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1話  開園

 この話は基本、知華の視点で進みます。一応チェックはしているのですが、誤字や脱字、意味の履き違いなどがあれば、指摘していただくと助かります。


 キーンコーンカーンコーン、と教室に鳴り響く乾いた金属音のチャイム。

 六限の終了。この時を待ち望んでいだ人は、おそらくこの教室にいる人全員でしょう。なぜなら、明日からはゴールデンウィーク、私達は大連休を迎えるのだから。

 「今日はこれでおしまいだ。いい連休にしろよ。日直」

 「起立」


 日直が手短に礼を済ませると、一瞬で教室が喧騒に包まれる。明日からゴールデンウィークなので、一緒に旅行しようだの部活の大会頑張ろうだのそういう話で持ちきり。私もどうしようかと大連休の予定を考えながら帰宅する準備を進める。

 私は彼らの会話に加わる事はできない。本当は加わりたいけど、今日は放課後すぐに生徒会室で臨時の会議があるから。

 今日の授業で使った沢山の教科書やノートを(かばん)に詰め込むと、植物が(しお)れたような状態だった鞄は息を吹き返したようにパンパンに膨れた。

 「荷物の支度、いいわね」

 私は空西そらにし知華ちか。現在、私は田岐山(たきやま)高校の生徒会長を務めている三年生。私は性格だけが普通の女子生徒とよく言われる。逆に言えば、性格以外が普通じゃないという事になるけど、それは重々承知している。理由の一つとして、私の右目ふるきずを覆う眼帯をしているから。

 「じゃあな、眼帯会長」

 男三人グループの一人が手を挙げ、爽やかな笑顔で私に声をかけた。私も笑顔でそれに応える。

 「いい連休にしなさいよ」

 彼が言う眼帯会長とは全校生徒の大半が使っている私への愛称。皮肉に感じそうになるけれど、そんな事は決してない。ただ、私は別に嫌いではないけど、できたら別の呼び方にしてほしいと思う。

 「おいおい。それ、先生のパクリじゃん。んじゃな」

 彼は再びグループの中に混じり、教室を出て行った。

 さて、私もそろそろ生徒会室に行かないと。他の役員を待たせるのは悪いから。

 「ねぇねぇ、知華ちゃん」

 急いでる私の隣で子供のような無邪気で明るい声で話かける一人の女子生徒が私の肩をぽんぽんと叩く。

 「ん?どうしたの、はるちゃん?」

 その子は髪を山吹色に染め上げ、子供っぽい丸いプラスチックの髪留めで両端を結っている。目もくりくりしていて、とても可愛らしい子だった。

 彼女は永里ながさと晴香はるか。たまに羨ましくなるほど快活で、理性の欠片もないハイテンションな私の友達。うるさいとよく思う事は秘密。

 ふと視線を下へ向けると、彼女が両手に手提げ型の紙袋を持っている事に気付いた。

 「ところで、はるちゃんが持ってるその紙袋は何?」

 それを指差しながら私は訊いた。紙袋にははるちゃんが大好きのハンバーガーショップ、ナクドマルドのプリント。だけど、ハンバーガー独特の匂いがしないので、袋の中身が少し気になった。

 「そうそう、これなんだよ。はい、今まで借りてたノートを今返します!」

 はるちゃんはにっこりと笑みを浮かべながらドンッと私の鞄の隣に紙袋を置く。音から察して結構重量がありそうだけど、そんなに貸してたっけ?それにどうして今日返すの?

 いくつか疑問に思いながらも入っていた一冊のノートを取り出す。表紙の隅っこが少し破れていた事が気になったけど、とりあえず開いてみる。

 「世界史のノート……これって一年の時に貸したノートよね?」

 「あははは……そうだったかも」

 頭の後ろに手をやり、ぽりぽりと掻く仕草をするはるちゃん。

 「それに、日に焼けて結構変色したみたいね」

 「すっかり日向の場所に放置してました!」

 どこからともなく何故かサングラスを取り出し、それをすちゃっとかける。すごく似合ってなかった。

 「しかも、随分落書きしたわね。諭吉に英世に一葉」

 しかも人物が日本史。

 「さて、その三人の共通点は何でしょう?」

 「紙幣」

 「ばっさり斬られた!?でも当たり!」

 何故か嬉しそうにグッと親指を立てる。彼女に反省する気なんて微塵もなさそうだった。ちょっとお仕置きが必要と思い、私はあるクラスメートの子を呼ぶ。

 「せんちゃーん。まだ残ってるー?」

 「いるわよー。晴香の後ろに」

 後半はトーンを落とした声の主がひょいとはるちゃんの背後から現れた。背中まで届く黒い髪に黒縁の眼鏡をした少し小柄な女の子。頭につけた黄と黒の縦縞カチューシャがおしゃれで可愛らしい。

 彼女は大木下おきした千里ちさと。冷静に物事を考えられて頼りになる、はるちゃんとは真逆の性格をした私の友達。凛としていて理性的だけど、背の低さを気にする可愛らしい一面もある。

 「うわ、びっくりした」

 突然のせんちゃんの登場に、はるちゃんは彼女から一歩間をとる。

 私の目論見に勘付いたみたいだけど、時既に遅し。私はさっとはるちゃんの後ろに回り込み、素早く彼女を羽交い締めにする。

 「あ、あの……これってやっぱりあれですか、知華様?」

 「そう、恒例のあれよ」

 顔だけこちらに向けるはるちゃんににやりと含み笑いを返す。

 「じゃあ、後は頼むわよ、せんちゃん」

 「ふふふ……了解」

 にやりとほくそ笑みながら私達の方に歩み寄るせんちゃん。その片手には数メートルはあるロープが握られている。

 「おい、またあの晴香弄りが始まりそうだぞ」

 一人の男子生徒が声をあげると、まだ教室に残っていたみんなの期待を込めた視線が集まる。彼の言う晴香弄りは既に学校の見せ物となっている為、これを楽しみにしている生徒もいたりする。

 「今回はロープで何をするのかな?」

 「むちにして叩くんじゃねぇの?」

 好奇心旺盛な一部の生徒は私達の近くまで寄って見物する。

 「ちょ、ちょっと!見てないで助けてよ!」

 必死に野次馬へ助けを求めるはるちゃんだけど、彼らは嫌だと言わんばかりにそっぽを向く。

 「はいはい。やかまし娘には口にガムテープ」

 パシッと華麗にガムテープを貼り付けた。この晴香弄りの手始めに対し、野次馬が驚きの声を漏らす。

 一見、いじめにしか見えないこの晴香弄り。信じられないかもしれないけど、実は本人の了承を得た上で行っている私達の友情を示す遊びみたいなもの。最初は嫌がるはるちゃんだけど、痛みを与えていくと徐々に快感を覚えて気持ちいいの、と昔に本人が変態宣言をしていた。私はサンドバッグと思って遠慮なくやってもいいよ、と私も最初は戸惑った迷言も残している。

 言い換えれば、晴香弄りは彼女自身からの欲求であり、それに私達が時々答えてあげている。……生徒会長としてこの行為はどうなのか、とよく思うけど。

 「ふふふ……さあ、次は手の自由をこのロープで奪うわよ」

 知華、拘束お疲れ、と付け加えながら、せんちゃんは片目ウインクを飛ばす。それを合図に、私は羽交い締めをやめた。その刹那、せんちゃんの手がぶれて見えるほど素早くはるちゃんの両手を縛り上げた。 「晴香。逃がさないわよ……貴女に自由な時間は無いのよ」

 口の端が吊り上がるせんちゃん。一方、はるちゃんは……猫が気持ちよくごろごろ寝転がるような顔で快感を覚え始めた様子だった。

 「……相変わらずね、この光景」

 晴香弄りを始めて二年弱。容赦なく着々と晴香弄りを行うせんちゃんに対し、私は今でも晴香弄りに抵抗がある。これ以上見ると私の気分が悪くなってくる。いや、すでに悪くなっているので、窓から見える景色に目を落とす事にした。野次馬の喝采もできる限り流すに努める。

