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  旅の途中 作者:伊吹ノア
第9話

それから、ジャックを追って下り坂の多い森の中を駆け下りて。
しばらくすると、下り坂が平らになり、視界が開けた。

どうやら、街と街を繋ぐ街道に出たらしい。
なだらかに固められた土の道が伸びているのが見える。

「……何だ、こんないい道があったのか。ここを通れば楽だろうに」
「ヒヒッ、何言ってんだ。姿形を変えたってボクらはおたずねものなんだぞ。こういうデカい街道には関所だってある。下手に調べられたらバレるかもしれんだろ。身元不明なのは確かなんだからな」

それは、晃にしてみれば独り言のつもりだったのだが、耳ざとく聞きつけてきたジャックが、諭すようにそう言ってくる。

「それは中々に笑えないな。一体何をしでかしたんだ?」
「ボクの方を見て言うなよっ、やったのはキミだろうが……いや、しかしそれは日記に書かれてなかったのか?」
「ああ、詳しくは書かれていなかったな」

晃が日記……ラキラの懐中時計と言う名の物語の内容を思い出しながらそう言うと、ジャックは眉を寄せ考え込む仕草を見せる。
そして、一瞬だけ逡巡した後、言った。

「ヒヒ、自分でやっておいて思い出したくもないってことか……なぁに、そんな難しい話じゃない。ただ、水の王を暗殺しようとしただけさ」
「まさか? ラキラは確か……」

水の王に思いを寄せていたはずで。
命を賭して守る人だったはずで。
晃が信じられない、と言った面持ちでジャックに顔を向けると。
やっぱりそれも覚えていないのかって顔をしていた。

「まぁ、本当はフリ、だけどな。未遂で捕らえられて、普通なら極刑ものだったんだが……水の王の温情やお前の騎士っていう身分の高さとか、いろいろあって禁固刑ですんだってわけさ」
すぐに付け加えるように、ジャックはそんな事を言って人の悪い笑みを浮かべた。
「禁固刑? ならば何故俺はここにいるんだ?」
「ヒヒヒッ、そんなのボクの時の力を使えば簡単さ」
晃の当然の疑問に、身も蓋もなくそう答えるジャック。

「つまり、それで俺たちはお尋ね者、という訳か……」
「ヒヒ、そう言うことだよ。しかし、今考えても無茶な賭けだったよ。本当に殺されてもおかしくなかったんだからな。ま、お前はそれでも良かったのかもしれねえけどさ……」

それは、意味深な言葉だった。
その時、何を思ってラキラがそんな行動をしたのか、晃はラキラではないから本当のところは分からなかったけれど。
本当に本気で好きになった人がいたとして、だけどその想いが叶わないと分かってしまったのならば。
自分はこの世にいる意味がないのだと、そう思うことはあるかもしれない……なんて晃は思う。
とは言っても。未だかつて本気で誰かを想うことやその想いが叶わないことを知る経験なんて、晃自身したことがなかったから……それすらも想像の域を出ないのは確かであるが。


「その無茶な賭けにのってるジャックもたいしたものだと思うけどな」
「キミが言うか、それを? って、そんなことはどうでもいいんだよ。とにかく街道はなしだ。このまま横断して川から下るぞ」

思えば、自分勝手な気もしなくもないラキラに、こうして付き合ってくれ手いる時点で、ジャックに何故ついてきたのか、なんて聞くのは野暮なこと甚だしい気もする晃である。
たとえジャックにこの無茶な賭けに付き合う理由があろうとなかろうと、少なくとも晃にそれをどうこう言う権利はないはずで。
晃は自身の中でとりあえずそう納得させ、晃を置いてさっさと飛んでいってしまっているジャックの後を慌てて追いかけようとする。

