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猫さんの瞳に魅せられて 作者:猫村銀杏(ねこむらいちょう)

第一巻

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第四章 エマージェンシー

2016/5/5 表示乱れていたので微修正しました。
第四章 エマージェンシー

 シキが一日中ゲームをしていたある日の夕方、窓際の机で一息ついていたシキの視界の端に突然何かが現れた。びっくりしてシキがベランダのほうを見ると、マフユとナツミがベランダにいた。
 音もなく二階までいきなり現れるとは何事だろうか。
 というかどうやって来たのだろうか。ベランダ側には階段なんて当然ないし梯子すらないのだから、壁伝いに登れるスパイダーマンにでもなるか、白昼堂々はしごでも架けて登ってこないとここにはこれない。そんなこと普通するか? あまりの出来事にシキは面食らっていた。
「エマージェンシー(緊急事態)」
 マフユが勝手に窓を開けてシキの部屋に入ってくる。ベランダへの窓は猫さんがいつでも出られるようになっているので開けるのは簡単だった。
「急にどうしたの? というか、どうやって入ってきたの?」
 エマージェンシーとか言われても何が何やらである。
「ジャンプして入ってきたよ。ああもう、話は後、後。とりあえずこれ履いて」
 後から入ってきたナツミはいつも履いているローラー付きの靴を取り出した。シキが先日直してあげた靴と同じ種類だが、ナツミのものよりだいぶ大きい。
「ジャンプして!? そんなことできるわけないよ。それにそんなもの履けるわけないよ」
 シキはまだ状況が整理できず、椅子に座った状態で体だけナツミ達のほうに向けて、ただ呆然としていた。ナツミは大慌てで、シキを強引に椅子からひっぺがした。シキはナツミになされるがままそこに立たされる。
「ちょっと、何するの突然!」
 シキは無理矢理に動かされて思わず抵抗する。一体、ナツミは何を言っているのだろうか。ここに登ろうと思ったら走り高跳びで三メートル跳べても足りない。四メートル近く跳躍できないと絶対に届かない。もちろん圧倒的世界記録である。しかも狭いベランダであるから、背面跳びなんてしようものなら頭か背中が激突してしまう。挟み跳びかなんかで完璧に着地までしたらしい。
「できるよ。シキにもすぐわかる。そんなことよりこれ履いて」
 ナツミは自分達の正体を明かした時と同じ雰囲気でそう言った。
「そんな靴履けないよ。女の子が履くような靴じゃん。大体なんで履かないといけないの」
 その靴はいかにもな女の子用で、ナツミ達の靴と同じように、ピンクの派手な装飾がしてある。とてもじゃないがシキはその靴を履きたくなかった。
「つべこべいわずに履きなさい」
 しかし、そんなシキの意思は無視された。
「な、なにするんだ」
 ようやくシキの意識も覚醒してきて、抵抗しようとしたが全く意味をなさない。シキはマフユに強引にベッドに寝かされ、もの凄い力でベッドに抑えつけられる。シキはほとんど身動き一つとれず、その力はとても小学生のものとは思えなかった。まるで熊にでも抑えつけられているような力だが、マフユのほうは力を入れているようには見えず、涼しい顔をしている。
「それで抵抗しているつもりなの?」
 マフユにそこまで言われる始末であった。マフユはシキのあまりの弱さに呆れているようだ。
「しているよ! 全力で! どこからそんな力が出てくるの。びくともしないよ」
 シキは全力で動こうとしていたが、馬乗りになっているマフユはピクリともうごかない。
「力なんていくらでも沸いてくるよ。この靴を履いたシキが見たい欲求があるからね」
 マフユは楽しそうに言った。
「なんで、こうまでしてその靴を履かせないといけないんだ!?」
 最近この子たちに絡むとこんなのばっかりであった。
「後でわかるから。今は我慢してねえ」
 ナツミはシキの両足にてきぱきと靴を履かせながら言った。
「お願いだから止めてよ」
 シキは懇願するが、ナツミの手は止まらない。
「うん、よく似合っているよ」
 シキの願いもむなしく、ナツミはあっという間に靴を履かせ終わる。シキの靴を履いている姿が気に入ったようだ。
「こんな靴履いていたら外を出歩くこともできないよ」
 シキの足元には図体に見合わない、可愛い靴が自己主張していた。サイズはぴったりだったが、そういう問題ではない。
シキにはナツミの美的感覚は全く理解できなかった。
「すっごく可愛いにゃん。じゃあ、おにいにゃん立って」
 シキが気落ちした分、ナツミは喜んでいるようだ。シキが自分で立つまでもなく、既にシキはナツミとマフユの力で立たされていた。
「じゃあ行くよ。気をしっかり持ってちゃんと捕まっていてね」
 マフユはシキのことをおんぶすると、にっこりと笑いながら言った。
「どこに行こうっていうんだ。下ろして下ろしてよ!」
 シキは必死に抵抗するがマフユには全く意味をなさない。小さな小学生の背中だというのに、高級車のシートベルトもびっくりの密着感と安定感だ。そこには小学生の背中で暴れる大学生の絵面があった。
「すぐ降りられるよ」
 マフユはクスクス笑いながら言う。ナツミならともかく、マフユがこういう表情をしていると悪い予感しかしない。普段は無表情なのに、イタズラを思いついたときだけ楽しそうなのだ。そのマフユがぐぐぐっと力を蓄えているのがわかった。
「よーいどん」
 マフユはつぶやくと、一気に窓の外へと跳躍して、そのまま二階から飛び降りた。
「ぎゃあああああああああああああ」
 シキは絶叫した。遊園地でしか体感したことのないような落下の感覚だが、マフユは、この大ジャンプを軟着陸で成功させて、シキにはほとんど衝撃もないくらいだった。
「なんで、こんな大ジャンプできるんだよ」
 シキは感嘆を込めてマフユに聞いた。突然の自殺同然の飛び降りに驚いたシキの心臓は、かつてないほどの勢いで血を全身に送っていた。普段、脈が上がるような運動はしないシキにとって驚くほどの脈拍だった。マフユは着地するとシキを地面に落とした。
「いたっ」
 小学生の背中から突然落とされて、シキはお尻から落ちてしまった。さっきの大ジャンプよりこっちのほうがはるかに痛かった。マフユが小さくて助かった。もし、シキ位の身長がマフユにあったら危なかった。マフユは落としたシキのことなど無視して、ポケットからタブレットのようなものを取り出して慌ただしく操作しはじめる。