 校舎の最上階、四階からのそれは茜色に照らされたグラウンドを掛け声と共に走る沢山の部員の姿があった。そして、その奥には硝子がらす張りやコンクリートなど大小様々なビルが私に立ちはだかるように林立している。これが中学生の頃まで見ていた景色だった。

 でも、今は違う。部員は以前より大きく減り、ビルのような空を遮る都会的な建物が一つもない。田畑と用水路が並び、その奥には白い雪がまだ残る山脈がある田舎な風景。東京には少なかった緑が嫌なほど無数にある。この光景を見ると、私は帰って来たんだ、と懐かしい感慨に浸れる。

 「……この村も相変わらず田舎よね」

 そう、ここは東京ではない。流行に流されない穏やかな私の故郷、田岐山村。事故に遭い、オッドアイになった私は苛められたなど、苦い過去が染みついた場所。でも、今の私はそれすらも懐かしいわね、と笑顔で振り返る事ができる。あの子のお陰で。

 ふと頭の中にその子を思い描いた時、唐突にそれは起きた。意識が朦朧もうろうとし、外の景色がぐにゃりと歪む。熱で溶かされていく鉄のように。傍らの晴香弄りで盛り上がる喝采も遠く、聞き取るのが困難。

 体勢を崩すな、と脳がすぐに命令する。足に力を籠め、倒れる事は何とか回避ができたと安堵する。そして同時に、私は見た。

 未来を……。今という世界から私だけが隔絶され、未来という世界に引き込まれる常識では考えられない事が起きたのだった。


 私が見る未来予知とは毎回必ずけて見える古い映像のようなもの。頻度はさほど高くないけど、不規則で唐突に予兆、意識の朦朧が起きてからそれを見てしまう。そして、見た内容通りの事が必ず後で起きてしまう。

 勘の鋭い人は気付いたかもしれないけど、私の予知能力はある共通点がある。未来予知のほとんどは私にとって難儀で嫌なものが多い。初めて見た小学校の頃のクラスメートから苛めを受けるシーンを皮切りに雪崩に巻き込まれる同級生、東京ではナンパを押しかけられ嫌がる友達、エレベーターが突然停止し、その中に閉じ込められたお婆さんなど。まるで誰かがこのままだとこんな事が起きるよ、と警告している様な内容がほとんど。

 だから、私は未来なんて見たくない。けど、頭の中で強制的に再生させられる感じなので、抗う事さえ叶わない残酷で理不尽なこの能力。これが一生続くと思うと、気が重くなる。

 でも、今回は……嫌だけど何かが違う内容だった。

 学校の廊下を歩くやや小柄で大人しそうな女の子。その子を背後から追う、それだけだった。それだけだけど、私は一瞬でこの子は誰なのか、そしてこの先の内容がピーンと簡単に予想できた。

 早く終われ、と心の中で何度も呟く。でも、未来を見ている間は、全身が何か不思議な力で縛られている感覚があり、体を動かす事はできない。

 仕方なく、私はこの未来を見続ける。セミロングの髪を左側だけオレンジ色の紐状のリボンで結っている女の子。時折通り過ぎる生徒に目も呉れず、ただ歩く。そして、彼女はある場所で立ち止まった。

 そこは階段だった。私の予想通り。

 「お姉ちゃん……」

 声が小さくてよく聞こえなかったが、多分そう言ったと思う。

 その子が階段の最初の段差に足をかけた瞬間、未来の映像はそこで途切れた。


 ふと気が付けば、私はまたグラウンドの光景を見ていた。教室の喧騒はしーんと静まり、振り向けば誰も生徒一人もいなかった。

 未来予知を見ている間も時間は進む事は知っている。その間に残っていた生徒は教室を出て行ったのでしょう。教室の掛け時計は午後五時。生徒会の会議の時刻を三十分も回っていた。

 急ごう。私はそうとは思わず、教室の光景を……ぼんやりと眺めていた。

 茜色に染まった無人の教室、長く寂しく伸びた私や物の影。

 胸が少し苦しくなる。……お前は孤独な人間だ、そう無人の教室が囁いているような気がして。

 束縛される。教室の見えない、けど確かに暗い道へ誘惑する黒い雰囲気によって。この妙な恐怖感に、私は特に何も思わなかった。私の心は……無となったから。

 おいで……おいで……と黒の雰囲気が手招きしている気がする。私は……ただ―― 

 「……お姉ちゃん」

 その一声。今にも空気に溶けて消えてしまいそうなか弱いその声だけで私はハッと我に返り、教室の空気は一瞬で払拭された。と同時に、私はどくんと胸騒ぎを始める。嫌な予感が私の脳裏を掠め、さあぁと体温が下がる。

 私をそう呼ぶ人は世界中で一人だけ。声のする方、教室の出入り口へ瞬発的に振り向く。そこには美しい夕日の色味を帯びた一人の女の子が佇んでいた。呼吸を乱し、額にうっすら汗を浮かべながら。

 「はぁ…はぁ…せ、生徒会室に行かないの?」

 私と同じ紫がかったセミロングの髪。けど、右側をオレンジ色の紐状のリボンで結ってあるところは私と違う。華奢な体格とふっくらと子供のように丸みを帯びた可愛らしい顔立ち。そして、私より背丈の低い小さい体。

 未来予知で見た私の大切な妹、夢絵むえだった。病弱の妹が一人で。

 だから、私はすぐに気付いた。妹の異変に。

 「ば、馬鹿!息が上がってるわよ!!」

 「だ、大丈夫。……はぁ…階段ぐらい……げほっげほっ」

 一歩前へ踏み出したその瞬間、足下のバランスを崩した夢絵が前のめりになる。

 「危ない!」

 反射的に夢絵のフォローに入る。抱く形で彼女の体を受け止めるが、彼女の体温の熱さに私は驚かされた。大丈夫とは言えない風邪でもひいたような高熱だった。

 私はしばらくこの体勢を維持する事にした。溢れ出そうな涙を必死に堪えながら。

 夕日に暮れる教室は私達姉妹を優しく見守っていた。


 夢絵は幼い頃、突然倒れた事があった。すぐ救急車に運ばれ、大きな病院で検診する事になった。医師の話だと、原因は不明。筋力や病原体に対する免疫が格段に落ち、一人で生活するのは無理だ、といかりのように重く重く私達に告げた。

 治療方法も分からず、暫くリハビリに励む日々が続いた。その甲斐あって歩けるようになったけど、無茶はできない。ましてや、予知の内容のように夢絵一人で階段を上る事は危険、自殺行為だった。途中で意識を失う可能性が非常に高いので、誰か手助けする人が必要だと医師と親に何度も何度も聞かされた。

 しかし、夢絵には同級生で友達と呼べる人はいないらしい。だからいつも私が一階の夢絵の教室まで迎えに行くのに……。

 「無茶しないでよ。ホントに体が弱いんだから。ほら、私の椅子に座って」

 体温が徐々に平常に戻り始める。少し大人しくすればすぐに元通りになるのが救いだった。夢絵の回復が早いのか、そういう病なのかは分からないけど。

 「げほっ……ごめんなさい……お姉ちゃん」

 「今は喋らないの。ほら、鞄も」

 夢絵の肩にかけてあった紺色のボストンバッグ型の鞄を慎重に下ろす。私のと同じでパンパンに膨れたそれは、辞書が何冊も入っていると思わせるほど重かった。高校に入って結構無茶していたのね……。

 「……有難う、お姉ちゃん」

 夢絵は無理にうっすら微笑むと、私の椅子を引いてちょこんと腰を掛ける。顔色も倒れる前よりは大分良くなっているけど、動けばまた悪化するでしょうね。

 「これじゃあ、今日夢絵を生徒会室に連れて行くのはやめた方がいいわね。ここで休んでる?」

 「嫌だ」

 拗ねた子供のようにきっぱり即答された。

 夢絵はできるだけ私と居たがる姉として嬉しい一面がある。病弱というのが大きい理由だけど、本当はそれだけではないと私は思っている。思い当たる節もあるけど……深く詮索はしないでほしい。