だが。
これから向かう方向にある街道の遥か先。
何かが爆発するような音がして、晃はそちらを振り返る。

「なんだ? 何かあったのか?」
はっきりと目で確認できないほど遠い距離のところで、何かが煙をあげている。
おそらくは道いっぱいの大きさの、白い何かだ。

「ん? ああ、たぶん乗り合い馬車かなんかが魔物にでも襲われてるんだろ。……この辺は多いからな。よくあることだよ」
思わず立ち止まる晃に気づき、ため息を吐いて舞い戻ってきたジャックが、何でもないことのように呟く。
「魔物? それはつまりこういった世界にはつきものな、敵対する生物、ということか?」

ファンタジーものの小説や、ロールプレイングゲームなどに良く出てくる魔物。
旅人や冒険者を襲い、邪魔する存在。
訓練……あるいは授業の一環として、相対したこともある厄介な存在。
知っている単語が出てきたので思わず晃が聞き返すと、ジャックは少しだけ驚いたような顔をしてみせて。
「ん、何だ? 魔物のことは覚えているのか? 変なやつだな」
そう言って首をかしげる。
そこで晃は、無意識にそう口に出してしまったことに気づき、慌てて言い直した。

「い、いや。なんとなくどこかで聞いたような気がしたんだが……どういうものなんだ、その魔物って?」
「面倒くさいけど説明してやるよ。魔物ってのは、まあ言わば魔精霊になれなかった生き物ってことだな。基本的に意思疎通はできないといっていい。ヤツラはボクらをただのエサとしか考えてないからな。んで、そんなヤツラだからこそ、魔法で操って戦争の駒として使うのもいる。現に、ここ最近シノイに魔物が増え始めてるのは『地』のヤツラのせいだって噂もあるくらいだしな。……ちなみにこれは蛇足だが、一人の神に従ずるのが常識とされるボクたち魔精霊だけど、たまに二股をかけるやつがいて、そいつらのことを暗に魔物って呼ぶこともあるぞ」

面倒くさいといいつつも、興がのったのか長々と説明してくれるジャック。
そんな所もタローに似ているんだなと、晃が内心そう思いつつ目を白黒させていると。
ジャックはふいに視線を川へと続くという道なき道へと向け、言った。
「ま、そんなわけで触らぬ神に崇りなしだ。さっさと行くぞ」
どうやら、今の会話に対しても、別に理解を求めることはしないらしい。
興味をなくしたようにフラフラと飛んでいってしまう。

「……っ、ちょっと待ってくれ」
「ん~? 何だよ、まだ何かあるのか?」
慌てて声をかける晃に面倒くさそうに翼をばたつかせて振り向くジャック。

「あの馬車、魔物に襲われているのかもしれないんだろう? 助けなくていいのか?」
「ヒヒ、何を言い出すかと思えば。そういうとこは変わんねーんだな。……助けなんていらないだろ、きっと。馬車のヤツラだって、魔物に襲われることくらい分かってたはずだ。護衛のひとつも用意してるだろ」
「……しかし、凶暴なのだろう? だとしても手伝うに越したことはないと思うんだが」
「それで、一体ボクらに何ができるって言うんだよ」
「…………」

こういう物語ならば、助けにいって当たり前じゃないのかなんて思っていた晃だったけれど。
ジャックの発した一言で、晃はほんの一瞬、言葉を失う。
それは、言い得て妙、だった。
それこそ物語の主人公のような活躍など、そうそうできるはずもないことを諭すかのような言葉で。
晃自身、そんなこと重々分かっているつもりだったけれど。

「できるできないじゃないだろう、こういうものは」
まるで我侭を言うかのように、晃はそう反論していた。
現実で使命も果たせない自分を責められているかのような、そんな気がして。

「ヒヒ。そんなこと言って助けたって、実際は迷惑がられたり余計なお世話だって思われるのがオチだぞ」
「……そこでそうくるか。性格悪いな、ジャックって」
「ヒヒッ、それこそ今更だろ」
晃が困り顔でそうぼやくと、ジャックは底意地の悪い笑みをこぼしてみせ、何だかんだ言いながらも進路を変えてくれる。
晃は、そんなジャックのまんまるの後頭部を眺めながら。
やっぱりタローを相手にしてるみたいだなぁと、しみじみ思うのだった……。


