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  旅の途中 作者:伊吹ノア
第19話

それから晃が目を覚ましたのは、いつか嗅いだことのある異なる世界の花の香りに誘われて、だった。

その不思議と落ち着く香りに気分よく晃が目を覚ますと、そこは草花で敷き詰められた天然のベッドの中で。
晃は目をこすりながら辺りを見回す。
実は密かに危惧していたこの本の世界からの剥離はせずにすんだらしい。
そこは天蓋の外、洞窟の中につくられた地上の楽園といってもよかった。
見渡した晃が、思わずひいてしまうほどに、元々あったはずの景色が変貌している。

「水の力を使った影響、か……」
おそらく、水の竜がその強大な力ゆえに暴走し、天蓋を飛び出したことによって起きた結果なのだろう。
それまで色とりどりの庭園だったその場所へとやってきた水たちがその勢力を広げ、大きな池をつくっていた。

元々そういう花だったのか、それとも湛える水にその力があるのか。
それまでそこにあった草花は、水の流れに踊り舞う水中花となって変わらずに咲き誇っている。
それまで草の領地だった地面は水によって分断され、いくつもの島をつくり、作り物の太陽の光を浴び虹の橋をかけていて。
最初にここへ来たときの比ではない光景に、ただただ晃が圧倒されていると。
虹の橋を三つほど渡った島に、取り残された分厚い布幕に囲まれて中を伺えない、天蓋の姿が見えた。

「二人は無事か?」
晃は、呆けている場合ではないとひとりごち、天蓋に向かって駆け出す。
見事なまでに島と島を繋ぐ虹の橋。
「……」
一瞬躊躇った後、晃はその虹の橋に向かって足を踏み出す。

かつん。
しかし、すり抜けて水の中に足を突っ込むというある意味お約束は起こらなかった。
見た目の通り、透明な硝子の上に乗っている感覚。

「何だか複雑だ」
なんでもあり、というか。これがこの世界でも当たり前だとすれば、構えた自分が至極滑稽に思えて。
晃は、言葉通り複雑な笑みを羽浮かべながら、二人がいるはずの天蓋へと向かう。


「……二人とも無事か?」
「あ、はい。カーナ様も一応私も無事です。ちょっと待っていてくださいね」
晃がそう声をかけると、ちょっと焦ったようなスミレの声。
言われた通りそこで待っていると、しばらくしてスミレのどうぞ、と言う言葉が聞こえて。

「これは……酷いな」
天蓋の中へと入るや否や、晃は思わずそう呟いてしまった。
まるで台風でも通過したかのようにベッド周りが水浸しになっていて。
十中八九自分のせいだろうと頭を抱える晃。
外の庭園ですら地形が変わってしまうほどの有様なのだ。
水の竜が暴れた中心地とも言えるこの場所がそもそも無事ですむはずはなくて。
もっと使う場所を考えるべきだったと晃が反省しきりでいると。

「あやまらないでください、ラキラ様。おかげで私を縛り、苦しめていた闇は去りました。そのことを考えれば、このようなことは瑣末なことです。むしろ……『地』の眷族として最高の礼をもって返さなければならないくらいです」
言葉通り、晴れやかな様子で深々と頭を下げるカーナ。
「うぅ……酷いですよぅ、カーナ様ってば。私は大打撃なんですけど」
しかし、瑣末で片付けられたのが我慢ならなかったのだろう。
ベッドの上にいて尚且つスミレが庇っていたからなのか、ほとんど水の被害にあっていないカーナに対して、全身濡れネズミのスミレが情けない声をあげる。

「ふふ。おかげで頭のお花がいきいきしてますよ。よかったじゃないですか」
「よくないですよぉ」
スミレの言葉に悪びれた様子もなく、ほころんでみせるカーナ。
対するスミレはおおいに不満のようだったけれど。
カーナが先程口にしたように、カーナが地の王で、スミレが彼女に仕えるものならば。
そのやり取りはラキラの本の内容と、ここに来るまでの『地』の国とそれを牛耳る王のイメージとは、大きくズレがある……そんな気が晃はしていて。