 常人ならあんな高いところから落下したら骨折は免れない。そもそも部屋の中から助走なしでベランダの手摺を飛び越えることすらできない。そんなジャンプをマフユは難なく成功させた。
ついでにナツミもジャンプで降りてくる。三メートルの落下でスカートがその意味をなさず、ひっくり返っていたが、シキはそんなことよりナツミが怪我するんじゃないかとハラハラした。しかし、そんな不安などマフユの時と同様に全くの杞憂であった。ナツミはとても二階から飛び降りたとは思えないような「スタッ」という軽い擬音と共に、楽々と着地する。
「猫だからだよ。前に話したよね」
 ナツミは、不思議そうに言った。ナツミは尻餅をついているシキに手を伸ばす。
「猫さんだからって……。今の姿は普通の女の子じゃん」
 百聞は一見に如かずとはいうが、シキは今見た現実が信じられなかった。
「確かに見た目は人だけど、猫の運動能力も持っているんだよ。だから人型で本気で動けば、あなたたちには信じられないような動きができるよ。普段は力を抑えて行動しないと、ばれちゃうから大変だよ」
 確かに猫さんは自分の身長をはるかに越えるような場所にジャンプできるし、シキがクリームとよくやる階段競争では、どれだけシキがハンデを貰っても圧倒的に負けてしまうような脚力も猫さんは持っている。人の大きさであれが再現できるなら四メートル級の大ジャンプも朝飯前だろう。
「でも何かがない限り、僕の力は借りないで、自分達でクリームを守るって言っていただろう。何かあったのか?」
 猫さんと人間の関係を無暗に変えていきたくはないから、そういう姿は見せないと言っていた。つまり、その余程のことが起こってしまったから、ナツミとマフユはこんな行動に出たわけだ。マフユは窓から入ってきた時に「エマージェンシー」と言っていた。シキでもこれくらいの横文字なら意味もわかる。要するに「緊急事態」らしい。
「うん。そうだね」
 ナツミは暗い顔で言った。
「本当にごめんなさい」
 ナツミは深々と頭を下げてシキに謝った。マフユはさらに厳しい表情になって、より真剣にタブレットをいじり続けた。
「なんで謝るんだよ。顔をあげてよ」
 シキはなぜ謝られるのか見当もつかなかったが、見た目は小学生のナツミに謝られるとしどろもどろしてしまった。
「本当はシキをこんなことに巻き込みたくなかった。でも、私達の警備が破られてクリームがさらわれてしまったの」
「なんだって!?」
 シキは血の気が突然引いていくのを感じた。確かに、今日クリームは朝出かけてから家に帰ってきてはいないようだった。どこかお気に入りの場所でお昼寝でもしているのだろうと思っていた。
まさか、さらわれたなんて……。
 確かに、ナツミ達の家に行ったとき、クリームが実は猫界の人親交派のリーダーで、狙われる可能性があると言われていた。それ以降、シキはクリーム達を外に出す危険性とかを少しはシキも考えはしたが、実際のところ本当にクリームがそんな危険な状態にあるなんて想像もできていなかった。考えたくもなかった。いざ現実のことになると怖かった。
「それで、クリームは無事なのか?」
 シキはナツミを問い詰めた。
「わからない。今、マフユとハルカに、他のピースのメンバーに、全力でクリームの居場所を探してもらっているから、もう少し待って」
「場所もわからないなんて……。どうして突然さらわれたんだよ」
 シキは行方すらもわからないことを知って茫然自失状態だったが、同時に怒りもこみ上げてきた。
クリームがなにをしたっていうんだよ。いつも通りよく寝て、食べて、遊んで少しやんちゃしていただけだ。
「前も話したけどいつでもクリームが狙われる可能性はあったの。それが偶然なのか計画的なのか分からないけれど、今日さらわれてしまった。私達も常に警戒していたんだけど、白昼堂々仕掛けてくるとは予想外だった。まさかお昼寝タイムを狙ってくるなんて卑怯者だよ」
 警戒しているのかのんびりしていたのかよくわからない。
「もしかしてお昼寝していたの?」
 シキが聞き返すとナツミはびくりとした。
「ちょ、ちょっとお日様を浴びてのんびりしていただけだよお」
 目を逸らしながらナツミが言う。
「絶対、居眠りしていたでしょ!」
 明らかに眠っていた態度だ。
「大体、ずるいんだよ。ピースだろうが、キャッツだろうが、お昼はお昼寝の時間っていうのは猫共通の習慣なんだよ。その間に仕掛けようなんて不可侵条約違反だよ。人間との関係を見直す前に猫社会が終わっちゃうよ」
「やっぱ寝ていたんだ」
 猫さんは縄張り意識の強い単独行動する動物なだけにやはり不可侵条約があるらしい?遠回しな言い回しだが昼寝をしていたのは事実だったようだ。それにしても小学生の癖に難しい言葉を知っている。この前のパーティー以来どうにも小学生とは思えないような言動が目立つし、猫さんというのはどれだけ博識なのだろうか。そもそも人の言葉をしゃべっている時点で想像以上なのに、ナツミやマフユの言動を見るに人間の面目は丸つぶれだ。
「昼間の時間をナツミに任せるのは間違いだったかな。私は昼間はハルカに任せたほうがいいって言ったのに、まんまと出し抜かれちゃった。トラは今日はどうしていたの?」
 マフユも焦っているようで、口調が早口になっている。マフユはタブレットみたいなものを慌ただしく操作しているが、見たこともないようなアプリを使っていた。シキがその画面を覗き見ても、見たこともないような文字や記号が現れては消えるだけで、完全に意味不明だった。これはもしや猫語なのだろうか。
「トラは今もリビングで寝ているはずだ。もしかしてマフユも寝ていたの?」
 マフユのあまりの集中力に口を挟むのも申し訳なかったが、シキは気になって聞いた。
「そりゃあ、私は見張りの当番じゃないからね。オンラインゲームはどこも夜が人口多いんだから夜眠りたくはないよ。それにナツミの言う通り、昼はお昼寝の時間なんだから、私は昼間、当番にならない。トラだって寝ていたみたいだしね」
 やっぱり寝ていたらしい。
「トラは昼も夜も寝てばっかりだよ」
 二人はトラに何か期待しているらしいが、シキにはとてもトラが何かの頼りになるとは思えなかった。トラといえば睡眠。起きている時間のほうが珍しいくらいだ。