                ※      ※      ※


やがてたどり着いた場所は、背の高い木々もまばらな湿地帯だった。
その、ひときわ大きい濁りの深い沼地のひとつに、馬を失ったらしい大きな幌馬車が半ば引きずりこまれようとしているのが見える。
何かが燃えているのか、鼻の曲がりそうな、あまり嗅ぎたいと思えないいやな匂いのする白ではない煙が幌の中から上がっていた。
おそらく、この幌が遠目から見えたのだろう。

「ヒヒ、考えてみれば妙だな? こんな水辺の多い場所で煙なんて」
見た感じ水没しかけた馬車以外には何もなく。
首をかしげてふらふらと馬車へと近づいていくジャックの後に、晃も続く。
そして、革靴に感じる生温かい水をかき分け、幌の中を覗き込んで。

晃を襲ったのは後悔ばかりだった。
声を上げそうになるのを何とかこらえて、だけど目の前に広がる光景から目を背けることは止められなかった。

「火薬でも投げ込まれたのか? 魔物のヤツラの仕業にしちゃ、やることが狡猾すぎるな」
苦いジャックの呟きが聞こえる。

そこには、晃の求めてはいなかった残酷な現実があった。
ジャックの言葉通り、火薬か何かを投げつけられたのか、ひどい火傷を負って折り重なるようにして倒れる、一様に黒い翼を生やした人々……魔精霊たちがそこにいた。

煙の正体はこれだったのかと思うと、こみ上げてくる吐き気。
それは、ずっと求めてきた幻想の世界だからこその衝撃によるところもあったのかもしれない。

逃げ出したい。
晃がまず思ったのはそのことだった。
その思いのまま、そこから一歩下がろうとする。

「う、うぅ……」
だけど。
幌の中から、生きていることの証であるかのような、呻き声が聞こえてきて。
ぴたりと、晃の足が止まった。

(俺が……今しなければならないことはなんだ?)
辛いことや面倒なことから逃げ出したい。
そうだとするなら、それはあまりにも情けなすぎて。
そんな弱い自身を叱咤するように。
魂のうちから溢れてくる感情のままに、晃は叫んだ。

「早く、助けなければっ!」
「そうだな。取りあえず馬車からおろそう。このままじゃ馬車ごと燃えちまう」
助けるための方法すらろくに考えないままに言葉を発してしまった事に晃が気づいたのは、それからすぐのことだったけれど。
ジャックはそれすら見透かしたかのように、さっきまでとは違う笑みをこぼしつつ、そう答えてくれる。
「分かった」
晃の方もさっきまでの自分が嘘のように、それに頷き返して。
沈みかけた幌の中へと、一歩足を踏み入れた。
そして、意外にも慣れた手つきで倒れている一人を抱え込もうとした、その瞬間。

「……っ!」
いきなりドン! と地面の底から突き上げられるかのような衝撃が晃を襲った。

「ちっ!」
足元を見ると、馬車の底板を突き破って青黒い何か(それは、言うなれば蛸の足のようなものだった)が蠢いているのが分かる。
とたん、充満する濃い水の匂い。

「ラキラっ!」
そして、ジャックが鬼気迫る声で叫んだのとほぼ同時に、底板にいくつもの亀裂が走って。

気がつけば……晃の視界には薄青の空が見えていた。
かち上げられ、幌を突き破って、そのままの勢いで水辺に叩きつけられる晃。

「ぐぅっ……」
呻いて、それでも何とか起き上がると。
目の前に鎮座するのは、全身青のそれ自体が別個に生きているようにも見える、いくつものうねる足と鈍い赤の瞳を持つ、巨大な軟体生物だった。

「ガァアアアアッ!」
そいつは、怒りとも悲鳴とも取れる咆哮を発している。
よく見ると、そいつは血だらけの満身創痍にも見えて。
身体のあちこちに刺さるようにして出ているのは木の根、だろうか?