 とにかく、私が生徒会室で会議で忙しい場合、夢絵は会議が終わるまでずっと片隅で読書するほど。その後で部活動に二人で顔を出して、一緒に下校する。

 これが私達姉妹の日常。私と夢絵は本当によく一緒に過ごしている。でも、今日はそれが難しそうで、それを夢絵はとても嫌がっていた。

 私は妹の身を案じて休むよう言っているのに……諦め半分で説得を試みる。

 「教室で安静にしてる?」

 「嫌だ」

 「Let’s rest awhile(しばらく休みましょう)」

 「嫌だ」

 ……溜息をつかずにはいれなかった。

 夢絵は意地っ張りだから自分から折れる事はないだろうし。かといって、今から生徒会室まで一緒に行くのは夢絵の体調が心配。

 何か代案でもないか、としばし黙考に耽ていると、ふと私は一つ案が浮かんだ。他の役員に少し迷惑がかかるけど……夢絵の病弱を理解している彼らなら理解してくれるでしょう。

 「もう、しょうがないわね」

 手に腰を当て、無意味に胸を張る私。心のどこかで、妹の前ではお姉さんっぽく振る舞いたいと思ったのかもしれない。

 「お姉ちゃん?」

 夢絵は不思議そうに首を傾げる。その仕草もなんか子供っぽく思える。

 そんな夢絵に、私はにっこり微笑んで言った。

 「分かったわよ、夢絵。役員を説得して、今日はここで会議をするから」

 「……うん!」

 夢絵も……にっこり笑顔で返してくれた。


 「さて、会議を始めるわよ」

 『はい!』

 数分経って、私の教室で異例の生徒会の会議が始まった。

 時間を大幅に過ぎた上に急遽会場の変更でみんな(いぶか)しむのでは、と思ったのだけれど、意外と素直に聞き受けてくれて良かったと心の中でほっと安堵する。会場変更の交渉の為に生徒会室に入ると、お茶飲んでお菓子撮つまんで……絵に描いたようなほのぼの風景が生徒会室で行われていたけど。

 その件はさて置き、本来の会場より書類が少ない教室での会議だけど、進行スピードは言うまでもなく高速。最初に些細な問題を話し合って、ドミノ倒しのように次々と解決させていく。テキパキ済ませて早く部室に行きたいというのが本心だけど。

 そして、本日最後の議題。これは学校の問題ではなく、村全体に関わる特殊な内容だった。

 「では最後に、配布したこの紙を出して」

 私はみんなに見えるよう一枚の紙を掲げる。大きな字で外国人入村規制について、紙にはそう書かれていた。

 みんなが紙を取り出した事を確認して、話を続ける。チラッと夢絵の方を見ると、本を閉じて例の紙を上下に目を動かしながらチェックしていた。彼女も興味があるみたいね。

 役員の方に向き直り、掲げた紙を指差しながら話を進める。

 「今日の新聞を読んだ人は分かると思うけど、昨日、外国人と思われる人物が村の許可なしに入村した らしいわ」

 田岐山村……そこはかつて、誰でもウェルカムな村だった。

 自然豊かなだけで、これといった観光名所もない普通の村なので、県外からの来訪者すらあまりいない。せめて、自然に興味がある人や、バードウォッチングなどで訪れる人が(しばしば)いる程度。

 少し脱線するけど、来訪者は「なんと素晴らしい自然なんだろう」と感嘆する人が多い。中には感動のあまり、泣き出す人もいるとか。自然のどこが素晴らしいのやら私はさっぱり理解できないけど。

 しかし、村のウェルカム状態は五年前で終幕となった。ここからは友達から聞いた話だけど、観光客である外国人の夫婦の行為が問題となったらしい。平気でポイ捨てして村や山の動物へ被害が出た。タバコの火を消さずに捨て、ある農家の畑が半焼する大惨事になったりもしたとか。勝手に植物を抜いて食べるだけでなく、自国に持ち帰るなど被害は深刻。マナーがなっていない、それ以前の問題だった。

 これに怒りを覚えた村の人たちは外国人を受け入れなくなり、規制まで作るという少し大袈裟な行動まで出た。その規制が紙に書かれている外国人入村規制という事。

 私はこの規制に反対の意志が強いのだけれど、村民は今でも規制に賛成してる方が圧倒的に多い。残念ながら、この問題はそう簡単には解決できないのが現状なのよね。

 「誰か、その外国人について何か目撃情報とかないかしら?些細な事でもいいわ」

 私の投げ掛けに対し役員は隣同士と訊き合って、場がそわそわし始める。何か気掛かりがありそうね。

 「俺ならありますよ」

 そんな中、そわそわ空気を一刀両断するようにさっと手を挙げた役員がいた。男子としてはやや小柄で縁なしの眼鏡。少しぼさぼさな髪型にも関わらずどこかエリートを思わせる風貌の持ち主、佐渡(さわたり)晃平(こうへい)君だった。

 最低な紹介の入り方だけど、実際成績は優秀ではなく、校内の生徒よりやや上なだけ。その割には言動が威圧的で傲慢な態度をとる周囲から浮いた人。いわゆる自信家という人間。まあ、この学校は全国模試の平均以下の学力の子がほとんどだけど。

 無礼な性格が影響して、生徒や教師からの評価は比較的悪い。何故生徒会に入選されたのか、と疑問を持つ生徒も多い。

 そんな軽蔑な目で見られているのに、彼の自信はどこから来るのか。実は彼、田岐山村の村長の孫であり、金持ち。役場から容易に情報を入手できるらしく、かなりの情報通でもある。自称だけど、この学校の生徒みんなのメアドと電話番号は掌握しているらしい。プライバシーの侵害で裁判に持ちかけてみようかしら?

 でもまあ、彼による悪戯はないし、根は真面目で仕事熱心だから気にしないけど。今回も貴重な情報を提供してくれると私は期待を寄せていた。ただ、どうしても一人称が俺と言うのにしっくりこな……って今はどうでもいいわね。

 余計な思考を首を振って追い払い、私は教室の黒板の前まで移動する。

 「じゃあ佐渡君、言って」

 「では。役場に来た村民から聞いた目撃情報なんですがね」

 立ち上がって眼鏡を持ち上げながら淡々と語り始める佐渡君。言動に皮肉が込められている気がするけど、無視。私の頭に怒りマークが浮かんでいるだろうけど、生徒会長として必死に抑えなきゃ駄目。役員もなんとか抑えてと心の中で祈った。

 「まず、身長は百四十前後――」

 「ちょっと待って!」

 即ツッコミを入れる。

 「なんだ、いきなり?心臓に悪いぞ」

 当の佐渡君は信じられないものを見たように目を丸くしていた。

 「いやいや、だって百四十前後って事はまだ子供でしょ!?」

 「ああ、なんでもそうらしい」

 さらりと当然のように語る彼。相変わらず腹が立ってくるけど怒っちゃ駄目!怒っちゃ駄目!!

