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菊池くんの恋愛事情-38
「これで、妹は自由の身だ。いいも悪いも、ない。私には、今まで我慢させてきた彼女を不幸にしてまで、執着するものが……ないからな」

――執着するものがない

その言葉に、ずん……と胃が重くなる。
「本当にないの? その……好きな人とか――」
小さく呟く。
奏は聞き取れなかったらしく、俺の顔を覗き込むように首をかしげた。
「――菊池?」
奏の、不思議そうな声。
「いや、その……黒田とかさっ。話すの楽しかっただろ? それにほら、あいつ頼りになるし」
「……確かに、そうかもしれないが。菊池、いったい何が言いたい」

――確かに、そう

奏の言葉が、脳裏をかけ廻る。

「――黒田に、会いに行こう」
立ち上がって、奏の手を掴む。
「え?」
奏の声を無視して、力任せに立ち上がらせる。
「だって、奏、自由がないんだろ? 作らなきゃいけないんだったら、このまま、黒田に会いに行こう。車で、連れて行くから」
「ちょっと待て、何を……」
奏の鞄を拾い上げて、玄関の方に歩き出す。
「大丈夫だよ、高速使えば四時間くらいで着くから。ちゃんと、会わせてあげるから」
片足を靴に突っ込んで、部屋の電気を消す。
真っ暗になった空間で、奏が手を振りほどいた。

「菊池、何を言ってる? 私はすぐにでも戻らなければならないんだ。そうでなければ、妹が探される……」
「じゃあ、奏の幸せは?!」
片足だけ靴を履いた状態で、振り返る。
少し慣れてきた目は、うっすらと暗闇の中に奏を浮かび上がらせる。
「さらっと、なんでもないように事態を受け入れるのが、大人だなんて思うなよ? 俺はこんな見てくれだけど、奏より五年長く生きてるんだ。少しは俺の言うこと聞けよ!」
「菊池……、どうした? おまえらしくない言い方――」
「うるさいっ」
思わず怒鳴る。
奏は、固まるように立ち尽くしている。
暗くて、表情はよく分からないけれど。

黙っていようと思っていた言葉が、口をついて飛び出す。

「誰かの幸せの為にする我慢なんて、そんなのただの自己満足だ!」

なんか、駄目だ。
イライラする――

「言われたから、はいそうですかって納得するなんて、おかしいと思わないの?」
奏が悪いわけじゃない。
そんなことは分かってる。

黙っていた奏が、叫ぶ。
「そんなの――。お前に言われなくたって、そんな事分かってるっ。それでもどうにもならないことが、世の中にはあるんだ!」
「妹の為、母親の為。大切な人の所為にして自分を犠牲にする事が、一番その人達を傷つけるんだって事ぐらい、分かんないのかよ!」


――奏の、息をのむ音だけが、耳に響いた。
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