3
扉を開けた先に見えたのは二台の真っ白なベッド。
窓のある奥のほうに和葉が、そして手前に平次が寝ている。
彼は目を開けたまま仰向けでぼんやりとしていた。
手首には点滴。
首には大きなギプスががっちりと固定された状態で巻かれていた。
その白さがあまりにも痛々しくて思わずこっちが眉を顰めてしまう。
金具の擦れる音と共にドアが自然に閉まり、コナンが意を決して歩み寄っていくと彼は視線だけをこちらに向けた。
ギプスのせいで首が動かないのだ。
「……よぉ」
「……ああ」
第一声は気の抜けた掛け声のみ。
互いにどう言ったらいいのかわからず、変に間延びした挨拶しか出来ない。
最後の別れ方があんなものだったので、いざ改まって会ってみるとどう対応していいのか迷う。
つい前まではこうやって面と向かって話すことが普通だったのに、今ではそれが「異常」な状況となっているのだ。
銃を突きつけた相手と病室で話し合うという状況に。
なんとなくつっ立ったままのコナンに「まあ座れや」と彼は促した。
素直に従いベッド脇にあった椅子に座ると平次を見下ろす形になる。
短い子供の足がぶらんと宙に浮く。
「どうなんだ? 怪我の具合は」
とりあえず無難に様子を聞いてみた。
「見ての通りや。ぎりぎり致命傷にはならんかったけど痛いことは痛い」
彼も普通に返してくる。
「そうか。……その首、落下してきた何かに当たってできたものなのか?」
「いや、これはお前らと別れた後ジンとやりおうた時に切られたもんや」
コナンがはっとした。
そういえばあの時平次はジンを足止めすると言っていた。
首の大怪我からして、かなり激しくやり合ったようだ。
自分達を助けるために彼は崩壊寸前の建物の中でジンと戦ったのである。
「あいつと戦ってよく生きられたな」
「そら俺かて必死やったからなあ。目の前が真っ赤になったと思ったらあいつの右腕ばっさり切り落としてたわ」
「!右腕を切断したのか」
まさに死闘だ。
互いに右腕と首を負傷したということは、ジンが平次の首を絞めていたのかもしれない。
そして切られそうになったから逆にその腕を平次が切断したと考えるのが妥当だろう。
必死とはいえ、彼がそういう行動に出たことが意外なように思えた。
「そうせんと俺の首が飛んでたやろな。……でもあの男も生き延びたやろ。俺以上にしぶといで、あいつは」
それこそ首が飛んでも頭だけで生きそうな人間やで、と彼は面白そうに口元を右上に上げた。
そんな愉快さを感じる彼を理解できなかった。
一つの区切りがついた今でも彼のことがわからない。
かえって、更にわからなくなっているかもしれない。
「……なあ、聞いてもいいか?」
コナンがポツリと言った。
目的語は無かったが彼には伝わっただろう。
今まで笑っていた顔が急に真顔に戻る。
「裏切ったと思ったらSATを呼ぶし、俺が追い詰められた時は死ぬ気で助けた。ボスの部屋でお前が言った組織に加担する理由からはあまりにも外れた行動だ」
彼は何も言わない。
ただコナンのほうに目だけ向けている。
コナンは一旦一呼吸置いた。
「本当のお前は何なんだ?」
――君は、何者なんだい?
コナンの顔が一瞬父の優作と被る。
数日前優作に問いかけられた台詞が今の少年とだぶった。
これが既視感というものか。
平次は何かほっとしたものを感じた。
――ああ、やっと聞かれた
何よりも待ち望んでいた言葉が。
「……そやなあ。それ言うために起きてすぐお前を呼んだんやもんな」
ちらりと隣で眠る和葉を見た。
穏やかに目を閉じている彼女の横顔を確認した彼は次に白い天井を見上げる。
「どこから話すのがええやろ。やっぱ最初から言うのが一番ええかな」
コナンに聞くというより自分自身に問うているような言い方だったので、口は挟まなかった。
「ここに至るまでの原因は一つだけやない。色んなことが重なり合った結果が今やから……全ての始まりはそれこそ俺が生まれたときからかもしれん」
上を見つめたまま彼はポツリポツリと語り始める。
「中学生に上がるまでのちっさい頃、俺はまだそん時は毎日がめっちゃ楽しかった。親父は仕事であまり会うことはなかったけれど、休日の日は剣道の相手してくれた。オカンも忙しくて、学校から帰ってお手伝いさんしかおらんかっても夕飯の仕度は全部オカンが事前にしてあった。だから俺オカン以外の手料理なんて全然食べんまま育ったわ」
なんやかんやいいつつ大事にしてもうたわ、と彼は言う。
「少しくらい寂しかっても和葉がいたし平気やった。二人で夜遅うなるまで近所を探検して回ったりな」
彼女の父親は平蔵ほどではないとはいえ多忙な身。
和葉が父の帰宅まで平次の家で遊んでいたのはほぼ毎日のことだったのだ。
厳しくも優しい父と母。
そして物心ついた頃からずっと一緒にいる幼馴染。
彼の環境は主観的にも客観的にも恵まれていた。
「でも、中学に上がった辺りから何か違和感を覚え始めた」
引き金はいつ引かれたのか。
「あの頃から本格的に親父やオカンと一緒に仕事関係のパーティーとか行ったりしてな。子供の頃もよう行っとったけど、ほとんどそれはお遊びみたいなもんやったわ。でも中学生にもなるとふざけた気持ちで他の出席者と関わったりはできひん。親の側で結構真面目に挨拶とかしてたんやで?」
おかしそうに彼はコナンを見た。
コナンは苦笑でそれを返す。
自分も優作の出版記念パーティーなどで同じような体験があったからだ。
「そんで、挨拶している時にその違和感があってん」
しかしここからが工藤新一と服部平次の違う点。
――おや? そちらのお子様はご子息ですか?