「ほら、トラだって寝ているんだから、私が寝ていたってしょうがないよ」
 ナツミは突然、元気を取り戻したようだ。
「ナツミとトラじゃ役割が違う。あんたは起きてないとだめ」
「そんにゃあ」
 マフユは再びナツミを叱る。ナツミは再びうなだれた。
「そういえば、トラは凄腕の用心棒じゃなかったの? クリームの緊急事態なんだし手伝ってもらおうよ」
 ありがちな姉妹喧嘩に微笑ましくもあったが、そんな場合でもないシキは口を挟んだ。ナツミ達の話では、トラはクリームの側近の用心棒と言っていた。家での様子を見ていると序列は、クリームの方が上に見えるので、シキにはとても信じられない話だ。
エサの取り合いでは、毎回クリームが先だし、トラはしょっちゅうクリームにちょっかいをかけられていた。用心棒が守っている相手にいじめられるなんて滑稽な話である。人を守る前に、まず自分が守れないと話にならない。
それに、普段からクリームがトラにちょっかいをかけるのは、シキの大きな悩みの種の一つだった。もし、この話が本当ならこんな問題は即解決である。というか問題が起こりもしなかっただろう。
「凄腕ではあるんだけど、ちょっとトラは変わり者なんだよ。普段の行動もどこか気が抜けていて、どんくさいやつに見えるでしょう。だけど、危機的状況になったらすごい力になってくれるはずだよ」
 ナツミがシキに熱っぽく語る。
「今が、その危機的状況なんじゃないの?」
 シキは鋭い突っ込みを入れる。マフユはさっきエマージェンシーとか言っていたし、まさにその時だ。
「私達にはそう思えるけど、たぶん、トラにとってはそうじゃないのよ。少なくともトラはクリームの命の危機だとは思ってないんだろうね」
 ナツミは冷静に分析する。
「トラの考えていることがシキに分かる?」
 ナツミは少し思案した後、シキに聞いた。
「普段からのんびりしていて感情が表に出にくいから、確かにあまり分からないな。クリームならすぐ分かるんだけどね」
 シキはトラのあまりの図太さとのんびり屋加減に、表情が動かず神様みたいだと思っているが、逆に言えば、なに考えているのかさっぱりわからないということでもあった。
「そうでしょう、ずっと一緒に暮らしているシキも分からないんだから、私達に分かるわけがないよ」
「でもさ、そんなにすごいボディーガードならトラを起こして助けてもらおう」
 シキはトラを呼んでこようと家の中に戻ろうとした。
「それは無理。さっき私がトラに助けてほしいってお願いしたのだけど、私達に任せるって言って丸投げされちゃった」
 しかしナツミに止められた。本当にトラはやる気がないらしい。
「それに、お昼寝の邪魔をするな、って怒られちゃったよ」
 他の猫さんと同じく、トラもお昼寝の時間だったらしい。とはいえ、トラはいつでも寝てばっかりなのだからこんな時くらい動いてほしい。丸々と太ったあの体で本当に伝説のボディーガードなんて勤まるのだろうか。なにもしないうちに噂話だけが伝染して伝説になったのではないかとシキは疑わざるをえなかった。
「ただ、助けに行くならシキも連れていけって言われてさ。だから、二階にジャンプしてシキを連れ出したんだよ」
 そういえば、ナツミ達がシキの部屋に飛び込んでくる少し前に、一階で物音がしたがあれはそういう訳だったのか。クリームがまた暴れているのかなんてシキは思っていたが、とんだ勘違いだった。
「ほんと、トラはなに考えているんだろうね。そういう訳で、シキが嫌って言っても引きずってでも連れて行くから」
 ナツミは笑いながら、表情の割になかなか怖い事を言う。
「もちろん。クリームの一大事なんだから何があってもついていくよ。でも引きずって行くのは勘弁してね」
 さっきのジャンプを思い返すと、この子たちに全力で引きずられたら、一瞬で真っ赤なミンチになってしまいそうだ。
「そうは言うけどね。シキはこれから何があっても大丈夫だって言いきれる? 私達はこの前のパーティーの後で、もしかしたらクリームが危険な状態になるから備えといてって言ったよ。でもさ。その時、言ったのはあくまで心の準備をしてほしかったからであって、こんな風な巻き込み方はしたくなかった。本当は私達がクリームを全力で守っておかなきゃいけなかったのに、本当にごめんなさい」
「そんな言い方されたら、まるで僕がなんの助けにもならないような言い方じゃないか?」
 足手まといであると全力で言われているようで、シキも傷つく。
「そこまでは思ってないよ。むしろシキが助けになると思っているから。私達はシキにクリームを守ってほしい。クリームが一番愛しているのはあなただと思っている。そして、私達はあなたたちを全力で守る。このあなたたちというのは、クリームとシキが含まれているよ。その目的は、あなたたちにはお互いに幸せに暮らしてほしいということだけ。だから、私達はあの日全てを話した。シキにはクリームの心の支えになってほしかったの。でも、あなた達は充分に幸せだからそのままでいてって言ったの」
 こんな状況だというのに、なんだか照れる話をされた。
「そこまで思ってくれているなら、それこそついていかせてくれよ」
 逆にナツミ達が躊躇する理由は何なのだろうか?
「はあ、ほんとに察しが悪いなあ。全力でクリームを探している最中なんだから、無駄に疲れさせるなよ」
 ずっとタブレットをいじっていたマフユにまた呆れられた。
「私達はクリームと同時にシキも守りたいの。そして、シキに期待していたのはあくまで精神的な役割だけだった。シキはさっきの二階からの飛び降りが怖かったでしょ?」
 ナツミは、首をかしげてシキに聞いた。
「ぜ、全然平気だったよ」
 シキは強がったが、思い出しただけで震えてきて、声が上ずった。
「そう、じゃあ。今から十階建てマンションの屋上から飛び降りても大丈夫だね」
 ナツミはとんでもないことを言った。
「そんなの飛び降りられるわけないだろ!」
 あまりに突拍子な発言にシキは怒り気味に言った。
「ほら、やっぱり怖いんじゃない」
 ナツミはかしげた首を戻して微笑した。
「かまかけたのか?」
 見た目は小学生の猫さんは、ずいぶんと頭が切れるみたいなので困る。
「あは。そういったら認めたことになっちゃうじゃない。シキは分かりやすいなあ」
 どうやらシキは二重にかまをかけられていたらしい。見かけによらずナツミはなかなかの策士だ。