 「ほ、本当に子供なの!?」

 私の場合、三十路を過ぎたちょっと悪顔な男性を想像していたのだけれど……って、私も失礼だった。

 「少なくとも、目撃者はそう言ってる」

 「ちょっと変よ、それ」

 私は納得いかず、反論を続ける。

 「常識的に考えてみてよ。どこに日本の田舎な村へ一人で来たがる外国の子供がいるのよ?」

 「お前だって眼帯なんかして……普通じゃ――」

 「何か言ったかしら、佐渡君?」

 「いえ、別に」

 途中からぼそぼそと呟く佐渡君にニコ~ッとあからさまな作り笑顔を向け、黙らせた。


 「えっと、みんなの意見を集約すると……」

 黒板に書かれた内容を再度確認する。

 身長は百四十前後。これは情報を持っていた他の役員も揃って言ってた事。

 髪は長い金髪で左右に結ったおさげ、ツインテールが特徴。正確な長さまでは分からなかったけど、腰まで届く長い髪に見えたらしい。この点で女の子と考えたけど、目立つ髪型だろうと思った。見つかるのも時間の問題でしょうね。

 服装は黒っぽいなにか。夜に見かけたので、詳しくは分からない。

 そして、荷物らしい物はなく手ぶらだった、と。

 一言で何か言うすると、これに尽きる。

 「……しんっじられない」

 私が板書したにもかかわらず、黒板に書かれた内容はあまりにも常識から逸脱したものだった。

 「まるで漫画の世界……」

 この会議を静聴していた夢絵も驚きの声を漏らす。

 だけど、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてるのは私達姉妹だけ。他の役員は可愛いのかなぁとか、何歳なんだろうと怪しい臭いが漂う妄想が膨らむ一方。なんだか、生徒会室が変態集会のような空気になっているような……。

 「眼帯をしている生徒が言っても説得力が――」

 「何か言ったかしら?」

 ニコ~ッ

 「いえ、何でも」

 余計な口を挟んだ佐渡君はサッと横に顔を逸らして、ずれた眼鏡をかけ直した。

 佐渡君のうざい呟きは置いとくとして、今の生徒会の空気をどう変えようか、そう考え始めた時だった。

 「あら、やってるわね」

 教室の入り口のドアが開く音。それとほぼ同時に凛とした女性の声が聞こえた。

 そちらへ目を向けると、赤みがかった長い黒髪でスーツを身に纏った容姿端麗な女性が開けたドアに(もた)れかけながらニヤニヤと笑っていた。

 「あっ、校長」

 威風堂々。その言葉が当て嵌まりそうで全く当て嵌まらない軽薄でお調子者。外見から推測すると相当若そうな我が田岐山高校の校長を務める二橋(ふたばし)雌衣(めい)校長がそこから楽しそうに役員達を見回していた。あまり顔は出さないけど、生徒会の顧問を兼ねている多忙な日々を送る人。

 校長は掴み所がなく、学校のお偉いさんなのに苦手意識を持つ生徒が過半数を占めている。私や夢絵もその過半数の方に入っているけど。

 なんとか友好的に振る舞おうと努力してはいるけど、彼女との関係は良くも悪くもない微妙なラインを並行しているのが現状。

 「何か御用ですか?」

 役員みんなが関わりたくないと顔に出ていたので、ここは生徒の代表である私が先陣を切る。すると校長は肩を落とし、滅入った様子で言う。

 「いやねぇ、生徒会室に行ってみればだ~れもいないじゃない。おかげで学校中を探し回ったわよ。ど ういう理由かは知らないけど、場所を変えるなら一声掛けてほしかったわ」

 「あっ、すみません」

 すっかり忘れていた。夢絵が心配で、それしか念頭になかったから。

 「別にいいのよ。それで早速訊くけど――」

 無理に笑みを浮かべた後、校長は一呼吸を置いてから口を開く。その時一瞬私から視線を外したけど、どうやら隅で読書中の夢絵を見たようだった。夢絵がどうしたのかしら……?

 「例の外国人情報は纏まったのかしら?」

 「あ、はい。板書の通りです」

 夢絵に視線を向けたのは特に関係なさそうなので軽く流した。校長は黒板の前にいる私の横に並び、それ全体を眺めながら感心したように話す。

 「へぇ~。仕事早いわね、ちかりん」

 「その呼び方やめて下さい」

 何故か校長は私をその綽名あだなで呼んでいる。確か、夢絵も綽名で呼ばれているけど、この場にいる他の役員は普通に名字だけで呼ぶ。そこに何か共通点でもあるのかは定かではない。

 「いいじゃないのよ。つれないわね、ちかりん。このこの」

 調子良さ気に肘で脇を突っついてくる。

 「二度も言わないで下さい」

 校長から呼ばれる子供っぽいその綽名は慣れる事はなく、嫌い。

 そんな私の呟きに聞く耳も持たない校長は長い髪を(ひるがえ)しながら再度黒板に目を通す。

 「…………」

 案の定というか、やっぱり不機嫌そうに表情を曇らす……と思いきや。

 「やだ~、金髪の長いツインテールとか超可愛いじゃない!!私の娘になってくれないかしら!?妹で もいいわ!」

 欲望丸出しだった。なんという校長だろうと私は目頭を押さえ、押し黙しかなかった。しかもこれに乗じて、他の役員も欲望を露呈し始めた。

 「ですよねですよね?私もこんな妹がほしいです」

 「俺の妹になってほしいっす」

 「いや、俺なら彼女だな」

 「なんだよ。お前ロリコンなのか?」

 「男なんてみんなロリコンだぜ」

 見事なまでの脱線。これが生徒会による会議だと誰が思えるかしら?もう完全な変態集団にしか思えないわよね。

 「まったく……最近の若い者は。これだから日本がおかしくなる」

 佐渡君は爺臭い事を言って呆れていた。あなた、何歳よ?

 「…………」

 夢絵は顔を上げ、黙って変態集団を見つめていた。冷たく侮蔑するような眼差しで。

 結局、この脱線状態は長く続いた。こんな板書の内容でも校長は何故かあっさり納得したので、今日の会議はこれで終了した。

 教室の電気を落とすと、そこは闇に包まれ、入室者を拒む雰囲気が出ていた。出る前に確認したけど、時計の針はもう六時を回っていた。


 「お姉ちゃん、あの話、信じられる?」

 青白い月明かりに彩られた無人の廊下。寂しさをなんとか埋めるように、遠くから吹奏楽部の演奏が聞こえた。

 私と夢絵が同じ部室に向かっていた途中、妹が振ってきた話題はそれだった。私はきっぱり断言した。

 「そんな訳ないでしょ」

 どこに金髪ロングツインテールのチャイルド外国人がいるのやら。馬鹿馬鹿しい。

 「でも、ピンク髪の人もいるよね。もしかしたら、有り得なくはないのかもしれないよ」

 「…………」

 腕を組み、冷静に考え始める。

 確かに、身近で心当たりのある人がいる。あの人はハーフと言っていたけど、ピンクの髪をもつ外国人が本当にいるのか、私は知らない。

 「もしかしたら、今日の会議で挙がった子もいるかもしれないって私は思うよ」

 「……どうかしらね」

 言葉を濁す。その時はそれがベストだと思った。

 そう……その時は。


 やがて、私達はある部屋の前までやって来た。

 そこは物理室。扉の縁の上にある掛札には木彫りで天体部部室の文字。そう、私達はここ、天体部の部員。

 ここに入部した理由は星を眺める事が好きだから、という私の単純明白な理由だった。夢絵も星は好きなので、入学早々この部に入部している。

 ノックを済ませ、私と夢絵は入室。

 「失礼しま――」

 「来た来た来た来たー!!待ってたよ、知華ちゃん、夢絵ちゃん!」

 入室早々、ハイテンションのはるちゃんがお出迎え……というか、部屋に入る事を妨げてきた。うん、邪魔だ。蹴っ飛ばすと気分爽快になる事に間違いない、と断言できる。

 「さあさあさあ、早くウノでもやろうよ。千里と部長とトランプしてもいっつもあたしが負けるから嫌 になってたんだよ。ほらほらほら」

 私と夢絵の腕ががっしり掴まれ、そのままウノの戦場に連行された。

 天体部は休日とは違って平日にする事はほとんどなく、暇で暇で仕方ない部活だった。せめて望遠鏡のチェック程度なので、それが終わればよくトランプやらウノやら白髭危機一髪ゲームなどで遊んで暇を潰している。