「何にせよカーナさんに憑く闇を払うことができたのはよかった。しかし、カーナさんは地の王だと、そう言ったな? 一体どういうことなんだ? 王は男ではなかったのか?」
二人のそんなやり取りに水を指すことになるだろう事を心苦しく思いつつも、晃はそう口を挟む。
何故ならば、カーナが地の王だとするなら、水の王マーサとの婚姻の話すら成り立たなくなってしまう……つまり、そもそもここに来た意味すらなくなってしまうからだ。

すると、スミレとカーナは顔を見合わせて。
「そうでした。話のつづき、でしたね。まず、私たちの事情をきいてくださいますか?」
一つ頷き、カーナがそう言った。
事情、それはスミレの言いかけていた言葉の続きなのだろう。
晃はそれに異論があるはずもなく、ただ頷く。
スミレは、カーナの言葉を受けて。
気を取り直すようにして、語り出した。

それは……ラキラすらも知らなかったであろう、地の国と水の国、そして闇の国の真実だった。

「実はですね、この地の国は水の国と一方的な同盟を結ぶよりも早く、闇の国に乗っ取られてしまったんです」

始まり……それは、先ほどまでカーナの背にあった黒い翼だという。
影のように付き従い、離れないそれは、ある日突然地の国の人々の背に出現した。
『闇』の王の呪い。
それは憑かれた者たちを意のままに操る、そんな呪いだった。
その呪いは、最強と言われていた『地』の魔精霊をいとも容易く蹂躙し、その精神を乗っ取ったのだという。

「あれは、おそろしい力でした……」
自身を抱くようにして、呟くカーナ。
その呪いの恐ろしさ……それは、乗っ取ろうとする力に抵抗しようとすればするほど呪いかけられたものの身体を闇が蝕んでいくことだった。
有能で意志の強い地の騎士たちが見せしめのようにその命を奪われ……死に恐怖したものたちが、次々と闇の翼を受け入れていったという。

「この私も、スミレとラキラ様のお力がなければ、とうの昔に命を落としていたでしょう」
自嘲めいた呟きでカーナはスミレを見、晃を見て淡く微笑む。
「スミレは無事だったのか?」
「ええ、たまたまお暇を頂いて故郷へ帰っていたものですから」
元々『地』の同盟国である『木』の国出身であったスミレは、カーナの宮仕えの一人だったらしい。
地の国を離れていたことで運良く闇の呪いから逃れたスミレは、地の国の変わりように驚きを隠せなかったという。

「久しぶりに帰ったと思ったら、もう『地』の国は、私の知るそれとは全く別のものになっていたんです」
『水』の国を含めた、近隣諸国への侵略。
元々あったこの黒岩でできた『地』の国の地下城を、まるで包み隠すように作られ始めた、新しい白き地下城の建設。
そして……。

「カーナ様の玉座であるその場所に、カーナ様はいらっしゃいませんでした。……ダァケシ・オノマ。『闇』の一族の王であるその男が、玉座についていたんです」

『闇』の翼の力を使い、地の国を乗っ取った首謀者。
ダァケシは、カーナの地位を奪い、近隣諸国侵略の際に、『水』の女王の姿を目に留め、一方的な同盟と引き換えに『水』の王への婚姻を迫ったらしい。

苦々しい口調のスミレは、きっとその時のことを思い出しているのだろう。
身分など関係なく、友人としてカーナの身を案じたスミレは、そんなダァケシよりまずはカーナを探すことを優先したのだという。

「そして見つけたのが、この場所でした。ダァケシは、カーナ様に『闇』に翼をつけることで、ここに縛りつけたんです。……まるで自分の所有物であるかのように」

偽物の太陽。
それは、『闇』の力を強めるものなのだという。
カーナは、この天蓋の外に出ることができなくなってしまった。
文字通り、ダァケシの籠の鳥のなってしまったのだ。
怒ったスミレは『闇』の力を解くようにと果敢にも一人で立ち向かった。
しかしそれは無謀以外のなにものでもなかったのだろう。