「これからシキがついてくるっていうなら、十階から跳び降りるなんて冗談じゃ済まないような行動をすることになるからね。そんな肉体的な行動であなたに期待していることなんて私達にはなかった。その靴は、いくらか動きのサポートになるかもしれないからつけさせたの。でも、本来は猫が人間社会でも自由に動けるように作られた靴だから、人間であるシキに使いこなせるとは思えない。今からそんな誰も体験したことがない世界で動いて、下手したら死ぬことになっちゃうかもしれないけど、それでもついてくる?」
 確かにさっきのジャンプは恐ろしかったが、そんなことよりクリームがいなくなってしまうのが、シキは一番恐ろしかった。
「もちろん行くよ。クリームが危ないのに黙って見ているわけにはいかないよ」
 そう考えると、震えも止まってシキの決意が固まった。
「本当に猫キチなんだね」
 そう一言つぶやいてナツミは大きなため息をつく。
その後、ナツミちゃんは黙って考え込み始めた。静けさであたりが包まれて、聞こえるのは風の音とマフユが慌ただしく操作するタブレットから聞こえるかすかな操作音だけだった。
「そこまで言われたら連れていくしかないね」
 ナツミは、丸々一分は考えたあとにようやく決断した。
「よかった。ありがとうナツミ」
 シキはクリームがさらわれたと聞いてからこの時まで、ずっと体と心が張りつめていた気がしたが、それを聞いて少し緊張が解けた気がした。 
「でも、私達は全力でシキとクリームを守るけど、あなたに命の保証すらできない。そこのところ肝に命じておいてね。あと、シキにはクリームの心の支えになってほしいって言ったけど、シキが死んだら傷つく猫がいるってこと。忘れないで」
「念を押されるまでもないよ。僕だって、こんな若くして亡くなりたくはないからね。そして、クリームも助ける」
 シキは決意を新たにした。
「これだけ言えたら十分ね。それでも私達には、シキを連れていくメリットがほとんど思いつかないのだけど、あるいはトラにはシキを連れていくことで、何が起こるのが見えているのかもしれないのね」
 ナツミはあきらめ半分といった感じで言った。
「マフユ、クリームがどこに行ったのかまだわからないの?」
 そうと決まれば時は一刻を争う。シキはマフユを急かした。
「そうだよ。マフユらしくもない。情報戦ならあなたの右に出るものはいないんだから早く見つけてよ。さっき、昼寝していた私に啖呵を切ったくせに、一体どうしたの?」
 シキの頭からすっぽ抜けていたが、マフユはあのゼロその人だった。マフユが使っているタブレットで一体何ができるのかわからないが、機械を操作させたらマフユを上回るものなどそうはいないだろう。そのマフユが全力で探しても見つからないのだから相手も相当手ごわいらしい。
 しかし時間が過ぎればすぎるほどクリームは遠くに行き、見つけるのもより難しくなっていき、クリームの安否もどんどんと怪しくなるだろう。シキは居ても立っても居られなかった。
「うるさいわね。私だって全力で探しているんだけど、なかなか見つからないんだよ。やっぱ昼間だから、他の猫からの情報がほとんどないのが痛いわ」
 マフユは苦々しそうに唇をかんだ。
「それじゃあクリームへの手掛かりはほとんどないってこと?」
 シキはがっかりした。
「そんなこと無いよ。他の猫からの情報があれば、それは探す助けになるけど、他にも探す手段はあるから」
 確かにマフユのタブレットは、目まぐるしく画面を変えながらいろいろな情報を示しているようだ。それは、時には立体映像を何もない空中に具現化させるほどで、一体、猫さんの技術力はどれほど進んでいるのかと驚愕させられた。某猫型ロボットが実際に出来てしまったらこんなことになってしまうのだろうか?
 これでは、人間様の面目丸つぶれである。ナツミ達とは違う人絶縁派のキャッツの猫さんが、もしこの技術力を使って人に牙を向けたらと想像すると末恐ろしい。しかし、今回クリームをさらった奴も当然似たような技術を持っているはずだから、これは相当な脅威であった。
「今は何を調べているの?」
 シキは、マフユのタブレットを覗き込みながら聞いた。画面にはシキの家を中心にした地図らしき画像の上に、何かの分布を示すようなデータがでていたが、シキにはそれが何を示しているのかさっぱりだった。
「ダークマターの分布だけど、人間には何もわからないよ。衛星からの画像とか周辺の温度や質量の分布とか、そういう人間でもわかる情報も見たのだけどクリームの手がかりはなかなか見つからなくて、猫にしかわからない情報も調べているの」
 そう言いながら、マフユは画面をぱらぱらと変えてシキに見せた。
「ダークマターか。僕も知っているよ。昨日も晩飯で食べたよ」
 実際は、ダークマターなんて言葉を聞いたことあるぐらいの話でしかない。ただ、人類が存在しているかもしれないと仮定しているだけの物質ではなかっただろうか。
「人間がダークマターなんて知っているわけないでしょ。そもそも食べ物じゃないし。人間が使う原始的なやり方も役には立つのだけれど、相手もそこは熟知しているみたいで、まるで尻尾がつかめなかったから、いろいろ他の手段を使っているの。それでいくらかクリームがいそうな場所も絞れてきたのだけど、決定打がないのよ」
 シキは、ダークマターの分布を見て、心臓がドクンと鼓動を打つのを感じた。
「さすがに見れば分かると思うけど、黒い煙みたいなのが集中している部分がクリームのいそうな候補ね。一匹の猫の個体がもつダークマターは人間の指紋みたいなもので、それが示す波動ははっきりと区別できるのだけど、どうも敵はそれすら察知して妨害してきているみたい。これじゃあどれがクリームだか分からないのよ」
 マフユは唇を噛みながら悔しそうに言った。
「ああ、もうマフユは仕方ないなあ。私もとりあえずしらみつぶしにあたってみるよ」
 横から覗いていたナツミもダークマターの分布を確認した。
「そうね。原始的なやり方だけど今はそれしかないかも。相手もこちらの探索に気づいているみたいだし、どれ程危険な奴かわからないから気をつけてね」
 マフユは少し思案した後、ナツミに言った。
「了解。そっちも十分気を付けてね。クリームが見つかったらすぐ連絡ちょうだい」
 そう言うと、ナツミは一番近くのダークマターの反応があった方向に向かってもの凄い勢いで走り始めた。そのスピードたるや、シキが今まで目視した物体の中では一番速いのではないかと思うほどのものだった。