 部費がいらないと思いがちだけど、天体観測する時に使うテントや雨の日に時々行くプラネタリウムの鑑賞券代などで結構あっさり無くなってしまう。それが田岐山高校の天体部。

 「駄目よ、晴香。これで遊戯の時間は終わり」

 「嫌だ!だって、私だけが負けてばかりだから、誰かをギャフンと言わせたいの!」

 冷静に言い放ったせんちゃんにはるちゃんは抗議する。呆れて話すのも面倒になったのか、席を立ったせんちゃんはこちらへ逃避しようとする。

 「あたしの三四二連敗をいい加減断ちたいの!」

 するとはるちゃんが間に割って入り、せんちゃんの肩をがっしり掴んで真顔でかっこ悪いセリフを言い切った。三四二連敗って……。

 「前は九五五連敗だったじゃない。それよりも上を目指すの?」

 「逆よ、逆!上目指して何になるのよ!?」

 「ギネスに載るかもよ」

 「嫌だよ!あたしは二連勝したいの!」

 ハードル低っ!と思う人が多い、いや、思う人しかいないと思うけど、はるちゃんにとってはエベレスト並の高さはある。馬鹿だと思った方、心の中で押し殺してください。

 「どっちがボケてるのか分かんねえな」

 その二人のやり取りを、いつの間にか私の隣で見ていた天体部部長の(あららぎ)誠也(せいや)が苦笑いを浮かべていた。染めた金髪をさっぱりとした形で整えられていて、そこそこ背の高い一応美男子の枠に入る男性。女子から数人ラブレターを貰った事もあるらしい。

 「誠也、いい加減負けてあげたら?」

 「じゃあ、連敗数がもう一桁増えたら負けるか」

 「そこまで連敗したら、屈辱のあまり不登校になりそうですね」

 「ナイスツッコミだね、夢絵ちゃん!」

 夢絵に向かってチャラ男っぽくビシッと指差す誠也。今のはボケだと思うけど……。

 「でもでもでもでも、そんなの関係――」

 「誠也。色々問題あるからそこまでにして」

 誠也ははるちゃんに負けず劣らずの馬鹿で面白い人。そこに惹かれたのか、最近の私はこの部長が気になり始めている。もっと部活の時間がほしい。そして、彼と沢山話して盛り上がりたい。少しそう思うようになっていた。

 「今日も馬鹿馬鹿コントだね、お姉ちゃん、誠也さん」

 「おっ、言ってくれるねぇ夢絵ちゃん。よし、今日も馬鹿馬鹿コントに花を咲かせるぜ」

 今ここに「馬鹿馬鹿コント」という新たな名詞が誕生していた。私は早く本題、大連休の日程ついて話し合いたい、そう思いながら場の仕切りに入る。部長の身分ではないけど。

 「馬鹿馬鹿コントはいいから!それよりも、次の観測日を決めない?もう五月に入ったのよ。それに明 日からはゴールデンウィークなのよ。この絶好な観測機会を逃すつもりなの?」

 「ゴールデンウィークの予定か……」

 天井を仰ぎ見て、顎に手をやりながら考え始める誠也。

 「じゃあ先月と同じく隣町のプラネタリウムにでも――」

 「行かないわよ」

 即却下。先月行ったばかりだし。

 「それだけじゃつまらないわ。ゴールデンウィークなら普通、望遠鏡を持って山でキャンプでもしなが ら楽しく観測するものでしょ?」

 「はあ!?キャンプと言ったら海だろ?山の幸より海の幸の方が断然美味いぞ!」

 「話の論点がずれてる」

 「いや~、毎回毎回鋭いツッコミだね、夢絵ちゃん」

 「褒められた」

 「いや、私に報告しなくていいでしょ」

 ブイサインするマイペースな妹だった。

 この通り、超不真面目で超緩くやっている我が天体部。正直、この部に入っていながら愛好会にして部費の支給を断った方がいいと思う事もよくある。勿論、部員のみんなには秘密だけど。

 大体はこのように騒がしい調子のまま完全下校時刻の六時半を過ぎてお開きとなる。この日もそうだった。


 「じゃ、三人ともお疲れ」

 「お疲れ様でした」

 校門。外はもう五月なのに、まだ雪がちらほらと残っている。夜道に白い雪は結構目立っていた。

 田岐山村は標高が高いので、比較的に低温の日が続く上に、積雪量も半端ない。東京とは違う国、別世界だと思うほどの違いだ。

 私達姉妹と誠也達三人の帰路はここでそれぞれ東と西とで別れてしまう。私は彼らに手を振り、夢絵はぺこりと一礼。

 「じゃあな、空西姉妹」

 「また来週ねぇー」

 「……バイバイ」

 誠也とせんちゃんは手を上げ、はるちゃんはぶんぶんと勢いよく手を振っていた。そしてほぼ同時にまだ雪が残る帰路へ向き直り、足を動かした。

 結局、大連休の予定も決められず、誠也が今日中に考えてメールを送るという結論となった。

 「夢絵、体は大丈夫?」

 この事は下校する度に訊くこと。病弱なのだから、妹に無理をさせてはいけない。ひどい時は親に連絡して、迎えに来てもらう場合もある。

 家は歩いて十分という好都合な場所にあるのだけど、こういう重要な事は(おこた)ってはいけないものだ。東京は電車の満員地獄などがあって苦労した分、こっちでの暮らしはかなり楽なものではあるけど。

 「うん、今日も大丈夫。心配してくれてありがとう」

 いつも通り、今日も夢絵の手を掴んで下校する。

 「それと……今日はごめんなさい」

 「えっ?」

 妹は俯いたまま、何かを言いたいらしく私の手を強く握る。一瞬、何の事か分からなかったが、今日の出来事を思い返せばすぐに分かった。

 「教室の所まで来たこと?」

 私は優しく安心させるように柔らかい口調で訊いた。

 「…………」

 夢絵は何も言わず、顔を上げる。頬を仄かに赤くして、うるうると少し涙目になっていた。そして、妹は視線を逸らし、小さくこくりと頷いた。姉ながら、夢絵のそういう所を可愛いと思ってしまう。だから思わず、夢絵の頭をさらりと撫でた。

 夢絵を守る。そう決意したあの日を思い出しながら。

 「?」

 きょとんとした上目遣いで私を見る夢絵。私はもう一度優しく話す。

 「終わり良ければ全て良し、でしょ?夢絵が無事ならそれでいいのよ。でも、あまり私を心配させない でね」

 「……うん」

 「……ふふ」

 お互い笑い合う。

 夢絵を守る。私にはそんな強い使命感がある。だから、中々笑顔を見せない夢絵が笑顔を見せてくれると本当に嬉しく思える。

 「よしっ。じゃあ夢絵、明日のパンを買いに行こっか」

 「うん!」

 夢絵は可愛らしいく、子供のような笑顔をもう一度見せてくれた。

 「そういえば夢絵。明日は何する?」

 のんびり屋の誠也の事だから、明日に天体観測はしない。バイトなどしない私にとっては一日目は自由行動できる訳なので、夢絵は何をしたいか尋ねてみた。

 「お姉ちゃんと遊ぶ」

 真顔で即答。お姉ちゃん、嬉しい!

