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新テレーズ物語
作:加賀いつ子



(6) 疑惑


僕が例によって、テレーズの簡素なアパートメントを訪ねて行くと、テレーズは寝椅子に仰臥していた。
付添人の若い東洋人の女が氷を口の中に入れている。
具合がよくないのかもしれない。    
「ありがとう、もういいわ、この方に飲物を。」
テレーズは物憂げに腕を上げて僕の方を指し示すと、胸の下あたりで両手を組んだ。
その姿は、ヨーロッパの絵画によくあるような聖女−つまり、自然と人間による多くの苦難を味わいつくした事によって獲得した、硬くざらついて傷つきにくい精神の皮膚に被われた老婆のそれに似ていた。
テレーズには、しかし、信仰心などないのではないか…便宜上修道院に入っていた事はあるものの、職業上殺人を犯した事があるという人間に、そんなものがあるとは思えなかった。
しかし、一度聞いてみてもいい話題ではある。
もっとも、今日は解放戦線とつながりを持っていたという女友達の話を聞かせてもらう約束だった。
僕自身にとっても、少なからず興奮させられる内容になるはずだという予感と共に、僕は感じがよく見える微笑を浮かべた。
「ではマダム、お友達のフォンの話の続きを聞かせて下さい。
フォンが解放戦線とつながりがあると知ったのは、どういうきっかけで?」
テレーズは目を閉じて、話し始めた。
「フォンには一人娘がいたわ、名前はローズ。
5才くらいだったと思うけど、時々ローズを修道院の乳児施設に預けてどこかへ行くの。     
けっこうな荷物を持って、行き先も告げずに、一週間かそこら、いなくなる。
尋ねても、教えないのよ。
修道女というものは、他人のプライバシーを根掘り葉掘り聞かないものだから、あたしも追求はしなかった。
でも、その気になれば調べる事なんて簡単だわ。
あたしはフォンが扶養義務を負っているという親戚の家を訪ねていった。
サイゴン駅の裏手、フォングーラオ通りとチャンフンダオ通りの間に挟まれた地区は下町で、お世辞にも上品な地域とは言えなかったわ。   
だから、あたしは修道服を脱いで、あの頃気に入っていたスタイル…市場のおかみさん連中みたいな白い木綿のブラウスに黒い絹のズボンで出かけて行った。
暑い国では、1番快適な格好なのよ。      
探し当てた家は、想像通りの古い長屋で、大勢の人間が押し込められるようにして住んでいた。    
あたしがフォンの友達で、聖ベルナデット修道院から来たと言うと、一人だけ、まともなフランス語を話せる若い男が声をかけてきたから、彼と話をした。  
彼はフォンの従兄だと言ったわ。         
最初、フォンの不倫相手のフランス人がどういう男だったのかをひとくさり聞かされたんだけれど、かなり興味深い内容だったから、聞いてよかったわ。   
そして、フォンに腹違いの弟がいたという事を聞き出した時、何か嫌な予感がしたの。」        
「フォンは、弟に会いに行っていたんですか。」
「ええ、もともとフォンの一族はベトナムが分断国家になる際に、共産主義を避けて北から逃げてきた、いわゆる避難民だったのね。そして南で生まれたフォンは、裕福に育ったし、心情的にはごく素朴なカトリックだったから、反共主義者だと信じて疑わなかったわ。」        
「しかし、そうではなかった?」
「結果的には、そう。
あたしに話をしてくれた従兄は、弟のことを話す前に、解放戦線について講義調で述べ始めた。     
南の政府軍関係の仕事をしていると言ったくせに、解放戦線を必ずしも悪く言うわけではないの。   
 あの頃、あたし達アメリカは、解放戦線をベトコンと呼んで、ホーチミン子飼いのゲリラ組織だと思い込んでいた。    
でも、彼等は実際にはハノイの筋金入りのコミュニスト達とは違う型の集団で、南の人間から嫌われていたとも言えなかったのね。」  
「知っています。
一夜漬けですが、急いで勉強しました。
彼等は戦争中に、多くの犠牲者を出しながらも不屈の闘志をもって統一に貢献した。        
にもかかわらず、統一後は冷遇されたんですよね、彼等が筋金入りのコミュニストではないという理由で。」
「ええそう。
あたしはまず、そこで一つ学んだのよ。
で、フォン自身は解放戦線の事をどう思っているのか従兄に聞いてみた。
彼女の恋人だった男の経歴から察すると、影響を受けていないはずはない、とも思ったしね。
でも、さすがに従兄はのらりくらりとかわしたわ。
だから、あたしは自分の目で確かめようと思った。
フォンの出かけた場所だけを聞き出したの。
アメリカ大使館を通して、今後、色々な便宜を図ってやろうと持ちかけたら、何の疑いも持たずに教えてくれたわ。」
「それで、あなたはフォンを追跡したんですね。」
「ええ。
あたしは長屋を飛び出すと…シクロをつかまえて、コンチネンタルホテルへ走らせた。
当時付き合っていたフランス人特派員をバーで見つけると、プレイクへ連れていくよう頼んだの。
アメリカ人には言えなかった、万が一フォンがベトコンだとしたら恐ろしい事になるもの。」
「そうでしょうね。」
「あたしは大急ぎで支度すると、その日のうちに彼、マルクと一緒に出発した。危険な旅なのはわかっていたけれど、抑え難い衝動に突き動かされていた。」












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