特に最初の瞬発力が半端じゃなかった。ちょっと力を溜めていたかと思うと、次の瞬間には体が動き始めてあっというまにトップスピードで走り始めた。そのあまりのスピードにシキが驚いている間に、ナツミは最短距離で行こうとすると邪魔になる家を軽々と飛び越して、あっという間に彼方へと行ってしまった。
「今からシキもあの動きについてきてもらうのだから、そんなに呆然としないの。あんなのでびびってたらすぐ死んじゃうよ?」
 マフユは呆れながらシキに忠告した。シキはぽかーんとナツミが飛んでいった先を眺めていたが、急にひらめくものがあった。
「そうだ、万一に備えて、クリームには個体識別用のマイクロチップが埋め込んであるんだけど、もしかしてそのタブレットを使えば、マイクロチップで探索できるんじゃないか?」
 マイクロチップが埋め込んであるのはあくまで個体識別用のためであって、無線を発信しているわけではないのだが、ダークマターなんぞが見られる装置を使えばそんなのは朝飯前ではないかと、シキは思ったのだ。
「あのねえ。さっきも言ったけど人間でも分かる情報なら調べたって言ったでしょ。マイクロチップなんて。ぷっ」
 マフユはそう言うと、言葉を詰まらせて吹き出してしまった。
「あはは、あんなもの体に埋め込まれちゃうんじゃ、人絶縁派だって出ちゃうよね。私、猫だけど猫に同情しちゃうわ。そんなもの相手も分かっているから、マイクロチップからじゃ何も情報は得られないわ」
 マフユはようやく笑いが収まると冷静に言った。
「マフユ、さっき見せてくれたダークマターの分布の画面をもう一回見せてくれないか」
 シキはなんとかクリームの行方を見つけ出そうと必死だった。
「いいけど、さっき以上の情報なんてないわよ。反応のどれかは間違いなくクリームを示すんだけどね」
 シキは先程ちらっと見せてもらった時とは比べ物にならないくらい凝視した。すると、さっき以上に心臓が脈打つのを感じた。この感覚がなんなのかシキにも理解できなかったが、とにかくクリームの行方を見つけたかった。
「他の情報も見せてもらえる?」
 シキはマフユにきつい口調で催促した。
「いいけど、何も分からないでしょう? 何か見て分かることでもあったの?」
 マフユは、いぶかしげな表情で渋々応じた。
「確かに、見ても何も分からないけど、何かわかるような気がするんだ。何か感じるって言うのかな。上手く説明することができないんだけどとにかく見せてよ」
「感じる。ねえ? 私がそんなもの信用していないから、こうやって情報を集めまくって真実をつかもうとしているのに、感性だけでクリームを見つけようって言うの?」
「そうだよ。ダークマターなんて聞いたことすらないし、僕にはそれしか頼るものがないんだからしょうがないだろう」
 シキはタブレットに映る情報を見てもほとんど何もわからなかったが、クリームを見つけたいと必死に願う思いだけは確かにあった。
「馬鹿馬鹿しい。そんなんだからあなた達は私にゲームで勝てないのよ。世の中の事情は全部理屈で説明できるの」
 この言い方から想像するに、世界一のゲーマーの可能性のあるゼロは、理屈中心で物事を考えられる猫さんのようだった。もし、この考え方でゲームも支配しているのだとしたら凄まじすぎる。運要素も絡めてゲームを考えているシキの理解を、マフユは完全に超えている存在だった。
 マフユはそんな風に言いながらも、シキにいろいろな情報を教えてくれた。どこから撮ったのかすら分からないが、上空から撮った画像や、周囲の熱の分布、細かい気圧配置などの一応人間が分かる情報から、魚配置、ねずみ配置、へび配置などの一体どこからでてきたのか分からない猫さん特有の情報まで様々だった。シキは新しい情報を見るごとに意識が覚醒していくのを感じた。
「それで、シキは何かわかったのかな? 私には見返しても、特に新しい情報は見つけられなかったんだけど」
 マフユは自分が何も見つけられないのに、シキが何かを見つけられるはずがないと確信している様子で、シキに挑発的に言った。
「確かに何も分からなったよ」
 シキはタブレットに映る情報の説明を聞きながらうんうんと頷いたり、適当に相槌を打ったりしていたが、結局ほとんど何も理解すらできていなかった。こんな状態ではクリームの居場所なんて分かるはずがない。
 マフユもそれを理解していたようで、最初はマフユにしては、はりきって説明しているように見えたが、新しい情報をシキに見せるごとに、マフユのテンションが段々と下がっていくのがはっきりとシキにも分かっていた。
「ほらね。いいから私に任せときなさい」
 マフユはため息をついて改めてクリームを探そうとした。
「もう一回、ダークマターの分布を見せてよ」
 シキは確かに何もわからなかったのだが、また何かもやもやとするものが頭にあった。
「もう散々見たでしょう? さっきから何も変わってないって」
 マフユはうんざりしたように言った。それでも画面を切り替えてくれたが、確かにダークマターの分布は先程とほとんど変わってないようだ。そもそも、シキにはさっきとの違いや映像が何を示していているのかはっきりと理解できるものはなかった。
 しかし、さっきまでと違って、ダークマターが濃いと思われる箇所の一つにシキの目は釘付けになる。
 全身の血が熱くなるのを感じる。
 何に導かれたのかシキの手がその箇所に向かって自然と伸びる。
「ちょっと、勝手に触ろうとしないでよ」
 マフユの静止も間に合わず、シキの指先がマフユのタブレットに触れた。その瞬間、シキの指先から電流が流れたかのような感覚が走り、タブレットが激しく光り始めた。
「にゃあああ。なにこれは!」
 今まで、驚きの表情など一度も見せることがなかったマフユが、激しく動揺していた。自分のタブレットが突然、意味不明な動きを始めたらそりゃあこうなるだろう。シキもこの事態には驚かされた。
タブレットは数秒間激しい発光を見せた後、思いもかけない情報をシキ達に見せた。そこには、何者かの腕の中で気を失っているクリームの動画が映し出されていた。さらに、場所を示すであろう点が、さっきシキが触った箇所にはっきりと示されていた。
「クリーム!」
 タブレットには連れ去られているクリームの映像が出ていた。映像のインパクトは凄まじく、シキは激しく動揺させられた。
「まさか、これは!」