 「……でも、折角の四連休よ?何か別な事にしない?」

 「じゃあ、知華先生の勉強会」

 初日から勉強会は正直やりたくない。生徒会長としてそれはどうかと思うけど。

 「……私、一人で隣町へ行こうかしら」

 「なら私も行く!隣町で勉強会」

 「えー」

 今の夢絵はボケています。


 田岐山村には、スーパーやコンビニのように都会を象徴させる店はない。隣町は結構都会な所なのだけれど、山を一つ越えなくてはならないので、車か電車を使う必要がある。

 なので、村の人たちは大体物々交換や小さいお店で買い物を済ませる。私達空西家は農家なので、食料に困る事はあまりない。お米とかは去年の分で(まかな)えるし、野菜なら何種類か栽培していて、収穫した物を近所の人と物々交換すれば、沢山の野菜が手に入る。

 では、食糧に富んだ私達が何故パンを買いに行くのか。それは至極単純な理由になる。

 「あそこのパンはホントにおいしいよね」

 夢絵の言う通り。村唯一のパン屋、そこのパンが極上と言っても過言ではないほど美味いから。特にメロンパンが。

 「そうよね。あそこのメロンパンはほんっとやみつきになるわ」

 あそこの外側がカリカリ、中身はふんわりで絶妙な甘さのメロンパンを想像するだけで私の心が踊る。私って単純。

 「お姉ちゃんはあそこのメロンパンを毎日食べないと禁断症状が起こる」

 「いやいや、そこまでひどくないから」

 「……ちっ」

 「今の舌打ちは何!?そこにどんな意味があるの?」

 たまにサラッと言う妹の冗談が怖い。聞き逃したら大惨事になると度々思う。


 自宅の前を早歩きで通過してさらに五分。そこにお目当てのパン屋、フジがある。外見はこの村では珍しい洋風の建物だけど、あまり目立たないよう控えめの配色にしてある。村の景観を壊さないように、という素晴らしい配慮がそこにはある。

 ドアを手前に引くとからんからんと取り付けられているベルが鳴る。

 「あっ、知華ちゃん、夢絵ちゃん。いらっしゃ~い」

 「こんにちは、由日璃(ゆかり)さん」

 中は明るく、思わず涎が出そうなほど美味しそうなパンの匂いが充満していた。その一角にあるレジの向こうで、丁度焼きたてのメロンパンをトレイに乗せて持ってきた女性がこの店の店主、中陽(なかよう)由日璃さん。先程夢絵との会話で言っていたピンク……と言うより色素の薄い桜色の髪をショートヘアでさっぱりした美人さん。外国人と思いがちだけど、本当はハーフらしい。天然で少しドジな部分があるけど、それ以上に母親と思わせる母性的な性格と抜群なスタイルを持つ本当に美しい人。

 ちなみに、由日璃さんには妹がいるらしいけど、恥ずかしがり屋さんのようで、実際に会った事はない。その人も美人さんだとしたら、羨ましい限りの話。

 「いつも私のお店に来てくれてありがとね、二人とも」

 「ここのメロンパンを買わないとお姉ちゃん、禁断症状が起きるから」

 にこにこ笑顔で言う妹。

 「そのボケは引っ張らないの」

 軽くツッコミを入れないと由日璃さんは本気で信じてしまう。天然だから。

 「うんうん。やっぱり二人は仲がいいのね」

 私達のやり取りに由日璃さんはクスッと小さく笑っていた。

 「じゃあ、今日は特別。禁断症状を起こす知華ちゃんにメロンパンを贈呈するわね」

 「えっ!いいんですか?」

 禁断症状は余計だけど。欲しい気持ちは山々だけど、やっぱり良心の呵責が……。

 「いいのよ。はいっ、焼き立てよ」

 そう言って由日璃さんは本当にトレイに乗っていたメロンパンを私のトレイに二個も乗っけてくれた。とっても素敵な笑顔で。

 由日璃さんの笑顔は夢絵とは違って大人びた優しい笑顔。でも、大人びているのにどこか(まぶ)しい。そんな不思議な笑顔だった。

 「いいんですか、二個ももらって?」

 「いいの、いいの。二人で仲良く食べてね」

 さよなら、私の良心。由日璃さんの象徴とも言えるある意味必殺の笑顔で言われ、私は思わずその厚意に甘えてしまった。

 その笑顔が羨ましい。昔とは違い、今では私も普通に笑顔で応対できる。だけど、あくまで普通の笑顔で。言い換えれば、由日璃さんのように特徴がない笑顔……私もそういう明るい笑顔で接する事ができればいいのになあ。

 振り返ってみれば、車に轢かれたあの事故に遭ってから私は笑わなくなった。でも、あの時をきっかけに私は徐々に――

 「お姉ちゃん?」

 「えっ?な、何?」

 気付けば、夢絵が心配そうに私の心境を読み取ろうとするように顔を覗き込んでいた。

 「なんか、難しい顔をしてたよ。大丈夫?」

 不安そうに小声で言う夢絵。私は心配かけまい、と笑って誤魔化した。多分、悪い意味でいつもと違う笑顔だったと思う。

 「…………」

 夢絵も何か勘付いたのか、それ以上は問わず、口元を少し緩めて小さく笑った。そして、無言で視線を売り場の奥へ向ける。その先を追ってみると、私達の一番の目当てである食パンが陳列されていた。

 買って帰ろう、という夢絵の示唆と思い、私は袋に入った六枚切りの食パンに手を伸ばした時だった。

 からんからん――

 「あっ、いらっしゃい」

 「こんにちは、中陽さん」

 抑揚の低い大人しくも優しい印象を抱く声に、伸ばした私の手を止めた。同時に入店したお客の方へ目を移すと、やはりあの人がいた。

 「あっ、知華ちゃんと夢絵ちゃんも来てたのね」

 偶然だねぇと言いながら、田岐山高校の制服を着た女子生徒は手を小さく振りながら柔和な笑みを浮かべた。

 「真裕美(まゆみ)もね。パン買いに来たの?」

 「それ以外に何か買おうと思う物ってある?」

 「ジャム」

 「もう、意地悪だね。普通にパンを買いに来たのよ」

 手にしたプラスチックのトングをカチカチ音を立てながらむぅと頬を膨らます。

 彼女は貝守(かいもり)真裕美。同じ三年だけど、クラスは違う。生徒の中では他の誰よりも大人びた印象が強い私達姉妹の友達。

 実は真裕美は昨年度に卒業できなくて、一度留年を経験している。早い話、一つ年上で先輩。

 髪型も肩までさらっと伸ばしたおしゃれな長髪に四葉のクローバーが付いたヘアピンがアクセントとなっている。全体的に整った容姿も魅力的で、何人かの男子から告白も受けている校内でも有名な人。

 私が彼女と親しいのは、一つ年上という点が大きい。他の生徒よりも高校生活が長い真裕美からの助言は生徒会の仕事や、普段の生活に大きな手助けとなっている。それで私達はすぐ仲良くなった。でも、彼女の友達はみんな卒業してしまって、今の真裕美には気楽に話せる人が少ないらしい。いつも空気を読んで、取り繕うように話す事を私達は知っている。だから、私達は彼女にとって数少ない親友、と本人が断言している。

 私はその事は本当なのか、とたまに思ってしまうけど。

 「二人も、ここの常連さんなのかな?」

 「そうよ。二人は、よく食パンとメロンパンを買ってくれるのよ」

 私達の代わりに、由日璃さんが答えてくれた。

 「へぇ~、メロンパンかぁ~。私もそれ、買ってみよっかな」

 メロンパンの棚を物欲しそうな眼差しで見つめる真裕美。さっきのセリフから考えて彼女も常連みたいだけど、まさかここの極上に美味いメロンパンを食べた事がないなんて……一体他のどれが好きなの?

 「ところで、真裕美はよく何のパンを買うの?」

 真裕美が買いそうなパンと言ったら何だろう?お嬢様っぽい真裕美の事だから、油を使ったあげパンやピザパンは買わないと思うけど……。

 「私はよくピザパンを買うのよ。チーズの味が濃厚で美味しいのよ」

 大外れでした。

 でも、私もピザパン自体は嫌いな訳ではないし、チーズの味が濃厚、というのに惹かれていた。ここのピザパンは一体どんな味がするのだろう?