「ダァケシには、二人の騎士がついていました。その二人は凄く強くて、流石の私も歯が立たなかったんです。戦いに負けて気を失っている隙に、私も翼の呪いにかけられて……次に気付いたのは、ラキラさん、あなたに助けられた、その時でした」

そう言われて、晃が思い出したのは。
言われてみれば水の国で会ったスミレが、確かにその背に翼をつけていたことで。
操られたスミレがどうして『水』の国にいたのか、それは分からないそうだが。
しかし、スミレはラキラの『水』の力を肌で感じることで、『地』の国を……カーナを救うための希望の光を見い出したのだという。

「後はラキラさんの知る通りです。……騙すような真似をしてごめんなさい。でも、こうするしかカーナ様を救う方法がなかったから」
そう言って深々と頭を下げるスミレに。
「……そこまで話を聞いて許さんとは言えんだろう。頭を上げてくれ、スミレさん」
晃は苦笑でそんな言葉を返すしかない。
そして、素直に顔をあげるスミレを見て、晃は言葉を続けた。

「それに、これで俺たちの目的も達成しやすくなっただろうしな」
目的の達成。
それは、すなわち『地』の王……ではなく、『闇』の王ダァケシ・オノマの説得、だ。
そこまで気持ちのいい悪ならば婚約を破棄させるために何憂いなく説得ができるだろうし、今ごろジャックが王の視察に行っているだろうから、王のお付きの騎士のどちらかに化けて、と言う作戦にも展望が持てるだろう。

「説得、ですか。私もダァケシにつくふたりの騎士をみましたが……ただものではありませんでした。ラキラ様といえど容易ではないかと」
なんて少しばかり晃が楽観的な心持ちでいると、カーナが真剣な面持ちでそんな事を言ってくる。
それが、本当に真に迫っているので、身の締まる思いで晃が頷くと、カーナはそれに、と言葉を続けた。

「ダァケシが『水』の王を欲する理由は、その万能な『水』の力をわがものにするためだと思われます。ラキラ様の御身に秘めしその力、けっして気取られぬよう、お気をつけください」
「……あ、ああ。肝に銘じておくよ」
願うようなカーナの言葉。
晃はそれに応えるべく、そう返して。



「カーナさんの呪いも解けたようだし、俺は戻るとしよう」
早速ジャックと合流して、婚約を破棄させるその作戦を、ひいてはカーナたち『地』の国を助ける方法を考えなければならなかった。
晃は自分に言い聞かせるようにひとつ頷き、何ごともなかったように踵を返そうとして。

「お、お待ち下さいラキラ様っ!?」
「ちょっとちょっと!これだけ私たちを助けておいて何も返さないつもり?サイテーですよ。ラキラさんサイテーです。魔精霊の風上にもおけないですっ」
うやむやにして去ろうかと思った晃だったけれど流石にそうもいかなかったらしい。
しかも、スミレには結構酷い事を言われている気がして。
晃はしぶしぶ、立ち止まった。

「…………」
そして何も言わぬまま自らの髪を毟り、心中にあるイメージを浮かばせた。
それは、あの黒い翼だ。
とは言っても見た目だけではあるのだが。
すぐに、晃の予想と期待通りに、二組の黒い翼が出現する。
それは、ちょっと前から考えていたことだった。
自身がイメージできるものに姿を変えられるのなら、自分の一部も変えられるのではないか、と。

「それは……?」
少し怯えた様子のカーナ。
無理もないだろう。
見た目だけとはいえ今まで自分を苦しめていたものが突然目の前に出現したのだから。

「……礼をしたいと言うなら俺が望むのはひとつだ。もしここに王がやってきたとしても、何事もなかったかのように振舞ってくれればそれでいい。そう、何事もなかったようにだ」
相変わらずうまく立ち回れない自分に苛立ちを覚え晃はそう口にして、それをスミレに手渡す。