 動揺していたマフユが我に返ると、突然何かに気づいたようだった。
「この映像がクリームの現状なの?」
 突然出たこの映像がクリームの今なのかはっきり分からず、シキはマフユに聞いた。
「そうよ」
 マフユは短く答えた。
「じゃあ、早く助けに行かなくちゃ」
「もちろん、今すぐ行くよ」
 マフユはタブレットを少し操作すると、ハンズフリーの電話のように使い始めた。
「ナツミ! 聞こえる?」
 ナツミはすぐに応答した。
「もしもし、マフユ。聞こえているよ。こっちは二か所調べ終わったのだけど、どっちも空振りだった。そっちはどう?」
「クリームの居場所がわかったわ。さっきのダークマターの反応の一つ、そっちにデータ転送しているからすぐ来て」
「あんなにさっぱりだったのに、もう見つかったの? 分かった。すぐそっちに行くわ」
 プツッ。
 会話が終わるとすぐに通信が切れたような音がした。
「これで、ナツミもすぐ追いついてくれるわ。じゃあ、私達も行くわよ」
 マフユはその場にしゃがみ込んで、静止した。
 シキには妙なデジャブ感があり、その場に静止したまま固まっていた。
「何やっているの? 早く乗りなさいよ」
 マフユはシキが動かないと見ると、イライラした口調でシキに促した。
「もしかして、またおんぶしてもらうんですか?」
 さっきのジャンプを思い出して、何故かシキは丁寧に聞いた。
「はあ? 今更何言っているの? さっき覚悟が決まったようなこと言っておいて、じゃあここに置いていこうか? さっさと乗れ」
 シキが戸惑っているのを見たマフユは、強引にシキを背中に乗せると、さっきと同様に力を溜めるような動作をした。
「ちょっと待って! まだ心の準備が「よーいどん」」
 シキのセリフは途中で、マフユの合図にかき消された。同時に、信じられないほどの水平方向のGがシキに襲いかかった。

 マフユが動き始めてすぐに、シキはさっきの大ジャンプが序の口だったと思い知らされた。マフユは周りの車がただの一閃としか捉えられないような速さで駆け回り、そこら辺の建物をまるでハードルのように平気で飛び越える。
 さっき、ナツミが駆け出すのを見ていたシキは、こんな風になるのではないかと嫌な予感がしていたのだが、シキ自身も驚いたことにほとんど恐怖感は沸き起こらなかった。
 シキは常識外れの速さがもたらす様々な物理現象に心地良さすら感じていた。シキの体を横切る風を爽快に感じ、風を切る音は心地良いメロディーに聞こえた。今ならなんでもできそうな気がする。そんな根拠のない自信すらシキには出てくるほどだった。
猫さんは普段からこんな感覚を味わっているのだろうか。シキはのんびりしている猫さんのほうが、活発的に活動している猫さんより好みだったが、価値観が変わりそうなほどのショックがあった。
「さっきの大ジャンプでは絶叫していたのに、今度は随分と落ち着いているのね。もうこの動きに慣れたの?」
 マフユはダッシュで飛び回りながらも首だけ上方向に思い切り傾げながら、興味あるのかないのかよくわからない抑揚の無い声でシキに聞いた。
「さっきは突然のことでびっくりしたけど、こんな動き人生初めてでさ。すごいよ!」
 シキは興奮しながら追い風に負けないような大声で応えた。マフユの疾走がもたらす逆風で声が震えて伝わるような感覚も不思議なものだ。
「こんな重い荷物背負っていたら、私は普段の力の半分も出せないのだけどシキが楽しそうならよかった」
 そう言うとマフユは、ちょっとだけ笑顔を見せた。
「これで半分の力って全力をだしたらどうなっちゃうの?」
「そんなことしたら、シキじゃあっという間に死んじゃうよ。全力、出してみようか?」
「じゃあ半分の力でお願いします」
 のんべんだらりと暮らしながら死んでいくくらいなら、最高の感動の味わいを味わいながら死ぬのも悪くないと少しは考えているシキではあるが、この瞬間にそこまでする気にはなれないのでやんわりと断った。
「とは言っても、シキが乗っているせいで半分の力も出せないのだから、これが今出せる全速力なんだよねえ」
「重い荷物を背負わせちゃって、ごめんなさい」
 どう見ても体形的に上下が逆のおんぶをするだけでも凄まじいのに、その上でこれだけの動きをしているのだからさすがのマフユも限界らしい。シキは申し訳ない気持ちになって謝った。
「いいのいいの。絵面的にはアウトかもしれにゃいけど、逮捕されるならシキだろうし私は気にならないね。それに案外、私が全力を出せたとしても、シキなら耐えられるかもしれないよ」
 マフユはシキの重さなど大して苦にしていないようだった。
「全力を出したら僕は死ぬ。さっきマフユが言っていたのに、耐えられるかもしれないってどういうことだよ? はっきり矛盾することを言っているけど、マフユらしく、いやゼロらしくないんじゃないか?」
 シキの知るマフユは、理屈で百パーセント物事を解釈する最強のゲーマー、ゼロだ。そのマフユが不確定の要素が前提にあるような話をするのはおかしい。
「そうでもないよ。人間が考えたゲームで、相手が人間なら百パーセント理詰めで解けるけどさ。そこまででしょ。さらに上を目指そうとするならそれだけじゃ足りないじゃん。だから、常に不確定な要素も考慮しているんだよ」
「なんか随分印象と違う話だなあ」
「ぱっと見の印象だけで物事、話したってしょうがないでしょう。確かに、シキとかみたいな人間とゲームするときは、そこまでする必要もないんだけどね」
 突然、シキを疾風が襲った。
 ずっと高速で移動していた間、シキ達を逆風が襲っていたのだが、新幹線がホームを通過するときに感じる横風のさらに強烈な衝撃にシキは思わず面食らった。
「やっと追いついたあ。お待たせ」
 シキが目を開けるとマフユ達の横をナツミが軽々と並走していた。マフユが半分の力しか出せていないというのは、本当らしくナツミはスキップ混じりの足取りだった。
「それで、どうやってクリームを見つけたの? あんなに手間取っていたのに?」
 ナツミは、息一つ荒げる様子もなくマフユ達に聞いた。
「どうやったんだろうね? 私にも分からないよ」
 するとシキにも予想外の一言がマフユから飛び出した。シキにはそれは明らかに思えた。マフユが持っているタブレットが情報を示したのだから、そういう目的の位置を見つけ出す機能を備えたタブレットだったというそれだけのことじゃないのだろうか?