 「お姉ちゃん、私もそれを食べてみたい」

 夢絵も興味を持った様子。なら、する事は一つ。

 「じゃあ、私達もピザパンを買います」


 「はい、どうぞ」

 「有難うございます」

 由日璃さんからレジ袋を受け取る。ピザパンは自腹出費になるけど、特に気にしてない。私の頭の中ではどんな味がするのか気になっていて、早く食べたい、とうずうずしていた。

 家に持って帰って夜食にしようかな?でも夜食は太るし……それにできたてを頂きたいし……。

 「はい、真裕美ちゃんも。いつもエコバックで感心するわ」

 考え事をピタッとやめて、レジの方へ振り向く。確かに、真由美が受け取っているのはレジ袋ではなく、濃い緑色の手提げバックだった。

 「いえ、環境保護の一環ですよ」

 「ふふっ。その気持ちが偉いのよ」

 環境保護……やっぱりそれが目的よね。その言葉を聞いて私はレジの横に置かれた植物のフジに目をやる。

 場違いな盆栽風に剪定されている。そして、憎々しく枝垂れて咲く薄紫の花々。今の私でも自然や花が嫌いという事に変わりはない。昔に比べたら幾分マシになった方なのだけど。

 でも、ふと思った事がある。藤はこの店に置かれているように盆栽として楽しむ事もできるつる性の植物。どうしてそのような植物がこのパン屋に置かれ、店の名前にもなっているのか気になった。

 「お姉ちゃん?」

 「えっ、夢絵?どうかした?」

 また夢絵が心配そうな表情で私を見つめていた。

 「どうかしてたのはお姉ちゃん。また難しい顔になってた」

 「…………」

 どうして夢絵はよく私の変化に気が付くのだろう?この鋭さが時々怖く思えてくる。

 でも、今回は誤魔化す必要もない単純な疑問。思った事をそのまま夢絵に伝えてみた。

 「ちょっと由日璃さんの店名が気になってたのよ。どうしてフジなのかなって。店内にも藤が置かれているでしょ?」

 「あら。店名に興味を持ってくれたの?」

 ニコニコと、いつの間にか背後にいた由日璃さんの笑顔がさらに明るくなった気がした。その様子から察するに、何か(こだわ)りがあるらしい。

 私の思惑を見透かしたようにスッと目を細めた由日璃さんは、その花を手に乗せながら懐かしむように語り始めた。

 「これはね、花言葉が由来になっているのよ」

 「花言葉?」

 フジを見ながら目を細めて語る由日璃さんに思わず訊き返してしまった。

 由日璃さんの瞳が揺れている。何かに動揺を隠しきれないように。

 「フジの花言葉は歓迎。その意味が店名に籠められているのよ」

 「それって、お客様に対しての?」

 真裕美の問い(ただ)しに、由日璃さんは目を閉じてこくりと頷く。

 もっと深い意味があると思ったけど……私の考えすぎみたいね。

 「そんなに拘って付けた店名ではないのよ、知華ちゃん」

 「えっ……」

 その言葉を理解するのに少し時間がかかった。また……私の心を見透かした。そのような気がして、僅かに寒気と戦慄を覚える私。いつものようにパンを買いに来ただけなのに……今日感じたこの不安な感情は当分忘れる事ができない気がした。


 由日璃さんに明るく見送られながらフジを出た後、真裕美と暫く談笑してから別れた。あの寒気が原因で、店の中で話す事を躊躇ためらう私が心のどこかに潜んでいた。

 真裕美の帰路は私達の家とは逆方向の山と神社のある方。幼い頃に雪崩が起きた方だった。私は悪夢のようなその事や、フジでの出来事をあまり考えないよう、夢絵と色々話しながら真っ直ぐ家を目指した。

 その途中、またあれが起きる。


 意識の朦朧、未来予知の予兆だった。


 今回見る未来の内容も嫌なもの、その不文律が頭を駆け巡りながら、未来映像の強制再生は始まった。 今回は村の夜道。丁度私達が歩いている道の途中ですれ違う人と会話するものだった。私とその人物がなんと……学校の会議で挙げられた特徴と全て一致する外国人の少女だった。

 背が低くて、月明かりに照らされた金髪ツインテール、夜に溶け込みそうな黒い衣装に身を包む少女。だけど、本題はここから。

 私は夢絵と談笑しつつ、未来予知で見た場所に近づいた時は細心の注意を払っていた。


 そして、その少女に会う事はなかった……。


 つまり、私の未来予知が外れた。今までそんな事は一度もなかったのにどうして……?

 納得できる考えが出ないまま私達は家まで帰ってきた。夢絵が言う難しい顔になっていただろうけど、彼女はそこを指摘してくる事はなかった。

 私は玄関を避ける。わざわざ和風庭園の中庭を抜けて裏口の玄関から入った。

 そうする理由も単純。私のママ、(しず)()がここで村唯一の花屋を経営している為、正面玄関から入るなら、満開の花々がお出迎え、という地獄の門をくぐる事になる。実に不愉快。それだったら、心の落ち着く和風庭園を抜ける方が私にはまだいい。

 ちなみに、店名は「花屋 空西静花」とネーミングセンスの無さに頭を抱えてしまう名前。ママ当人の名前をほぼ暴露してるし、由日璃さんを見習ってほしいもの。

 「ただいまー」

 抑揚のない夢絵の間抜けな声。それに返事する声がない。

 「……今は誰もいないみたいね」

 我が家は二階建てで、一階の約半分はママの花屋が占めていて、あとはリビングとお風呂という田舎の家にとっては狭い間取りとなっている。上に行けば家族それぞれの部屋があり、自由に使っている。

 上から足音がしないという事は多分、パパとお爺ちゃんは農作業で外に出ていると思う。ママは懸命に花の手入れをしているのでしょう。

 時間はもう十九時を回っている。今日は私達が夕飯の支度に取りかからなければならないわね。

 「じゃあ、夕飯を作ろっか。夢絵は体、大丈夫?」

 「平気。今日はカレーの気分かな」

 「いいわね。甘口のルーが前に余っていたわね」

 玄関で靴を乱雑に脱ぎ捨てて台所に向かい、棚を物色する。手前にあるカップ麺をどけて奥を見ると、開封済みの甘口と未開封の中辛がひっそりと残っていた。

 「あるね。新しいルーと併せれば二日分は作れそうね。夢絵、人参やじゃが芋とかもある?」

 冷蔵庫の方を見ると、夢絵が丁度野菜室を漁っていた。

 「問題ないよ。紫人参に紫じゃが芋に紫玉葱に――」

 「うちってそんなに紫野菜あった?」

 「冗談。レモンやキャベツ、トマトに――」

 「あるかないかで答えてくれる?」

 「……ない」

 野菜室を閉めてぼそりと呟く夢絵。私が相手してくれないからか、少し拗ねた気がする。でも、のんびりしている暇はないので、テキパキ行動する必要がある。それを分かってくれいるのかしら?

 「何か他のにする?」

 「カレーがいい」

 ここは譲れない一線、と顔に出ていた。私達の場合、あまり料理のレパートリーが多くないので、あまり凝ったものは作れない。煮物とかハンバーグもできないし、頑張って炒飯。

 この時間では近所の方と野菜の物々交換をするのも迷惑。現状、私達が料理するなら買い出しが必須になるので、ここはママと相談した方がいいと判断した。

 「ママー。今日の仕事はいつ終わりそう?」

 ここからでは見えない店の方へ声を掛ける。

 「そうね~…。あと四〇分ってところかしらね」

 「ちょっと八百屋に行くから、後でお金出してよ」

 「はいはい。夢絵はこっちを手伝ってもらえないかしら?」

 「分かった」

 「助かるわ」

 案外早く話が纏まり、すぐにそれぞれの行動に移る。夕飯のできる前にパパとお爺ちゃんが戻ったら、後者が火山の噴火のように大激怒するでしょうから。

 乱雑に散らばっていた靴を履いて、家を出ようとすると、背後から夢絵の声がした。

 「行ってらっしゃい」

 「行ってきます」

 こういう他愛無いやり取りが行える日常が続いてほしい。そう思いながら私は勢いよく飛び出した。


 夜の田岐山村は五月でも結構冷え込む。雪がまだ残る光景が、尚一層寒さを強調させている。実際、制服を着ていても少し肌寒い。

 空は薄い雲に隠れていた月が現れ、村は月明かりに照らされていた。無数の星々も空で煌々(こうこう)と輝き、星好きの私を興奮させる。東京の空とは比べるに値しないほど綺麗で神秘的だった。