「うわ、これ偽物ですか。よくできてますねぇ」
対するスミレは晃の言葉の意図に気がついたらしく、受け取ったそれをしげしげと眺めていて。
「助けたのは自分のためだ。君たちのためじゃない。だから礼はいらない」
「そんなの嘘です。カーナ様はともかく、ラキラ様に私を助ける理由なんてなかったはずですよ?」
あくまで助けたことは自分……ラキラの目的の為だということを主張し、そのまま去るつもりでいた晃だったが。
スミレは偽物の黒い翼を装着しながら、そんな事を言ってくる。
もっともなことに思わず言葉を失いかけた晃だったけれど。

「ジャックがどうしてもって言うから、仕方なく助けただけだ。他意もないし恩を着せるつもりはない」
「ラキラさん」
きっぱりとそう言う晃に、まだ何か言いたそうなスミレ。
そこには何だか悲しみが含まれているような気もして。

「礼はいらない。しかし、二人に願うことがこの俺にあるのなら、聞いてもいい。……どちらにせよ、事が全て終わってからだけどな」
ついて出たのは、そんな論点のずれているような言葉だった。
事務的な言葉面とは裏腹に、お礼を断ったのは自分が晃であってラキラじゃないってことや、どうにも気恥ずかしくて仕方がなかったとか、そんな理由があったのだけど。

「ラキラさん、その言葉忘れないでくださいよ」
「願いですか……たくさん考えておかなければなりませんね」
しかし、二人はそれで納得してくれたらしい。
先程とは打って変わっての、嬉しそうなスミレとカーナの呟きが、晃にはこそばゆかった。
「ま、そう言うわけだ……じゃあな」
自分のセリフと二人に対して照れくさいのを隠せそうになくなった晃は、何がそう言うわけなんだと自問自答しつつ、二人の背を向けて天蓋にかけられた布幕をくぐり外に出る。

「あ、ちょっと待ってください!」
と、お礼に件は片付いたはずなのに、追いかけてくるスミレ。
「どうかしたのか?」
顔を拭うようにして、つとめて冷静なふりをして振り返る晃。
「ここから出るのにちょっと仕掛けがあるんですよ……って、ほわぁ。また随分と変わりましたねぇ」

スミレは晃の隣に並んでそう言いかけ、目の前に広がる晃のせいで作り変えられてしまった世界を見て、感嘆の声をあげる。

「すまない。どうも力の加減ができないらしい」
「何言ってるんですか。綺麗なものですよ? カーナ様にも是非お見せしなくちゃです。
そもそも、この庭園って、せめてカーナ様の心が安らぐようにって、私が作ったものなんですよ?
どうやらラキラさんのほうがガーデニングのセンスがおありのようですけど」

二人が話してくれた闇の魔精霊に支配されているという状況と、この色とりどりできらびらやかな世界にギャップを感じていた晃だったけれど。
そう言われて妙に納得する晃である。

「カーナさんのことがそれだけ大事……ということか」
「そりゃそうですよ。大切な友達です」
「身分など関係ない、といった感じだな」
何せ相手は王なわけだから、そう言う壁みたいなものがあるのかと思っていたのだが、きっぱりとそう言ってのけるスミレに感心しきりの晃である。
だけど、そんな晃の考えとは裏腹に、スミレは頬を含まらせて怒る仕草をしてみせた。

「あ、さてはラキラさん、勘違いしてますね? 見れば分かるじゃないですか。感じてくださいこのにじみ出る高貴さを。私は『木』の国の姫、なんですよ?」
そして、悪戯っぽい笑みを浮かべつつ。
「一国の姫と一国の王の願いですよ、覚悟していてくださいね、ラキラさん」
跳ねるように虹の橋を飛び越え、晃がここへやってきた……今は立ち並ぶ木々しかないところへとかけてゆく。

「……」
からかうような、その口ぶり。
仕返しめいた冗談のようにも思えるし、真実なのだろう、という気もする。
もしかして大事になりそうな、取り返しのつかない事を口にしてしまったのかと晃は思ったが。
一度口にしたからにはその責任は取らねばならないのだろう。
問題はその責任を晃ではなくラキラが取らなくてはいけない、ということで。

晃は渋い顔を浮かべながら、スミレの後に続いたのだった……。




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