「マフユにも分からない? そんなことがあるわけ?」
 ナツミもシキと同じくびっくり仰天という感じだった。
「そりゃあ、あるわよ。大体、クリームを見つけたのはシキなんだから」
「ええ!? シキが見つけたの?」
 ナツミがさらに驚く。
 シキも驚かされたが、驚かされるというよりは面食らった。
 シキはマフユが操作するタブレットを見ていただけで、何もしていないのだからシキはクリームを助ける役に何もたたなかったのだ。猫の手も借りたいということわざがあるが、むしろ猫さんの手しか使わずにクリームを見つけたのだからシキの立つ瀬がない。
「何言っているんだよ。マフユがクリームを見つけたんじゃないか」
「しつこいなあ。私が見つけたんじゃないって言っているでしょ」
 マフユはどうにも釈然としないようで、若干いらいらしながら言った。
「でも明らかじゃないか? あのタブレットが情報を示したんだから、そういう機能を備えていたんじゃないの? いろいろな情報を統合して自動的にクリームの場所を示してくれたとかそういうことなんじゃないの?」
 シキは特になんの疑問も持たず明確であろうことを聞いた。マフユは特に様子も変わらずシキの話を聞いていたが、ナツミは非常に驚いたようで呆然としていた。
「何も知らない貴方から見たらそう見えるかもしれないわね」
「シキは、にゃんフォンに何かしたの?」
 ナツミはマフユに尋ねた。あのタブレットはにゃんフォンと言うらしい。
「何をしたんだろうね? 私はシキににゃんフォンが出したクリームの手がかりをいくつか見せただけ。そして、シキがにゃんフォンに触れたら突然にゃんフォンが輝きだして、クリームの現状をあっさりと示してくれた。今、分かっている事実はそれだけで、私にはなんでそうなったのか分からない。シキは絶対に私達以上に何をやって、何を起こしたのか理解していない。無意識でやったんだろうね」
「分からないってどういうことだよ」
 こんなことはシキがナツミ達に会って初めてだった。シキがナツミ達の言っていることが理解できずに置いてきぼりを食らうことは多々あったが、シキがやっていることをナツミ達が理解できないなんてことはなかった。マフユの言う通り、シキ自身も何をやったのかさっぱりわからなかったのだが、何をしたというのだろう。
「文字通り、シキがにゃんフォンに何をしたのか分からないってこと。あのにゃんフォンは私が開発したスーパータブレットだけど、あんな機能を付けた覚えはないのよ」
「なんだって!?」
 あんな機械をこんな見た目小学生の女の子が作ったとは、シキには到底信じられなかった。いや、あのゼロだと考えれば不可能を可能にしてしまってもおかしくはない。
 しかし、作った本人が知らない機能があるとはどういうわけだろう。昨今の人間が作っている機械は複雑になりすぎて、全機能を掌握している人間なんか実は一人もいないのに動いている機械が山ほどある。にゃんフォンもそういう類のもので、マフユも一部の機能を作っただけということなのだろうか。
「なんだって!? はこっちのセリフよ。どうやって、シキは、クリームの居場所を出したの?」
「どうやって? あの情報は勝手ににゃんフォンが導き出してくれたんじゃないの? あの時、僕はにゃんフォンに触っただけで他に何もしていないよ」
 本当にシキがクリームの情報を見つけたらしいが、シキには心当たりは全くなかった。
「このにゃんフォンは私が一から十まで仕込んだ傑作で、私は組み込んだ機能を全部知っている。シキに見せたダークマターの分布とか、クリームへの手がかりを示したアプリは全部私も慣れ親しんだものだったよ。だけどさ、クリームの居場所と状況を出したあの画面は私にも全く覚えがないもので、にゃんフォンにプリインストールされているものじゃないのよ」
 文章だけ見たらこれが小学生の発言だと誰が信じるだろうか。マフユは淡々と説明する。
「でも実は、このにゃんフォンには不確定要素を設計思想にかなり取り入れているんだよね。詳しい説明は省くけど、端的に言えば、自己学習機能と自己開発機能を備えていて、ユーザーの使い方によって必要である機能を自ら学習して生み出すことが出来るように作ってあるの。元々あるスペックだけでも人間の技術力くらいははるかに越えているけど、この自己学習機能がこのにゃんフォンの目玉」
 マフユは、自分のにゃんフォンをシキに見せながら自慢げだ。
「じゃあ、その自己学習機能でにゃんフォンが、新たにクリームの状況を示す機能を作り出したってことなの?」
 シキは一応、概略だけは理解してマフユに聞いた。
「確かに私もそういう解釈しかできないわね。でもね、いくら自己学習機能が付いているって言っても、一瞬で必要な機能を作り出せるほど、凄まじい学習能力はにゃんフォンにはないわ。にゃんフォンの性能をいくら高めてもやっぱ自分で考えさせるのは難しくてね。そんな短期間で何かを作り上げることはできないはず」
 マフユは少し考え込む。
「それにクリームの居場所を見つけ出す時ににゃんフォンが輝きだしたでしょう。今まで持ち主に応じていろいろ変化するにゃんフォンを見たけど、あんな風に光輝くのは初めて見たわ。考えられることがあるとすれば、やっぱりあの時シキが何かしたの」
 マフユはいぶかしげにシキをにらみつけた。
「さすが、シキ。やればできると思っていたよ」
 ナツミは感心したようだ。
「ナツミは私がいらいらしているのが面白いだけでしょ」
 マフユはさらにいらいらしているようだった。
「確かにそれもあるけど、素直にシキに驚いたんだよ。そりゃあ今まで見たこともないくらいのとんでもない猫キチだし、常人じゃできないことができてもおかしくないって!」
「でも、本当にあの時何をしたのかわからないよ」
 あの時、シキはただクリームを見つけたい一心で、にゃんフォンになんとか一縷の望みを託していただけだ。
「だからマフユも言っているでしょ。不確定要素もあるんだって」
 ナツミは、特に分からずに納得しているようだった。
「そういうことよ」
 マフユもひとまずは納得したようだった。
「ところで、クリームにはまだ追いつけそうにないの?」
 もうシキ達は随分と長い距離を移動してきてはいたが、未だに追いつけないのがシキの不安を煽った。
「それが、どうも向こうも気づいたらしくて、私達から逃げ始めたのよ。あっちも動けないクリームを連れているはずだし足はそんなに速くないんだけど、こっちも誰かさんみたいなお荷物を背負っているせいで、まったく距離が詰められないの」
 マフユの一言に、誰かさんはとても気が沈んだ。
「あらら、それは困ったね」
 ナツミも同調する。
「クリームに追いつけなきゃなんともならないんだから、僕を置いてきぼりにしてでもクリームを全力で追いかけてくれないか。そうすれば、二人なら追いつけるでしょ。それにこの道中ではっきり気づかされたけど、僕じゃとても力になれないよ。なんとか二人で、クリームを助けて家に連れて帰ってきてよ」
 いくらクリームを助けたいとシキが願っても、この戦いの足手まといになるであろうことはもう十分に理解できた。そして、この二人ならクリームを助けてくれるであろうことも確信がもてた。だから、シキは最善の選択として自分は戦いを離脱することを選んだ。
「なによ。舌の根も乾かないうちからもう降りようっていうの? シキ」
 ナツミはからかうように言った。だが、シキの決心は変わらずうなずく。
「降ろしてくれよ。マフユ。僕を置いて、二人が全力を出せばすぐ追いつけるだろう」
「確かにそうね」
「でも残念。私達はシキも連れていくって決めたんだから、今更置いてきぼりになんかしてあげない」
 ナツミは笑顔でシキに言う。そういうイタズラな笑顔はマフユの専売特許ではなかったのだろうか。なんで足手まといだと自分で認めたシキをナツミは連れて行きたがるのか、シキには理解不能だ。
「でもそれじゃあ、いつまでたってもクリームに追いつけないだろう。僕を連れていってクリームをどうやって助けるんだよ」
 シキは再度、ナツミ達に言った。
「シキをここに置いてきぼりにすることは、私も絶対にしないけど、このままじゃクリームに追いつけないのも確かだね。ナツミどうする? ナツミだけでも先に行かせて足止めだけしてもらって、私達が後で合流するのがいい手かと私は思うんだけどどうかな?」
「確かにそれもいい手だけどその必要はないにゃ」
 二人揃って断固としてシキも連れていくつもりのようだが、二人の意見は少し違った。マフユはナツミを先行させて、ナツミはシキも一緒に連れていくような考えのようだ。マフユの案なら、ナツミ一人で相手の足止めができるならという前提ではあるが、シキ達も後追いで追いつけるだろう。
 しかしナツミは、シキを連れていては追いつけないのに全員一緒に行こうと考えているらしい。ナツミでは足止めできる自信がないほど危険な相手ということだろうか。
「まさか、あんた足止めもできないほど怖気ついているの?」
 マフユも同様の想いを抱いたらしく、ナツミに鋭く指摘した。
「いくらなんでも足止めくらいはできる自信はあるよ。でも万が一ってこともあるよ。大体、クリームの居場所が分かったと言っても、さらった奴らの正体は何も分かってないんでしょう。それなら無鉄砲に突っ込む意味はないにゃん」
 ナツミは、自分の案に確信を持っている様子で、自信たっぷりに言った。
「確かにその通りだけど、それじゃあ突っ込むことすらできないって言っているの!」
 マフユはナツミに一番の問題を指摘した。
「それはマフユがシキを背負っているからでしょ? シキにも一緒に走ってもらえばいいんだよ」
 ナツミはそんなことは当然だろうという風に言った。
「そんなことできるわけないだろう! ナツミ達のスピードに付いていくことなんて絶対できないよ。人間の全力をどれくらいだと思っているの?」
 この子達のスピードなら、世界最速の人間でも余裕で置いてきぼりだ。
「普通の人間と普通の状況なら当然無理だよ。私達もそれくらい分かっているって」
 ナツミは極めて冷静だった。
「僕も普通の人間だよ」
 状況は全然普通じゃないけど。
「いいや、シキは普通じゃないよ。シキほどの猫キチを私達は初めて見たわ。それに、にゃんフォンだって普通の人間には、使うことすらできないんだよ」
 猫キチは知り合いにもよく言われていたし、ナツミ達にもそう思われていることは分かっていたので特に気にならなかった。むしろ嬉しさすら感じた。しかし、にゃんフォンが普通の人間には使えないとはどういうことだろう?