 村の八百屋で必要な野菜を買い込んだ後の帰り道、予想していなかった出来事が私を待ち受けていた。

 「……えっ!?」

 驚愕のあまり、それ以上言葉が出なかった。パン屋フジと同じ帰り道、未来予知が起きた場所でその子と出会った。いや、出会ってしまった。

 金髪のツインテール。背が低い。黒い服装、正確に言えばマントを羽織った外国人少女を。そう、この時間に会う事を私は予知したのか、とあの未来予知に納得がいった。

 「…………」

 彼女は電池が切れたロボットのように元気なく、俯きながらとぼとぼと一歩一歩ゆっくり歩いている。こちらの存在に気付く様子もなく、ひどく疲れ、落ち込んでいるように見える。

 無理もない。外国人を拒むこの村の人に気付かれないようひっそり一日も過ごせば、子供は疲労困憊となるでしょう。

 でも、この子は一体何が目的でこの村に来たのかしら……?

 「?」

 「あっ……」

 ふと目が合ってしまった。こっちの存在に気付かれた。

 「――!?」

 思わず息を呑んだ。

 ……この子の目が死んでいた。光のなく疲れきったような虚ろのその目は、生気すら感じさせない。本来は澄んだ綺麗なシアンの瞳だと思う。けど、今はまるで何かに絶望したかのように、あるいは幽霊みたいで……この子が不憫に思えてならなかった。

 「ど、どうしたの?」

 だから、放っておけなかった。もしここで見逃したら、彼女は死んでしまう、そう思ったから。

 不意に、幼い頃の雪崩の厄災が脳裏で鮮明に蘇り、再生される。あの時のように、無力で助けられないのはもう嫌だった。だから……私はこの子を守りたかった。

 「…………」

 しかし、彼女は私から視線を外し、再び歩き始めた。前髪で顔が隠れ、表情は分からない。けど、近寄らないで。関わらないで、と彼女が放つ重い雰囲気がそう語っていた。

 「待って」

 それでも私は、声を掛けた。

 だって……放っておける訳ないじゃない。こんな子を。

 「…………」

 月明かりに照らされた青みを帯びた彼女の金髪の揺れが止まる。動かしていた足を止まった。でも、背中を向けたままで、顔はこちらに向けてくれない。

 こんな時に私という人間は……見惚れていた。背丈は低いけど、月光を浴びた彼女はあまりにも神秘的で美しく、夜の光景に似合っていた。その瞳に光が宿れば夜の天使のようで、今のように虚ろな瞳なら夜の悪魔のようで……不思議だった。

 「えっと……日本語は分かる?あなたは誰?どうしてこの村に来たの?」

 頭に浮かぶ事を慌てながら次々と訊く私。動揺が激しく、それが言葉にも出ていた。

 「……見えてしまったのね」

 「えっ?」

 今なんて言った?見えてしまったってどういう事?

 「許可なく不法入村した私を警察まで連れて行くの?」

 声は可愛く柔らかい子供らしい。けれど、私よりもどこか大人びた印象を受ける不思議な声だった。

 それ以上に驚愕した事、まさかの日本語がペラペラ!滑舌が普通に日本人だと思えるくらいに完璧だった。到底ただの少女とは思えない。謎が謎を呼ぶ子だった。

 「……さっき言った私の質問の応答次第ね。はぐれたとか、家出だったら容赦なく警察行きよ」

 私は少し迷ってから、少し厳しめに返答した。この子をどうしたらいいか、それを考えながら。

 「それなら、よかったのにね……」

 くすり、と小さく少女は笑った。子供とは思えない笑い方と発言に私は困惑するばかり。

 「それならって……」

 「私はね――」

 私の言葉を(さえぎ)り、くるりとその子は振り返る。

 ふわりと前髪が揺れ、髪と髪の隙間から見えた瞳には光が宿っていた……と思う。すぐに俯き、また前髪が顔を隠す。

 そして、悲しそうに。本当に悲しそうに彼女は私にギリギリ聞こえる小さな声で言った。

 「私の命を守り、繋げる為にこの村に来ました」

 ……全く意味が分からない。というか、分かる訳がない。

 「…………」

 何か声をかけたかった。でも、何を話せばいいのかが分からず、言い(よど)んでしまう。硝子越しのように何か見えない壁が私達の間にあった。手が届きそうで絶対届かない、そんな気がした。

 また少女が口を開く。今度は……顔を上げながら。表情を見せながら。


 「私の今の話、信じなくていいですよ」


 ……嘘。

 光の宿り、澄んだシアンの瞳の端には……水晶のような綺麗な涙が浮かんでいた。彼女のそんな顔を見れば誰でも嘘だと分かる。信じてって顔にはっきり出ているもの。

 「……それでは」

 「あっ、ちょっと!?」

 踵を返して走り去る彼女を、私はただ呆然と見つめる事しかできなかった。行先も途中で彼女は消えたように闇に紛れてしまい、分からない。ただ、最後まで少女はその顔のままだった。

 あの子は本当に何者なの……?

 その疑問が私の脳内で木霊するように反芻していた。何度も何度もその疑問が頭に響く……あ、あれ?急に足下が覚束なく、ふらふらし始める。そして、意識の朦朧……ああ、これは……。

 また未来予知……私の意識は、また闇に吸い込まれた……。


 未来予知の頻度は一週間で一度ある程度がほとんどで、一日に三度も起きた事は今までにない。また難儀で嫌なそれを見ると思うと、今日の気分はもう最悪。

 白い霧のように暈けた光景が徐々に晴れていく……。

 「……あれ?」

 おかしい。今回の未来予知は何故かくっきり鮮明に映っている。それに、この光景……草原が一面に広がり、他に何も無い幻想的な殺風景だった。微風そよかぜが私の頬をくすぐり、青く澄んだ空。気持ちいいと思うのが普通でしょうけど、私は居心地悪いものだった。

 人工物など何も無い純粋なこの世界。少なくとも、これは私の未来予知とは違う。

 「そうですね。これは、貴女の未来予知ではありません」

 儚い少女のような声が背後から聞こえた。振り向くと、そこには白い帯の付いた麦藁帽子を被った白い髪の少女が佇んでいた。短い髪に私を上目遣いで見るつぶらな瞳。背の高さから考えて、小学生ぐらいかな、と推測できる。

 「ああ、喋らなくて結構です。貴女が考えている事は、貴女の目を見れば大体分かります」

 その少女はどこか悲しみを含んだ笑みを浮かべて話を紡ぐ。

 「時間がありません。一方的でこちらの我儘わがままになってしまいますが、どうかこの願いを叶 えて下さい」

 本当に意味不明な事を一方的に話す少女。今日の私は常識外れな事柄に翻弄されて疲労がピークに達している。話したり聴く気力はあまりなかったけど、少女は死者が生者に遺言を残すようにある願い事を小声で言った。

 「この幻想の花園を消して下さい。そして、私を助けて下さい。この願いは絶対に忘れないで下さい  ね」

 ……ここに花一輪すら無いし、何気に願い事を二つ頼んでるわよ、この子。

 そもそも、助けるってどういう意味?その点が気になって訊ねようと思った瞬間、再び視界に霧が発生して、この世界や少女の姿が隠れて見えなくなった。色鉛筆で描かれた子供の絵が、消しゴムで消されていくように。

 「時間……ですね。この願い、忘れないで下さいね」

 それ以上、少女の声も聞き取れずに私の意識が薄れ始めていく。


 私の目はあの子から見て何が映っていたのだろうか、最後にそう思いながら意識は幻想の花園から静かに消えた。

 できたら、感想もいただけると幸いです。今後の参考にもなります。

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