――ええそうですわ。平次、挨拶しなさい
――服部平次です。はじめまして
――これはこれはどうも。……そう言えば聞いたことがありますなあ。
服部さんのところのご子息はとても優秀でいらっしゃると。
流石は服部家と池波家の血を引く御子なだけはある
「その時はまだ違和感にさえ自覚が無かった。ただ、心のどこかで引っかかるもんがあった」
変だと思いながら見ず知らずの人たちに頭を下げていった。
下げるたびに不思議さを感じながら。
もしかしたら気付きたくなかったのかもしれない。
その違和感に知らない振りをしてやり過ごそうとしていたと言えない事は無い。
しかし、それは無視できないほど大きくなっていく。
「自分でもようわからんまま中学生活を送っていって。高校に近づき始めたあたりからだんだん違和感の正体に気付くようになっていったわ」
いつもは皆と居るけど、一人になった瞬間ふと自分を襲う感情があった。
恐ろしくもあり、悲しくもあり、そして痛みもある感情が自分に突きつけられるのだ。
「皆が思てる自分と、自分が思てる自分は同じなんやろかって」
え、とコナンが思わず漏らす。
「成長するにつれだんだんどこかが自分の中でずれてきたんや」
それは気付いたら最後、どうしようもなく己に纏わりつく蔦のようなもので。
「皆は俺をどんな目で見てるんやろ? やっぱり本部長の息子として見られてんのやろか? でも本部長の息子も俺自身や。間違うてない。じゃあ何が違うんや? 俺は自分を自分として見てもらいと思ってるし、でも皆も間違った解釈で俺を見てるわけやない。でも、俺が築きあげてきた人との関係は本当に俺自身が作ってきたものなんやろうか? 俺が服部家と池波家の子供と違っても、今みたいな人間関係が作れたんやろか? いつも親切にしてくれる刑事かて俺が本部長の息子やなかったら、ただのガキとしてまともに取り合ってくれんかったんとちゃうやろか?」
彼は一気にまくし立てる。
「でも」という言葉を連発し、内容も少し散乱としている。
彼にしては珍しいことだ。
しかし、そこまでらしくないことをさせた原因がそこにはあるのだ。
らしくない言葉は更に混迷を極める。
「そもそもそんなこと考えてる俺は何なんや? 本当の自分を見て欲しいと思いながら、自分でも本当の自分がどういうもんなんかわからへん」
アイデンティティの消滅。
それが彼の違和感の正体。
「親父は俺を贔屓にしたことないし、それに関しては納得してる。立場上俺に変な馴れ合いはできひん代わりに、事件現場に俺が勝手に行くことを目をつぶって見逃してきてくれた。オカンも親父の分まで俺を可愛がってくれた。……やから親父はオカンは何も悪ないねん。なんも悪ないねん」
最後の言葉は余計に力が入っているように見えた。
余程親に感謝しているのだろう。
だからこそその違和感に余計戸惑ってしまったのだ。
「なら誰のせいなんやろう。なんで俺はこんなに今の状況に不自然さを感じてるんやろう?」
スパイラルに陥った自己同一性はついにある考えに行き着かせる。
「俺が悪いんや。皆に大事に思われてるのに幸せになれへん俺が悪いんや」
コナンは何も言えなかった。
あまりにも自分の感情を超えた混沌だったからだ。
彼がその辺にいる同年代と同じ子供ならばそこまで考えることはなかっただろう。
しかし彼は幸か不幸か普通でなかった。
あまりにも優秀で、物事を見過ぎていた。
周りをそれまであまり見なかった新一と比べたらその差は歴然だ。
だからこそ彼は混沌へと誘われた。
黙るしかないコナンをフォローするように平次は再び目を遣る。
「そんな堂々巡りなことを高一までずっと考えとったわ。出口の無い闇みたいなもんの中で
ずっと足掻とった。親も和葉も気づいていたかもしれん。……でも気づいたところでどうにもならんことやったんや。大人になったて自立したら解決することやと諦めてずっとその闇ん中にいようと思った」
親や自分がどうにかできる問題ではなかった。
彼のアイデンティティは自分と他人を区別するだけで確立できる容易なものではない。
つまり、これは仕方が無いこと。
諦めるしかない。
「……でも、」
先の見えない迷宮を語る彼はそれでもコナンに優しい表情を見せた。
「そんなとき会うたのが片品さんやった。長野の探偵事務所を出て大阪にやってきたあの人に再会したのが俺の中の全ての始まりやった」
そしてそれは全ての終わりでもあったわけだけど。
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