「確かにね。そういうことか。にゃんダフルシューズをシキに使わせようってことね」
 シキより百倍は状況を理解しているマフユは、瞬時にナツミの案を把握したようだ。
「ご名答。さすがマフユ。頭の回転が速くて助かるねえ。で、シキは分かった?」
 シキが分かっていないことを、明らかに分かっている様子でナツミはシキに聞いた。
「さっぱり分からなかったけど、この靴には何か秘密があるのかな? それでなんとかしようってこと?」
 シキに文脈から推測できるのはこれくらいだった。
「予想以上に伝わって驚いたよ」
 ナツミは驚いているのか、冷やかしているのか、よくわからなかった。
「にゃんダフルシューズは、人型になった猫が猫の運動能力をフルに発揮できるように私が開発した靴でさ。猫の動きをリアルにイメージできないと使いこなすことができないような設計になっているの。猫ならそんなこと簡単にイメージできるのだから、どんな猫でも使いこなせるよ。でも、人間がどんなに猫の動きをイメージしたとしても、大体その想像は実際の猫の動きとは乖離したものになってしまうから、こんなのただのかわいい靴に成り下がってしまうわけよ。逆に言えば、イメージ次第でこの靴の可能性も無限にあるんだけどね」
 さっきシキがにゃんフォンの予想されていなかった機能を作り出したのと似たような理屈だろうか?
「それで、このにゃんダフルシューズを使って、ナツミ達と一緒に走れってことなの?」
 どうもナツミの考えはそういうことらしい。
「そうそう。シキもやっと私達の話についてこられるようになってきたね。その調子で私達について走ってきてね。シキにその靴を履かせたのはこのためなんだから。精一杯、猫のイメージをしてね」
 ナツミはそう言うと、マフユの背中からシキをひっぺがし始めた。
「ちょ、ちょっと待って。まだ心の準備が」
 シキは慌てて抵抗した。
「もうそんな時間ないの。人間には、習うより慣れろって言葉があるでしょ」
「私は左手を握るから、マフユはシキの右手をしっかり握ってサポートしてあげてね」
「上手くいくといいけどね。降ろした瞬間吹っ飛ばなきゃいいけど」
 マフユの背中からシキが離される刹那、マフユは背筋の凍りそうなことを言った。シキはこうなったナツミ達を止めることは不可能だと身に染みていたので、堪忍してとにかく全力で猫さんの動きをイメージしながら、なんとか走ることをイメージしていた。
 マフユの背中から引っ剥がされた瞬間、シキは時間が止まったような感覚を覚えた。
 地面に足が着くまでの時間をとても長く感じる。
 その瞬間、自分はどうなってしまうのだろうか?
 あまりのスピードに耐えられず地面と激突してしまうのではないだろうか。
 地面にシキが足がぶつかる刹那、シキの両の手がそれぞれ強く握られるのを感じた。スローモーションで流れるシキの目線が二人の目線を確かに捉えた。
 想い起こされるのはあの愛すべきクリームが走る姿だ。
 今まで階段競争では一度も勝てたことがないシキだったが、負けたときでもシキの足元を駆けていくクリームを見るのはとても楽しかった。外出中のクリームのことが心配になって、シキが家の玄関先を開けて、それを察知したクリームがどこからともなく駆けてくるのを見ると、ほっとして気分が晴れた。
 今、ここでシキがついていくことができなければもうその姿を二度と見ることができないかもしれない。シキは人生で今までしたことがないほど集中して、クリームの走る姿をイメージした。
 人生で一番長く感じた一歩を踏み出した瞬間、またしてもシキを強烈な突風が襲う。
 マフユにおんぶされていた時とは比べ物にならないような速度でシキは走っている。先程も新幹線と同じくらいの速さはあったのではと思うが、今や音速の領域まで届こうかという速さだ。
 どうやってこんな速さで走っているのかシキ自身も分からなかったが、クリームのことをイメージすれば自然と常識外れな走りをにゃんダフルシューズが補助してくれているようだった。
「さっすが、猫キチ。いきなりそんな速さで走れるなんて、危うく私が置いて行かれるところだったよ」
 ナツミはシキの足がついた瞬間こそ一歩遅れたが、一歩先でシキを誘導しながらシキに振り向いて言った。
「地に着いた瞬間ミンチになるかもと思っていたけど、これならあっという間に追いつくよ。準備はいいシキ?」
 相変わらず毒舌のマフユはシキとほぼ横一線で走りながら、恐ろしいことを言った。もし走れなかったら、新幹線から飛び降りたのと同じような惨劇が引き起こされたのかと思うとぞっとする。だが、このぞっとする感覚はたぶん別のところから来たものだろう。
「これが、本当の猫の世界か! すごいよ!」
 シキは音速の世界がもたらす非常識な感覚と、クリームを思う気持ちで異常に気分が高まっていくのを感じた。
「すぐ着くから待っていろよ。クリーム」
 シキ達は、猫さん好きの聖地。猫拝山の方へと風を切りながら駆ける。
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