷した場合には、自衛であったならお咎めなし。ギルドメンバー同士で抗争があった場合には、呼び出しを受けて事情聴取をされたり、場合によっては罰則が適用されることもあります。このあいだのギルドでの、カクさんのケンカ沙汰は、あれは衆人監視のなかだったので自動的に自衛となりました。……ギルド所属の冒険者同士で争うことがあるときには、なるべく、衆人環視のなかで行うか、立ち会い人を付けたほうがいいですね」
「カクさんになってるし……。争う予定になってるし……」
「おまえは美人だからな。狙ってる者も多いみたいだぞ」
「そ、そんな……、び、美人っ……、とかっ! か、関係ないでしょ? ……ないですよ?」
あはははは。からかうと面白い。
まあ「美人」の部分はともかくとして――。
Lv13の戦士をギルドに連れていった時の、周囲の目がけっこう熱かった。「仲間に欲しい」的な目のほうだ。
この世界は現代世界ではない。
〝法律〟――に相当するものは、ないこともないのだが――。
それは所属団体内だけの「ローカルルール」のようなもので――。
世界全体に通用する――いわゆる向こうの世界における「法律」というものは存在していない。
基本的人権ってなに? それおいしいの? ――的な世界だ。
そもそも「権利」という概念が発明されているのかどうか、怪しかったりもする。
この世界における「法律」は、組織と組織の間における「約束事」であり、約束を破らないことと、破った場合の罰則を決めているだけに過ぎない。
はじめ、こちらの世界に転生した直後に、モーリンが言った。
ギルドに所属していないと人権もない。――と。
これは正確に言うと――。
ギルドに所属していても、やっぱり「人権」はないのだ。
あるのはギルド員としての権利だけだ。
いわゆる「基本的人権」というものは――。
人は生まれながらに「権利」を持ち、生命を守られ、財産を守られ、そればかりか「自由」や「名誉」まで保護されるとなっている。
人は生まれながらにして、自由であり平等である、という思想だ。
この異世界においては、それは「幻想」だ。
ギルドが保証するのは、ギルドメンバーとしての保護と加護だ。
たとえばギルドメンバーが、どこか外の組織とのあいだで不都合を負った場合には、ギルドがその組織と交渉を行って、解決してくれる。
たとえばどこかの国で不当に逮捕されても、ギルドメンバーであるなら、ギルドによる仲裁や救済を期待してもいい。
冒険者ギルドは、多くの国家間とも繋がりを持っているので、多くの国家で身分が保障されることになる。
なぜギルドが構成員のために動いてくれるのかというと、「基本的人権」があるからとかでは、まったくなくて――。それがギルドの「利益」に繋がるからだ。
すべての仕組みは、シンプルで、単純だ。
ギルドは個人を「役に立つ」ので「守る」わけだ。
たとえばさっきの、ギルド員同士で抗争があった場合の話だが――。
いったんギルドが争いを預かり、その裁定を下すことになる。そのときに最も大きな判断材料となるのは、「正義」とか「道徳」とかでなくて、「ギルドの都合」だ。
ぶっちゃけ、ギルドに対しての貢献度が大きい者のほうが「正しい」ということになる。
モーリンがギルドにとって、どういう位置にいるのか、いまひとつ、はっきりわからないが……。
立場を隠していなければ、「かつて世界を救った勇者の仲間」の「大賢者」ってことになっているはずで――。
ああ。うん。なんか最強ポジションだな。
まあ、さすがにそれだと、気楽に出歩かせてももらえないだろうから、立場を伏せて、実力の一端だけを示して見せて、ギルドの「顧問」をやっている程度なのだろう。
「法と秩序に関しては、そんなところだな。おさらいをするぞ。――スケ。敵はどうする?」
「ころす。」
「ころさないでも済むような。ザコやチンピラなら?」
「いかす。」
「よし。そうだな」
俺はうなずいた。
「にどと。はむかえ。ない。ように。いたくする。」
「よし。いいぞいいぞー。それでいいぞー。……で、カクは?」
「だからカクってなんなの……。ええ。自分の身は自分で守るわ。私はいま貴方の〝財産〟ですから。ご主人様の財産を損なうようなことはしません。――これでいいの?」
「よし。いいぞいいぞー」
俺がスケルティアとおなじように褒めてやると、アレイダはちょっと嬉しそうな顔を見せた。
「まあ。他の細々としたことは、おいおい、教えてゆくとして――。いちばん大事なところに関しては、そんなもんだな」
スケルティアは、こくこく、と、うなずいている。
「さて。それではマスターにかわりまして、2時間目は、わたくしが……」
モーリンが前に出る。俺はちょっと脇に下がった。
「つぎの時間は……。読み書きですね。文字の読み書きができないと、色々と、不自由することも多いですから」
「もじ。って。なに?」
スケルティアが、きゅるんと首を傾げている。
まあ。そこからだろうなー。
「あっ――。私も共通語はちょっと苦手で……。教えてもらえると、嬉しいかもっ?」
なんだ。字も読めなかったのか。
どこかの部族の族長の娘っていってたから、いちおう小さくても姫様ポジションじゃないのか?
「ええ。教えますよ」
そんなポンコツ姫に対しても、モーリンは、にっこりと柔和に微笑んだ。
「……では。マスター。あちらへどうぞ」
「ん?」
モーリンがなにか言っている。
「……あっちって、どっち?」
「あちらの席へ」
スケルティアとアレイダと、二人は並んで座っている。
その並びに、もう一個、席が用意されていた。
モーリンは顎で、その席を指し示す。
「え? ……俺?」
俺は自分の顔を指差して、モーリンにたずねた。
「ええ」
モーリンはうなずいた。
「マスターも、読み書き、できませんでしたよね」
「いや。俺はいいって」
「……字。書けないと。困りますよ?」
モーリンはニコニコと微笑んでいる。
「い、いや……。そのうち思い出すだろ。だからいいって」
「そうですね。教われば、すぐ、思い出すかもしれませんね」
モーリンはニコニコと笑っている。
その笑顔の迫力に俺は負けて――一度も勝てた覚えはないのだが――おとなしく、席に座った。
「なによ。偉そうにしていて。わたしたちと、おんなじじゃない」
うちの娘たちの生意気なほうが、そう言う。
「おりおん。おなじ。スケ。と。まなぶ。」
うちの娘たちの素直なほうが、そう喜んでいる。
二人は言ってることは真逆だったが、その顔はおなじで――微笑みになっている。
俺は、まあ、いいか――と、おとなしく席について学ぶことにした。
毎日更新続けてまいりましたが、少々きつくなってまいりました……。
2日に1回ぐらいの更新を目指しまーす。