「あれはっ……」
晃はそれに、目を奪われる。
いや、正確に言えば目を奪われたのはその巨大生物にではなく。
伸び上がったそれの足……触手のひとつに巻きつかれて動かない一人の少女に、だった。

花飾りにしては大きな、その栗色の髪に咲き誇る紫の花。
闇色染みる、影のような翼。
まさしく天の使いか何かが身に纏うような、儚いほどの細身を示す、純白の羽衣。
それらは一様に濡れそぼり、傷ついて尚美しく。

別人であること一目瞭然なのに。
だけど、タローに良く似たジャックと同じように。
晃には、その少女が自分の知っている人物に見えてらなかった。

「香澄さんっ!」
晃は、無意識のまま少女の名を呼び、走り出していた。
目の前の少女が香澄だと認識してしまったら、もう止められない。
全身が沸き立ち、沸騰する感覚。

それは怒りだろうか?
あるいは、それを超越した苛烈なほどの名もなき感情、とでも言えばいいだろうか。
猛烈な勢いで近づいてきた晃に、巨大な青きものすぐに気づいたようだった。
感情の読み取れない濁った瞳を、しかしそれでも確かに晃のほうへと向けていて。

「……っ」
すくみにも近い感覚で、晃は立ち止まる。
あるいはそれは、予感だったのだろう。
刹那、それの蛸のような口が膨張し、その標準を晃に定めて。

はっきりそれと分かる、砲撃のような発射音。
わずかに、何かの燃える匂いを感じて。

晃はその時、確かにそれと目があった。
撃ち出された赤く透き通るもの。
それに貼り付けられているかのようについていた、虚ろな目と。

感じるのは戦慄。
漠然と浮かぶ、爆発のイメージ。
根拠などないのに、馬車の人たちが傷つき倒れた原因はそれなのだという確信があって。
それに対抗するかのように。まるで生きているかのごとくざわめき震える、晃の足元にある水。
しかし、赤く透き通る何かを見据えていた晃は、そのことに気づかなかった。

ヒィンッ!
「ラキラっ、投げ返してやれっ!」
何故ならば、鋭い耳鳴り音がしたかと思ったら、そんなジャックの声が聞こえたからだ。
晃が顔を上げると、いつの間にかジャックが意識失ったままの少女を助け出し、その嘴で抱えていて。

そこで代わりに気づいたのは、世界の異常。
晃に向かってくるはずだった虚ろな目をした赤いやつだけが、中空で凍りついたように止まっている。
ジャックは、自分のことを時の魔精霊だとそう言ってたから……きっとその力を使ったのだろう。
指定したものの、時を止めるその力を。
それは、ジャックがそう名乗った時点でそうだろうとは期待していたことだったけれど。
中々どうして、目の当たりにすると感嘆のため息しか出ない晃。
しかし、そんな晃も、そう言われてからの反応は目を見張るものがあった。
自分から一歩踏み出し、赤色のそれを手で掴んで。

「はっ!」
気合い込め振りかぶり、投げ返す。
すると、ちょうどそのタイミングで時が動き出し……同時に気づく、自分がノーコンだという事実。

赤く透き通るそれは、まっすぐとは行かず、青い巨体のすぐ前……水面に落ちるように炸裂して。

突如として発生したのは。
すさまじい爆発音と、熱波。
その勢いで水は抉られ、それにより起こった水しぶきがあたりに霧を生じさせる。
衝撃で穿たれた水は意思を持ったかのような濁流と化して。

気がつけば。
晃の放ったそれは。
小さな沼地がいくつもあったはずの地形を、ひとつの大きな湖へと変えてしまっていた……。



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